
わたしは十四の一年間、教室で一度も声を出さなかった。
出さなかったのではない。
出なかったのだ。
それなのに今、わたしはこの町でいちばん喋る大人になっている。
※
平成七年の春。
毎朝六時半、わたしは町役場の二階のいちばん奥、放送室と書かれた木の札の下がった部屋で、マイクの前に座る。
「おはようございます。あさひ町有線放送、朝のお知らせです」
その声が、町じゅうの家の柱に取り付けられた小さな木箱から流れていく。
りんご畑の作業小屋にも、梨の選果場にも、山際の分校の玄関にも、ひとつずつ下がっている。
この盆地の朝には、音がふたつしかない。
鳥と、わたしだ。
読むのは、たいてい色気のないことばかりだった。
今日は農薬の一斉散布があるので、洗濯物は昼まで干さないでください。
公民館の健康相談が、二時からに変わりました。
池上さんのところの茶色い犬が、三日前から戻っていません。
それでも六時半になると、この町の人はいっぺんに手を止める。
郵便局の前で三十年立ち話をしている婆さまたちも、そのあいだだけは黙る。
原稿を読み終えると、わたしはいつも、切る前に一秒だけ余白を取る。
その一秒に、言えなかったことを置いていく癖がついた。
六年間置き続けたのに、まだ、ちっとも減らない。
放送台の内側に、藁半紙が一枚貼ってある。
黄ばんで、角が丸くなって、鉛筆の字がもう薄い。
〈壁に読め〉
太い芯で、そう書いてある。
書いたのは、わたしではない。
※
わたしの家は、盆地の底ではなく、山にへばりつくような斜面にあった。
小学校は分校で、全部で十一人だった。
中学に上がるとき、統合の話が決まり、二年から町の本校へ通うことになった。
坂を四十分下って、川を渡って、それからまた十五分歩く。
初めての国語の時間に、教科書を読まされた。
「雨ニモマケズ」だった。
「あめニモマケズ、かぜニモマケズ」
そこまで読んだところで、後ろの席で誰かが吹き出した。
「訛っとる」
「山んとこの子だに」
悪気があったのかどうか、今でもわからない。
たぶん、なかったのだと思う。
けれどわたしの喉には、その日から蓋がされた。
出席の返事ができなくなった。
「はい」の、は、の音の入り口までは息が来るのに、そこから先が動かない。
手を挙げて、頷くだけの生徒になった。
無理に読ませようとする先生もいた。
机の横に立たされて、五分、十分と待たれたこともある。
そのあいだじゅう、教室の空気がわたしの喉を押さえていた。
矢島先生だけが、一度もわたしを指名しなかった。
一度だけ、その教室に矢島先生が入ってきたことがある。
急な出張で、国語の先生の代わりに自習を見る日だった。
先生は、机の横に立たされているわたしを見て、何も言わなかった。
黒板に、大きく〈今日は音読なし〉と書いた。
それから、指の背で二度、その字を叩いた。
教室が、少しだけ笑った。
その笑いのなかで、わたしは席に戻ることができた。
帰り道、川に架かった橋の上で、わたしは初めて泣いた。
母は、わたしが喋らなくなったことを学校に言いに行こうとして、やめた。
「山の子だで、しょうがない」
そう言った父の背中を、母がしばらく見ていたのを覚えている。
その日から、うちの夕飯では、誰もわたしに質問をしなくなった。
質問がないというのは、思っていたよりも、静かなことだった。
※
矢島先生は、四十をいくつか越えた、痩せた人だった。
社会科の担当で、わたしたちの担任でもあった。
先生は朝の会でも長い話をしなかった。
連絡はぜんぶ黒板に書いて、指の背でこつこつと叩いて済ませた。
授業中も、湯呑みの水をよく飲んだ。
飲んだあと、喉のあたりに手を当てる癖があった。
生徒はそれを「矢島の水飲み鳥」と呼んで笑っていた。
わたしも笑った。
声は出さずに、口だけで。
先生の授業は、地図と年表ばかりだった。
模造紙に何日もかけて書いた大きな年表を、ばさりと黒板に垂らす。
