帳面は一寸左に寄っていた

霧の川辺に佇む染め工房

私は二十三年のあいだ、兄弟子の帳面を盗み見たことを黙っていた。

黙っていた理由を、いまでも上手く言えない。

ただ、帳面を棚に戻したときの、指先の乾いた感じだけは覚えている。

紙は、思っていたよりずっと冷たかった。

吉野川の中ほどに、藍寝床と紺屋ばかりが並んだ町がある。

夏の終わりに藍の葉を刈って、寝床で百日ほど寝かせ、蒅にする。

その蒅を甕に建てて、糸や布を染める。

私の家は、その蒅をこしらえる藍師だった。

朝も夜も、寝床の土間からは湯気のような熱が立っていて、家じゅうが饐えた草の匂いをしていた。

その匂いを、私は長いこと恥ずかしいと思っていた。

学校で、髪から匂うと言われたことがあったからだ。

昭和四十六年の春に、その匂いが家から消えた。

化学の藍が安く出回って、蒅の注文が途切れた。

寝床の土間は、ひと冬で冷たくなった。

熱のない土間というのは、あんなに広く見えるものかと思った。

父は、私を連れて川上へ歩いた。

三月の川霧が、膝のあたりまで白かった。

杉戸という紺屋の土間で、父は膝をついた。

「娘に、藍を触らせてやってつかあさい」

親方は、七十をいくつか過ぎていた。

私の手を取って、爪の際をしばらく見ていた。

「寝床の子か」

そう言って、父ではなく私に聞いた。

「藍は、返事をせんぞ。それでもええか」

意味が分からないまま、はい、と答えた。

甕場は、土間を掘り下げて四つの甕を埋めてあった。

灰汁の匂いが、鼻の奥を刺した。

その奥に、背の高い男が立っていた。

槇本すすむという、二十四の内弟子だった。

私を見ても会釈ひとつせず、櫂棒を動かしていた。

「女子は無理じゃ」

はじめて聞いたその人の声が、それだった。

親方は笑って、湯呑みを置いた。

「無理かどうかは、藍が決める」

私は十九だった。

甕場の仕事は、覚えることばかりだった。

木灰に湯を注いで灰汁を取る。

石灰を打つ。

ふすまを入れる。

甕のまわりの炭を継いで、朝までの温みを守る。

どれも、教わるというより盗んで覚えた。

槇本さんは何も教えなかった。

ただ、私が甕に手を入れようとすると、櫂棒の先で手首を軽く叩いた。

爪を切れ、という意味だと分かるまでに、ひと月かかった。

親方は毎晩、帳面をつけた。

その日の外の冷え、甕の温み、灰汁の効き、華の立ち具合。

一行か二行の、そっけない字だった。

華というのは、うまく建った甕の面に寄る、紫がかった泡のことだ。

機嫌のいい朝は、面いっぱいに寄って、ひと張りの布のように見える。

機嫌の悪い朝は、ただの濁った水に戻っている。

「藍は返事をせん」

親方はよくそう言った。

「翌朝の華で答える」

私はその泡を見るのが、だんだん好きになった。

好きだと言ったことは、一度もない。

昭和四十八年の冬に、私は甕をひとつ寝かせた。

夜番の晩、炭を継ぐのを一度だけ飛ばした。

眠かった、というだけの理由だった。

朝、面には何も浮いていなかった。

水が、ただ黒く平らだった。

親方が甕場に下りてくる音がして、私は柱の陰で息を止めた。

「炭を継ぎ忘れた」

先に言ったのは、槇本さんだった。

親方はしばらく甕を覗いて、それから短く鼻を鳴らした。

「二人分の飯を食うとるくせに、頭は一人分か」

叱られたのは槇本さんで、私は柱の陰から出られなかった。

その甕が戻るのに、ふた月かかった。

戻すあいだ、槇本さんは甕のそばに藁を敷いて寝た。

夜中に目が覚めるたび、櫂の音がしていた。

とろり、とろり、と、川の底を掻くような音だった。

私は一度も、ありがとうと言わなかった。

言えば、あの人が黙って引き受けたことを、なかったことにしてしまう気がした。

槇本さんの生まれた家のことは、一度しか聞いたことがない。

もっと山寄りの、鉄砲水の出る村だという。

十五で藍寝床に奉公に出されて、そこから杉戸へ移された。

「帰る家はあるんですか」

「ない」

「ないって、そんな」

「藍の匂いのせん家は、家じゃない」

そう言って、あの人は櫂棒を担いで甕場を出て行った。

聞いてはいけないことを聞いたのだと、後になって思った。

色が読めるようになったのは、入って五年目の夏だった。

藍の濃さは、目では分からない。

甕の中は、どれも同じ黒に見える。

