島で一通だけ配れない手紙

夕暮れの時計台と海を望む桟橋

「宛名は、見つけたら書いてね」

そう言われた日から、五十年が経った。

私は加祢島の郵便配達員だった。

瀬戸内の、地図の上では点にしか見えない島だ。

一周は歩いて三時間、家は六十四軒。

斜面はぜんぶ蜜柑で、風の強い日は葉の裏が白く返り、島全体が銀色に鳴った。

昭和四十九年の春、私は二十歳でこの島へ渡った。

本土の局に三年勤めたあと、島の配達に欠員が出たのだという。

誰も行きたがらん、と課長は正直に言った。

行きます、と私は答えた。

理由は今でもうまく言えない。

ただ、坂の多い土地で、足を使う仕事がしたかった。

島の郵便局は、桟橋から七十歩の平屋だった。

局長の是枝さんは片目が濁っていて、判を押すときはいつも、紙に鼻がつきそうなほど顔を近づけた。

「宮浦くん。ここは配るもんが少ない」

「はい」

「そのぶん、一通が重い」

その意味は、その日には分からなかった。

タネさんを見たのは、島へ渡って三日目の夕方だ。

桟橋の付け根に、小柄な人が立っていた。

白髪をきつく引っ詰め、洗いざらしの木綿を着て、背筋だけが妙にまっすぐだった。

その人は、防波堤に据えられた古い柱時計と、桟橋の板に打ちつけられた船の時刻表を、代わる代わる見ていた。

見比べる、というより、確かめていた。

何度も。

私は自転車を押しながら、その横を通った。

会釈をすると、腰から深く返された。

局に戻って、是枝さんに聞いた。

「桟橋におられる、お年寄りの方は」

「沖田のタネさんじゃ」

「毎日ですか」

「毎日じゃ」

局長は判を持ったまま、少し黙った。

「待っとられるんよ」

「誰を」

「それを、島の者は誰も知らん」

雑貨屋のフサさんは、もう少し具体的に教えてくれた。

飴の瓶の蓋を回しながら、声を落とした。

「戦の時分にね、本土へ働きに出た人がおるんよ」

「タネさんの、身内ですか」

「許婚じゃったと言う人もおるし、弟じゃったと言う人もおる」

「どっちなんです」

「どっちも、本人の口からは聞いたことがない」

フサさんは飴を三つ、私の手のひらに載せた。

「あんた、桟橋を通るじゃろ。持って行っちゃり」

「私がですか」

「あの人はね、島の子には飴を配るんよ。自分の分は、いっつも無いんじゃ」

私はその飴を、結局その日のうちに自分で舐めてしまった。

若かったのだと思う。

飴を渡す機会は、その後いくらでもあった。

夕方、学校が引けると、島の子は桟橋を横切って坂を上がる。

タネさんは、その子らを一人ずつ呼び止めた。

木綿の帯の間から、紙にひねった飴を出す。

一人に一つ。

順番も律儀に決まっていて、先に手を出した子には後回しにした。

子どもは口を尖らせ、それでも必ずまた明日来る。

私はその光景を、鞄を提げたまま眺めていた。

飴の紙は、いつも同じ雑貨屋の紙だった。

フサさんの店で、タネさんは飴だけを買っていたのだと、あとで知った。

配達の順路は、桟橋の前を必ず通る。

朝の便と、夕の便。

私は日に二度、タネさんの横を通ることになった。

最初のひと月は、会釈だけだった。

ふた月目に、向こうから声をかけられた。

「あんた、大きな弁当箱を提げとるね」

配達鞄のことだった。

「手紙が入っとります」

「そんなに」

「島じゅうの分ですけん」

「ようけ入るんじゃね」

タネさんが笑うと、目尻の皺が三本に増えた。

歯が二本足りなかったが、笑い方だけは娘のようだった。

「今日は、何時の船ね」

「四時二十分です」

「そう」

そう言って、また時計を見た。

やがて船が入った。

汽笛が短く鳴り、ディーゼルの匂いが桟橋いっぱいに広がった。

タラップが下りて、本土からの客が三人、荷物を抱えて降りてきた。

私はタネさんを見た。

タネさんは、時計から目を離しただけだった。

タラップの方へは、一歩も歩かなかった。

私は島の配達を覚えるのに、半年かかった。

