
あの人の名前を、わたしは一度も活字で拾わなかった。
四年のあいだ、毎月ひとつだけ、あの人の頼む一行を組んだ。
その一行のなかに、あの人自身の名は一字もなかった。
気づいたのは、六十九になった今年の春だ。
指のほうが先に覚えていて、頭が五十年遅れて追いついた。
※
湊瀬は、川がゆるく曲がって海に落ちるところにある町だった。
川沿いに味噌屋と船具屋と、河内活版所が並んでいた。
わたしは十八の春に、その活版所へ入った。
中学を出て二年、家の内職で指をいためて、それでも働き口を探していたところを、親方の河内儀助さんが拾ってくれた。
戸を開けると、鉛とインキの匂いがした。
鉄と、油と、雨に濡れた石を混ぜたような匂いだ。
その匂いは、六十九になった今も、指の股のあたりに残っている気がする。
文選工というのが、わたしの仕事だった。
原稿を左手に持って、棚の前を歩きながら、いる字を一本ずつ拾っていく。
棚は天井まで届く木の格子で、ひとつひとつの升目に同じ字が詰まっている。
よく使う字は腰の高さに、めったに使わない字は上のほうに置いてあった。
だから棚の並びは、五十音でも画数でもない。
この町の人がよく口にする言葉の順に、並んでいた。
親方は、湯呑みを持ったまま言った。
「活字は、使うたんびに減る」
「減っとる字ほど、みんながようけ使うた字じゃ」
わたしはその晩、棚の升目を端から覗いて回った。
いちばん減っていたのは「の」だった。
次が「た」で、その次が「い」だった。
「あ」も「り」も「が」も、腹のところが白く光るまで減っていた。
ありがたい、という言葉に、この町の人はよほど鉛を使ったのだと思う。
入って半月の朝、わたしは升目から「し」を一本、指からこぼした。
土間のその場所だけ、鉄板が張ってあった。
硬い音がして、拾い上げると、右下の角が欠けていた。
親方は覗きこんで、鼻で息をした。
「捨てえ」
捨てられなかった。
その一本を、わたしは自分の文選箱の隅に立てた。
誰にも言わなかった。
叱られたことを忘れないための罰のつもりだったのだと思う。
入って一年目の昼休みに、一度だけ、自分の名を拾ってみたことがある。
こ、も、り、ち、よ。
五本を掌に並べたところで、親方に見つかった。
「銭にならん字を拾うな」
叱る声ではなかった。
それでもわたしは、それきり自分の名を拾わなくなった。
文選工は、人の言葉を拾う者だと思っていた。
自分の言葉は、棚のどこにも入っていない。
※
富永周吉さんが初めて来たのは、昭和三十七年の二月だった。
戸の開き方で、よその土地の人だとわかった。
湊瀬の者は戸を横へ滑らせるが、その人は一度持ち上げるようにして開けた。
綿入れの上から半纏を着て、脛に脚絆を巻いていた。
手が、大きかった。
指の節が太くて、爪のあいだに赤茶けた土が入っていた。
「刷ってもらいたいもんが、あります」
差し出されたのは、煙草の包み紙を裏返して鉛筆で書いたものだった。
ひらがなばかりの一行。
――とみなが しづ あにの しゅうきち みなせ かわちかっぱんじょ かた
「名刺くらいの大きさで、五十枚ほど」
奥から出てきた親方が、紙を裏返して見た。
「尋ね人か」
「そうです」
それだけだった。
親方が、連絡先の欄を鉛筆の尻で叩いた。
「あんたの居所は、どこに入れる」
「そこは、ここにしてつかあさい」
親方は少し黙って、丸をつけた。
その人が自分の住所を言わなかったことを、わたしはそのとき、気にも留めなかった。
組みはじめて、すぐに手が止まった。
「し」がいる。
しづ、の「し」だ。
わたしは升目へ伸ばしかけた手を引いて、文選箱の隅に立ててあった一本を拾った。
理由は、今でもうまく言えない。
捨てろと言われたものを、どこかの誰かの名前にしてやりたかったのかもしれない。
