
朝霧の宿で、四十年前の蓋を開けた
大分の長湯に着いたのは、前の晩の八時すぎだった。
芹川のほとりに、部屋が六つしかない宿がある。
炭酸泉の湯は、肌に細かい泡が張りついて離れない。
上がったあとも、体の芯だけが長く温かい。
私は写真家で、四十年、湯の町ばかりを撮ってきた。
六十が近くなると、三脚を担ぐ肩のほうが先に音を上げる。
その朝は、いつもより早く目が覚めた。
障子が薄紅色に透けていた。
窓を開けると、川霧が谷を底から埋めていた。
対岸の竹林は、上のほうだけが霧から出ている。
惜しい光だと思った。
それなのに、私はカメラに手を伸ばさなかった。
机の上に、弁当箱が置いてあったからだ。
黒い琺瑯に、白い放射状の模様が散っている。
四十年前のものだ。
この箱に、妻の美咲が毎朝、詰めてくれていた。
美咲はもういない。
五年前の冬、病室の白い天井を見上げたまま、静かに息をするのをやめた。
元は看護師だった。
入院してからも、同じ部屋の人の顔色ばかり見ていた。
ナースコールを押すより先に、人の必要なものを読み取ってしまう人だった。
そういう人だったのだ。
私はその箱を、旅の荷物にだけは必ず入れている。
機材と一緒に、鞄のいちばん下に沈めて運ぶ。
入れているだけで、開けたことは一度もなかった。
その朝、私はなぜか、蓋に指をかけた。
宿の女将が廊下を通りかかって、足を止めた。
「早いですね。撮りに行かれますか」
「いや、今日は休みます」
言ってから、自分で驚いた。
撮影の日に休むと口にしたのは、四十年で初めてだった。
※
結び目は、いつも左に寄っていた
箱は、紺の木綿の布に包んだままになっていた。
美咲が結んだ形が、そのまま残っている。
美咲は、弁当を包む布の結び目を、いつも左に寄せて結んだ。
真ん中ではない。
結び目だけが、二寸ばかり左に外れている。
四十年、私はそれを不器用の癖だと思っていた。
思っていた、というより、考えたことがなかった。
美咲が嫁いできたとき、彼女は三十だった。
私は三十五。
仕事がようやく回り始めた頃で、朝は暗いうちに家を出た。
晩は遅く帰る。
そんな暮らしが、三十年以上続いた。
台所で何かを切る音がする。
炊飯器から湯気が上がる。
白い飯が箱に詰められる。
その光景を、私は何千回と見てきたはずだ。
それなのに、そのときの美咲の顔を、はっきりとは思い出せない。
「おはよう。弁当、持っていってね」
美咲がそう言う。
「ああ、ありがとう」
私はそう返す。
一秒にも満たない返礼だった。
それで足りていると、当時の私は思っていた。
頭の中は、その日の空と光のことでいっぱいだった。
移動の時間、天候、フィルムの残り。
妻の手を受け取ることは、道具を確かめるのと同じ順番に並んでいた。
感謝は、口の形だけになっていった。
私は、受け取ることは上手な人間だった。
返す言葉を、持っていないだけだった。
撮影の現場では、飯を食う場所を選べない。
雪の日は車の中、夏は堤防の草の上。
三脚を立てたまま、片手で蓋を開けることも多かった。
だから箱は、いつも中身が寄っていた。
寄っても崩れないように、飯は硬めに炊いてあった。
おかずは、汁の出ないものばかりだった。
それも今になって気づいたことである。
四十年、私は同じ箱を、同じ角度で開けていた。
開ける側の癖に、作る側が全部合わせていたのだ。
子はいない。
できなかったのか、作らなかったのか、話し合った記憶もない。
気づいたときには、二人で三十年が過ぎていた。
※
底に残っていた一枚
布をほどいて、蓋を開けた。
中は空だった。
五年も前のことだから、当たり前である。
ただ、底に何かが張りついていた。
小さな紙切れだった。
色の褪せた付箋で、端がめくれ、糊はもう利いていない。
私は息を止めて、そっと剥がした。
丸みのある字だ。
