あいつは三回目のコールで出た

あいつは三回目のコールで出た

熊本の山鹿という町に、和紙と糊だけで作る灯籠があります。

木も、金具も、針金も使いません。

紙を細く切って、糊で貼り合わせて、金灯籠や神殿の形にしていきます。

中は空洞で、持ち上げると、思っているよりずっと軽いのです。

私の友人は、その灯籠師の家の長男でした。

高校で同じ組になって、そのまま二十年ほど付き合った男です。

出席番号が前後だっただけの縁でした。

一年の秋の文化祭で、うちの組は灯籠を作ることになりました。

言い出したのは担任で、あいつは最後まで嫌がっていました。

「家でやりよっとを、学校でまでやるとか」

そう言いながら、結局いちばん夜遅くまで残っていたのはあいつでした。

私は隣で、切った紙の端を揃える係をしていました。

あいつの手つきを、そのとき初めて近くで見たのです。

糊をつけた紙が、指の腹の下でぴたりと止まる。

浮かない。ずれない。

十六の男の手ではありませんでした。

三回目のコールで出る男

あいつに電話をかけると、必ず、三回目のコールで出ました。

一回目でも、四回目でもありません。

三回目です。

「なんか用か」

第一声も、たいてい同じでした。

「用がなきゃかけたらいかんのか」

「よか。かけろ」

それで、たわいのない話を三十分ほどして切ります。

話す中身は、毎回ほとんど同じでした。

現場でやらかした若い衆の話。

親父さんが最近また頑固になったという話。

町の食堂の、ちゃんぽんの味が変わったという話。

「あそこ、代替わりしたろ」

「したった。息子が継いだ」

「道理でな」

「お前のとこも継いだやろが」

「俺は味は変えとらん」

そういう、どうでもいい話です。

どうでもいい話を三十分できる相手は、二十年でこの一人だけでした。

月に一度か二度、そんな電話をしていました。

私は熊本市の建設会社で、現場の管理をしていました。

あいつは町に残って、親父さんの仕事を継いでいました。

あいつの作業場は、母屋の裏の、元は納屋だった建物でした。

床は板張りで、真ん中に大きな作業台がひとつ。

壁じゅうに、細く切った和紙が、幅ごとに束ねて掛けてあります。

入ると、糊の匂いがしました。

小麦粉を煮たような、甘いような、埃っぽいような匂いです。

私はあの匂いが好きでした。

行くと、あいつは必ず、手を止めてコーヒーを淹れてくれました。

紙を触る前に、頬に手を当てる

灯籠を作る人は、手を気にします。

手が湿っていると、和紙が波打つのだそうです。

脂が付けば、そこだけ色が変わります。

あいつは、紙を触る前に、必ず手のひらを一度、自分の頬に当てていました。

温度と乾き具合を、そうやって確かめるのだと言っていました。

「機械じゃわからんとか」

「湿度計は、部屋の湿度しか言わん」

「手の湿度は」

「自分で測るしかなか」

そう言って、頬に手を当てて、二秒ほど目を閉じます。

それから、紙を持ちます。

二十年、何百回も見た仕草でした。

あいつのコーヒーは、正直に言うと、うまくはありませんでした。

豆は町のスーパーで買った安いものです。

湯を注ぐのも、雑でした。

それでも、あの作業場で飲むと、不思議とちょうどよかったのです。

使うカップは、いつも決まっていました。

厚手の、白い、少しだけ口の欠けたマグカップです。

棚のいちばん手前に、伏せて置いてありました。

そのカップの出どころを、私は知っていました。

高校の文化祭のあと、うちの組の灯籠が三位になって、景品に食器の詰め合わせをもらったのです。

くじ引きで分けて、私に当たったのがそのマグカップでした。

白くて厚くて、いかにも安物でした。

私は持って帰るのが面倒で、あいつに押しつけたのです。

「いらん。お前が使え」

「よかとか」

「よか。重かもん」

それだけのやりとりでした。

二十年、あいつはそれを使い続けていたことになります。

入院の話

入院したという話は、あいつの姉さんから聞きました。

年賀状のやりとりだけはしていた人です。

「弟が、ちょっと入っとるとよ」

「え、いつからですか」

「先月から。でも、大したことなかけん」

それで、私は電話をかけました。

三回目のコールで、あいつは出ました。

「なんか用か」

「入っとるって聞いた」

「ああ。暇でしょんなか」

声は、いつもと変わりませんでした。

むしろ、よく笑いました。

「見舞い行こうか」

「よかて。すぐ出るけん」

「そうか」

「来られたら、こっちが気ば遣うが」

それで、私は行きませんでした。

そういう電話を、半年のあいだに七度か八度、しました。

そのたびに、あいつは元気でした。

そのたびに、私は行きませんでした。

いま思えば、あんなに笑う男ではありませんでした。

最後に話したのは、旅立つ二十日ほど前でした。

そのときも、三回目で出ました。

「なんか用か」

「用がなきゃかけたらいかんのか」

「よか。かけろ」

いつもの出だしです。

その日は、現場で足場の組み方を間違えた若い衆の話をしました。

あいつは、笑いすぎて咳き込みました。

「大丈夫か」

「唾が変なとこ入った」

「気ぃつけろ」

「お前が笑わすけんが」

