先生の代わりに読んだ献立

朝日の差し込む静かな部屋

わたしは十四の一年間、教室で一度も声を出さなかった。

出さなかったのではない。

出なかったのだ。

それなのに今、わたしはこの町でいちばん喋る大人になっている。

平成七年の春。

毎朝六時半、わたしは町役場の二階のいちばん奥、放送室と書かれた木の札の下がった部屋で、マイクの前に座る。

「おはようございます。あさひ町有線放送、朝のお知らせです」

その声が、町じゅうの家の柱に取り付けられた小さな木箱から流れていく。

りんご畑の作業小屋にも、梨の選果場にも、山際の分校の玄関にも、ひとつずつ下がっている。

この盆地の朝には、音がふたつしかない。

鳥と、わたしだ。

読むのは、たいてい色気のないことばかりだった。

今日は農薬の一斉散布があるので、洗濯物は昼まで干さないでください。

公民館の健康相談が、二時からに変わりました。

池上さんのところの茶色い犬が、三日前から戻っていません。

それでも六時半になると、この町の人はいっぺんに手を止める。

郵便局の前で三十年立ち話をしている婆さまたちも、そのあいだだけは黙る。

原稿を読み終えると、わたしはいつも、切る前に一秒だけ余白を取る。

その一秒に、言えなかったことを置いていく癖がついた。

六年間置き続けたのに、まだ、ちっとも減らない。

放送台の内側に、藁半紙が一枚貼ってある。

黄ばんで、角が丸くなって、鉛筆の字がもう薄い。

〈壁に読め〉

太い芯で、そう書いてある。

書いたのは、わたしではない。

わたしの家は、盆地の底ではなく、山にへばりつくような斜面にあった。

小学校は分校で、全部で十一人だった。

中学に上がるとき、統合の話が決まり、二年から町の本校へ通うことになった。

坂を四十分下って、川を渡って、それからまた十五分歩く。

初めての国語の時間に、教科書を読まされた。

「雨ニモマケズ」だった。

「あめニモマケズ、かぜニモマケズ」

そこまで読んだところで、後ろの席で誰かが吹き出した。

「訛っとる」

「山んとこの子だに」

悪気があったのかどうか、今でもわからない。

たぶん、なかったのだと思う。

けれどわたしの喉には、その日から蓋がされた。

出席の返事ができなくなった。

「はい」の、は、の音の入り口までは息が来るのに、そこから先が動かない。

手を挙げて、頷くだけの生徒になった。

無理に読ませようとする先生もいた。

机の横に立たされて、五分、十分と待たれたこともある。

そのあいだじゅう、教室の空気がわたしの喉を押さえていた。

矢島先生だけが、一度もわたしを指名しなかった。

一度だけ、その教室に矢島先生が入ってきたことがある。

急な出張で、国語の先生の代わりに自習を見る日だった。

先生は、机の横に立たされているわたしを見て、何も言わなかった。

黒板に、大きく〈今日は音読なし〉と書いた。

それから、指の背で二度、その字を叩いた。

教室が、少しだけ笑った。

その笑いのなかで、わたしは席に戻ることができた。

帰り道、川に架かった橋の上で、わたしは初めて泣いた。

母は、わたしが喋らなくなったことを学校に言いに行こうとして、やめた。

「山の子だで、しょうがない」

そう言った父の背中を、母がしばらく見ていたのを覚えている。

その日から、うちの夕飯では、誰もわたしに質問をしなくなった。

質問がないというのは、思っていたよりも、静かなことだった。

矢島先生は、四十をいくつか越えた、痩せた人だった。

社会科の担当で、わたしたちの担任でもあった。

先生は朝の会でも長い話をしなかった。

連絡はぜんぶ黒板に書いて、指の背でこつこつと叩いて済ませた。

授業中も、湯呑みの水をよく飲んだ。

飲んだあと、喉のあたりに手を当てる癖があった。

生徒はそれを「矢島の水飲み鳥」と呼んで笑っていた。

わたしも笑った。

声は出さずに、口だけで。

先生の授業は、地図と年表ばかりだった。

模造紙に何日もかけて書いた大きな年表を、ばさりと黒板に垂らす。

