私の魚を買い続けた元上司

夕暮れの村で待つ人々

行商を始めて三月、わたしの車はどの集落でも待たれとらんかった。

奥出をのぞいては。

坂を登りきって公民館の横に車を停めると、スピーカーを鳴らす前から、そこにはもう人が並んどる。

五人、六人。

買い物籠を提げた背中が、朝の光の中で少しずつ揺れとる。

山の人は親切じゃな。

そう思うことにしとった。

平成六年の春に、わたしは家と店を失うた。

夫が知り合いの保証人になって、その知り合いが町から消えた。

それだけの話じゃ。

三十四歳で、子はおらん。

乾物屋の看板を外した日、鍵を郵便受けに落として、振り返らんかった。

手元に残ったのは、中古の保冷車が一台。

五十万で買うて、まだ半分も払うとらんかった。

町を回る度胸はなかった。

顔を知られとる。

だから、誰も行かん山を回ることにした。

中国山地の奥は、三月でも谷筋にまだ雪が残る。

一車線の道を登ると、対向車が来るたびに、どちらかが待避所まで後退せんといけん。

春先は霧が濃うて、ガードレールの向こうが真っ白になる。

棚田の畦には、去年の稲の根が黒う残っとる。

どこかで炭を焼いとるらしゅうて、煙の匂いが窓の隙間から入ってくる。

わたしは、その匂いだけは好きじゃった。

一日走って、三千円。

いい日で、五千円。

荷台の氷が溶ける音が、走っとる間じゅう聞こえる。

坂を下るときだけ、その音が少し速うなる。

売れんかった魚は、その日のうちに自分で食うた。

毎晩、鯖を焼いた。

焼いて、食うて、電卓を伏せて寝た。

伏せんと、数字が枕元で光って見える気がしたけん。

夫とは、店を畳んだ年の暮れに別れた。

喧嘩をしたわけじゃない。

畳んだ台所で、二人で最後の煮物を食うて、そのあと三日、どちらも口をきかんかった。

三日目の朝に、あの人が「すまん」と言うた。

わたしは「うん」と言うた。

それで、終わった。

憎むほどの力も残っとらんかった、いうのが正直なところじゃ。

ところが、奥出だけは違うた。

十二軒しかない集落じゃ。

若い者はみな麓へ降りて、残っとるのは年寄りばかり。

それなのに、毎週きっちり、六人か七人が並ぶ。

一人が二百円しか買わん日でも、必ず並ぶ。

雨の日も、雪でチェーンを巻いて登った日も、傘の下に同じ背中があった。

わたしは、その理由を考えんかった。

考えたら、幸運が逃げる気がしたんじゃと思う。

三月目に、わたしは列の一番後ろに立っとる女に気がついた。

前掛けをして、白髪を短う刈って、右手を前掛けの下に入れとった。

顔にも手にも、日に焼けた色が乗っとる。

どこかで見た立ち方じゃ、と思うた。

背筋が、まっすぐすぎる立ち方じゃった。

「高村さん」

名前を呼ばれて、わたしは籠を落としかけた。

二十年、その名で呼ばれとらんかったわけじゃない。

その声で呼ばれとらんかった、いうことじゃ。

「鶴田さん」

「鯖、二枚。捌かんでええ。そのままで」

それだけ言うて、二百八十円を、左手で差し出した。

鶴田トシ子さんは、わたしが二十歳の時に働いた「みたにストア」の、鮮魚部のチーフじゃった。

当時で四十前。

白い長靴に前掛けで、朝の四時から作業台に立つ人じゃった。

声が低うて、笑い方を知らん人じゃと思うとった。

作業台の水を止めるとき、必ず蛇口を半回転だけ余分に締める人でもあった。

その人が、二十年経って、山の一番奥の集落におった。

事情は、岸本さんから聞いた。

奥出の一番奥で炭を焼いとる、八十過ぎの爺さんじゃ。

鶴田さんは、若い頃にこの集落へ嫁いできて、夫が十年前に向こうへ行き、子はよそへ出て、一人で残ったのだという。

ストアを辞めたのは、義理の親を看るためじゃったらしい。

「あの人は、この谷でいっとう働くけんのう」

岸本さんはそう言うて、炭俵の紐を締め直した。

鶴田さん本人は、自分のことをほとんど話さんかった。

昔のことも、一度も言わんかった。

