
六十三になって、私は大学生になりました。
県立大学の、夜間の社会人枠です。
合格通知の封を開けたとき、真っ先に思ったのは、これを報告する相手がいないな、ということでした。
妻は六年前にいなくなりました。
息子とは、十八年、会っていません。
講義は週に三日、十八時から始まります。
私は決まって、いちばん後ろの、窓際の席に座りました。
講義室のいちばん後ろの窓が、五分に一度、決まって震えるのです。
大学の裏手を、高架の線路が走っているからでした。
誰も、その震えに顔を上げません。
前の席の学生たちは、板書を写す手を止めもしませんでした。
震えは彼らにとって、蛍光灯の唸りと同じ、ただの背景なのでしょう。
けれど私には、聞こえてしまうのです。
ガタン、ゴトン、という規則の中に、ひとつだけ揃わない音があることが。
四十年、線路の継ぎ目を叩いて暮らしてきた耳です。
保線区、と言っても、いまの若い人には通じないかもしれません。
終電が行ったあとの線路に降りて、枕木を見て、締結を見て、継ぎ目を小さな槌で叩いて回る仕事です。
音が濁っていれば、そこに緩みがあります。
音が乾いて短く跳ね返れば、そこは生きています。
私はそれを、四十年、ほとんど耳だけでやってきました。
油と鉄粉の匂いのする軍手。
夏の砂利は、明け方になっても手のひらを焼きました。
冬は、槌の柄が指の皮を持っていきました。
その耳が、講義室でも勝手に働くのです。
ノートの隅に、私はいつのまにか、正の字を書いていました。
濁った音が来るたびに、一本ずつ棒を引いていたのです。
三本目の縦棒を引いたところで、手が止まりました。
この癖は、私のものではありませんでした。
あの子のものでした。
※
湊、というのが息子の名前です。
水の湊と書きます。
妻がつけました。
船が帰ってくる場所だから、と言っていました。
あの子が五つのころ、私はよく、家から歩いて十分の踏切に連れて行きました。
非番の日の、夕方でした。
遮断機が下りて、警報が鳴って、生あたたかい鉄の匂いのする風が来ます。
「お父さん、いま、へんな音した」
あの子は、最初の日から、そう言いました。
「よく聞こえたな」
「ガタンの、二回目だけ、にごってる」
私は、嬉しくて仕方がありませんでした。
職場でも、その耳を持つ者は多くありませんでした。
「線路はな、継ぎ目で鳴るんだ」
「つぎめ」
「レールとレールのつなぎ目だ。そこの音が全部そろってたら、この区間は生きてる」
「生きてるって、なに」
「元気だってことだ。誰かがちゃんと世話してるってことだ」
あの子はうなずいて、それから、両手を耳の後ろに当てました。
小さな手を、貝殻のようにひらいて。
そうすると音がよく集まるのだと、自分で見つけたようでした。
その日から、あの子は踏切に行くたびに音を数えるようになりました。
あの子は、その音を、小さな帳面に正の字で書きつけていました。
日付と、時刻と、濁った音が何回目だったか。
鉛筆の芯を舐めて、線がにじむのも構わずに書くのです。
小学校に上がっても、やめませんでした。
帳面は、二冊、三冊と増えていきました。
私は、それを本棚のいちばん下の段に並べてやりました。
あるとき、あの子が私の左手を取りました。
食卓で、汁椀を持ったままの手です。
「お父さんの爪、スプーンみたい」
親指の爪が、平たいのです。
二十代のころ、暗がりで槌の頭を打ち損ねて、爪の根を潰しました。
生えなおした爪は丸みを失って、平らな板のようになりました。
あの子は自分の親指を隣に並べて、笑いました。
「ぼくのは、まるい」
「まるいのが普通だ」
「ぼくも、へんなのがいい」
子どもの言うことです。
私は笑って、汁を飲み干しました。
あの晩の汁の実が、わかめだったか、豆腐だったか。
そんなことは覚えていないのに、爪を並べた小さな手の温さだけは、いまも左の親指に残っています。
※
あの子が中学に上がった年に、私は係長になりました。
受け持つ区間が倍になって、夜勤の回数も倍になりました。
家に帰るのは、朝の六時です。
あの子が学校へ出ていく玄関で、すれ違うだけの日が続きました。
「おかえり」
「いってきます」
