北口の大時計の下で二時間待った
覆いが外された北口の大時計の下で、私は五年前の冬、二時間待った。来なかった恋人が送った「分かった」の三文字は、別の時計の下から届いていた。展示パネルの小さな注記…
覆いが外された北口の大時計の下で、私は五年前の冬、二時間待った。来なかった恋人が送った「分かった」の三文字は、別の時計の下から届いていた。展示パネルの小さな注記…
朝の読み合わせで、先輩はいつも目を閉じていた。声に出すだけの新人が知らなかった、47年目の最後の朝。紙を受け取った先輩の指が、ある一行の下で止まったとき、2年前…
教室の後ろの三センチのドアの向こうで、俺は三十一夜、先生の声だけを聞いていた。十五年後、閉校の資料展で出席簿の鉛筆の点を数えた日、欠席のはずの夜がすべて反転した…
卵焼きの形も、割烹着の匂いも、母は何も言わずに残していた。台所と道具と遅れて届いた言葉から、母の泣ける話を十四編ならべました。弁当や携帯、ボタン缶といった小さな…
母の煮物は、私が高校2年の春から急に濃くなった。しょっぱい、と何度も言った。母は笑うだけで、味つけを戻さない。22年後、手首を痛めた母の代わりに台所へ立った私は…
室井の補修跡は、いつも指二本ぶん左へ伸びていた。材料の無駄だと10年言い続けて、俺は一度も謝らないまま同期を見送った。一人で直した去年の穴は、春にぜんぶ左から割…
店の奥、水道の脇の白いバケツには、売り物にならないはね出しの花が挿してある。毎月14日、そこから一輪だけが消える。電話をかけてくるのは毎回ちがう人で、みんな22…
砥石はいつ行っても濡れていた。誰も褒めない場所で手を動かし続けた人たちの、仕事の泣ける話を十四編ならべました。職人、恩師、同じ職場にいた人、そして誰かの夜を静か…
能登の小さな町では、秋祭りの曳山の笛をふたりの子どもが半分ずつ吹く。九つで戻らなかった息子の座は、二十三年空いたままだった。町が気を遣っているのだと信じていた母…
土曜の三時、最前列の右端にいつも同じ子が座っていた。照明が落ちた数秒だけ、その子は声を出せた。三十年後、閉館の決まったプラネタリウムに現れた整備士が、肘掛けに残…
湯屋の富士は、女湯の裾だけが四十三年ずっと白いままだった。絵描きが仕事を放ったのだと、私はずっと思っていた。廃業を決めた最後の夜、大阪から来た兄弟子が差し出した…
踵のゴムを替えて――彼はそう言って明日と笑い、明日は来なかった。義肢装具士の私が二十八年抱えた泣ける話。告別式でひとことも言葉をくれなかった彼の母と、二十八年後…
炭鉱の閉山で置いていかれた子を二十二人預かった母は、実の娘の私だけをいつも最後にした。子どもたちの茶碗は欠けたまま並び、私の茶碗だけがどこも欠けていない。三十年…
昭和のオホーツク沿岸。漁業無線局の見習い通信士だった俺は、顔も知らないまま声だけで知り合った娘に、見栄の嘘ばかりついていた。流氷が好きだと言い合った三年半の終わ…
昭和三十四年の奥能登。電気の来ない集落の分校で、十九歳のわたしは毎晩ランプの火屋を磨いていた。ようやく電線が届いた夜、村中に灯りがともるのに、分校だけが暗いまま…