表札の無い家が十七軒あった。

同じ姓が三十軒あった。

沖田が九軒、宮地が八軒、その他が加祢島のあちこちに散っていた。

夏に一度、大きな誤配をやった。

本土の病院からの封書を、隣の家に入れてしまった。

半日走り回って謝って、日が暮れてから桟橋の前を通った。

タネさんが、まだ立っていた。

「宮浦さん。今日は遅いね」

「しくじりました」

「ふうん」

「手紙を、違う家に入れてしもうて」

タネさんは、しばらく波を見ていた。

「戻ってきたんじゃろ」

「はい」

「なら、ええじゃない」

私は情けなくて、鞄の紐を握っていた。

「宮浦さん。手紙はね、いつか着けばええんよ」

その言葉を、私はずいぶん軽く聞いた。

軽く聞いたまま、五十年しまい込むことになった。

雨の日も、風の日も、タネさんはいた。

九月の終わり、台風が近づいた日のことを、私はよく覚えている。

船は昼で欠航になった。

それでもタネさんは、桟橋の付け根に立っていた。

風で木綿の袖が旗のように鳴っていた。

私は郵便のカッパを鞄から出して、その肩に掛けた。

「今日はもう来ませんよ」

「そうね」

「知っとって、来られるんですか」

「来んのを、確かめに来たんよ」

その答えの意味が、私には分からなかった。

「タネさん」

「なに」

「待っとられる人は、いつ来るんですか」

タネさんは、しばらく黙って波を見ていた。

「決まっとらんの」

「決まっとらん」

「決まっとらんから、毎日おるんよ」

風が一段強くなって、私は思わずその腕を支えた。

袖の中で、骨が細かった。

「あんた、名前は」

「宮浦です。宮浦省吾」

「宮浦さん」

タネさんは、私の名を二度、口の中で転がした。

「覚えたけん、もう忘れん」

その冬、私は郵便のことでタネさんに一度だけ問い詰められた。

年賀の受け付けが始まって、私は桟橋で声を張っていた。

年賀状はお早めに、と。

タネさんは笑いながら聞いていたが、ふいに真顔になった。

「宮浦さん。名を書かんでも、届きますか」

「宛名のないものは、届きません」

「届かんの」

「差出人のところへ戻します。それも無いときは、局で預かります」

「預かって、どうするん」

「……いつまでも、預かります」

言ってから、我ながら間の抜けた答えだと思った。

規則の話をしていたつもりが、途中から規則ではなくなっていた。

ところがタネさんは、そこで嬉しそうな顔をした。

「そりゃ、ええね」

海の方を向いて、もう一度言った。

「そりゃ、ええね」

タネさんが桟橋に来なくなったのは、五年目の夏だった。

三日空いて、四日空いた。

私は配達のついでに、坂の途中の家を訪ねた。

戸は開いていた。

土間には蜜柑の木箱が積んであり、その奥の三畳に、タネさんは寝ていた。

薬の匂いがした。

「宮浦さん」

「はい」

「今日は、何時の船ね」

「四時二十分です」

「そう」

タネさんはそう言って、天井を見た。

「もう、行かれんのよ」

「そのうち行けます」

「そうね」

私は嘘が下手だった。

タネさんも、それを分かっていた。

それから私は、配達のあと毎日その家に寄った。

蜜柑を剥いて、島の噂を話した。

タネさんは、島の子の名前を全部覚えていた。

誰が何年生で、誰が本土の高校に受かって、誰が親に隠れて煙草を吸ったか。

飴の行き先を、ひとつ残らず覚えていた。

「宮地の下の子はね、飴を二つ取るんよ」

「叱ってやりましょうか」

「叱らんでええ。妹の分じゃもん」

そういう話を、日が傾くまでしていた。

一度だけ、タネさんが自分の話をしたことがある。

蜜柑の筋を丁寧に取っていたら、天井を見たまま言った。

「宮浦さん。わたしゃね、この島から一度も出たことがないんよ」

「本土にも、ですか」

「本土にも」

「船は、すぐそこにありますのに」

「あるね」

タネさんは、そこで少し笑った。

「あるから、ええんよ」

私はその意味を聞き返さなかった。