その二つの言葉が、私たちの一日ぶんの会話でした。
妻はよく笑って、うちは駅みたいだねえ、と言いました。
上りと下りが、ホームで一度だけすれ違う。
うまいことを言うと思って、私も笑いました。
笑っている場合ではなかったのだと、いまなら分かります。
あの子が中学二年の秋、担任から電話が来ました。
成績が落ちている、授業中に窓の外ばかり見ている、と。
私は寝床から起きて、受話器を持ったまま、ずいぶん長く頭を下げていました。
その日の夕方、あの子の机の上に、見慣れた帳面が開いたままになっていました。
教科書の下に隠すこともせずに。
ページには、日付と、時刻と、正の字が並んでいました。
私は、その正の字を見た瞬間に、自分でも思いがけないほど腹が立ちました。
いま思えば、腹を立てていた相手は、あの子ではなかったのです。
夜通し線路を叩いて、朝に帰って、それでも子どもの成績ひとつ守れない自分に腹が立っていたのです。
けれど、そのときの私は、いちばん近いところに手を伸ばしました。
「こんなもの数えて、何になる」
私はそう言いました。
言ってしまいました。
あの子は、鞄を肩に掛けたままの格好で、机の前に立っていました。
顔は上げませんでした。
「それはな、仕事でやることなんだ」
「うん」
「金をもらってやることなんだ。遊びでやってると、本気の人に失礼になる」
いま書き写していても、耳が熱くなります。
私は、自分の四十年を守るために、十四の子どもを叱ったのです。
「捨てなさい」
あの子は、うん、と一度だけ言いました。
それだけでした。
翌朝、玄関のごみ袋の口から、帳面の角が一冊ぶん飛び出していました。
雨の日でした。
ビニールの内側が白く曇って、表紙の色が滲んで見えました。
私は、それを見なかったことにして、勤めに出ました。
見なかったことにした、というのが、いちばん正しい言い方です。
拾えたのです。
手を伸ばせば、届く場所にありました。
※
それからのあの子は、静かな子になりました。
成績は戻りました。
高校も、地元の大学も、私が何も言わないうちに決めて、決めたことだけを報告しに来ました。
報告のときの顔つきは、取引先に見積もりを出す人間の顔でした。
私は、それを聞き分けのよさだと思っていました。
大学二年の秋に、あの子は、やめると言いました。
台所の椅子に座って、両手を膝に置いて、まっすぐこちらを見ていました。
「別にやりたいことができた」
「何だ」
「言っても、たぶん」
「たぶん、何だ」
あの子は、少し黙りました。
その沈黙は、いま思えば、最後の扉でした。
そこで私が待っていれば、扉は開いたのです。
けれど私は、待てませんでした。
「途中でやめる人間になるな」
その一言を、被せてしまいました。
あの子は、ゆっくり立ち上がりました。
「お父さんは、聞かないんだね」
「何を」
「何も」
それが、私が最後に聞いた息子の声です。
二週間後、あの子は荷物をまとめて家を出ました。
本棚のいちばん下の段は、空になっていました。
私はそこに、読みもしない資格の本を詰めました。
詰めておかないと、その段だけが、部屋の中で口を開けているように見えたからです。
※
妻は、あの子のことをほとんど口にしませんでした。
正月に、茶碗を三つ出すか二つ出すか、それだけで一年ぶんの話が済んでしまうような人でした。
妻はいつも、三つ出しました。
そして黙って、一つを片づけました。
六年前、妻がいなくなったあと、台所の引き出しから、宛名だけ書いた葉書が七枚出てきました。
七枚とも、あの子の名前でした。
住所は、七枚とも違いました。
あの子が引っ越すたびに、妻は書き直していたのでしょう。
文面は、どれも白紙でした。
妻も、書けなかったのです。
私は、その七枚を輪ゴムで留めて、いまも財布の内側に入れています。
厚みで、財布が閉まりません。
閉まらないままにしています。
※
大学に入ったのは、賢くなりたかったからではありません。
定年のあと、朝が長すぎたのです。
四十年、夜に働いた人間には、明るい朝は持て余すのです。
地域文化論という講義で、学期末に土地の記録を一つ調べて報告せよ、という課題が出ました。