刷り上がりを見ても、欠けはほとんどわからなかった。
顔を近づけて、やっと右下がわずかに丸いとわかる程度だった。
その日から四年のあいだ、わたしは「しづ」の「し」に、いつも同じ一本を使った。
※
周吉さんは、翌月も来た。
その次の月も、その次の月も来た。
毎月おなじ一行を、五十枚ずつ。
文面はいつも変わらなかった。
三度目に来たとき、わたしはやっと聞けた。
「お仕事は、何をされとるんですか」
「井戸を掘っとります」
その人は、掌を上に向けた。
皮が厚くて、線がほとんど見えなかった。
「掘っとると、土の匂いが変わります」
「粘土のあいだは湿った紙みたいな匂いで、砂利にあたると、急に冷たい匂いになります」
「そこまで来たら、水はもう近い」
わたしは、匂いで深さがわかる仕事があることを、その日初めて知った。
五度目か六度目のときだったと思う。
周吉さんは文選棚を見上げて、長いこと動かなかった。
「触っても、ええですか」
わたしは「し」の升目から一本つまんで、その大きな掌に載せた。
その人は指の腹で、活字の腹をゆっくり撫でた。
「字は、こげに重たいもんですか」
そして、落とした。
鉄板の上で、あの朝と同じ音がした。
周吉さんの顔から、みるみる色が引いた。
わたしは笑ってしまった。
「わたしも、落としました」
「入って半月で、親方に捨てえ言われました」
その人は拾い上げた活字を、両手で包むようにして返してよこした。
欠けてはいなかった。
「よかった」と、その人は言った。
それから少し笑って、指の土を前掛けで拭いた。
※
昭和三十八年の夏、隣の味噌屋の井戸が涸れた。
親方は帳場から顔を上げて、わたしに言った。
「あの尋ね人の男に、頼んでみい」
周吉さんは次の月に、道具を担いで来た。
釣瓶も滑車も、綱までひとりで背負っていた。
味噌屋の裏で、その人は五日かけて掘った。
わたしは昼になると、麦茶を持って行った。
井戸の口を覗くと、暗いなかに、その人の背中の一部だけが白く見えた。
声は、上から落ちる前に、下から昇ってきた。
「まだ紙の匂いですけえ、あと二日」
三日目に、匂いが変わったのだと思う。
桶で上げてくる土が、黒から灰色になった。
四日目の夕方、その人は綱を握ったまま、井戸のふちに額をつけて動かなくなった。
心配して覗くと、笑っていた。
「冷たい匂いがしました」
五日目の朝、水が出た。
味噌屋のおかみさんが桶で汲んで、まず周吉さんに飲ませた。
その人は一口飲んで、少し考えるような顔をした。
「湊瀬の水は、甘い」
わたしは、その言葉を持って帰って、その晩ずっと転がしていた。
※
冬になると、周吉さんの半纏は同じところが擦り切れていった。
右の肩だけ、毛羽が立っていた。
綱を担ぐからだと、あとで聞いた。
「毎月、遠いところから来られるんですね」
わたしがそう言うと、その人はしばらく黙ってから答えた。
「湊瀬は、ええ町です」
それ以上は言わなかった。
その人は、自分のことを何ひとつ話さなかった。
生まれた土地も、歳も、家族のことも。
ただ、わたしの手が字を拾うのを、いつまでも見ていた。
三年目のある日、親方が奥で笑った。
「ちよ、おまえ、あの男の来る日は仕事が早いのう」
わたしは前掛けの紐を結び直した。
それだけで、朝から立っていた腰の痛みが、どこかへ行った。
次に周吉さんが来る日を、わたしは暦に印をつけずに覚えていた。
覚えているという言い方も、ほんとうは違う。
忘れるということが、はじめから起きなかった。
※
昭和四十年の一月は、雪が川べりまで下りてきた。
棚の上の段が冷えて、活字が指に貼りついた。
その月、わたしは余計なことをした。
組み終えた一行の下に、もう一行、勝手に足したのだ。
――みつかりますように
ひらがなにした。
