
私は五十年のあいだ、夫の隠しごとを恨んでいました。
恨む、という言い方は、たぶん正しくありません。
けれど、ほかにどう呼べばよいのか、八十を過ぎたいまでもわからないのです。
私が野瀬康平のもとへ嫁いだのは、昭和二十三年の春でした。
有明の海に面した浜脇という小さな町で、あの人は父親の代からの桶屋をしておりました。
町にはまだ焼けた匂いが残っていて、店の前の道には割れた瓦がそのままになっていました。
私は二十歳で、家のことしか知らない娘でした。
祝言の晩、あの人が私にくれた言葉は、三つだけです。
「腹が減ったら言うてよか」
「寒かったら言うてよか」
「あとは、なんも言わんでよか」
それが、私の知った夫のすべてでした。
私は昔から、言葉が欲しい人間でした。
ありがとうも、すまんも、口にしてもらわなければ、無かったことになってしまう気がするのです。
あの人は、その二つを、生涯のうちにただの一度も言いませんでした。
その年の夏、あの人は納戸から古い蚊帳を出してきました。
萌黄色の、ずいぶん使い込まれた蚊帳でした。
四隅の環に紐を通して、鴨居に打った釘へ引っ掛けると、部屋の真ん中に薄い緑の箱ができあがります。
萌黄色の裾が、天井から下りてくる薄い緑の水のように揺れました。
あの人は蚊帳の裾を持ち上げて、いつも私を先に入れました。
自分はあとから入って、裾を畳に押しつけ、手のひらでゆっくりと撫でるのです。
指の腹で、畳の目に沿って、二度、三度。
蚊を一匹も入れまいとする、よほど几帳面な人なのだと私は思いました。
「そげん撫でんでも、蚊は入って来まっせんよ」
私が笑うと、あの人は手を止めて、それきり何も言わずに横になりました。
暗がりで、蚊遣りの煙が細く立ちのぼっていました。
畳の匂いと、杉の削り屑の匂いと、遠くの潮の匂いが、蚊帳の中で混ざっていました。
私は、この人と長く暮らすのだろうと思いました。
長く暮らせば、いつかは何でも話してくれるのだろうとも思っていました。
その「いつか」を、私は五十年待つことになります。
※
桶屋の朝は、暗いうちから始まります。
私が起きるころには、土間でもう杉が割られていました。
鉋をかけると、白い削り屑が薄い巻紙のようにくるくると落ちて、家じゅうが山の匂いになりました。
箍を締めるときだけ、あの人は声らしい声を出します。
「ふん」とも「ほう」ともつかない、腹の底から抜けていく短い息でした。
その息を聞くと、私は今日も一日が始まったのだと思って、竈に火を入れました。
翌年の秋、長男の和夫が生まれました。
乳の出が悪くて、私は毎晩、和夫を抱いたまま台所の隅で泣いていました。
あの人は何も言いません。
ただ、井戸で冷やした麦湯を湯呑みに注いで、枕元に置いていくのです。
ぬるくならないようにと、湯呑みの下に濡らした手拭いが敷いてありました。
それでも、大丈夫かとは聞いてくれないのでした。
聞いてくれさえすれば、私はその場で洗いざらい話したでしょうに。
和夫が四つになった年の初夏、あの人は誰にも言わずに小さな桶をひとつ作りました。
大人の湯桶を半分にしたような、子どもの行水桶です。
内側に、和夫の背丈のぶんだけ、浅い目盛りが刻んでありました。
「これは」と私が聞くと、あの人は削り屑を掃きながら言いました。
「はみ出すごとなったら、次のを作る」
結局その桶は、和夫が中学へ上がるまで縁側に置きっぱなしになっていました。
いまでもあの目盛りを思い出すと、私は言葉というものが何なのか、わからなくなるのです。
その夏、蚊帳の裾が破れました。
もう買い替えましょうと言うと、あの人は首を振りました。
「まだ使える」
それだけ言って、夜なべに自分で繕いはじめたのです。
驚いたのは、その手つきでした。
針を持つ指が、まるで別の人のもののように動くのです。
六目進んで、糸をひと目だけ返す。
また六目進んで、ひと目だけ返す。
桶屋の節くれ立った指には、どうしても似合わない縫い方でした。
「そげん縫い方、どこで覚えなさったとですか」
あの人は針を止めて、しばらく黙っていました。
ランプの下で、糸を通した針先だけが小さく光っていました。
「……忘れた」
忘れた人が、あんなに迷いなく針を運べるはずがありません。
私はそのとき初めて、この人には私の知らない部屋があるのだと思いました。
あの人が最初にいなくなったのは、和夫が三つになった夏です。
八月十四日の朝、目を覚ますと、蚊帳の中には私と和夫だけがいました。
裾はきちんと畳に押しつけられたままで、指を差し込む隙間もありませんでした。
店の戸には「本日休み」の紙が貼ってあって、鉋も鋸も、いつもより丁寧に片づけられていました。