何度も見た、美咲の字だった。
「今日もあなたの撮った写真が好きです」
短い一行。
それだけだ。
私は畳の上に座り込んだ。
底という場所を、そのとき初めて考えた。
飯粒が減って、最後に見える場所である。
食べ終えた者にしか読めない位置に、貼ってあった。
私は四十年、その位置を見なかった。
蓋を閉め、鞄に放り込み、次の現場へ向かっていた。
空の容器が台所に置かれているのを、やがて見なくなった。
見えなくなったのではない。
見ていなかったのだ。
手のひらの上で、付箋がわずかに反り返った。
字の終わりのほうが、少しだけ揺れている。
点滴の入った腕で書いたのだと、そのとき気づいた。
これが最後の一枚だ。
台所に立てなくなる、その少し前のものだろう。
※
美咲が最初に見た一枚
美咲と会ったのは、見合いの席だった。
紹介したのは、私の伯母である。
座敷に入ってきた美咲は、私の顔を見るなり、少し笑った。
「知っています」
そう言われて、私は面食らった。
会ったことはない。
「雑誌で見ました」
当時、私は小さな旅の雑誌に、月に一度、湯の町の写真を出していた。
原稿料は安く、名前も隅に小さく載るだけだった。
「詰所の壁に、貼ってあるんです」
美咲はそう続けた。
夜勤の詰所は、窓のない部屋だったという。
誰が貼り始めたのかは分からない。
気づいたら、湯気の立つ川の写真が壁にあった。
「あれを見ると、外があるって思えるんです」
私はそのとき、何と返したのだったか。
たぶん、うまく返せなかった。
照れて、茶を飲んだのだと思う。
ただ、そのひと言だけは、四十年たっても残っている。
写真を撮ることが誰かの役に立つと聞いたのは、それが初めてだった。
いま思えば、私が湯の町ばかり撮り続けたのは、その日から先のことだ。
詰所の壁の写真の話は、そのあと一度も出なかった。
私が訊かなかったし、美咲も言わなかった。
夫婦というのは、そういうところがある。
いちばん大事な一行を、最初の日に言い合って、あとは黙る。
黙ったまま、四十年、毎朝、箱を渡していた。
撮る理由を、私は結婚した日にもらっていた。
そのことにも、四十年、気づかずにいた。
※
霧の中を、弁当箱を提げて歩く男
宿を出て、私は川沿いを歩いた。
カメラは持たなかった。
霧は膝の高さまで下りていて、足元だけが白い。
橋の向こうから、若い男が歩いてきた。
三十そこそこだろう。
作業着の上に薄い上着を着て、右手に工具の袋を提げている。
左手に、布に包んだ弁当箱があった。
すれ違いざま、私はその結び目を見た。
真ん中で、きちんと結んであった。
それだけのことだ。
それだけのことが、なぜか胸に残った。
あの男は、今日の昼にその箱を開けるだろう。
底まで食べるだろうか。
底まで見るだろうか。
見てほしい、と思った。
もし何か書いてあったら、その日のうちに返してほしい。
声に出さなくてもいい。
受け取るときに、顔を見るだけでもいい。
男は霧の中へ入っていった。
肩から下が、白に沈んで見えなくなった。
私は橋の欄干に手を置いたまま、しばらく立っていた。
欄干は冷たく、指の腹だけが濡れた。
※
戸倉さんが覚えていた言葉
長湯からの帰り、私は北九州で途中下車した。
美咲の勤めていた病院が、まだそこにある。
元同僚の戸倉さんに、五年ぶりに会った。
美咲より二つ下で、いまは外来の主任をしている。
一階の、自動販売機の並んだ休憩室で話した。
私は付箋を見せた。
戸倉さんは、それを両手で受け取った。
「これ、まだ持ってはったんですね」
「まだ、じゃない。今朝、見つけた」
戸倉さんは、少し黙った。
それから、思い出す顔になった。
「美咲さん、詰所でよう言うてはりましたよ」
「何を」
「うちの人は、右手を離さん人やから、って」
私は意味が分からなかった。
「カメラのことです」