聞き返せば、答えが返ってくる気がしなかった。

秋のはじめ、雨戸の隙間から西日が細く入る時間に、タネさんが私の鞄を指した。

「その弁当箱、開けて」

私は鞄を開けた。

タネさんは枕の下から、白い封筒を出した。

角が丸くなるほど、何度も触られた封筒だった。

表には、何も書かれていなかった。

「これ、頼まれてくれんね」

「宛名が、無いですが」

「宛名は、見つけたら書いてね」

私は受け取った。

規則では受け取れない。

分かっていて、受け取った。

「タネさん。どなたに、お渡ししたらええですか」

「大事な人に」

「お名前は」

タネさんは目を細めて笑った。

「秘密」

その笑い方が、桟橋で最初に見た笑い方と、同じだった。

タネさんが静かに眠ったのは、その月の終わりだ。

島に身内はいなかった。

葬いは講中が出した。

私は焼香の列のいちばん後ろにいて、位牌に書かれた名を、そのとき初めて字で見た。

沖田タネ。

タネというのは通り名ではなく、本当にタネという一字だった。

それから、私は宛名を探した。

役場で、島を出た人の名簿を見せてもらった。

戦中戦後に本土へ渡った男は、四十一人いた。

そのうちタネさんと同じ集落の出は、九人。

九人の消息を、私は十年かけて追った。

三人は本土で世帯を持っていた。

二人は北海道にいた。

四人は、どうしても辿れなかった。

分かった五人の家に、私は手紙を書いた。

沖田タネという者をご存じありませんか、と。

五通とも、丁寧な返事が来た。

存じません、と。

そのうちの一通には、「お力になれず申し訳ない」と添えられていた。

私はその一行を、ずいぶん長いこと机の上に置いていた。

フサさんにも、もう一度聞いた。

店はもう飴の瓶だけになっていた。

「タネさんの待っとった人、誰か分かりませんか」

「知らん」

「許婚じゃったという話は」

「わたしが子どもの時分に聞いた話じゃもん。誰が言い出したかも知らんわ」

フサさんは瓶の蓋を回して、飴を三つ、私の手に載せた。

「あんた、まだ探しよるん」

「仕事ですけん」

そう答えたが、もう仕事ではなかった。

私は島で年をとった。

是枝局長が退き、私が局長になった。

是枝さんが局を出る日、私は桟橋まで見送りに行った。

濁った片目の方を海に向けて、是枝さんは言った。

「宮浦くん。配るもんが少ない、言うたじゃろ」

「はい」

「あれはな、少ないから楽じゃという意味じゃない」

「分かっとります」

「分かっとらんじゃろ」

是枝さんは笑って、私の鞄を軽く叩いた。

その底に何が入っているか、あの人はたぶん知っていた。

聞かれたことは、一度も無かった。

家は六十四軒から二十二軒に減った。

蜜柑の段々畑は、半分が藪に戻った。

桟橋の柱時計は平成の途中で止まって、そのままになった。

船は一日二便が、一便になった。

その間じゅう、封筒は私の鞄の底にあった。

鞄を替えるたびに、移した。

湿気で膨らみ、乾いてまた薄くなった。

宛名は、白いままだった。

四十のとき、本土の局に戻らないかという話が来た。

役職がついて、給料も上がるという。

私は二晩考えて、断った。

上の人には、島の配達に慣れているからと言った。

嘘ではない。

けれど本当は、鞄の底の一通が島から出るのが、どうしても厭だったのだ。

宛名の無い手紙は、宛名の無い場所にしか置いておけない気がした。

妻には、その話を一度もしなかった。

そういう男と三十年暮らして、文句のひとつも言わずに、先に向こうへ行ってしまった。

年に何度か、私はその封筒を灯りにかざしてみることがあった。

開けはしなかった。

開けたら、探すのをやめてしまう気がした。

加祢島郵便局が閉まったのは、去年の三月だ。

私は七十歳で、島に残った最後の職員だった。

本土から若い職員が二人来て、書類を段ボールに詰めていった。

そのうちの一人が、床下の物入れから古い受取簿の束を引き出した。