ストアの話も、鮮魚部の話も、わたしが辞めた日の話も。

覚えとらんのじゃろう。

いや、覚えとって、知らん顔をしとるんじゃろう。

わたしはそう思うた。

そう思うと、腹の底が少しずつ冷とうなった。

毎週その人に鯖を売りながら、わたしは毎週、少しずつ怒っとった。

二十歳のわたしは、鮮魚部で一番遅かった。

鯵を三十匹おろす間に、隣のパートさんは六十匹おろした。

わたしは一匹ごとに腹の中を覗いて、血合いを指の腹でこすって、そのたびに手が止まった。

骨に沿って刃を入れるとき、身が鳴る。

あの、紙を裂くような、小さな音を聞くのが好きじゃった。

「高村さん、そこは見んでええ」

鶴田さんはいつもそう言うた。

見んでええ。

拭かんでええ。

そこまでせんでええ。

あの頃、鶴田さんの手は速かった。

鰤の一本を、話しながら三枚におろす人じゃった。

右の親指の付け根に、白い筋のような傷が何本も走っとった。

骨で刺した跡じゃと、先輩のパートさんが教えてくれた。

「あの手になるには、二十年かかるんよ」

わたしは、自分の手を見た。

まだ、なんの跡もついとらん手じゃった。

半年経った日の夕方、冷凍庫の前で言われた。

「あんたは、向いとらん」

それだけじゃった。

理由も、続きもなかった。

わたしは頷いて、白い長靴を洗って、更衣室へ行った。

その晩、ロッカーの中の出刃を置いて出た。

柄尻に、自分で彫った字がある出刃じゃった。

新人は道具に一字入れる決まりで、わたしは名前から「美」を彫った。

曲がった、下手な字じゃ。

それきり、魚から二十年離れて生きた。

乾物屋の嫁になったのも、たぶん、そのせいじゃ。

乾いた魚なら、捌かんでええ。

六月に入って、鶴田さんが氷を頼むようになった。

「魚はええ。氷だけ、二貫」

山の家に冷蔵庫がないわけじゃない。

それでも氷を買う。

わたしは荷台からブロックを抱えて、土間まで運んだ。

台所は暗うて、窓の桟に南天の枝が挿してあった。

竈は使うとらん様子で、口に新聞紙が丸めて詰めてあった。

流しの端の砥石が、濡れとった。

使うたばかりの、あの深い色をしとった。

まだ料理をされるんじゃな、とわたしは思うた。

「茶ぁ飲んでいき」

鶴田さんは、左手で急須を持った。

右手は、前掛けの下に入れたままじゃった。

七月の暑い日に、鶴田さんが荷台の底のラムネを一本だけ買うた。

「これ、開かん」

「貸してください」

わたしが玉を押し込むと、泡が吹いて、二人とも前掛けが濡れた。

鶴田さんは、初めて声を出して笑うた。

「あんた、力あるね」

「魚屋の娘じゃないですけど」

「魚屋の嫁じゃったろ」

「乾物屋です」

「似たようなもんじゃ」

列に並んどった婆さんたちが、なんじゃなんじゃ言うて集まってきた。

その日、ラムネは十二本売れた。

わたしは、山に来て初めて、笑うて売った。

鶴田さんは、たまに、余計なことを言うた。

「西の川口さんとこは、堅い魚は食えん。歯がないけん」

「上の岩本さんは、金曜に息子が来る。土曜の朝に持って行き」

「岸本の爺さんに烏賊は出すな。当たったことがあるけん、口では言わんが手を出さん」

わたしは、その通りに荷を組み替えた。

すると、売れた。

三千円が、六千円になった。

「なんで、そんなに知っとるんですか」

「十二軒しかないけん」

それも、それだけの答えじゃった。

川口さんの婆さんは、九十を越えとった。

歯が二本しか残っとらんそうで、わたしは毎週、鰈を一枚だけ持っていった。

骨まで柔らかく煮える薄いのを、荷の上のほうに、潰れんように寝かせて。

「あんた、これ、わざわざ選んどるじゃろ」

「たまたまです」

「嘘つき」

婆さんは笑うて、百円玉を三枚、わたしの手に押しつけた。

「うちの息子は、こういうのを持ってこん」

その言い方が、なんとも言えんかった。

わたしはその日、坂を下りながら、しばらく路肩に停めとった。

冬になると、奥出へ登るのに二時間かかった。