そこを指で追いながら、必要なところだけ短く喋る。
「ここで、米が高うなる」
「そうすると、ここで人が動く」
それだけ言って、また黙って年表を叩く。
授業がわかりやすいので、生徒には評判が良かった。
わたしは、無口な人なのだと思っていた。
※
六月の、雨の続く昼休みだった。
廊下で矢島先生に肩を叩かれ、ついてくるように顎で示された。
連れて行かれたのは、旧校舎の階段の下にある放送室だった。
四畳半ほどの、埃と機械油の匂いのする部屋だった。
窓が高いところにひとつしかなく、昼でも薄暗い。
先生は卓の上に、ざら紙を一枚置いた。
〈今日から、給食の献立を読んでくれ〉
わたしは首を横に振った。
何度も、何度も振った。
喉より先に、膝が震えた。
先生はもう一枚、紙を出した。
〈ここには誰もおらん。壁に読め〉
壁に読め。
その意味が、そのときのわたしにはわからなかった。
先生はマイクを指さして、それから壁の、漆喰の剥げたところを指さした。
そして、わたしの背中を一度だけ、ぽんと叩いて出て行った。
わたしは十分ほど、椅子に座っていた。
チャイムが鳴った。
献立表を持つ指が、汗で湿って、紙が波打っていた。
それでも人が来ないので、仕方なく、壁を見た。
壁は、笑わなかった。
「きょうの、こんだては」
声が、出た。
八か月ぶりに、自分の声を聞いた。
自分の声だと、しばらくわからなかった。
「ソフトめん、ミートソース、ぎゅうにゅう、こふきいも」
こふきいもの、こ、で噛んだ。
噛んで、そのまま一度、黙った。
それでも壁は、何も言わなかった。
※
それから一年、わたしは毎日、昼の四分間だけ喋った。
わかめごはんを「わかめこはん」と読んだ日は、翌朝、三年の男子に廊下で「こはんの人」と呼ばれた。
笑われたのに、不思議と蓋は下りてこなかった。
教室では相変わらず声が出なかった。
けれど昼の放送のあいだだけ、わたしはこの町のどこにでもいる十四歳になれた。
献立を読み終えたあと、マイクを切る前に一秒だけ黙る癖は、そのころについた。
その一秒に、教室では言えないことを置いた。
「おはよう」も、「ごめん」も、ぜんぶそこに置いた。
献立を読む四分のあいだ、校舎じゅうのざわめきが、少しだけ下がるのがわかった。
わたしを笑った子たちも、そのときは机に肘をついて、味噌汁の椀を持っている。
わたしの声が、その子たちの頭の上に降っていた。
それがどれくらい不思議なことなのか、十四のわたしにはわかっていなかった。
用務員の池上のおばさんが、あるとき教えてくれた。
「あんた、知っとるかい」
「矢島先生、毎日あそこで昼を食っとるだに」
おばさんが指したのは、旧校舎の廊下の、スピーカーの真下だった。
生徒は誰も通らない、埃っぽい、行き止まりの廊下。
そこにペンキの剥げた椅子を持ち出して、先生は毎日、弁当を広げているのだという。
わたしは、見張られているのだと思った。
ちゃんと読んでいるか、確かめているのだと。
そう思って、少しだけ腹が立った。
腹が立ったことが、なぜだかうれしかった。
※
三年で担任が替わり、わたしは卒業した。
高校では、少しずつ喋れるようになった。
たぶん、誰もわたしの訛りを知らない場所だったからだと思う。
卒業式の日、体育館の裏で矢島先生に会った。
何か言おうとして、口が動かなかった。
先生は、上着の内側から折った藁半紙を出して、わたしの制服のポケットに押し込んだ。
〈壁に読め〉
十か月前に見たのと同じ字だった。
「ありがとうございました」
その言葉は、その日も出なかった。
※
高校を出て、わたしは町に残った。
役場の臨時職員から始めて、二十二のときに有線放送の放送員になった。
前任の三田村さんが定年で辞めるとき、課長が言った。
「あんた、中学で献立読んどったろ」
十四のわたしを覚えている大人が、この町にはまだ何人もいた。
矢島先生は、定年より少し早く学校を辞めて、家の梨畑をやっていた。