切るときに、あいつが一度だけ、こう言いました。

「また、かけろ」

私は、また、と答えました。

それが最後になるとは、思っていませんでした。

棺の中の顔

連絡が来たのは、二月の夜でした。

電話は、姉さんからでした。

私は現場の詰所にいて、寒暖計が三度を指していたのを覚えています。

通夜は、あの母屋でやりました。

庭に白いテントが張られて、近所の人が長靴のまま出入りしていました。

棺の中のあいつは、小さくなっていました。

頬がこけて、顎の形が変わっていました。

それでも、私には実感が湧かなかったのです。

半年前に電話で笑っていた声のほうが、よほど本物に思えました。

手を合わせて、頭を下げて、それだけでした。

涙は、出ませんでした。

親父さんは、椅子に座ったまま、ずっと庭のほうを見ていました。

手が震えて、もう紙は切れないと聞いていました。

近所のおばさんたちが、台所で煮しめを作っていました。

誰かが「よか灯籠ば作りよったとに」と言い、誰かが「まだ早かった」と言いました。

私は、テントの端でそれを聞いていました。

焼香の列が途切れたころ、親父さんが私に気づいて、少しだけ頭を動かしました。

言葉はありませんでした。

私も、何も言えませんでした。

そのことが、しばらく自分の中で引っかかっていました。

二十年の友人が旅立って、泣けないというのは、どういうことだろうと。

薄情なのだろうかと、何度も考えました。

通夜の帰り道、私は車を路肩に停めて、しばらく動けませんでした。

泣けないことが、後ろめたかったのです。

二十年の友達が旅立った晩に、腹が減っている自分が、いやでした。

コンビニでおにぎりを買って、車の中で食べました。

味は、まったくしませんでした。

いま思えば、あのときの私は、まだ何ひとつ受け取っていなかったのです。

受け取っていないものは、返しようがありません。

だから涙も出なかったのだと、あとになって思うようになりました。

遺品整理の日

四十九日が過ぎて、姉さんから電話がありました。

作業場を片づけるのを手伝ってほしい、ということでした。

親父さんはもう手が動かず、姉さんは福岡で所帯を持っています。

紙の束を捨てるのか残すのか、判断がつかないのだそうです。

私は、休みをもらって行きました。

作業場の戸を開けると、まだ糊の匂いがしました。

板の間に、うっすらと埃が積もっていました。

作業台の上だけ、埃の積もり方が違っていました。

誰かが最近まで、そこに手を置いていたような跡です。

姉さんが、小さく息を吐きました。

「お父さん、たまに来とらすとよ」

「親父さんが」

「座っとるだけ。何もせんで」

私は、その埃の跡から、しばらく目を離せませんでした。

半年以上、誰も入っていないはずなのに、匂いだけは残っていました。

壁の紙を下ろして、幅ごとに紐でくくりました。

作業台の引き出しから、竹のへらと、糊を溶く小さな鍋が出てきました。

「これ、どうすっと」

「取っときましょう」

「あんた、使えんでしょうが」

「使えんですけど」

姉さんは笑って、それを段ボールに入れました。

棚の下から、若い人の名前が書かれた封筒が出てきました。

弟子入りを願う手紙でした。

福岡の大学生からで、日付は去年の夏です。

返事の下書きも、いっしょに入っていました。

断りの手紙でした。

体のことは、一行も書いてありません。

ただ、いまは人を取れる時期ではない、とだけ書いてありました。

「これ、出しとらんとですね」

「出しとらん。切手も貼っとらんが」

姉さんは、その封筒を長いこと見ていました。

「断るとも、しんどかったとやろね」

棚の整理に移ったのは、昼過ぎでした。

いちばん手前に、あのマグカップが伏せてありました。

私はそれを、何気なく手に取りました。

カップの内側に、茶色い輪が一本、うっすらと残っていました。

洗っても落ちなかった、水位の跡です。

いつも、同じ高さまで注いでいたのだとわかりました。

そのとたんでした。

元気になって、また会えると信じていたのに。

その一文が、涙といっしょに、胸から溢れてきたのです。

私は、姉さんがいるのも構わず、声を上げて泣きました。

板の間に膝をついて、カップを両手で持ったまま泣きました。

あんなふうに泣いたのは、大人になってから初めてでした。

姉さんが言ったこと

ひとしきり泣いたあと、姉さんが茶を淹れてくれました。

茶碗を置きながら、姉さんが言いました。

「お見舞いに来られると、あの子、いつも無理して何か食べよったとですよ」

「え」

「食べて、あとで全部吐いとった」

私は、茶碗に伸ばしかけた手を止めました。

「元気に見せんといかんと思うとったとでしょうね」

「……」

「あなたが来んでくれて、あの子、助かっとったと思います」

「そんな」

「気遣うてもろうて、ありがとうございました」

姉さんは、そう言って頭を下げました。

私は、下げられた頭を見ていることができませんでした。

ありがとうと言われる筋合いが、私にはありませんでした。

私はただ、行かなかっただけです。

忙しかったからでも、遠かったからでもありません。

あいつがいいと言うから、その言葉に乗ったのです。

楽なほうを選んだ、という自覚が、どこかにありました。

