五十年欠けていた一本の活字

夕暮れの川辺にある印刷工房

あの人の名前を、わたしは一度も活字で拾わなかった。

四年のあいだ、毎月ひとつだけ、あの人の頼む一行を組んだ。

その一行のなかに、あの人自身の名は一字もなかった。

気づいたのは、六十九になった今年の春だ。

指のほうが先に覚えていて、頭が五十年遅れて追いついた。

湊瀬は、川がゆるく曲がって海に落ちるところにある町だった。

川沿いに味噌屋と船具屋と、河内活版所が並んでいた。

わたしは十八の春に、その活版所へ入った。

中学を出て二年、家の内職で指をいためて、それでも働き口を探していたところを、親方の河内儀助さんが拾ってくれた。

戸を開けると、鉛とインキの匂いがした。

鉄と、油と、雨に濡れた石を混ぜたような匂いだ。

その匂いは、六十九になった今も、指の股のあたりに残っている気がする。

文選工というのが、わたしの仕事だった。

原稿を左手に持って、棚の前を歩きながら、いる字を一本ずつ拾っていく。

棚は天井まで届く木の格子で、ひとつひとつの升目に同じ字が詰まっている。

よく使う字は腰の高さに、めったに使わない字は上のほうに置いてあった。

だから棚の並びは、五十音でも画数でもない。

この町の人がよく口にする言葉の順に、並んでいた。

親方は、湯呑みを持ったまま言った。

「活字は、使うたんびに減る」

「減っとる字ほど、みんながようけ使うた字じゃ」

わたしはその晩、棚の升目を端から覗いて回った。

いちばん減っていたのは「の」だった。

次が「た」で、その次が「い」だった。

「あ」も「り」も「が」も、腹のところが白く光るまで減っていた。

ありがたい、という言葉に、この町の人はよほど鉛を使ったのだと思う。

入って半月の朝、わたしは升目から「し」を一本、指からこぼした。

土間のその場所だけ、鉄板が張ってあった。

硬い音がして、拾い上げると、右下の角が欠けていた。

親方は覗きこんで、鼻で息をした。

「捨てえ」

捨てられなかった。

その一本を、わたしは自分の文選箱の隅に立てた。

誰にも言わなかった。

叱られたことを忘れないための罰のつもりだったのだと思う。

入って一年目の昼休みに、一度だけ、自分の名を拾ってみたことがある。

こ、も、り、ち、よ。

五本を掌に並べたところで、親方に見つかった。

「銭にならん字を拾うな」

叱る声ではなかった。

それでもわたしは、それきり自分の名を拾わなくなった。

文選工は、人の言葉を拾う者だと思っていた。

自分の言葉は、棚のどこにも入っていない。

富永周吉さんが初めて来たのは、昭和三十七年の二月だった。

戸の開き方で、よその土地の人だとわかった。

湊瀬の者は戸を横へ滑らせるが、その人は一度持ち上げるようにして開けた。

綿入れの上から半纏を着て、脛に脚絆を巻いていた。

手が、大きかった。

指の節が太くて、爪のあいだに赤茶けた土が入っていた。

「刷ってもらいたいもんが、あります」

差し出されたのは、煙草の包み紙を裏返して鉛筆で書いたものだった。

ひらがなばかりの一行。

――とみなが しづ あにの しゅうきち みなせ かわちかっぱんじょ かた

「名刺くらいの大きさで、五十枚ほど」

奥から出てきた親方が、紙を裏返して見た。

「尋ね人か」

「そうです」

それだけだった。

親方が、連絡先の欄を鉛筆の尻で叩いた。

「あんたの居所は、どこに入れる」

「そこは、ここにしてつかあさい」

親方は少し黙って、丸をつけた。

その人が自分の住所を言わなかったことを、わたしはそのとき、気にも留めなかった。

組みはじめて、すぐに手が止まった。

「し」がいる。

しづ、の「し」だ。

わたしは升目へ伸ばしかけた手を引いて、文選箱の隅に立ててあった一本を拾った。

理由は、今でもうまく言えない。

捨てろと言われたものを、どこかの誰かの名前にしてやりたかったのかもしれない。

刷り上がりを見ても、欠けはほとんどわからなかった。

顔を近づけて、やっと右下がわずかに丸いとわかる程度だった。