あの人が帰ってきたのは、蜩が鳴きやんだあとでした。
白い開襟シャツの背中が、汗と埃で灰色になっていました。
「どこ行っとったとですか」
「ちょっと」
「ちょっと、てどこですか」
「……ちょっと」
あの人は井戸端で下駄を洗って、そのまま蚊帳へ入りました。
翌年も、その翌年も、八月十四日になると、あの人はいなくなりました。
年に一度きりのことです。
けれど年に一度が二十回、三十回と重なると、それは山になります。
私はいろいろなことを考えました。
考えないほうがましなことも、ずいぶん考えました。
昭和三十年の夏には、一度だけ、駅まであの人のあとをつけたことがあります。
改札の人混みであの人の麦藁帽子を見失って、私はホームの端で一時間ほど立っていました。
汽車が三本行って、日射しがだんだん白くなって、私は何も見なかったふりをして家へ帰りました。
その晩、あの人はいつもどおりに裾を撫でました。
私は背中を向けたまま、天井の縫い目を数えていました。
和夫が中学へ上がった年、私はとうとう口にしてしまいました。
「よそに、女の人でもおらすとですか」
あの人は、鉋を持つ手を止めませんでした。
削り屑が、静かに土間へ落ちていきました。
「そげんこつ、あるもんか」
それだけでした。
言い返してくれれば、まだ楽だったのです。
怒鳴ってくれれば、私も泣いて、それで済んだかもしれません。
あの人はただ、削り屑を落とし続けました。
その背中を見ながら、私は自分の言葉が土間に落ちて、削り屑に埋もれていくのを見ていました。
※
年月というのは、正直なものです。
プラスチックの桶が出回るようになって、注文はみるみる減りました。
和夫は町を出て、久留米の会社に勤めました。
店の土間には、注文の来なくなった飯櫃や湯桶が並んだままになりました。
それでもあの人は毎朝、暗いうちに起きて杉を割りました。
売れない桶を、売れなくなってからも二十年、割り続けたのです。
昭和四十年の秋には、大きな台風が有明を舐めていきました。
朝になって土間へ下りると、水が膝の下まで来ていました。
並べてあった飯櫃も湯桶も、みんな浮いて、ぶつかり合いながら回っていました。
あの人は膝まで浸かって、それを一つずつ拾い上げていました。
けれど一番先に抱え上げたのは、水を吸って重くなった蚊帳だったのです。
「桶が先じゃなかとですか」
「桶は、また作れる」
あの人は蚊帳を抱えて、そのまま二階の物干しへ上がっていきました。
私は水を掻き出しながら、この人の順番がどうしてもわからないと思いました。
蚊帳は、そのあいだに継ぎ当てだらけになりました。
裾に六つ、天井に三つ、角のところに二つ。
継ぎのたびに、あの人はあの縫い方をしました。
六目進んで、ひと目返す。
私はもう、どこで覚えたのかとは聞きませんでした。
聞かないことが、いつのまにか夫婦のかたちになっていました。
あの人が倒れたのは、平成十年の七月です。
朝、土間で箍を締めていて、そのまま横向きに倒れたのだそうです。
病院のベッドで、あの人は右手を布団の上に置いたまま、天井を見ていました。
桶を締めていた手が、湯呑みひとつ持てなくなっていました。
看護婦さんが匙を口へ運ぶのを、あの人は黙って受け入れていました。
八月に入って、あの人は生まれて初めて、私に頼みごとをしました。
「静江」
名前を呼ばれたのが、何十年ぶりかのような気がしました。
「十四日に、行ってくれんか」
「どこにですか」
あの人は動く左手で枕の下をさぐって、四つに折った紙を出しました。
ずいぶん古い紙で、折り目のところが薄く透けていました。
紙には、隣の県の住所と、村上節子という名前だけが書いてありました。
私の手が、勝手に震えました。
「蚊帳ば、吊ってやってくれ」
「なんの蚊帳ですか」
「行けば、わかる」
あの人はそれきり目を閉じてしまいました。
五十年待った答えが、女の人の名前だったのです。
私は紙を握ったまま、廊下のベンチに長いこと座っていました。
窓の外で、蝉が一匹だけ、休みなく鳴いていました。
※
八月十四日の朝、私は汽車と乗合バスを乗り継いで、山あいの集落へ着きました。
バス停から坂を十分ほど登ると、板塀の低い家がありました。
庭で鶏が二羽、土を掻いていました。
声をかける前に、戸ががらりと開きました。
腰の曲がった、小さな人でした。
私を見て、その人は少しだけ首をかしげました。
「野瀬……康平さんの、奥さんですか」
「はい」
「上がってください」
「今年は来てくれんとじゃなかろうかと、朝から思うとりました」
座敷は北向きで、真夏なのに畳がひんやりしていました。
床の間に、色の褪せた写真立てがひとつ置いてありました。