しづさんという人が、もし字を習っていなかったとしても、それなら読めると思った。
親方は校正刷りを見て、何も言わなかった。
ただ、煙草を一本、余分に喫った。
周吉さんは刷り上がりを手に取って、長いこと見ていた。
ストーブの上の薬缶が鳴っていた。
「これは、いらん」
わたしは前掛けで手を拭いて、すぐに組み直した。
足した一行を抜いて、もう一度五十枚刷った。
周吉さんは、刷り直したほうを受け取った。
そして、いらんと言ったほうの束も、黙って懐に入れて帰った。
わたしは戸が閉まってから、両手を火にかざした。
指先が、いつまでも冷たかった。
※
二月に、周吉さんは来た。
戸を持ち上げるようにして開けて、いつもの場所に立った。
けれど、紙を出さなかった。
「もう、いらん」
薬缶が鳴っていた。
わたしは、はい、としか言えなかった。
その人は台の上に、いくらか多い代金を置いた。
「ちよさん」
名を呼ばれたのは、四年目にして初めてだった。
その先が、なかった。
その人は戸を持ち上げて、閉めた。
三月、来なかった。
四月も、五月も来なかった。
六月に、船具屋のおかみさんが世間話のついでに言った。
山向こうの現場で、掘りかけの井戸の壁が落ちたと。
渡りの井戸掘りがひとり、そのまま戻らなかったと。
名前は、聞かなかった。
聞かないまま、わたしは台のふちを握っていた。
それから何年も、わたしはあの三文字を数え直して暮らした。
もう、いらん。
余計な一行を足した女は、もう、いらん。
そう言われたのだと思っていた。
河内活版所は昭和五十年代の終わりに閉じた。
親方の家が壊されるとき、わたしは文選箱をひとつだけ譲り受けた。
升目には、まだいくらか字が残っていた。
嫁いで、子を育てて、その子が家を出て、夫を見送った。
箱は納屋の棚の上で、ずっと埃をかぶっていた。
※
今年の四月、納屋を片づけていた。
脚立の上で、箱の埃を新聞紙で払っていたときに、表で人の気配がした。
背の低い女の人が、門のところに立っていた。
わたしより、いくつか上に見えた。
両手で、古い財布を胸に抱えていた。
「河内活版所におられた、小森さんですか」
湊瀬の言葉ではなかった。
「富永しづ、と申します」
脚立から下りる足が、途中で止まったのを覚えている。
※
その人は、縁側に腰を下ろした。
茶を出しても、なかなか手をつけなかった。
「九つのときに、母が具合を悪うして」
「兄とうちは、別々の家へ預けられました」
「うちを引き取ってくれた家は、ええ家でした」
「ただ、条件がひとつありました」
「兄と行き来せんこと」
しづさんは、湯呑みの縁を指でなぞった。
「兄は、一度も来ませんでした」
「二十年、恨みました」
「捨てられたと思うとりました」
「うちは、学校へは三年しか行っとりません」
「養家の奥さんが、夜に台所でひらがなだけ教えてくれました」
「漢字は、いまでも半分ようわかりません」
わたしは湯呑みを置いた。
あの雪の一月に、わたしがひらがなにした理由を、誰にも話していなかった。
読めるようにと思ったのだ。
ただ、それだけのことだった。
わたしは、あの大きな掌を思い出していた。
「昭和四十年の一月に」と、しづさんは言った。
「駅の待合の柱に、一枚の紙が貼ってありました」
「名刺くらいの、小さい紙です」
「うちの名が、書いてありました」
「探されとると知って、うちは、行ってええんじゃと思いました」
「探されとるんなら、うちから行っても、家の人に責められんけえ」
わたしは、そこでやっと息をした。
探すための紙ではなかったのだ。
妹が自分の足で来られるように、探されている形を、あの人は四年かけて作っていた。
※
しづさんは、財布のいちばん奥から、油紙に包んだものを出した。
名刺ほどの紙だった。
