彼が灯さなかった分校

雪山の灯りと冬の山小屋

「先生んとこは、まだ点かんのけ」

朝の会の前に、六年の良夫がわたしの机の横へ来て、そう言った。

前の晩、二又に電気が来た。

本村から山を這うようにして電線が伸び、三十七戸の軒先に、いっぺんに灯りがともったのだ。

わたしは分校の宿直室の窓から、それを見ていた。

家の形が、夜の中に浮かび上がった。

屋根の線も、庭の柿の木も、そこに人が住んでいるということも、光がぜんぶ教えてくれた。

誰かが叫んで、誰かが笑った。

犬が、ずいぶん長いこと吠えていた。

けれど、わたしの立っている分校の窓だけが、暗かった。

「まだね」

良夫に答えられたのは、それだけだった。

嘘ではない。

ただ、その「まだ」の中に、わたしはひとつの名前を隠していた。

※

昭和三十四年の四月に、わたしは二又分校へ来た。

十九だった。

高等学校を出て本校の代用教員に採られ、着任の日にそのまま山へ回された。

峠をひとつ越える。

バスは麓までしか来ないので、荷物を風呂敷に括って背負い、二時間半を歩いた。

杉の木立が途切れると、棚のように段になった畑と、藁屋根の集落が現れた。

二又という名のとおり、谷が二つに分かれる、その分かれ目にへばりついた村だった。

分校は一棟きりで、教室がひとつ、宿直室がひとつ。

児童は九人。

一年から六年までが、ひとつの教室に並んだ。

そして、電気が来ていなかった。

本村までは戦前に配電が済んでいたが、二又は谷を隔てているという理由で、ずっと後回しにされていた。

日が落ちれば、村は真っ暗になる。

わたしの一日の最後の仕事は、いつも、ランプの火屋を磨くことだった。

火屋というのは、石油ランプの炎を包む、細長いガラスの筒のことだ。

一晩灯せば、内側が煤で薄黒く曇る。

新聞紙を細く丸めて筒の中に入れ、指で押し回すようにして拭く。

きゅ、きゅ、と鳴る。

その音が、一日の終わりの合図だった。

芯は小さな鋏で真っ直ぐに切りそろえる。

斜めに切ると炎が片寄って、火屋の片側だけがすぐ曇るのだと、村の年寄りに教わった。

教室に四つ、宿直室に一つ。

五つの火屋を、わたしは毎晩磨いた。

石油の匂いは髪にも指にも染みついて、休みに実家へ帰っても、母がすぐに気づいた。

冬になれば、四時には手元が見えなくなる。

子どもたちは、暗くなる前に帰らなければならない。

宿題を出しても、家で見る灯りがないのだから、やってこられない子のほうが多かった。

さと子という一年の子が、あるとき、こう言った。

「先生、夜は字がおらんようになるね」

読めなくなる、ではなく、いなくなる、と言ったのだ。

その言い方を、わたしは六十年経ったいまでも覚えている。

※

電線が来るらしいという話が村に流れたのは、その年の六月だった。

七月の頭に、越坂組という下請けの一隊が入ってきた。

十四人。

村の外れの桑畑を借りて、板と杉皮で飯場を建てた。

まず、匂いが変わった。

クレオソートというのだそうだ。

電柱に塗る防腐の薬で、鼻の奥を刺すような、コールタールに似た匂いがする。

その匂いが、何日も集落に残った。

次に、木に印がついた。

測量の人が谷を歩いて、杉や欅の幹に、白いペンキで短い横線を引いていった。

線の通る道筋だという。

子どもたちは、その白い印を追って山へ入るのが面白くて仕方がないようだった。

わたしも一度、良夫たちについて谷を回ったことがある。

杉の幹に白い印がついた。谷向こうの村上の家へ続く道の木には、ひとつもなかった。

「あっちは、ないんですね」

わたしが言うと、測量の人は帳面から目を上げずに答えた。

「戸数に入っとらんのや」

村上トメさんは八十を過ぎていて、丸太の橋を渡った向こうに、ひとりで住んでいた。

家はもともと蚕小屋で、それを直して住んでいるものだから、村の帳面の上では住まいとして数えられていない。

それに、と、あとで村の女衆が言った。

「トメ婆は、目がほとんど見えんさけ。見えん者に電気やっても、しょんない」

わたしは何も言い返さなかった。

言い返す言葉を、そのときのわたしは持っていなかった。

※

越坂組の男たちは、朝の暗いうちに山へ入って、日が落ちるころに戻ってきた。