麓でチェーンを巻いて、轍を選んで、対向車が来んことを祈って登る。

わたしは軍手を三枚重ねてはめて、鉄の鎖を素手で扱わんようにした。

それでも指の関節がひび割れて、荷を触るたびに血がにじんだ。

雪の日は、誰も来んじゃろうと思う。

それでも、公民館の横には、傘の花が六つ咲いとる。

「今日は来んと思うたわ」

婆さんの誰かが、必ずそう言う。

「来ますよ」

「そうじゃろうね」

その「そうじゃろうね」が、どういう意味じゃったのか。

わたしが知るのは、まだ三年先のことじゃ。

「高村さん」

ある日、鶴田さんが荷台の縁を指で叩いた。

「声が小さい」

「え」

「値を言うとき、下を向いとる」

わたしは、自分の靴の先を見た。

「安いもんを売るのに、なんで恥じるんじゃ」

それだけ言うて、鶴田さんは鯖を提げて帰っていった。

次の週から、わたしは山に向かって値を叫ぶようにした。

谷にこだまが返ってきて、少し可笑しかった。

秋の初め、岸本さんが炭俵を積んどる横で、わたしは大根を売った。

炭窯の口から、白い湯気のような煙が細う出とった。

「あんたの車ぁ、よう続いとるのう」

「奥出の皆さんが買うてくださるけん」

岸本さんは笑うて、それから、少し黙った。

「……鶴田さんがな」

「はい」

「いや。なんでもない。焼き上がりを見んと」

爺さんは、炭窯の口へ戻っていった。

その時は、なんとも思わんかった。

十月の終わりに、鶴田さんが並ばん日があった。

三年で、初めてじゃった。

売り終わってから、わたしは坂を歩いて登った。

戸は開いとった。

鶴田さんは台所の床に座って、氷の袋を右手に押し当てとった。

割れた湯呑みが、足元に散らばっとった。

「落としただけじゃ」

「病院は」

「行った」

「なんて」

鶴田さんは、氷を握り直した。

「手から始まって、だんだん、じゃそうな」

病の名前は、最後まで言わんかった。

わたしが黙っとると、鶴田さんが言うた。

「言うたら、あんた、来にくうなるじゃろ」

わたしは、その言い方に腹が立った。

二十年前と、同じ言い方じゃった。

短うて、理由がのうて、こっちに考える余地を残さん。

「なんで、いつも、それだけしか言わんのですか」

声が、思うたより大きゅう出た。

鶴田さんは、氷から手を離した。

赤うなった右手が、少し震えとった。

指が、内側へ軽う曲がったまま伸びんかった。

「言葉が下手なんじゃ」

「昔からです」

「知っとる」

わたしは、土間の氷の水を拭いて、帰った。

その晩から、「捌かんでええ」の意味が、わたしの中でひっくり返り始めた。

あの人は、面倒じゃったから、そのままでええと言うたんじゃろうか。

それとも。

考えると、荷台の氷の音が、やけに近う聞こえた。

十二月の、雪の降る前の日じゃった。

鶴田さんが、新聞紙の包みを持って列に並んどった。

一番後ろで、いつものように。

「これ、返す」

土間で開けると、出刃が一本出てきた。

刃はもう、身が半分ほどに研ぎ減っとった。

背から刃先へ、緩い弧を描いて痩せとる。

柄は握るところだけ黒う光って、木目が浮いとった。

柄尻に、曲がった「美」の字があった。

わたしは、しゃがみ込んだ。

「二十年、預かっとった」

「なんで」

「あんた、あの日、置いて出たじゃろ」

「捨てたつもりでした」

「捨てられん道具じゃ」

鶴田さんは、左手で自分の右手を押さえた。

「あんたに、言うとかんといけんことがある」

「はい」

「向いとらん、言うたのは、鮮魚部にじゃ」

わたしは、顔を上げた。

「あんたにじゃない」

鶴田さんは、そこで長いこと黙った。

外で、鳶が鳴いた。

「あんたは、一匹に時間をかけすぎた。数をこなす売り場では、それは邪魔になる」

「はい」

「じゃが、一人に一匹売る商いなら、それは、いちばん要るもんじゃ」

わたしは、返事ができんかった。

「二十年、言えんかった」

「なんで」