「局長。これも処分でいいですか」

「見せてくれ」

昭和三十年代からの、受取と差出の控えだった。

紙は茶色くなり、綴じ糸が指に絡んだ。

私はその場に座り込んで、一冊ずつ繰った。

沖田タネ。

その名を探した。

窓の外で、船が一度だけ汽笛を鳴らした。

五十年ぶんの受取簿に、沖田タネの判は、一度も無かった。

差出の控えにも、無かった。

一通も、来ていなかった。

一通も、出していなかった。

私は長いこと、その紙束を膝に載せたまま座っていた。

若い職員が、心配して声をかけてきた。

「局長、どうかされましたか」

「いや」

「その方、島の方ですか」

「島の人じゃ。五十年前に、この桟橋に毎日立っとられた」

「毎日、ですか。誰かを待って」

私は、返事をしなかった。

その日はじめて、答えを持っていないことに気づいたからだ。

タネさんは、船を待っていたのではなかった。

――船が着いても、タネさんはタラップの方へは、一歩も歩かなかった。

あの日から五十年、私はその意味をまるごと取り違えていた。

その晩、誰もいなくなった局で、私は封を開けた。

五十年、開けなかった封だ。

糊はとうに乾いていて、指で押しただけで、紙は素直に離れた。

中には、二つ折りの紙が一枚。

開いた。

白かった。

裏を返した。

裏も白かった。

窓から入る傾いた光にかざした。

筆の跡も、鉛筆の凹みも、無かった。

何も、書かれていなかった。

私は白い紙を持ったまま、しばらく息だけをしていた。

それから、あの冬の桟橋を思い出した。

名を書かんでも、届きますか。

宛名のないものは、届きません。

差出人のところへ戻します。それも無いときは、局で預かります。

預かって、どうするん。

……いつまでも、預かります。

そりゃ、ええね。

タネさんは、あのとき嬉しそうな顔をしたのだ。

海の方を向いて、二度も言ったのだ。

タネさんには、待つ相手がいなかったのだと思う。

いなかったから宛名が書けなかったのではない。

宛名を、決めなかったのだ。

決めなければ、その手紙は、いつまでも誰かの手のなかにある。

桟橋に毎日立って時計を見ていたのも、たぶん、同じことだ。

四時二十分。

その時刻を誰かに聞かれ、誰かに答える。

それだけのために、あの人はあそこに立っていた。

飴はいつも、自分の分だけ無かった。

私は封筒を裏返した。

差出人の欄も、白かった。

宛名も差出人も無い郵便物は、局が預かる。

いつまでも。

そう答えたのは、二十歳の私だ。

タネさんは、それを聞いてから、この封筒を作ったのだと思う。

私は机の抽斗から、日付印を出した。

三十年使った、丸型の判だ。

活字を今日の日付に組み替え、朱肉に沈めた。

それから鉛筆を取って、封筒の表に宛名を書いた。

封筒の表に、私は自分の名を書いた。

宮浦省吾様。

加祢島二一七番地。

書き終えて、手が止まった。

五十年、私はこの島を歩き回り、島じゅうの家に手紙を届けてきた。

その間ずっと、鞄の底に一通だけ、配れない手紙があった。

配れなかったのではない。

配達の途中だったのだ。

私は白い紙を封筒に戻し、封をした。

そして、今日の日付の判を押した。

朱が、少しだけ、にじんだ。

局はもう無い。

桟橋の柱時計も、止まったままだ。

私は今も加祢島にいて、朝と夕に、桟橋の付け根まで歩く。

船は一日に一便、四時二十分に着く。

タラップが下りて、誰も降りてこない日もある。

それでも私は、そこに立っている。

この春、本土から来た子どもが、私に聞いた。

「おじさん、誰を待っとるん」

「秘密」

そう答えたら、その子は笑った。

私も笑った。

ポケットには、飴が三つ入っている。

自分の分は、無い。

タネさん。

宛名は、見つけたら書いてね。

見つけました。

ずいぶん、遅うなりました。

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