
私には、二十八年やり残している仕事がひとつだけある。
伝票の綴りのいちばん下に、その一枚は挟まったままだ。
品名の欄に、私の字で「足部・踵ゴム交換」とだけ書いてある。
日付は平成八年六月十四日。
金額は空欄のままだ。
代金を受け取らなかったからではない。
やっていないからだ。
※
工房は、信濃川に注ぐ細い川のそばにある。
鍛原という、昔は鑿や鉋を打つ音で朝が始まった町だ。
金物屋が三十軒あった頃に、父はここへ「村瀬義肢製作所」の看板を掛けた。
今は八軒になった。
打つ音のかわりに、川の水音が一日じゅう作業場に入ってくる。
私は朝いちばんに窓を開ける。
樹脂を削った粉が、光の筋の中を斜めに落ちていく。
その匂いを、私は父の匂いだと思って育った。
父はもういない。
工房には、私ひとりが残った。
※
義肢装具士という仕事を、私は説明するのが下手だ。
脚や手を作る仕事です、と言うと、たいてい相手は少し黙る。
けれど本当は、作っているのは脚ではない。
その人の歩き方を作っている。
同じ形の足部を渡しても、半年経てば減り方はまるで違う。
外側から減る人。
爪先だけ薄くなる人。
踵の内側が、片方だけ斜めに落ちる人。
「踵を見れば、その人がどこへ何をしに行っとったか分かる」
父はよくそう言った。
冗談のような言い方だったが、あれは本当だった。
※
私の指には、いつも絆創膏が巻いてある。
樹脂の縁は薄く尖っていて、やすりを掛けているとすぐに指の腹が切れる。
手袋をすればいいのに、と人には言われる。
けれど手袋をすると、面が仕上がったかどうかが分からない。
指の腹でなでて、引っかからなくなったところが、その人の脚の内側になる。
だから私は指を切る。
十七の頃から、ずっとそうしている。
※
槙野朔が初めて工房に来たのは、平成六年の十月だった。
私と同じ高校の一年で、同じクラスだった。
夏に、実家の農機具に右脚を巻き込まれた。
膝から下がなくなった、と職員室の前の廊下で誰かが話しているのを聞いた。
彼は二学期の途中から松葉杖で学校へ来て、教室のいちばん後ろの席にいた。
その彼が、土曜の午後、うちの引き戸を開けた。
「村瀬んちって、ここでいいがか」
油と石膏の匂いの中で、彼は制服のまま立っていた。
父が採型の支度をしている間、彼は壁に並んだ足部を見ていた。
ゴムの踵が、大きさ順にぶら下がっていた。
「これ、全部ちがうんか」
「ぜんぶ違うよ」
「なんで」
「歩き方が、ぜんぶ違うから」
彼は、へえ、と言った。
それから父の前に座って、こう聞いた。
「走れますか」
父はギプス包帯を水に浸けながら、顔も上げずに答えた。
「歩けるようにはする」
「歩くのは、もうできます」
彼は言った。
「走りたいんです」
父は少し黙って、それから「そうか」と言った。
その日、父は採型を二度やり直した。
理由は言わなかった。
※
その冬から、私は陽性モデルを磨く係になった。
石膏で取った型に、また石膏を流して作る、脚の形をした白い塊だ。
削るのは全部手作業で、削りすぎたら戻せない。
父は、朔のモデルだけは私にやらせた。
「同い年のもんの脚は、同い年が触ったほうがええ」
そんな理屈が本当にあるのか、いまでも分からない。
私は放課後、毎日そこにいた。
指はいつも粉で白くなり、絆創膏はすぐに黒くなった。
※
最初のソケットは、失敗だった。
合わせの日、朔は五分ほど歩いて「ええ感じや」と言った。
父はうなずいて、彼を帰した。
その夜、洗うために私は断端袋を預かった。
内側に、小さな血の点が三つ付いていた。
翌朝、父にそれを見せた。
父は何も言わずに、陽性モデルをもう一度作業台に載せた。