穴を掘り、電柱を建て、碍子を上げる。

碍子というのは、電線を柱に留める白い陶器の部品だ。

さと子が、それを見て言った。

「木に、お茶碗が生っとる」

割れた碍子をひとつ、飯場の男が子どもらにくれたことがある。

運ぶ途中で欠けたもので、使い物にならないのだという。

さと子はそれを両手で抱えて帰った。

翌日、家の神棚に上げたと報告された。

わたしは笑ったが、その子の家も、まだ暗かった。

男たちは村の中では口数が少なかった。

飯場の者と親しくするな、という空気が、村にはあった。

わたし自身、そう思っていた節がある。

十九のわたしは、教壇に立っているというだけのことを、どこかで誇っていた。

土に汚れた手で日雇いの銭をもらって歩く人たちのことを、自分とは違う場所の人だと考えていた。

いま思えば、恥ずかしい。

けれど、そのころのわたしは、恥ずかしいということすら分かっていなかった。

中辻誠一と初めて口をきいたのは、八月の終わりだった。

分校の裏手の木を三本、切り倒すことになっていた。

授業中に切られては困るので日曜にしてくれと頼んであったのに、その日は土曜だった。

抗議に出たわたしの目の前で、倒れた枝が窓の桟に当たった。

ガラスは割れなかった。

代わりに、窓辺に置いてあった火屋がひとつ、机から落ちて砕けた。

「すんません」

そう言った男が、誠一だった。

二十三だと、あとで知った。

福井から来ていて、背は高くないのに、肩と首のあいだが妙に厚かった。

穴を掘る人夫は、そういう体つきになるのだと、これもあとで知った。

「弁償します」

「いいです」

「いや、します」

押し問答になった。

わたしは苛立っていた。

工事は予定より遅れていた。

盆の前には点くと聞いていたのに、九月になろうとしていた。

その遅れは、この人たちが仕事を引き延ばして日当を稼いでいるせいだと村の誰かが言っていて、わたしはそれを疑いもせずに信じていた。

だから、つい、言った。

「そんなことより、早く電気を通してください」

誠一は、返事をしなかった。

帽子を取って、割れたガラスを拾い集めて、新聞紙にくるんで持って帰った。

三日後の夕方、彼はまた来た。

新しい火屋をひとつ持って。

麓の店まで下りて買ってきたのだという。

往復で五時間かかる道だ。

わたしはそれを受け取るときに、ようやく相手の顔をまともに見た。

左手の爪が、二枚なかった。

※

それから、飯場の男たちが分校の井戸を使うようになった。

沢の水より近いというので、わたしが構いませんと言ったのだ。

夕方になると麦茶を沸かして、桶に沈めて出しておくようになった。

誠一は、いつも最後に来た。

みんなが飲んで帰ったあとに、ひとりで湯呑みを洗って、水を汲んで帰る。

そういう順番の人だった。

九月の半ば、その井戸端で、わたしは何気なく村の話をした。

「トメさんが、この前、階段を踏み外して手首を痛めたんですよ」

夜に厠へ行こうとして、段を数え間違えたのだという。

「あの家、階段が急で、手すりもないんです」

誠一は湯呑みをすすぎながら、ふん、とも、はあ、ともつかない返事をした。

わたしはそのまま、次の日の授業の話に移った。

そのときの自分の声の軽さを、わたしは六十年、思い出し続けることになる。

※

十月に入って、村の女衆と縁側で豆を選っていたときに、こんな話を聞いた。

「越坂の若い衆がひとり、来た日に道を間違えて、夜通し山を歩いたらしいわ」

峠から二又へ下りる道は、途中で炭焼きの跡へ逸れる細道がある。

慣れない者は、そちらへ入ってしまうのだそうだ。

「明け方まで帰ってこんかったって」

誰のことか、わたしは訊かなかった。

飯場の男の噂に興味があるふりをするのが、そのころのわたしには、気恥ずかしかったのだ。

豆の音がぱらぱらと笊に落ちて、話はすぐ別のところへ流れていった。

十月の終わりに、わたしは子どもたちに作文を書かせた。

題は「電気がついたら」。

良夫は、夜に自転車の修理ができると書いた。

三年の子は、母の縫い物が早く終わって、早く寝られると書いた。

さと子の紙には、たった一行だけあった。

「よるも、じが、います」