戸倉さんは、自分の右手を軽く持ち上げてみせた。
「ずっと右手に提げてはるから、包みは片手で解けんと困る、って」
私は自分の右手を見た。
四十年、そこにストラップの跡がある。
撮影の日は、車を降りてから戻るまで、右手を空けたことがない。
飯を食うときも、左手で箸を持ち替えることがあった。
左に寄せてあったのは、右手にカメラを提げたままでも解けるようにするためだった。
結び目を左へ二寸ずらしておけば、左の親指一本で紐が抜ける。
四十年、私は毎日それを解いていた。
解けることを、当たり前だと思っていた。
「美咲さん、患者さんのことも、そうやって見てはりました」
戸倉さんは缶のお茶を私の前に置いた。
「どっちの手が動くか、先に見る人でした」
手が動くほうに、水も、匙も、呼び鈴も置く。
それが看護というものらしい。
私は四十年、看護されていたわけだ。
言えなかった夫のことなら、夫は靴を外へ向けて並べたという話にも、同じ種類の遅さが出てくる。
※
病室に持ち込めなかった箱
美咲が入院したのは、最後の三か月だけだった。
それまでは、家で寝たり起きたりしていた。
病棟は、外から食べ物を持ち込めない決まりだった。
弁当箱は、家の棚に置かれたままになった。
私は毎日、車で三十分かけて通った。
行くたびに、何を話せばいいのか分からなかった。
天気の話をした。
次の撮影地の話をした。
美咲は、そのどれにも短くうなずいた。
ある日、美咲が言った。
「箱、捨てんといてね」
「捨てるわけないだろう」
「琺瑯は、割れんから」
それだけの会話だった。
いま思えば、あれは頼みごとだったのだ。
頼みごとを、あの人は頼みごとの形で言わなかった。
亡くなる十日ほど前、私は病室でうたた寝をした。
目を覚ますと、美咲が私の右手を見ていた。
「何だ」
「ううん」
そう言って、目をつむった。
その手のことを、私はまだ何も知らなかった。
※
節子さんが話した、注文の紙
美咲には、五つ下の妹がいる。
節子さんという。
四十九日のあと、一度も会っていなかった。
私は電話をかけて、付箋のことを話した。
節子さんは、電話の向こうで小さく笑った。
「まだ気づいてなかったんですか」
「面目ない」
「あれね、姉が箱で買ってたんですよ」
近所の文具店に、半年に一度、注文を出していたという。
同じ品番のものを、四十年、切らさずに。
途中で一度、廃番になった。
そのとき美咲は、隣の市の文具店を三軒回ったそうだ。
「なんで同じのじゃなきゃ駄目なのかって、私も訊いたんです」
「なんて言ってた」
「糊が、ちょうどいいから、って」
弱いと、箱を振ったときに剥がれて飯に混ざる。
強いと、剥がすときに紙が破れる。
破れたら、読んだ人が困る。
そこまで考えて、あの人は紙を選んでいた。
「兄さん、あの紙、破れたことあります?」
私は答えられなかった。
破ったことはない。
剥がしたこともない。
剥がすところまで、行っていないのだ。
「兄さん、姉が最後に入院する前の晩、何してたか知ってます?」
「いや」
「台所で、あの箱を洗ってましたよ」
「洗って、どうした」
「拭いて、布に包んで、棚に戻して。それだけ」
包んだのは、あの結び目だったのだ。
五年、誰も解かなかった結び目である。
電話を切ったあと、私は台所の引き出しを開けた。
いちばん奥に、封の切られていない付箋がひと箱あった。
五年前の冬から、そこにあったことになる。
買ってから、使う日が来なかったぶんだ。
※
霧の中で、もう一度すれ違う
長湯を発つ日の朝も、霧が出た。
宿の前の坂を下りると、あの若い男が向こうから歩いてきた。
今日は工具の袋を持っていない。
手には、布に包んだ弁当箱だけがある。
結び目は、やはり真ん中だった。
すれ違うとき、男が軽く会釈をした。
昨日も会いましたね、という程度の会釈である。