町の広報で、摘果講習会の講師として名前を読んだこともある。
「講師は、矢島宗一さんです」
自分の声で先生の名前を呼んだのは、それが初めてだった。
農協の前でも、選果場でも、何度か姿を見かけた。
そのたびに、わたしは荷物を持ち直したり、時計を見たりした。
十四年ぶんの礼を、立ち話で渡す方法がわからなかった。
来年でいい、と毎年思った。
※
平成七年の九月の終わり、選果場の前で矢島先生の奥さんに呼び止められた。
「あんた、放送の人だら」
「うちのが、あんたの放送、毎朝聞いとるだに」
そのあとで、奥さんは声を落とした。
「先月から、入院しとるだよ」
「喉のとこをね、取っただよ」
「もう、声は出んように」
わたしは、はい、と言った。
それしか出てこなかった。
奥さんが行ってしまってから、わたしは選果場の梨の匂いのなかに、しばらく立っていた。
その夜、原稿用紙を出した。
放送の終わりに、五分だけ自由に使える「町のたより」という枠がある。
そこで先生に伝えようと決めた。
書いては消し、消しては書いた。
一枚目には、感謝しています、と書いた。
読み返して、破った。
感謝という言葉は、放送に乗せると、どこの家にも同じ大きさで届いてしまう。
先生の家にだけ大きく届く言葉を、わたしは知らなかった。
それで、献立のことを書くことにした。
十四年を四百字にしようとすると、どこを削っても嘘になった。
十日かかった。
奥さんには、電話で頼んだ。
十月三日の夕方、六時。
うちのラジオを、つけておいてもらえませんか、と。
※
その日は、朝から盆地に霧が出ていた。
梨の最後の出荷が終わって、選果場の灯りが早く消えた。
六時の時報のあと、わたしは原稿を伏せて、壁を見た。
漆喰ではなく、役場の安いクロスの壁だった。
それでも、壁は壁だった。
「今日は、町のたよりを、わたし自身のことでお借りします」
「二十年近く前、あさひ中学校の旧校舎の放送室で、給食の献立を読んでいた生徒がいました」
「その子は、教室では一年間、一度も声が出せませんでした」
「訛りを笑われて、喉に蓋がされてしまったのです」
「その子に、藁半紙を一枚渡した先生がいます」
「紙には、鉛筆でこう書いてありました」
「壁に読め、と」
「その子は、壁に向かって献立を読みました」
「ソフトめん、ミートソース、ぎゅうにゅう、こふきいも」
「噛みました」
「けれど、その日から少しずつ、蓋が開きました」
「今、その先生は、声を出せずにいます」
「先生」
「わたしは今日も、壁に読んでいます」
わたしは原稿を置いて、いつものように一秒、黙った。
その一秒に、置くものが、今日はなかった。
※
翌朝、隣町の病院へ行った。
四階のいちばん奥の病室で、矢島先生はベッドを起こして座っていた。
痩せて、喉のところに白いガーゼを当てていた。
わたしを見て、先生は目だけで笑った。
「昨日の放送、聞いてくださいましたか」
先生は、首を横に振った。
奥さんが、代わりに言った。
「ごめんねぇ」
「有線ね、町境で切れとるだよ」
「ここは、隣町だで」
窓の外に、盆地を囲む山の稜線が見えた。
その稜線のどこかに、有線の終わりがある。
十日かけて書いた四百字は、あの山を越えていなかった。
わたしは笑おうとして、失敗した。
先生が、枕元の帳面を引き寄せた。
鉛筆が紙をこする音が、病室でいちばん大きい音だった。
〈きのう、家内が電話で読んでくれた〉
わたしは頷いた。
頷いてから、涙が出そうになって、天井を見た。
先生は、まだ書いていた。
紙をめくる音がして、次の一枚が差し出された。
〈君に、謝らんならんことがある〉
※
〈あの年、わしも声が出んかった〉
最初、意味がわからなかった。
〈手術は、これで二度目だに〉
〈一度目は、君が二年の春だ〉
〈教室で喋れんかったのは、わしのほうだに〉
鉛筆が止まって、また動いた。
〈連絡はぜんぶ黒板に書いた〉
〈授業は、年表と地図で持たせた〉