わたしはその紙を、いまも持っている。

※

十一月十二日。

その日に電気が来ると、一週間前から回状が回っていた。

昼のうちから、村は落ち着かなかった。

畑に出ている者がいなかった。

夕方、本村のほうから合図があって、村の総代が拍子木を打った。

そして、灯った。

一斉ではなかった。

家ごとに、少しずつ、順に明るくなっていった。

四十燭の裸電球が土間の梁からぶら下がって、そこだけ昼のようになる。

女の人が笑って、それから泣いていた。

年寄りが、電球を見ずに、電球に照らされた自分の手のひらを見ていた。

子どもたちは、あちこちの家に上がり込んでは走り出てきた。

良夫が分校の前まで駆けてきて、息を切らして言った。

「先生、うちの茶の間、隅っこまで見える」

わたしは笑って、それから振り返った。

分校の窓は、暗いままだった。

引込線が来ていない。

碍子も、電球も、来ていない。

わたしは飯場へ走った。

越坂組の組長が出てきて、名簿を繰って、首をひねった。

「分校の分は、出とるはずやが」

その夜、村で暗かったのは、分校だけだった。

翌朝、良夫があの一言を言った。

そして、その日から、誠一は現場にいなかった。

組を移されたのだ、と聞いた。

理由は、誰も言わなかった。

わたしは、逃げたのだと思った。

自分の手落ちを隠して、黙って山を下りたのだと。

分校に電気が点いたのは、十二月の半ばだった。

本校から改めて申請を出して、一か月余りかかった。

点いた晩、わたしは誰もいない教室の真ん中に立って、天井を見上げた。

明るかった。

火屋を磨かなくていい夜が、こんなに手持ち無沙汰なものだとは思わなかった。

わたしは五つの火屋を新聞紙にくるんで、宿直室の押入れに上げた。

そのうちのひとつは、まだ煤のついていない、新しいものだった。

※

年が明けて、一月の終わりに大雪が降った。

谷筋で電柱が三本、雪の重みで傾いた。

越坂組が応急に入るという話が回ってきた日の夕方、わたしは教室の窓から谷を見ていた。

雪が降り止んで、夜が妙に明るかった。

雪の斜面の向こう、丸太の橋の先に、灯りがひとつあった。

村上トメさんの家だった。

いつからそこにあったのか、わたしは知らなかった。

点灯の晩、わたしは分校の窓のことで頭がいっぱいで、谷の向こうを見ていなかったのだ。

翌日、応急の一隊が村へ入った。

その中に、誠一がいた。

夕方、井戸端に、彼はひとりで来た。

湯呑みはもう出していなかったので、わたしは薬缶を提げて出た。

「戻ってこられたんですね」

「三日だけです」

訊きたいことは、喉のところまで来ていた。

それを飲み込んで、わたしは別のことを言った。

「谷の向こうに、灯りがついていました」

誠一は、雪を踏む足を止めた。

しばらくしてから、こう言った。

「先生が、あの階段のこと言うとられたさけ」

薬缶の口から湯気が上がって、そのまま消えた。

引込線も、碍子も、電球も、戸数で数が決まっていた。

名簿にない家には、一本も回らない。

彼は自分の受け持ちの区間から、分校の一戸分を、谷の向こうへ回したのだった。

「学校は、本校から言うたら出る」

「あの家は、誰も言わん」

そう言った。

わたしは何も言えなかった。

言えないまま、こう訊いた。

「どうして、あの家なんですか」

誠一は、湯を注ぐわたしの手元を見ていた。

「おれ、来た日に道を間違えて」

「夜通し歩いて、明け方に、火が見えたんです」

「戸の隙間から」

トメさんの家の囲炉裏の火だった。

見えない目で、老女は湯を沸かして出したのだという。

道を訊かれても答えられないから、明るくなるまでそこに座っていろ、と言われた。

「あの人、おれの顔、見とらんのです」

「だから、おれが誰かも知らん」

「知らんまま、湯ぅ出したんです」

わたしは井戸端の雪を見ていた。

自分の声を思い出していた。

あの家、階段が急で、手すりもないんです。

そう言ったのは、わたしだった。

けれど、わたしは何もしなかった。

言っただけだった。

言っただけの言葉を、この人は持って帰って、自分の受け持ちを差し出した。

そして現場を外された。

「怒られたでしょう」

「まあ」