私は立ち止まって、声をかけた。
「その弁当、誰が作ってるんですか」
男は少し驚いた顔をして、それから笑った。
「嫁です」
「底まで、食べますか」
「食べますよ。残したら怒られます」
それだけの話だった。
男は坂を上がっていった。
私は霧の中でしばらく立って、それから鞄の底の箱に手を当てた。
布の上からでも、琺瑯の角の形が分かった。
裁縫箱の底にあった、私の字
家に帰って、私は押し入れを開けた。
五年、手をつけていなかった。
美咲の裁縫箱が、いちばん奥にあった。
木の箱で、蓋の裏に糸の切れ端が挟まっている。
中には、ボタンと針山と、白い封筒が一つ入っていた。
封はしていなかった。
出てきたのは、四つに畳んだ紙切れである。
薄い藁半紙で、隅が茶色くなっていた。
開くと、私の字だった。
「今日の弁当、うまかった」
それだけが、鉛筆で書いてあった。
私は、その紙を長いこと見ていた。
思い出すのに、時間がかかった。
結婚した最初の年の秋である。
撮影で三日、山に入っていた。
雨で予定が延びて、食べる物が尽きた。
最後の日、鞄の底に残っていた弁当を開けた。
もう傷んでいてもおかしくない時間だったのに、腹を壊さなかった。
梅と、塩をきつくした魚が入っていた。
塩の利かせ方が、そもそも三日もつように作ってあったのだ。
山を下りて、私は空の箱に紙を一枚入れて返した。
照れくさくて、口では言えなかったからである。
入れた覚えはある。
返事をもらった覚えは、ない。
紙の裏に、鉛筆の薄い字で日付が入っていた。
美咲の字である。
私が箱を返した日だ。
その下に、もう一行あった。
「これから、私も書きます」
封筒の底に、もう一つ、薄いものが入っていた。
付箋の束だった。
糊の面が乾いて、互いにくっついていない。
数えたら、十一枚あった。
四十年ぶんではない。
美咲は、書いたものを捨てていたのだ。
私が読んで、剥がして、捨てるはずのものだからである。
取ってあったのは、書き損じた分だけだった。
字が曲がったもの。
糊が寄ってしまったもの。
途中で書き直したもの。
どれにも、同じ一行が書いてある。
「今日もあなたの撮った写真が好きです」
四十年、文面は変わっていない。
その中の一枚だけ、続きがあった。
「今日は、ピーマンを入れました」
私はピーマンが苦手だった。
結婚してから、食卓に出たことは一度もない。
その一枚だけ、日付が入っていた。
私の誕生日である。
意地の悪いことをする人だったのだ。
そして私は、その日の弁当を覚えていない。
食べたはずなのに、覚えていない。
読んでいれば、笑ったはずだった。
笑って、その晩に何か言ったはずだった。
言えば、美咲はもう一言返しただろう。
そういう往復が、四十年ぶん、抜け落ちている。
畳の上で、私は声を出さずに泣いた。
肩が動くのが、自分でも分かった。
四十年、私は返せない人間だと思っていた。
先に書いたのは、私のほうだった。
※
もう一度、左に寄せて結ぶ
翌朝、私は台所に立った。
飯を炊いて、卵を焼いて、あの琺瑯の箱に詰めた。
隅に、ピーマンを二切れだけ入れた。
底に、付箋を一枚貼った。
「今日の弁当、うまかった」
四十年前と同じ言葉を、また先に書いた。
紺の布で包み、結び目を左に寄せた。
右手にカメラを提げて、左の親指で解いてみた。
紐は、するりと抜けた。
その日、私は近所の川原へ出た。
撮る当てのない散歩である。
昼になって、土手に座って蓋を開けた。
ピーマンは、思っていたより苦くなかった。
いま、あの弁当箱は台所の棚にある。
旅に出るときは、やはり鞄のいちばん下に入れる。
縫い物に何かを残していた母の話は、十一年目に外したしつけ糸のほうが近いかもしれない。
長湯の朝の霧を、私はいまだに撮っていない。
あれは、カメラを置いた日に見た景色だからである。