そして、私が磨いた場所を、指の腹で確かめていった。
「ここや」
脛骨の先が当たる、五百円玉くらいの範囲だった。
「なんで、言わんかったんかね」
私が言うと、父は答えた。
「言うたら、作り直しになるろ」
「作り直したら、走るのが一週間遅れる」
痛いと言わない人がいるということを、私はそのとき初めて知った。
※
朔は週に一度、合わせに来た。
来るたびに、私の手を見た。
「村瀬、絆創膏、増えとるな」
「削っとるからね」
「俺の脚、お前の指でできとるんか」
「値段には入っとらんよ」
彼は声を出して笑った。
作業場で誰かが笑うのを、私はそのとき初めて聞いた気がした。
父は奥で背中を向けたまま、聞こえないふりをしていた。
けれどその日から、父が作業場のラジオを切らなくなった。
※
板バネの話が出たとき、朔は父に頭を下げた。
「働けるようになったら、必ず払います」
父はコンプレッサーの音の中で、「利子はつけん」と答えた。
朔は真顔でうなずいた。
冗談だと気づいたのは、たぶん帰り道だったと思う。
その夏、彼は毎週土曜の朝に来て、調整のあいだ作業場の掃除を勝手にやっていった。
箒の持ち方が下手で、粉を舞い上げるばかりだった。
父は一度だけ「そこは吸うんや」と言って、集塵機のホースを渡した。
それからは、朔がホースを持つのが決まりのようになった。
義足の音と、集塵機の音と、川の音。
あの夏の作業場は、そういう音でできていた。
※
翌年の春、彼は走り出した。
競技用の板バネの足部を、父が中古で探して手に入れてきた。
新品は当時、小さな車が買えるほどの値段だった。
朔は堤防の道でそれを試した。
私は自転車で伴走した。
最初の一週間は、五十メートルも保たなかった。
彼はよく転んだ。
転ぶたびに、土手の草の青い匂いがした。
三週間目に、彼は堤防の端から端まで走り切った。
息を切らして草に寝転がって、空を見たまま言った。
「村瀬」
「なに」
「明日、五秒縮める」
それが彼の口癖だった。
明日、あと五秒。
明日、あの橋まで。
明日、雨がやんだら。
彼はいつも、明日の話をした。
私はその明日を、いくらでもあるものだと思っていた。
※
高三の冬、私は進路の紙を白いまま持ち歩いていた。
父は継げとは一度も言わなかった。
食卓でその話が出るたび、「好きにせえ」とだけ言って味噌汁を飲んでいた。
朔にそれを話したのは、堤防の帰りだった。
「村瀬は、あれ作るんやろ」
彼は当たり前のことのように言った。
「まだ決めとらん」
「決まっとるやろ」
彼は私の手を指した。
「指、そんななっとるのに」
私は両手をポケットに入れた。
その夜、白かった紙に、私は学校名を書いた。
書き終えるまでに、二時間かかった。
※
高三の秋、県の予選で、彼は最後の直線で並んだ。
抜けなかった。
でも、並んだ。
帰りのバスの中で、彼は窓の外を見ながら言った。
「俺、ちゃんと走れるようになったら、村瀬に言うことがあるんや」
「なに」
「走れるようになってから言う」
私は、そう、とだけ言った。
聞かなかったのは、いつでも聞けると思っていたからだ。
※
平成八年六月十四日。
金曜日だった。
私は高校を出て、そのまま工房に入っていた。
その週は納品が重なっていて、朝から採寸と修理と電話が切れ目なく続いていた。
夕方、引き戸が開いて、朔が入ってきた。
片手に紙袋を提げていた。
「踵のゴム、減ってきた」
彼は足部を外して、作業台の上に置いた。
外側の角が、たしかに丸くなっていた。
私は電話の子機を肩と耳で挟んだまま、それを見た。
「……明日でいい?」
自分の声を、いまでも覚えている。
面倒くさそうな声だった。