その日から四年のあいだ、わたしは「しづ」の「し」に、いつも同じ一本を使った。

周吉さんは、翌月も来た。

その次の月も、その次の月も来た。

毎月おなじ一行を、五十枚ずつ。

文面はいつも変わらなかった。

三度目に来たとき、わたしはやっと聞けた。

「お仕事は、何をされとるんですか」

「井戸を掘っとります」

その人は、掌を上に向けた。

皮が厚くて、線がほとんど見えなかった。

「掘っとると、土の匂いが変わります」

「粘土のあいだは湿った紙みたいな匂いで、砂利にあたると、急に冷たい匂いになります」

「そこまで来たら、水はもう近い」

わたしは、匂いで深さがわかる仕事があることを、その日初めて知った。

五度目か六度目のときだったと思う。

周吉さんは文選棚を見上げて、長いこと動かなかった。

「触っても、ええですか」

わたしは「し」の升目から一本つまんで、その大きな掌に載せた。

その人は指の腹で、活字の腹をゆっくり撫でた。

「字は、こげに重たいもんですか」

そして、落とした。

鉄板の上で、あの朝と同じ音がした。

周吉さんの顔から、みるみる色が引いた。

わたしは笑ってしまった。

「わたしも、落としました」

「入って半月で、親方に捨てえ言われました」

その人は拾い上げた活字を、両手で包むようにして返してよこした。

欠けてはいなかった。

「よかった」と、その人は言った。

それから少し笑って、指の土を前掛けで拭いた。

昭和三十八年の夏、隣の味噌屋の井戸が涸れた。

親方は帳場から顔を上げて、わたしに言った。

「あの尋ね人の男に、頼んでみい」

周吉さんは次の月に、道具を担いで来た。

釣瓶も滑車も、綱までひとりで背負っていた。

味噌屋の裏で、その人は五日かけて掘った。

わたしは昼になると、麦茶を持って行った。

井戸の口を覗くと、暗いなかに、その人の背中の一部だけが白く見えた。

声は、上から落ちる前に、下から昇ってきた。

「まだ紙の匂いですけえ、あと二日」

三日目に、匂いが変わったのだと思う。

桶で上げてくる土が、黒から灰色になった。

四日目の夕方、その人は綱を握ったまま、井戸のふちに額をつけて動かなくなった。

心配して覗くと、笑っていた。

「冷たい匂いがしました」

五日目の朝、水が出た。

味噌屋のおかみさんが桶で汲んで、まず周吉さんに飲ませた。

その人は一口飲んで、少し考えるような顔をした。

「湊瀬の水は、甘い」

わたしは、その言葉を持って帰って、その晩ずっと転がしていた。

冬になると、周吉さんの半纏は同じところが擦り切れていった。

右の肩だけ、毛羽が立っていた。

綱を担ぐからだと、あとで聞いた。

「毎月、遠いところから来られるんですね」

わたしがそう言うと、その人はしばらく黙ってから答えた。

「湊瀬は、ええ町です」

それ以上は言わなかった。

その人は、自分のことを何ひとつ話さなかった。

生まれた土地も、歳も、家族のことも。

ただ、わたしの手が字を拾うのを、いつまでも見ていた。

三年目のある日、親方が奥で笑った。

「ちよ、おまえ、あの男の来る日は仕事が早いのう」

わたしは前掛けの紐を結び直した。

それだけで、朝から立っていた腰の痛みが、どこかへ行った。

次に周吉さんが来る日を、わたしは暦に印をつけずに覚えていた。

覚えているという言い方も、ほんとうは違う。

忘れるということが、はじめから起きなかった。

昭和四十年の一月は、雪が川べりまで下りてきた。

棚の上の段が冷えて、活字が指に貼りついた。

その月、わたしは余計なことをした。

組み終えた一行の下に、もう一行、勝手に足したのだ。

――みつかりますように

ひらがなにした。

しづさんという人が、もし字を習っていなかったとしても、それなら読めると思った。

親方は校正刷りを見て、何も言わなかった。

ただ、煙草を一本、余分に喫った。

周吉さんは刷り上がりを手に取って、長いこと見ていた。

ストーブの上の薬缶が鳴っていた。

「これは、いらん」