そこを指で追いながら、必要なところだけ短く喋る。

「ここで、米が高うなる」

「そうすると、ここで人が動く」

それだけ言って、また黙って年表を叩く。

授業がわかりやすいので、生徒には評判が良かった。

わたしは、無口な人なのだと思っていた。

六月の、雨の続く昼休みだった。

廊下で矢島先生に肩を叩かれ、ついてくるように顎で示された。

連れて行かれたのは、旧校舎の階段の下にある放送室だった。

四畳半ほどの、埃と機械油の匂いのする部屋だった。

窓が高いところにひとつしかなく、昼でも薄暗い。

先生は卓の上に、ざら紙を一枚置いた。

〈今日から、給食の献立を読んでくれ〉

わたしは首を横に振った。

何度も、何度も振った。

喉より先に、膝が震えた。

先生はもう一枚、紙を出した。

〈ここには誰もおらん。壁に読め〉

壁に読め。

その意味が、そのときのわたしにはわからなかった。

先生はマイクを指さして、それから壁の、漆喰の剥げたところを指さした。

そして、わたしの背中を一度だけ、ぽんと叩いて出て行った。

わたしは十分ほど、椅子に座っていた。

チャイムが鳴った。

献立表を持つ指が、汗で湿って、紙が波打っていた。

それでも人が来ないので、仕方なく、壁を見た。

壁は、笑わなかった。

「きょうの、こんだては」

声が、出た。

八か月ぶりに、自分の声を聞いた。

自分の声だと、しばらくわからなかった。

「ソフトめん、ミートソース、ぎゅうにゅう、こふきいも」

こふきいもの、こ、で噛んだ。

噛んで、そのまま一度、黙った。

それでも壁は、何も言わなかった。

それから一年、わたしは毎日、昼の四分間だけ喋った。

わかめごはんを「わかめこはん」と読んだ日は、翌朝、三年の男子に廊下で「こはんの人」と呼ばれた。

笑われたのに、不思議と蓋は下りてこなかった。

教室では相変わらず声が出なかった。

けれど昼の放送のあいだだけ、わたしはこの町のどこにでもいる十四歳になれた。

献立を読み終えたあと、マイクを切る前に一秒だけ黙る癖は、そのころについた。

その一秒に、教室では言えないことを置いた。

「おはよう」も、「ごめん」も、ぜんぶそこに置いた。

献立を読む四分のあいだ、校舎じゅうのざわめきが、少しだけ下がるのがわかった。

わたしを笑った子たちも、そのときは机に肘をついて、味噌汁の椀を持っている。

わたしの声が、その子たちの頭の上に降っていた。

それがどれくらい不思議なことなのか、十四のわたしにはわかっていなかった。

用務員の池上のおばさんが、あるとき教えてくれた。

「あんた、知っとるかい」

「矢島先生、毎日あそこで昼を食っとるだに」

おばさんが指したのは、旧校舎の廊下の、スピーカーの真下だった。

生徒は誰も通らない、埃っぽい、行き止まりの廊下。

そこにペンキの剥げた椅子を持ち出して、先生は毎日、弁当を広げているのだという。

わたしは、見張られているのだと思った。

ちゃんと読んでいるか、確かめているのだと。

そう思って、少しだけ腹が立った。

腹が立ったことが、なぜだかうれしかった。

三年で担任が替わり、わたしは卒業した。

高校では、少しずつ喋れるようになった。

たぶん、誰もわたしの訛りを知らない場所だったからだと思う。

卒業式の日、体育館の裏で矢島先生に会った。

何か言おうとして、口が動かなかった。

先生は、上着の内側から折った藁半紙を出して、わたしの制服のポケットに押し込んだ。

〈壁に読め〉

十か月前に見たのと同じ字だった。

「ありがとうございました」

その言葉は、その日も出なかった。

高校を出て、わたしは町に残った。

役場の臨時職員から始めて、二十二のときに有線放送の放送員になった。

前任の三田村さんが定年で辞めるとき、課長が言った。

「あんた、中学で献立読んどったろ」

十四のわたしを覚えている大人が、この町にはまだ何人もいた。

矢島先生は、定年より少し早く学校を辞めて、家の梨畑をやっていた。

町の広報で、摘果講習会の講師として名前を読んだこともある。