四隅が丸くなって、字は薄れかけていた。
――とみなが しづ あにの しゅうきち みなせ かわちかっぱんじょ かた
その下に、もう一行あった。
――みつかりますように
わたしは、縁側の板に手をついた。
「兄は、こげな言葉を知らん人でした」
しづさんは、紙を見たまま言った。
「じゃけえ、兄のそばに、誰かおってくれとると思いました」
「ひとりで探しとるんじゃないと思えて、それで、やっと手紙が書けました」
いらんと言われた束を、あの人は懐に入れて持って帰った。
そして、そちらを配って歩いていた。
「もうひとつ、うちにはわからんことがありました」
しづさんは、紙の上を爪の先で押さえた。
「うちの名の、この『し』です」
「駅の柱のも、押入れに隠しとったのも、この『し』だけ、いつも右下が欠けとりました」
「じゃけえ、うちは、これがうちの字じゃと思うて、五十年生きてきました」
わたしは納屋へ走った。
脚立の上の箱を抱えて戻って、縁側に置いた。
隅に、一本だけ横に寝ている活字があった。
指で拾って、しづさんの紙の横に立てた。
紙の隅の「し」は、右下が欠けていた。
※
しづさんは、しばらく何も言わなかった。
それから、活字を掌に載せて、指の腹で腹のところを撫でた。
兄と同じ撫で方だった。
「兄さんは、どこに住んどられたんですか」
わたしが聞くと、しづさんは少し笑った。
「井戸のそばです」
「掘っとるあいだはそこにおって、水が出たら、次の町へ行く人でした」
そこは、ここにしてつかあさい。
五十年と四年前の、あの声が戻ってきた。
あの人には、書ける住所が、ひとつもなかったのだ。
だから連絡先は、湊瀬の、川沿いの、鉛の匂いのする一軒だった。
「一月の終わりに、うちは手紙を出しました」
「河内活版所方、富永周吉様、と書いて」
「二月に、返事が来ました」
薬缶の音が、耳の奥で鳴った。
もう、いらん。
紙が、もう、いらん。
探さんでも、ええようになった。
五十年、わたしはあの三文字を、自分に向けられたものだと思って抱えていた。
「兄は、三月に湊瀬で会おうと書いてよこしました」
しづさんは、湯呑みを両手で包んだ。
「会わせたい人がおるけえ、と」
わたしは、縁側の板の木目を見ていた。
名を呼ばれて、その先がなかった二月の戸口が、ようやく最後まで開いた。
※
しづさんは、暗くなる前に帰った。
紙は油紙に包まれて、また財布のいちばん奥に戻った。
欠けた一本は、わたしの掌に残った。
持って帰ってくださいと言ったのだが、しづさんは首を振った。
「それは、拾うた人のもんです」
門のところで一度だけ振り返って、その人は頭を下げた。
背の低い、肩の薄い後ろ姿だった。
あの大きな手の人と、どこも似ていなかった。
ただ、歩き出す前に一度、爪先を揃えた。
※
その晩、わたしは納屋に灯りをつけて、文選箱を膝に載せた。
升目には、まだ字が残っていた。
と、を拾った。
み、を拾った。
な、が、と続けて、し、ゅ、う、き、ち。
掌の上に並べると、思っていたよりずっと重かった。
字は、こげに重たいもんですか。
重たいです、と、今なら答えられる。
四年のあいだ、わたしはあの人の一行を毎月組みながら、あの人の名前だけを組まなかった。
頼まれなかったからではない。
いつでも組めると思っていたからだ。
わたしは六十九になって、はじめてあの人の名前を拾った。
味噌屋はとうに店を畳んだが、裏の井戸はまだ埋められずにある。
先日、蓋を少しずらして覗いてみた。
暗いなかで、水が動く音がした。
甘いかどうかは、わたしにはわからない。
ただ、六十年ぶんの土の底で、まだ動いていた。
親方の声が、鉛の匂いと一緒に戻ってくる。
減っとる字ほど、みんながようけ使うた字じゃ。
わたしの箱でいちばん減っているのは、右下の欠けた「し」の一本だった。