私は、自分の受け持った区間のことを書こうと思いました。
それくらいしか、書けることがありません。
資料室は、講義棟の三階の、北側の廊下の突き当たりにあります。
紙と糊の、乾いた匂いのする部屋です。
市が出した報告書の類は、いちばん奥の棚の下段に、背表紙の色もばらばらに詰め込まれていました。
床にしゃがんで、膝を鳴らしながら、私は一冊ずつ抜き出しました。
灰色の、薄い冊子でした。
『市内踏切周辺 音環境実態調査報告書』
手に取ったのは、踏切、という二文字が目に入ったからにすぎません。
表紙の作成者の欄に、加瀬湊、と印字されていました。
私は、しゃがんだまま、しばらく動けませんでした。
膝の関節が鳴っているのが、やけに遠くで聞こえました。
加瀬という姓は、そう多くありません。
湊という名は、なおさらです。
震える手で、めくりました。
市内の三十七か所の踏切について、通過音の大きさと、周辺の住宅への影響が、表にまとめられていました。
数字が並び、図が並び、専門の言葉が並んでいました。
私にはよく分からない言葉ばかりでした。
けれど、いちばん後ろの、付録という頁で、目が止まりました。
そこには、こう書かれていました。
『補遺 継ぎ目音の異常聴取記録 個人観測分』
日付と、時刻と、濁った音が何回目だったか。
それだけが、何頁にもわたって並んでいました。
いちばん最初の日付は、あの子が中学二年の、あの秋でした。
私が捨てさせた、あの月でした。
そして記録は、途切れていませんでした。
十四の秋から、去年の冬まで。
あの子は、ごみ袋に入れた翌日から、新しい帳面を買っていたのです。
そのことを、誰にも言わずに。
私は、資料室の床に座り込んで、その頁に指を這わせました。
紙は、ざらざらしていました。
正の字ではなく、数字でした。
子どもの帳面が、いつのまにか、大人の記録になっていたのです。
本棚のいちばん下の段が、頭に浮かびました。
空になった、あの段です。
私は、あそこを埋めるべきではなかったのです。
空けて、待っているべきだったのです。
冊子の奥付に、委託先の会社名がありました。
音響調査を請け負う、小さな会社でした。
電話をかけるまでに、三日かかりました。
受話器を持ち上げては置き、持ち上げては置きしました。
三日目の夜、私は、自分が何を怖がっているのかを、やっと言葉にしました。
会うのが怖いのではありませんでした。
あの子がもう、私のことを何とも思っていないのが怖かったのです。
怒られるより、忘れられている方が、ずっと怖い。
六十三にもなって、私は、そんなことに震えていました。
会社の人は、親切でした。
加瀬は今週、市内の踏切で夜間の記録を取っている、と教えてくれました。
場所を聞いて、私は、受話器を持ったまま、目を閉じました。
あの踏切でした。
家から歩いて十分の、あの踏切でした。
※
十一月の、風のない夜でした。
踏切の手前の電柱の下に、三脚が立っていました。
その横に、紺の作業着の男が、地面にしゃがんでいました。
両手を、耳の後ろに当てていました。
貝殻をひらくような、あの形でした。
三十年ぶりに見る形でした。
私は、声が出ませんでした。
遮断機が下りて、警報が鳴りはじめました。
赤い光が、交互に、男の横顔を照らしました。
電車が来て、行きました。
音が遠ざかって、警報が止んで、遮断機が上がりました。
男は立ち上がって、手帳に何かを書き入れました。
そして、こちらを振り向きました。
「……お父さん」
そう言われて、はじめて、私は自分が泣いていることに気づきました。
「音が」
言おうとして、続きませんでした。
「音が、二回目だけ、濁ってた」
私は、それだけを言いました。
十八年ぶりの、最初の言葉が、それでした。
湊は、少し目を見ひらいて、それから、手帳を私に向けて開いて見せました。
その頁には、二、と書いてありました。
私が聞いた音と、同じでした。
「合ってる」
「そうか」
「合ってるよ」
湊は、笑ったのだと思います。
暗くて、よく見えませんでした。
次の電車まで、十二分あるのだと、湊は言いました。
私たちは、遮断機の脇のガードレールに、並んで腰を掛けました。
並んで座るなんて、あの子が小学生のとき以来です。