「言い方が、下手じゃけん」

わたしは、出刃の刃を親指の腹で触った。

冷たかった。

よう研いである刃の、あの冷たさじゃった。

年が明けて、雪が深うなった。

二月に、鶴田さんは奥出を出て、麓の病院へ移った。

わたしは週に一度、荷を降ろした帰りに寄った。

病室は四人部屋で、窓際じゃった。

鶴田さんは、いつも窓のほうを向いて座っとった。

右手は、膝の上の手拭いの下に隠してあった。

病院の中でも、その人は前掛けをしとるように見えた。

鯖の値の話と、大根の出来の話と、ラムネの話をした。

「奥出は、誰が並んどる」

「今日は五人でした」

「岩本さんは」

「息子さんが来とってでした」

「そうか」

それだけで、鶴田さんは満足したように窓を見た。

昔の話は、やっぱり、どちらもせんかった。

する必要が、もうなかった。

三月の終わりに、看護婦さんから、氷を頼まれた。

「あの方、氷が欲しいと仰るんです。売店のは、味がせんと」

わたしは、その日から荷台のブロックを砕いて、袋に詰めて持っていった。

鶴田さんは、それを左手で握って、しばらく黙っとった。

「山の水の味がする」

氷に味などない。

それでも、わたしは頷いた。

最後に会うた日、鶴田さんは窓のほうを見て言うた。

「奥出は、雪が遅う残るけんの」

「はい」

「今年は、いつまで残っとった」

「まだ、日陰に少し」

「そうか」

それが、聞かれた最後の問いじゃった。

桜の咲く前に、鶴田さんは静かに眠った。

六十三じゃった。

四十九日の帰り、岸本さんが軽トラの荷台に腰かけて、わたしを待っとった。

「あんた、知らんじゃろう」

「なにをですか」

「あんたの車が来る前の日にな」

爺さんは、炭で黒うなった指で膝を叩いた。

「あの人は、一軒ずつ回りよった。杖ついて、雨の日も」

わたしは、返す言葉がなかった。

「明日は買うてやってくれ、言うて。頭を下げて」

「……いつからですか」

「あんたの車が、最初に来た週からじゃ」

「三年、ですか」

「三年じゃ」

岸本さんは、軽トラの荷台から降りた。

「わしも最初は、余計な世話じゃと思うたよ」

「はい」

「じゃが、あの人が言うたんじゃ。あの車は、あと二月で消える。消えたら、あの人はもう魚を触らんようになる、いうて」

わたしは、その言葉の意味を、しばらく掴めんかった。

掴めた時に、膝の力が抜けた。

あの人は、わたしの荷台の氷が溶ける速さまで、見とったんじゃ。

坂の下の、公民館の横が見えた。

三年間、毎週、必ず並んどった六人か七人の背中が浮かんだ。

「並んどったんじゃない」

岸本さんは、そう言うた。

「並ばせとったんじゃ」

家に帰って、わたしは台所の砥石のことを思い出した。

いつ行っても、濡れとった。

鶴田さんの右手は、もう包丁を握れんかった。

それでも、左手で、砥石は使えた。

二十年、研ぎ続けとったんじゃろう。

誰の手にも渡らん出刃を、一人で。

身が半分になるまで。

わたしはその晩、初めて声を出して泣いた。

あれから、二十五年になる。

保冷車は三台目じゃ。

わたしは六十一になって、腰が悪うて、氷はもうブロックでは運ばん。

出刃は、身がさらに薄うなった。

研ぐたびに減る。

減るいうことは、使うとるいうことじゃ。

奥出は、いま七軒になった。

それでも、坂を登りきって公民館の横に車を停めると、

今も、奥出だけは、わたしが着く前に人が並んどる。

並ばせとる人は、もうおらんのに。

わたしは、注文を受けると、必ず聞くことにしとる。

「捌きましょうか」

たいていの人は、ええよ、そのままで、と言う。

それでも、聞く。

聞かんかったら、あの人が二十年かけて訂正したことが、わたしの代でまた元へ戻ってしまう気がするけん。

炭の煙の匂いが、今日も窓の隙間から入ってくる。

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