上げた糸を手の甲に当てて、湿りと冷えで測る。

冷たすぎれば薄い。

ぬるければ、もう染まらない。

その日、私は糸を手の甲に当てて、いつもより早く引き上げた。

理由はなかった。

ただ、いま上げないと薄くなると、手の甲のほうが先に言った。

乾かした糸を見て、親方が眉を動かした。

「もう一遍、当ててみい」

私はもう一度、別の糸を当てて、同じところで引き上げた。

親方は何も言わずに、土間の隅で煙草を巻いた。

帰りぎわに、ひと言だけ言った。

「寝床の子は、手の甲がええな」

その晩、槇本さんは帳面に一行だけ書き足していた。

翌朝、私はこっそり見た。

「ふさ、色を読む」

帳面に名前を書かれたのは、それがはじめてだった。

その一行を、私は五十年おぼえている。

昭和五十二年の秋に、親方は筆を置いた。

帳面の最後の行は「今日、華、よし」だった。

その二月あと、座敷で眠るようにして、向こうへ行ってしまった。

葬りの日、槇本さんは甕場を離れなかった。

炭を継ぐ者がおらんようになる、とだけ言った。

線香の匂いのする作務衣で、あの人は一晩じゅう櫂を入れていた。

帳面は、その日から槇本さんが継いだ。

あの人は帰るとき、必ず棚の同じところに帳面を置いた。

年月のうちに、棚板の埃には、帳面の四角い跡がついた。

私はその跡を、毎朝ぼんやり眺めていた。

甕場に人が二人しかいないことの、しるしのように思っていた。

町の者は、私たちを藍の夫婦と呼んだ。

言われるたび、槇本さんは何も言わずに櫂棒を持ち直した。

私は私で、笑いもしなかった。

祝言の話は、二十三年、一度も出なかった。

失敗もした。

昭和五十四年の夏、宮の祭りの幟を染め損なった。

灰汁が強すぎて、藍が紫に寄った。

上げた布を見て、私は手が冷たくなった。

槇本さんは、その紫がかった青を長いこと見てから、担いで宮まで持って行った。

戻ってきて、こう言った。

「宮司さんが、これは夜明けの色じゃと言うた」

「ほんまですか」

「うそを言うてどうする」

その幟は、いまでも祭りのたびに立つ。

町の年寄りは、あれが杉戸の藍じゃと言う。

失敗した色を、二十年かけて名前のある色にしてしまった。

そういう仕事だった。

化学の藍は、年ごとに強くなった。

染めの注文は減って、納めに行く先も遠くなった。

月に何度か、二人で乗り合いバスに乗って、川下の問屋まで反物を担いだ。

朝いちばんの便は、霧の中を走る。

窓が白くなって、外が見えない。

槇本さんは、いつも通路をはさんだ席に座った。

隣に座ろうとしたことは、ついに一度もなかった。

私が握り飯を差し出すと、片手で受け取って、前を向いたまま食べた。

塩がききすぎとる、と言われたことが一度ある。

その次から、私は塩を減らした。

減らしたことには、何も言われなかった。

そういう返事の仕方をする人だった。

平成元年の秋に、私はひと月ほど甕場を空けた。

川向こうの実家で、母が寝ついたからだ。

寝床の土間は、もうとうに物置になっていた。

母は天井を見ながら、ふさ、藍の匂いがする、と言った。

匂うのは私の手だった。

爪の際の藍は、どれだけ洗っても落ちない。

「恥ずかしい言うて、泣きよったのにな」

母は笑って、それから眠った。

ひと月のあいだ、私は甕のことを考えないようにしていた。

考えると、帰りたくなるからだった。

母の具合が落ち着いた朝、私は橋を渡って甕場へ戻った。

戸を引いた瞬間に、灰汁の匂いが胸まで来た。

四つの甕に、いっせいに華が立っていた。

面が、ひと張りの紫の布のようだった。

あんな朝は、後にも先にもあれきりだ。

「よう建っとりますね」

私が言うと、槇本さんは櫂棒を洗いながら答えた。

「藍が待っとった」

それだけだった。

私は、その言葉を素直に受け取った。

受け取ってしまった。

帳面を見たのは、それから二年後の秋だった。

平成三年の、よく晴れた日だ。

槇本さんは反物を納めに、朝の便で川下へ出ていた。

私は棚から帳面を取ろうとして、その下にもう一冊あるのに気づいた。

表紙の取れた、糸の緩んだ古い帳面だった。

親方の物かと思って、めくった。

槇本さんの字だった。

甕の見取り図が、何枚も描いてあった。

九つ。

うちは四つだ。

甕の深さと、口の径と、灰汁の升目が、几帳面に書き込んであった。