〈長う喋ると、途中で声が抜けるでな〉
〈職員室では、そろそろ辞めたらどうだと言われとった〉
湯呑みの水。
喉に当てる手。
黒板を叩く指。
水飲み鳥、と生徒が笑った、あの癖。
あれは全部、声を惜しんでいた人の仕草だった。
わたしは十四のとき、それをただの癖だと思って、口だけで笑っていた。
先生はもう一枚、めくった。
〈あの春、君が教科書を読んで、笑われた〉
〈わしは、止めてやれんかった〉
〈声が、出んかったでな〉
〈だから、放送室に行った〉
〈君のためだと、自分に言うた〉
〈嘘だに〉
鉛筆の先が、そこで少し震えた。
〈壁に読め、と書いたあれは〉
〈もともと、わしが自分に書いた紙だ〉
〈教室で声が出んようになったとき、誰もおらん教室で、壁に向かって喋る練習をした〉
〈情けのうて、誰にも言えんかった〉
〈それを、君に渡した〉
先生は鉛筆を置いて、喉のガーゼに手を当てた。
生徒たちが水飲み鳥と呼んで笑った、あの手つきだった。
廊下でワゴンの車輪が鳴った。
わたしは膝の上で両手を握っていた。
爪が手のひらに食い込んでいるのに、痛みが遠かった。
わたしは、放送台の内側の藁半紙を思い出していた。
角の丸くなった、薄い鉛筆の字。
あれは、わたしを守るために書かれた紙ではなかった。
わたしより先に、あの部屋で壁に向かって喋っていた人がいた。
先生が、最後の一枚を書いた。
書き終わるまで、ずいぶん長くかかった。
〈あの一年、わしの声は、君だった〉
※
わたしは、返事をしなかった。
できなかった、のではない。
しなかった。
先生の目を見て、頷いた。
十四のとき、教室でそうしていたのと、同じやり方で。
先生が笑った。
声のない笑い方だった。
旧校舎の行き止まりの廊下で、スピーカーの真下に椅子を出して弁当を広げていた人の、笑い方だった。
あそこで先生が聞いていたのは、わたしの声ではなかったのだと思う。
自分の代わりに町へ出ていく声を、毎日、確かめていたのだと思う。
見張られていたのだと腹を立てた十四のわたしに、それを教えてやりたかった。
帰り際、奥さんが廊下まで送ってくれた。
「あの人ね、放送の時間になると、いつも枕元のラジオに手を置くだよ」
「音は聞こえとるのにね、手を置くだに」
わたしは頭を下げて、隣町のバスに乗った。
窓の外を、稜線がずっと付いてきた。
※
矢島先生は、その年の暮れに、静かに眠った。
雪の少ない、乾いた冬だった。
葬儀の日、わたしは何も喋らなかった。
喋れなかったのではなく、喋らないことを選んだ。
四十九日が過ぎたころ、奥さんが役場に来て、椅子をひとつ置いていった。
ペンキの剥げた、座面の低い木の椅子だった。
「学校が建て替えになるとき、あの人が一脚だけもらってきただよ」
「なんでこんなもんを、と言ったら、これはわしの席だと」
その椅子は今、放送室の隅に置いてある。
誰も座らない。
掃除のとき、わたしはその椅子の埃だけを、いつも先に払う。
※
今朝も六時半だった。
今日は農薬の散布はない。
公民館の健康相談は、来週から三時になる。
池上さんのところの茶色い犬は、四日目の朝に、自分で帰ってきたそうだ。
そのことを読むとき、わたしはいつも少し笑ってしまう。
去年から、放送員がもう一人増えた。
高校を出たばかりの、湯浅さんという子だ。
人と話すのが苦手で、面接のとき、ほとんど下を向いていた。
初日、わたしはあの藁半紙を放送台から剥がして、その子の卓の内側に貼り替えた。
〈壁に読め〉
意味は説明しなかった。
そのうち、わかると思う。
教室で一度も声を出さなかった子どもが、この町でいちばん喋る大人になった。
その道の途中に、声を惜しみながら壁に向かって喋っていた人がいた。
原稿を読み終えて、わたしは今日も一秒だけ黙る。
壁は、今日も何も言わない。
あの一年、わしの声は君だった、と先生は書いた。
違います、先生。
あの一年、わたしの声は、先生だったのです。