「講師は、矢島宗一さんです」

自分の声で先生の名前を呼んだのは、それが初めてだった。

農協の前でも、選果場でも、何度か姿を見かけた。

そのたびに、わたしは荷物を持ち直したり、時計を見たりした。

十四年ぶんの礼を、立ち話で渡す方法がわからなかった。

来年でいい、と毎年思った。

平成七年の九月の終わり、選果場の前で矢島先生の奥さんに呼び止められた。

「あんた、放送の人だら」

「うちのが、あんたの放送、毎朝聞いとるだに」

そのあとで、奥さんは声を落とした。

「先月から、入院しとるだよ」

「喉のとこをね、取っただよ」

「もう、声は出んように」

わたしは、はい、と言った。

それしか出てこなかった。

奥さんが行ってしまってから、わたしは選果場の梨の匂いのなかに、しばらく立っていた。

その夜、原稿用紙を出した。

放送の終わりに、五分だけ自由に使える「町のたより」という枠がある。

そこで先生に伝えようと決めた。

書いては消し、消しては書いた。

一枚目には、感謝しています、と書いた。

読み返して、破った。

感謝という言葉は、放送に乗せると、どこの家にも同じ大きさで届いてしまう。

先生の家にだけ大きく届く言葉を、わたしは知らなかった。

それで、献立のことを書くことにした。

十四年を四百字にしようとすると、どこを削っても嘘になった。

十日かかった。

奥さんには、電話で頼んだ。

十月三日の夕方、六時。

うちのラジオを、つけておいてもらえませんか、と。

その日は、朝から盆地に霧が出ていた。

梨の最後の出荷が終わって、選果場の灯りが早く消えた。

六時の時報のあと、わたしは原稿を伏せて、壁を見た。

漆喰ではなく、役場の安いクロスの壁だった。

それでも、壁は壁だった。

「今日は、町のたよりを、わたし自身のことでお借りします」

「二十年近く前、あさひ中学校の旧校舎の放送室で、給食の献立を読んでいた生徒がいました」

「その子は、教室では一年間、一度も声が出せませんでした」

「訛りを笑われて、喉に蓋がされてしまったのです」

「その子に、藁半紙を一枚渡した先生がいます」

「紙には、鉛筆でこう書いてありました」

「壁に読め、と」

「その子は、壁に向かって献立を読みました」

「ソフトめん、ミートソース、ぎゅうにゅう、こふきいも」

「噛みました」

「けれど、その日から少しずつ、蓋が開きました」

「今、その先生は、声を出せずにいます」

「先生」

「わたしは今日も、壁に読んでいます」

わたしは原稿を置いて、いつものように一秒、黙った。

その一秒に、置くものが、今日はなかった。

翌朝、隣町の病院へ行った。

四階のいちばん奥の病室で、矢島先生はベッドを起こして座っていた。

痩せて、喉のところに白いガーゼを当てていた。

わたしを見て、先生は目だけで笑った。

「昨日の放送、聞いてくださいましたか」

先生は、首を横に振った。

奥さんが、代わりに言った。

「ごめんねぇ」

「有線ね、町境で切れとるだよ」

「ここは、隣町だで」

窓の外に、盆地を囲む山の稜線が見えた。

その稜線のどこかに、有線の終わりがある。

十日かけて書いた四百字は、あの山を越えていなかった。

わたしは笑おうとして、失敗した。

先生が、枕元の帳面を引き寄せた。

鉛筆が紙をこする音が、病室でいちばん大きい音だった。

〈きのう、家内が電話で読んでくれた〉

わたしは頷いた。

頷いてから、涙が出そうになって、天井を見た。

先生は、まだ書いていた。

紙をめくる音がして、次の一枚が差し出された。

〈君に、謝らんならんことがある〉

〈あの年、わしも声が出んかった〉

最初、意味がわからなかった。

〈手術は、これで二度目だに〉

〈一度目は、君が二年の春だ〉

〈教室で喋れんかったのは、わしのほうだに〉

鉛筆が止まって、また動いた。

〈連絡はぜんぶ黒板に書いた〉

〈授業は、年表と地図で持たせた〉

〈長う喋ると、途中で声が抜けるでな〉

〈職員室では、そろそろ辞めたらどうだと言われとった〉