ページの隅には、乗り合いバスの時刻が写してあった。

上りではない。

川下へ下る、朝の便だった。

月に二度ほど、同じ時刻が、五年分。

私は土間に座り込んだ。

川下の染工場のことは、噂で聞いていた。

化学の藍で当てた会社が、天然の藍の甕を九つ埋めたという。

腕のいい職人を探しているとも聞いた。

賃金は、この町の紺屋の三倍だとも。

五年。

五年のあいだ、あの人は月に二度、霧の中を下っていた。

私が握り飯を渡していた、あの便で。

最後のページで、私の指が止まった。

平成元年の秋の日付のところに、バスの時刻が書いてあって、その上に線が引いてあった。

そこから先は白紙だった。

平成元年の秋。

私が、母のところにいたひと月だ。

帰ってきた朝に、四つの甕へいっせいに華が立った、あの秋だ。

つまり、こういうことだと思った。

あの人は出て行くつもりだった。

私がひと月いなくなって、甕場に一人になって、そこでようやく分かったのだ。

女ひとりに四つの甕は守れない。

自分が抜ければ、この甕場は終わる。

だから諦めた。

私が、この人の足を縛ったのだ。

土間の冷たさが、膝から背中まで上ってきた。

私は帳面を閉じて、棚に戻した。

戻すとき、手が言うことをきかなかった。

埃についた四角い跡から、一寸ばかり左に寄って、帳面は止まった。

直そうとして、指が止まった。

直せば、触ったことになる。

そう思って、私はそのままにした。

見なかったことにする、というのは、そういう小さな臆病の積み重ねだ。

その月の半ばの朝、私はいつもより早く起きて、橋のたもとのバス停まで歩いた。

霧が濃くて、対岸の灯が滲んでいた。

川下へ下る便が、時刻どおりに来た。

扉が開いて、誰も乗らずに、また閉まった。

排気の白いのが、霧に溶けていった。

歩いて戻る途中で、気づいた。

問屋へ納めに行く便と、下る便は同じだった。

あの人は、私に嘘をついたことが一度もない。

行き先を言わなかっただけだ。

五年のあいだ、嘘をつかずに黙り通したのだ。

嘘をつくよりも、そのほうがずっと骨が折れるだろうと思った。

甕場の戸を引くと、灰汁の匂いがした。

いつもと同じ匂いだった。

同じであることが、その朝はいちばんこたえた。

その日から、半年ほど、私は染められなくなった。

藍の色は、目でなく手の甲で見る。

甕から上げた糸を手の甲に当てて、湿りと冷えで濃さを測る。

その手が、震えるようになった。

震えると、色が読めない。

読めない者が甕に手を入れれば、藍が寝る。

私は水仕事と炭番ばかりして、甕から離れた。

槇本さんは、理由を聞かなかった。

ただ、朝いちばんに私の分の炭を割っておくようになった。

割った炭が、いつも少しだけ細かった。

火の付きやすい太さだった。

私は、それに気づかないふりをした。

気づいたと言えば、こちらの臆病がばれる気がした。

甕を分けましょう、と言ったのは、平成六年の春だ。

私は四十二、槇本さんは四十七になっていた。

「注文が減っとります」

「そうじゃな」

「二人ぶんの仕事が、もうありません」

「そうじゃな」

「川向こうの土間が空いとります。あそこに、甕を建てたらええ」

槇本さんは、櫂棒を洗う手を止めた。

洗い場の水音だけが、しばらく続いた。

「ええんか」

聞かれたのは、それだけだった。

私は、はい、と答えた。

理由は、いくつも用意していた。

のれん分けだ、独り立ちだ、二軒あれば注文も分けられる。

用意した理由を、私は一つも言わなかった。

言えば、嘘が音を立てる気がした。

一札を書いたのは、その晩だった。

暇乞いと、のれん分けの証文を、半紙に二枚。

先に筆を持ったのは私だった。

名を書こうとして、手が動かなくなった。

爪を切れと櫂棒で手首を叩かれた、三月の土間が見えた。

寝かせた甕のそばで藁を敷いて寝ていた、冬の背中が見えた。

紫に寄った幟を担いで、宮まで歩いて行った夏の後ろ姿が見えた。

親方の帳面の最後の一行が見えた。

霧の中のバスで、通路をはさんで前を向いて握り飯を食べていた横顔が見えた。

一度も隣に座らなかったこと。

一度も、ありがとうと言わなかったこと。

二十三年ぶんの朝が、順番に来た。

私の名の、最後の一画で墨が滲んだ。

槇本さんが筆を受け取って、名を書いた。