彼は少しだけ笑って、足部を袋に戻した。
「うん、明日」
引き戸の音がして、川の水音が戻ってきた。
それが、彼と私の最後の会話になった。
※
翌朝、彼はアルバイト先へ向かう途中の踏切で、戻らぬ人となった。
電話をくれたのは、同じ班にいた同級生だった。
受話器を持ったまま、私は作業台のやすりを見ていた。
まだ、彼の粉がついていた。
※
告別式の日、私は喪服の下で指に絆創膏を巻いていた。
前の晩に納品分を仕上げたので、両手の指が全部切れていた。
会場の隅で、私は誰とも話さなかった。
槙野千代さん――彼のお母さんは、参列者の列の先で頭を下げ続けていた。
最後に、私の前に来た。
彼女は何も言わなかった。
ただ、私の手を見ていた。
長いあいだ、見ていた。
それから、もう一度頭を下げて、次の人の前に移った。
一言もなかった。
私は、その沈黙をそのまま受け取った。
――最後に彼の頼みを断ったのは、私だ。
――この人は、それを知っている。
その日から二十八年、私は槙野千代さんに会わなかった。
※
それからの一年を、私はうまく思い出せない。
学校へは行った。
工房にも、毎日入った。
ただ、手が動かなかった。
やすりを持つと、指が切れる前に手が止まった。
削りすぎるのが怖いのではない。
削る意味が、どこかへ行ってしまっていた。
父は何も言わず、私に掃除だけをさせた。
三か月、私は粉を掃いていた。
作業場の隅に、彼の板バネを合わせたときの陽性モデルが残っていた。
捨てるはずのものだ。
父はそれを、棚の上に置いたままにしていた。
夜、電気を消したあとに、私はそれを見に行った。
石膏の脚は白く、少し埃をかぶって、まだ走る形をしていた。
専門学校の願書を出したのは、締切の日の夕方だった。
郵便局の窓口で、私はまた指を切っていた。
前の晩、久しぶりにやすりを持ったからだ。
※
令和六年の十月。
予約の帳面に、その名前が入っていた。
槙野千代、八十九歳、短下肢装具の新規。
私は帳面を三度読んだ。
電話を取ったのは私自身だったのに、名前を聞いたときには何も思わなかった。
槙野という姓は、この辺りに珍しくない。
当日、車椅子を押して入ってきたのは、三十くらいの男の人だった。
孫だという。
千代さんは小さくなっていた。
背中が丸まって、膝から下が内側にねじれていた。
私は名乗った。
「村瀬です」
彼女は「よろしくお願いします」と言った。
それだけだった。
覚えていないのだと、私は思った。
二十八年は、そういう長さだ。
※
採型は静かに進んだ。
私は床に膝をついて、彼女の脚に石膏包帯を巻いていく。
老いた脚は皮膚が薄い。
強く巻けば痣になるし、緩ければ型が出ない。
指の腹だけで圧を測りながら、私は少しずつ手を動かした。
千代さんは、その間ずっと窓の外を見ていた。
「この匂い、久しぶり」
彼女は言った。
「息子がね、脚を作ってもらっとったの。ここじゃないけど、似た匂いのするところで」
私は手を止めなかった。
止めたら、何か言わなければならなくなる。
「もう、ずいぶん昔」
彼女はそう言って、また窓のほうを向いた。
包帯を巻き終えて手を洗っていると、孫の人が横に来て、小さな声で言った。
「病院からは、駅前の大きいところを紹介されたんです」
「でも祖母が、ここがええって聞かんくて」
私はタオルで手を拭きながら、うなずいた。
その意味を、そのときの私はまだ、道の近さのことだと思っていた。
※
型を外したあと、孫の人が紙袋を持ち上げた。
「あの、これ、祖母がどうしても持って行くと言って」
袋から出てきたのは、古い義足だった。
ソケットの縁の樹脂が黄ばんで、ベルトの革が硬くなっていた。