湯呑みの水。

喉に当てる手。

黒板を叩く指。

水飲み鳥、と生徒が笑った、あの癖。

あれは全部、声を惜しんでいた人の仕草だった。

わたしは十四のとき、それをただの癖だと思って、口だけで笑っていた。

先生はもう一枚、めくった。

〈あの春、君が教科書を読んで、笑われた〉

〈わしは、止めてやれんかった〉

〈声が、出んかったでな〉

〈だから、放送室に行った〉

〈君のためだと、自分に言うた〉

〈嘘だに〉

鉛筆の先が、そこで少し震えた。

〈壁に読め、と書いたあれは〉

〈もともと、わしが自分に書いた紙だ〉

〈教室で声が出んようになったとき、誰もおらん教室で、壁に向かって喋る練習をした〉

〈情けのうて、誰にも言えんかった〉

〈それを、君に渡した〉

先生は鉛筆を置いて、喉のガーゼに手を当てた。

生徒たちが水飲み鳥と呼んで笑った、あの手つきだった。

廊下でワゴンの車輪が鳴った。

わたしは膝の上で両手を握っていた。

爪が手のひらに食い込んでいるのに、痛みが遠かった。

わたしは、放送台の内側の藁半紙を思い出していた。

角の丸くなった、薄い鉛筆の字。

あれは、わたしを守るために書かれた紙ではなかった。

わたしより先に、あの部屋で壁に向かって喋っていた人がいた。

先生が、最後の一枚を書いた。

書き終わるまで、ずいぶん長くかかった。

〈あの一年、わしの声は、君だった〉

わたしは、返事をしなかった。

できなかった、のではない。

しなかった。

先生の目を見て、頷いた。

十四のとき、教室でそうしていたのと、同じやり方で。

先生が笑った。

声のない笑い方だった。

旧校舎の行き止まりの廊下で、スピーカーの真下に椅子を出して弁当を広げていた人の、笑い方だった。

あそこで先生が聞いていたのは、わたしの声ではなかったのだと思う。

自分の代わりに町へ出ていく声を、毎日、確かめていたのだと思う。

見張られていたのだと腹を立てた十四のわたしに、それを教えてやりたかった。

帰り際、奥さんが廊下まで送ってくれた。

「あの人ね、放送の時間になると、いつも枕元のラジオに手を置くだよ」

「音は聞こえとるのにね、手を置くだに」

わたしは頭を下げて、隣町のバスに乗った。

窓の外を、稜線がずっと付いてきた。

矢島先生は、その年の暮れに、静かに眠った。

雪の少ない、乾いた冬だった。

葬儀の日、わたしは何も喋らなかった。

喋れなかったのではなく、喋らないことを選んだ。

四十九日が過ぎたころ、奥さんが役場に来て、椅子をひとつ置いていった。

ペンキの剥げた、座面の低い木の椅子だった。

「学校が建て替えになるとき、あの人が一脚だけもらってきただよ」

「なんでこんなもんを、と言ったら、これはわしの席だと」

その椅子は今、放送室の隅に置いてある。

誰も座らない。

掃除のとき、わたしはその椅子の埃だけを、いつも先に払う。

今朝も六時半だった。

今日は農薬の散布はない。

公民館の健康相談は、来週から三時になる。

池上さんのところの茶色い犬は、四日目の朝に、自分で帰ってきたそうだ。

そのことを読むとき、わたしはいつも少し笑ってしまう。

去年から、放送員がもう一人増えた。

高校を出たばかりの、湯浅さんという子だ。

人と話すのが苦手で、面接のとき、ほとんど下を向いていた。

初日、わたしはあの藁半紙を放送台から剥がして、その子の卓の内側に貼り替えた。

〈壁に読め〉

意味は説明しなかった。

そのうち、わかると思う。

教室で一度も声を出さなかった子どもが、この町でいちばん喋る大人になった。

その道の途中に、声を惜しみながら壁に向かって喋っていた人がいた。

原稿を読み終えて、わたしは今日も一秒だけ黙る。

壁は、今日も何も言わない。

あの一年、わしの声は君だった、と先生は書いた。

違います、先生。

あの一年、わたしの声は、先生だったのです。

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