わたしは前掛けで手を拭いて、すぐに組み直した。

足した一行を抜いて、もう一度五十枚刷った。

周吉さんは、刷り直したほうを受け取った。

そして、いらんと言ったほうの束も、黙って懐に入れて帰った。

わたしは戸が閉まってから、両手を火にかざした。

指先が、いつまでも冷たかった。

二月に、周吉さんは来た。

戸を持ち上げるようにして開けて、いつもの場所に立った。

けれど、紙を出さなかった。

「もう、いらん」

薬缶が鳴っていた。

わたしは、はい、としか言えなかった。

その人は台の上に、いくらか多い代金を置いた。

「ちよさん」

名を呼ばれたのは、四年目にして初めてだった。

その先が、なかった。

その人は戸を持ち上げて、閉めた。

三月、来なかった。

四月も、五月も来なかった。

六月に、船具屋のおかみさんが世間話のついでに言った。

山向こうの現場で、掘りかけの井戸の壁が落ちたと。

渡りの井戸掘りがひとり、そのまま戻らなかったと。

名前は、聞かなかった。

聞かないまま、わたしは台のふちを握っていた。

それから何年も、わたしはあの三文字を数え直して暮らした。

もう、いらん。

余計な一行を足した女は、もう、いらん。

そう言われたのだと思っていた。

河内活版所は昭和五十年代の終わりに閉じた。

親方の家が壊されるとき、わたしは文選箱をひとつだけ譲り受けた。

升目には、まだいくらか字が残っていた。

嫁いで、子を育てて、その子が家を出て、夫を見送った。

箱は納屋の棚の上で、ずっと埃をかぶっていた。

今年の四月、納屋を片づけていた。

脚立の上で、箱の埃を新聞紙で払っていたときに、表で人の気配がした。

背の低い女の人が、門のところに立っていた。

わたしより、いくつか上に見えた。

両手で、古い財布を胸に抱えていた。

「河内活版所におられた、小森さんですか」

湊瀬の言葉ではなかった。

「富永しづ、と申します」

脚立から下りる足が、途中で止まったのを覚えている。

その人は、縁側に腰を下ろした。

茶を出しても、なかなか手をつけなかった。

「九つのときに、母が具合を悪うして」

「兄とうちは、別々の家へ預けられました」

「うちを引き取ってくれた家は、ええ家でした」

「ただ、条件がひとつありました」

「兄と行き来せんこと」

しづさんは、湯呑みの縁を指でなぞった。

「兄は、一度も来ませんでした」

「二十年、恨みました」

「捨てられたと思うとりました」

「うちは、学校へは三年しか行っとりません」

「養家の奥さんが、夜に台所でひらがなだけ教えてくれました」

「漢字は、いまでも半分ようわかりません」

わたしは湯呑みを置いた。

あの雪の一月に、わたしがひらがなにした理由を、誰にも話していなかった。

読めるようにと思ったのだ。

ただ、それだけのことだった。

わたしは、あの大きな掌を思い出していた。

「昭和四十年の一月に」と、しづさんは言った。

「駅の待合の柱に、一枚の紙が貼ってありました」

「名刺くらいの、小さい紙です」

「うちの名が、書いてありました」

「探されとると知って、うちは、行ってええんじゃと思いました」

「探されとるんなら、うちから行っても、家の人に責められんけえ」

わたしは、そこでやっと息をした。

探すための紙ではなかったのだ。

妹が自分の足で来られるように、探されている形を、あの人は四年かけて作っていた。

しづさんは、財布のいちばん奥から、油紙に包んだものを出した。

名刺ほどの紙だった。

四隅が丸くなって、字は薄れかけていた。

――とみなが しづ あにの しゅうきち みなせ かわちかっぱんじょ かた

その下に、もう一行あった。

――みつかりますように

わたしは、縁側の板に手をついた。

「兄は、こげな言葉を知らん人でした」

しづさんは、紙を見たまま言った。

「じゃけえ、兄のそばに、誰かおってくれとると思いました」

「ひとりで探しとるんじゃないと思えて、それで、やっと手紙が書けました」

いらんと言われた束を、あの人は懐に入れて持って帰った。