詰襟の若い男の人が、少し笑って写っていました。
節子さんは、麦茶を出してから、押入れの下の段を指しました。
そこに、たたんだ蚊帳がありました。
萌黄色でした。
私の家のものと、同じ色でした。
「吊るのを、手伝ってもらえまっしょうか」
私は環に紐を通し、鴨居の釘へ引っ掛けました。
薄い緑の箱が、座敷の真ん中にできあがりました。
裾をととのえようと屈んだとき、私の指が継ぎ当てに触れました。
白い木綿の布が、四角く当ててありました。
六目に一度、糸を返す。私の家の蚊帳と、寸分たがわぬ運針でした。
私は、その場から動けなくなりました。
節子さんは、私の隣に座って、蚊帳の中をのぞくようにしていました。
「うちの子は、二十一の夏に南の海へ発ったきり、便りが途絶えました」
「康平さんは、その子と同じ部隊におらしたとです」
「向こうは蚊の多かとこでしょう」
「破れた蚊帳ば、二人で夜な夜な繕うとったそうです」
「うちの子が、母ちゃんは六目に一度返す縫い方ばする、と教えたとですって」
「康平さんは、それだけ覚えて帰ってきなさった」
私は麦茶の湯呑みを持ったまま、その汗が指を伝っていくのを見ていました。
節子さんは立って、井戸で冷やしていた茄子を上げてきました。
糠の匂いのする漬物と、素麺と、それだけの夕餉でした。
「初めて来なさったときは、まだ二十七、八でしたかね」
「玄関先で、ひとことも名乗らんまま、蚊帳ば吊ってよかですか、とだけ言われました」
「私はどなたか分からんまま、上がってもらいました」
「それから五十年、雨の年も、風の年も、休まれたことは一度もなかとですよ」
素麺をすする音だけが、しばらく座敷に残っていました。
「毎年、八月十四日に来てくれます」
「私はこの晩だけ蚊帳ば吊るとですよ」
「あの子が帰ってくるような気のする晩は、この一晩だけですけん」
節子さんは、腰に手を当てて、ゆっくりと立ち上がりました。
「うちの子の寝る側の裾ば、あの人が毎年、押さえに来てくれるとです」
「私は腰の曲がっとるけん、そこまで手の届かんとですよ」
それから、節子さんは蚊帳の入口を指して、少し笑いました。
「康平さんは裾ば持ち上げて、いつも私を先に入れてくれよります」
「うちの子も、そげんしよったとです」
蝉の声が、急に遠くなりました。
私は蚊帳の中に膝をついたまま、しばらく顔を上げられませんでした。
五十年ぶんの言葉が、いっぺんに喉のところでつかえていました。
あの人が私に言わなかったのは、隠していたからではなかったのです。
話してしまえば、節子さんの一年が、私の噂話になってしまう。
あの人はそれを、いちばん嫌ったのでしょう。
そして私は、あの手のひらのことをやっと思い出しました。
裾を畳に押しつけて、指の腹で二度、三度。
あれは、蚊を入れまいとしていたのではありません。
中に居る者を、朝までそっとしておくための手でした。
その晩、私は節子さんと二人で、萌黄色の蚊帳の中に並んで休みました。
節子さんの側の裾を、私が手のひらで撫でました。
畳の目に沿って、二度、三度。
節子さんは背中を向けたまま、小さな声で言いました。
「ありがとうございます」
天井の継ぎ当てを通して、外の月あかりが四角く落ちていました。
その四角のふちが、六目ごとに、ほんのわずかにひきつれていました。
五十年、私が夫から一度ももらえなかった言葉を、私はその晩、知らない人からもらいました。
※
病院に戻ったのは、次の日の昼過ぎでした。
あの人はベッドを起こして、窓の外の入道雲を見ていました。
「吊ってきました」
「そうか」
「裾も、押さえてきました」
あの人は、動かない右手を左手で持ち上げて、膝の上に置き直しました。
それから、五十年で初めての言葉を言いました。
「すまんかった」
私は首を振りました。
謝ってほしかったわけではなかったのだと、そのときやっとわかったのです。
翌年の八月十四日、私たちは二人で山あいの家へ行きました。
あの人は右手が使えませんから、環に紐を通すのは私の役でした。
萌黄色の裾が、あのときと同じ薄い緑の水のように揺れました。
私は蚊帳の裾を持ち上げて、あの人を先に入れました。
「今度は、私が上げますけん」
あの人は、やはり何も言いませんでした。
ただ、入ったあとで、私の側の裾を、左手でゆっくりと撫でました。
畳の目に沿って、二度、三度。
蚊遣りの煙が、細く立ちのぼっていました。
帰りのバスで、あの人は窓に頭をもたせて眠っていました。
膝の上の左手が、何かを撫でるかたちに、少しだけ開いていました。
言葉のなかった五十年を、私はようやく、静かだったのだと呼べるようになりました。