あの人の名も、同じところで滲んだ。

二枚の紙の、同じ高さに、二つの染みができた。

「よう滲むのう」

「紙が悪いんです」

「そうじゃな」

そう言って、あの人は洟をすすった。

その晩、片づけが済んでから、槇本さんが土間に座り直した。

「一つ、言うとかないけん」

私は、湯を沸かす手を止めた。

「わしは、ここを出るつもりでおった」

「……」

「川下の工場じゃ。甕が九つある。五年、算段しよった」

湯の沸く音が、やけに大きく聞こえた。

私は、湯呑みを二つ並べた。

並べてから、言った。

「知っとりました」

槇本さんは、驚かなかった。

顔も上げずに、こう言った。

「知っとる」

「え」

「あんたが知っとることを、わしは知っとった」

指先の乾いた感じが、二十三年ぶりに戻ってきた。

「棚の埃に、帳面の跡がついとるじゃろう」

「はい」

「あの秋から、帳面が一寸ばかり左に寄っとった」

私は、何も言えなかった。

「あの日から、わしは毎晩、一寸左に置いて帰るようにした」

「……なんで」

「気づいとるよ、と言うかわりじゃ」

私が直さなかったのではなかった。

あの人が毎晩、そこへ置いていた。

二十三年、毎晩だ。

私は帳面の跡を、ただの埃の跡だと思って眺めていた。

毎朝あの跡を見ながら、この人は黙っているのだと思っていた。

黙っていたのではない。

一寸ずつ、返事をしていたのだ。

「わしが諦めたのは、あんたのせいじゃない」

槇本さんは、湯呑みを両手で包んだ。

「あんたが母親のとこへ行っとった、あのひと月な」

「はい」

「わしは、夜通し櫂を入れとった」

「四つ、ぜんぶをですか」

「四つぜんぶじゃ」

「そんなん、体がもちません」

「もたんかった。三日目に、指が言うことをきかんようになった」

私は、自分の手を見た。

震えて色が読めなくなった、あの半年の手だ。

「それで、決めた」

「なにを」

「九つは、要らん」

あの人は、湯呑みの中を見ていた。

「四つ守るのに、二人おらんと足らん。九つ守るには、九つぶんの誰かが要る。……わしは、あんたと四つでええ」

言い終わってから、少し慌てたように付け足した。

「藍の話じゃ」

「はい」

「藍の話じゃけんな」

「はい」

私は、それ以上聞かなかった。

聞けば、あの人が二十三年かけて選んだ言い方を、こちらから壊してしまう。

「なんで、いまごろ言うんですか」

「けじめじゃ」

あの人は立ち上がって、櫂棒を布で拭いた。

「分けるんじゃけん、荷物も分ける。持って行くもんと、置いて行くもんがある」

「これは、どっちです」

「置いて行くほうじゃ」

翌る春、川向こうの土間に甕が三つ埋まった。

看板は、二軒になった。

あの人は毎朝、橋を渡ってくる。

自分の甕に櫂を入れてから、こちらの甕にも入れて帰る。

私も、月のうち何度かは橋を渡って、向こうの炭を継ぐ。

分けたのに、前より顔を合わせている。

町の者は、あれは何じゃろうかと言う。

私にも、うまく言えない。

甕から上げたばかりの布は、緑をしている。

藍色だと思っている人が多いけれど、違う。

上げたその瞬間は、青みがかった、頼りない緑だ。

それを空に晒す。

風に振ると、目の前で、みるみる青に変わっていく。

外に出して、はじめて色になる。

二十三年、私たちは甕の中にいたのだと思う。

濃いか薄いかも分からずに、ただ温みを守っていた。

一度上げて、風に当てて、ようやく色が出た。

今朝も、棚の帳面は一寸左に寄っている。

私は直さない。

向こうの土間の棚にも、同じように寄せて置いてあるのを、私は知っている。

去年の暮れ、こちらから何も言わずに、私も一寸ずらして置いてみた。

次の朝、向こうの帳面も、一寸こちらへ寄っていた。

藍は返事をしない。

けれど翌朝の華で、ちゃんと答える。

七十四になった私の爪の際は、いまも青い。

洗っても落ちない。

落ちなくてもいい色だと思えるまでに、五十年かかった。

来月、あの人と二人で、宮の幟を染め替える。

紫に寄らんようにな、と言われた。

あれは夜明けの色じゃと、宮司さんが言うたんでしょう。

そう返したら、あの人は前を向いたまま、少しだけ笑った。

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