そして、そちらを配って歩いていた。

「もうひとつ、うちにはわからんことがありました」

しづさんは、紙の上を爪の先で押さえた。

「うちの名の、この『し』です」

「駅の柱のも、押入れに隠しとったのも、この『し』だけ、いつも右下が欠けとりました」

「じゃけえ、うちは、これがうちの字じゃと思うて、五十年生きてきました」

わたしは納屋へ走った。

脚立の上の箱を抱えて戻って、縁側に置いた。

隅に、一本だけ横に寝ている活字があった。

指で拾って、しづさんの紙の横に立てた。

紙の隅の「し」は、右下が欠けていた。

しづさんは、しばらく何も言わなかった。

それから、活字を掌に載せて、指の腹で腹のところを撫でた。

兄と同じ撫で方だった。

「兄さんは、どこに住んどられたんですか」

わたしが聞くと、しづさんは少し笑った。

「井戸のそばです」

「掘っとるあいだはそこにおって、水が出たら、次の町へ行く人でした」

そこは、ここにしてつかあさい。

五十年と四年前の、あの声が戻ってきた。

あの人には、書ける住所が、ひとつもなかったのだ。

だから連絡先は、湊瀬の、川沿いの、鉛の匂いのする一軒だった。

「一月の終わりに、うちは手紙を出しました」

「河内活版所方、富永周吉様、と書いて」

「二月に、返事が来ました」

薬缶の音が、耳の奥で鳴った。

もう、いらん。

紙が、もう、いらん。

探さんでも、ええようになった。

五十年、わたしはあの三文字を、自分に向けられたものだと思って抱えていた。

「兄は、三月に湊瀬で会おうと書いてよこしました」

しづさんは、湯呑みを両手で包んだ。

「会わせたい人がおるけえ、と」

わたしは、縁側の板の木目を見ていた。

名を呼ばれて、その先がなかった二月の戸口が、ようやく最後まで開いた。

しづさんは、暗くなる前に帰った。

紙は油紙に包まれて、また財布のいちばん奥に戻った。

欠けた一本は、わたしの掌に残った。

持って帰ってくださいと言ったのだが、しづさんは首を振った。

「それは、拾うた人のもんです」

門のところで一度だけ振り返って、その人は頭を下げた。

背の低い、肩の薄い後ろ姿だった。

あの大きな手の人と、どこも似ていなかった。

ただ、歩き出す前に一度、爪先を揃えた。

その晩、わたしは納屋に灯りをつけて、文選箱を膝に載せた。

升目には、まだ字が残っていた。

と、を拾った。

み、を拾った。

な、が、と続けて、し、ゅ、う、き、ち。

掌の上に並べると、思っていたよりずっと重かった。

字は、こげに重たいもんですか。

重たいです、と、今なら答えられる。

四年のあいだ、わたしはあの人の一行を毎月組みながら、あの人の名前だけを組まなかった。

頼まれなかったからではない。

いつでも組めると思っていたからだ。

わたしは六十九になって、はじめてあの人の名前を拾った。

味噌屋はとうに店を畳んだが、裏の井戸はまだ埋められずにある。

先日、蓋を少しずらして覗いてみた。

暗いなかで、水が動く音がした。

甘いかどうかは、わたしにはわからない。

ただ、六十年ぶんの土の底で、まだ動いていた。

親方の声が、鉛の匂いと一緒に戻ってくる。

減っとる字ほど、みんながようけ使うた字じゃ。

わたしの箱でいちばん減っているのは、右下の欠けた「し」の一本だった。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

最後まで読んでくださって、ありがとうございます

この話が少しでも心に残ったなら、それだけで書いた甲斐がありました。
当サイトは個人で運営しており、いただいたご支援はサーバー代やドメインの維持費に大切に使わせていただきます。

¥240 の一度きりのお支払いで応援いただけます。
お礼として、以後ずっと広告を非表示にいたします(継続課金はありません)。

くわしく見る →

メンバーなのに広告が表示される方

ブラウザを変えた・Cookieを削除した場合は、登録のメールアドレスを入力してください。