それを、気遣いと呼ばれてしまった。

「そんなふうに言うてもらうような、たいそうなもんじゃなかとです」

「そうですか」

「はい」

「でも、あの子はそう思うとらんかったですよ」

姉さんは、それ以上は言いませんでした。

三回目の意味

その日の帰りぎわに、姉さんがもうひとつ、話してくれたことがあります。

病室で、あいつは携帯電話を枕元に置いていました。

音は、いちばん小さくしてあったそうです。

それでも、鳴ると必ず自分で取りました。

看護師さんが代わりに取ろうとすると、手で止めたといいます。

「一回目で取ったら、寝とったのがばれるって」

「寝とった」

「起き上がって、息ば整えて、それから出よったとです」

「息を」

「そのくらい、かかっとったとですよ。三回鳴るくらい」

「いつからですか」

「さあ。看護婦さんが気づいたとが、去年の秋」

「秋」

「でも、あの子のことやけん。もっと前からやろね」

私は、その場に立ったまま、動けませんでした。

三回目で出ていたのは、息を整えるのに、それだけ要ったからでした。

高校のころからそうだったと、私は思い込んでいたのです。

そんなはずはありません。

いつからだったのか、私は数えることができませんでした。

そして、もうひとつ、わかったことがありました。

あいつは、姉さんに口止めをしていたそうです。

入院のことを、私にはできるだけ言うな、と。

言ったとしても、大したことないと言え、と。

もし見舞いに来ると言ったら、断れ、と。

私は見舞いを控えたのではなく、控えさせられていたのでした。

やさしさというのは、時々、こういう形をしています。

受け取ったほうは、あとになるまで、それが何だったのかわかりません。

作りかけの灯籠

作業場の梁に、細長い紙が一本、挟んでありました。

下絵でした。

神殿造りの灯籠の、屋根の部分の図です。

隅に、鉛筆で日付と、寸法が書いてありました。

日付は、あいつが入院する三週間前のものでした。

その下に、小さく一行、書き足してありました。

「二つ、同じ寸法で」

姉さんに聞いても、心当たりはないと言いました。

私は、心当たりがありました。

高校三年の夏に、二人で灯籠まつりの手伝いに駆り出されたことがあるのです。

担ぐ役ではなく、灯籠を運ぶだけの役でした。

それでも、二人で一つずつ持って歩いた道の暑さを、私はよく覚えています。

あのとき、あいつが言いました。

「いつか、俺が作ったやつば、お前と二つ持つ」

私は、笑って聞き流しました。

二十年、忘れていました。

あいつは、忘れていなかったのです。

その年の八月、私は灯籠まつりに行きました。

あいつが生きているあいだ、一度も見に行かなかった祭りです。

千人の踊り手が、頭に金灯籠を載せて、輪になって回ります。

灯籠の中には、小さな灯りが入っています。

紙と糊だけでできたものが、あんなに明るくなるとは思いませんでした。

輪が回るたびに、光の粒が波のように動きます。

私は、人垣のいちばん後ろで、それを最後まで見ていました。

あの中のどれかは、あいつが作ったものかもしれません。

確かめる方法は、ありませんでした。

灯籠には、作った人の名前が入らないのだそうです。

寂しい思いを、させたかもしれない

あの半年、私が一度も病室に行かなかったことを、いまでも考えます。

寂しい思いを、させたかもしれません。

行けばよかった、と思う日もあります。

けれど、姉さんの話を聞いてしまった以上、私はもう、そう単純には思えないのです。

行けば、あいつは食べたでしょう。

食べて、私が帰ったあとで吐いたでしょう。

そして、次の日もまた、元気なふりをしたでしょう。

私が行かなかったぶんだけ、あいつは楽に息をしていられた。

そう思うことにしています。

これで良かったのかもしれない、と、自分に言い聞かせながら、あの日、棺を見送りました。

友人との別れかたを、あとから幾度も考え直すという点では、黄楊の王将という話に、近いものを感じています。

作りかけのまま残されたものについては、幼馴染に彫った最後の舟のほうが、もっと静かに書かれているかもしれません。

いまも、三回鳴らしてから切る

あのマグカップは、姉さんが私にくれました。

いま、私の家の食器棚の、いちばん手前に伏せてあります。

妻は、口の欠けたカップを捨てないことを、少し不思議がっています。

説明したことは、ありません。

コーヒーは、あいかわらずうまく淹れられません。

豆はスーパーの安いものです。

湯の注ぎ方も、雑です。

ひとつだけ、癖がつきました。

誰かに電話をかけるとき、二回で切れなくなったのです。

相手が出なくても、三回目が鳴り終わるまでは待ちます。

四回目を聞いてから、静かに切ります。

あの三回のあいだに、誰かが起き上がって、息を整えているかもしれない。

そう思うと、どうしても、切れません。

紙を触る前に、手のひらを頬に当てる仕草だけは、まだ真似ができずにいます。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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