「一か月分、引かれました」

そう言って、彼は初めて笑った。

笑うと、目尻に細かい皺が寄る人だった。

わたしは、その笑い方を、それまで見たことがなかった。

村へ入って半年、この人が誰かの前で笑ったところを、たぶん誰も見ていない。

「なんで、言うてくれんかったんですか」

自分でも驚くほど、声が大きかった。

「言うてくれたら、わたしが」

そこで言葉が止まった。

わたしが、何をしただろう。

飯場の男と親しくするなという村の中で、十九のわたしに、何ができただろう。

できることは、たぶん、ひとつもなかった。

この人は、それを分かっていた。

分かっていたから、言わなかったのだ。

誠一は、湯呑みを両手で包むようにして持っていた。

「先生の学校は、いつか点きます」

「あの家は、いま点けんと、点かんままです」

雪の粒が、湯呑みの縁に落ちて溶けた。

わたしは、その人の左手を見ていた。

爪の二枚ない手だった。

※

三日後、彼は山を下りた。

わたしは峠まで送った。

別れ際に何を言ったのか、いまはもう思い出せない。

覚えているのは、峠の上から見た二又が、思ったよりずっと小さかったことだけだ。

三年後、わたしは中辻みちになった。

村は反対した。

わたしの親も反対した。

日雇いの人夫の女房になってどうするのだと、母は泣いた。

同じ年の友達は、給料の決まった人と一緒になって、町の社宅に住んでいた。

誠一は生涯、線を張る側の下請けにいた。

電力の社員になることはなかったし、昇進もしなかった。

雪の日に山へ入る仕事を、六十いくつまで続けた。

そのあいだ、わたしは彼の稼ぎが友達の夫たちより少ないことを、何度も数えた。

数えたことがある、と正直に書いておく。

それでも一度も、あの井戸端のことだけは疑わなかった。

村上トメさんが静かに眠ったのは、その三年あとの春だった。

家は取り壊されて、いまは杉が植わっている。

けれど、谷の向こうに三年だけ点いていたあの灯りを、わたしは自分の目で見ている。

分校で、わたしは二十四年教えた。

閉校になったのは昭和五十八年で、最後の年の児童は二人だった。

さと子は町へ出て、いまは孫がいる。

※

去年の秋、大きな風が来て、この町は二晩、電気が止まった。

わたしは七十四になり、誠一は七十九になっている。

真っ暗な茶の間で懐中電灯を探していると、彼が納戸から何かを提げて出てきた。

新聞紙にくるまれた、細長いガラスの筒と、油の入ったままのランプだった。

「まだ持っとったの」

彼は答えなかった。

わたしは新聞紙を細く丸めて、火屋の内側を拭いた。

きゅ、きゅ、と鳴った。

六十年ぶりだというのに、指のほうが順番を覚えていた。

芯を小さな鋏で真っ直ぐに切りそろえて、火を入れた。

炎が、まっすぐに立った。

明るいというほどの明るさではない。

それでも、その灯りの中で、彼の手の甲の皺がよく見えた。

わたしは、六十年前の井戸端で訊けなかったことを、いまさら訊いた。

「あの晩、村がいっぺんに光ったとき、あんた、どこにおったの」

彼はしばらく黙っていた。

それから、こう言った。

「峠の上です」

「村が下でぱっと光って」

「しばらくしてから、谷の向こうにひとつ、遅れて点きました」

「それ見てから、下りました」

わたしは、火屋を持つ手を膝に下ろした。

畳の上に、孫が置いていった絵本が、開いたままになっていた。

ランプの明かりが、そこまでは届いていた。

字は、ちゃんとそこにいた。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

最後まで読んでくださって、ありがとうございます

この話が少しでも心に残ったなら、それだけで書いた甲斐がありました。
当サイトは個人で運営しており、いただいたご支援はサーバー代やドメインの維持費に大切に使わせていただきます。

¥240 の一度きりのお支払いで応援いただけます。
お礼として、以後ずっと広告を非表示にいたします(継続課金はありません)。

くわしく見る →

メンバーなのに広告が表示される方

ブラウザを変えた・Cookieを削除した場合は、登録のメールアドレスを入力してください。