「あの帳面」
私が言うと、湊は、ああ、と短く答えました。
「捨てさせて、悪かった」
「捨ててない」
「知ってる。資料室で、見た」
湊は、しばらく黙っていました。
それから、こう言いました。
「捨てられなかったんじゃなくて、捨てたくなかったんだ」
「そうか」
「お父さんが、あのとき、仕事でやることだって言ったから」
私は、うつむきました。
「だから、仕事にした」
足元の砂利を、私は靴の先で寄せていました。
寄せて、崩して、また寄せていました。
「言えばよかったのに」
「言おうとしたよ。大学やめるって言った日に」
あの沈黙です。
私が、被せてしまった、あの沈黙です。
「お父さん、聞かなかった」
「……ああ」
「怒ってたわけじゃないんだ。ただ、もう一回だけ、聞いてほしかった」
十八年ぶんの言葉が、それだけの短さで済んでしまうことに、私は打ちのめされました。
謝る言葉を探しましたが、どれも軽すぎて、口に出せませんでした。
そのとき、湊が、私の左手を取りました。
食卓のときと、同じ取り方でした。
「変わってないね、これ」
平たい親指の爪です。
湊は、自分の左手を、その隣に並べました。
息子の左の親指の爪も、私と同じように平たく削がれていました。
私は、息を呑みました。
現場で潰したのか、と思いました。
けれど、そうではありませんでした。
「切るとき、そこだけ真っすぐ切ってる」
「なんで」
「子どものころから。まるいのが、いやだった」
三十年、爪を切るたびに、この子は私の手を思い出していたのです。
捨てさせられた帳面を書き続けながら。
白紙の葉書を、七回も宛名を書き直された住所で受け取らないままで。
私は、ガードレールに手をついて、身体を支えました。
遮断機が下りはじめました。
警報が鳴って、赤い光が、また二人の顔を交互に照らしました。
湊は立ち上がって、耳の後ろに手を当てました。
私も、立ち上がりました。
四十年、槌でやってきたことを、私はこの夜、はじめて素手でやりました。
耳の後ろに、手を当てたのです。
電車が来ました。
ガタン、ゴトン、と、継ぎ目が鳴っていきました。
今度は、濁りませんでした。
音が全部、乾いて、短く跳ね返りました。
電車が行ってしまってから、湊が言いました。
「この区間、まだ生きてるよ」
私は、返事ができませんでした。
返事の代わりに、財布から輪ゴムで留めた七枚を出して、湊の手に押しつけました。
「母さんが、書けなかったやつだ」
湊は、白紙の葉書を七枚、街灯の下で一枚ずつめくりました。
そして、いちばん上の一枚を、胸のポケットにしまいました。
「これ、返事書くから」
「白紙に、返事は書けないだろう」
「書けるよ。宛名があるんだから」
※
年が明けて、後期の最後の講義がありました。
私は、いつものように、いちばん後ろの窓際に座りました。
その隣に、紺の作業着のままの男が、遅れて滑り込んできました。
聴講の手続きは、湊が自分で取ってきました。
「仕事の役に立つから」
そう言いましたが、たぶん、半分は嘘です。
私は、その嘘を、ありがたく受け取ることにしました。
教壇の先生が、土地の記憶という言葉を使いました。
前の席の学生たちは、板書を写していました。
講義室のいちばん後ろの窓が、また、決まった時刻に震えました。
隣で、息子も同じ瞬間に顔を上げました。
目が合いました。
私たちは、どちらからともなく、ノートの隅に一本ずつ棒を引きました。
湊のノートの正の字は、四本目まで進んでいました。
私のは、三本目で止まったままでした。
三十年ぶんの差が、そこにありました。
埋まらない差です。
埋めるつもりも、もうありません。
ただ、同じ音で、同じ瞬間に顔を上げる。
父と息子にできることは、案外、そのくらいなのかもしれません。
講義が終わって、外へ出ると、冷たい風が首筋に入りました。
湊が、少し先を歩いていました。
背中が、私より少し広くなっていました。
その背中に向かって、私は、ようやく言えました。
「あのとき、聞かなくて悪かった」
湊は、振り向きませんでした。
振り向かないまま、片手を耳の後ろに当てて、こう言いました。
「いま、聞こえたよ」