板バネのほうではない。
日常用の、歩くための脚だ。
「捨てられんくてね」
千代さんが言った。
「置いといても、どうにもならんのだけど」
私は手袋を外して、それを両手で持った。
重さが、指に戻ってきた。
そして、足部を裏返した。
踵のゴムを見た。
外側の角だけが、深く斜めに落ちていた。
内側は、ほとんど残っている。
これは、坂を下るときの減り方だ。
しかも、片側だけが極端に食い込んでいる。
同じ坂を、同じ側から、何度も下りた脚の減り方だった。
工房は、川に向かって下る坂の途中にある。
彼の家からここへ来るには、その坂を下りるしかない。
合わせは、週に一度だった。
そのはずだった。
けれどこの減り方は、週に一度の脚ではない。
彼は、毎日この坂を下りていた。
用がなくても。
引き戸を開けずに。
※
私は足部を持ったまま、動けなくなった。
そのとき、千代さんが言った。
「……あなた、指」
顔を上げた。
彼女は私の手を見ていた。
二十八年前と、同じ角度で。
「あの日も、そうだった」
「あの日」
「告別式」
彼女はゆっくり言った。
「あなたの指、ぜんぶ絆創膏だった」
作業場の音が、全部消えた気がした。
「ありがとうって、言おうとしたのよ」
「何度も」
「口まで来とった」
どうして、と私は聞いた。
声が掠れて、二回言い直した。
彼女は少し笑った。
困ったときの、朔と同じ笑い方だった。
「言ったら、あなた、この仕事やめてしまう気がしたの」
「あの子の脚を作った手やねって、私が言うてしまったら」
「あなた、二度とやすり持てんようになる」
私は何も言えなかった。
「だから、黙っとった」
「ずるいのは、私のほう」
※
私は、言わなければならないことを、二十八年持っていた。
「あの日」
そう言うのに、ずいぶん時間がかかった。
「朔くんが最後にここへ来た日、私、明日でいいと言いました」
「踵のゴムを、替えませんでした」
千代さんは、少しのあいだ黙っていた。
それから、車椅子の上でゆっくり手を伸ばして、私の手の甲に触れた。
冷たくて、軽い手だった。
「あの子、次の日も来る気やったんやね」
私は、うまく息ができなかった。
「それやったら、よかった」
彼女はそう言った。
※
しばらくして、彼女はこう続けた。
「あの子ね、走れるようになったら、村瀬さんに言うことがあるって、私に言うとったの」
「何て言うつもりだったんか、聞かんかったのよ」
「あの子の口から、あなたに言わせたかったから」
彼女は膝の上で手を組んだ。
「聞いとけばよかった」
「ずっと、そう思っとる」
私は床に膝をついたまま、彼女の靴の先を見ていた。
窓の外で、川の水音がしていた。
二十八年前と、同じ音だった。
※
千代さんの装具は、三週間で仕上げた。
内側にねじれた脚を、無理に真っ直ぐにはしない。
その人が長い年月をかけて作った形を、少しだけ支える。
父がそう教えた。
踵には、いちばんやわらかいゴムを入れた。
在庫の中で、いちばん高いものだ。
伝票には書かなかった。
※
引き渡しの日、彼女は工房の中を一歩ずつ歩いた。
床の継ぎ目で、少しだけ足が止まる。
私はその音を聞いていた。
「歩きにくかったら」
そこまで言って、私は言葉を止めた。
明日でいいので言ってください、と言おうとしていた。
代わりに、こう言った。
「明日、また来てください」
千代さんは振り返って、目を細めた。
朔と同じ、細い目になった。
「明日ね」
その二文字を、私は二十八年ぶりに、こわがらずに聞いた。
孫の人が車椅子をたたみながら、小声で言った。
「祖母、ここへ来る前に、坂の途中でいっぺん止まったんです」
「止まって、何も言わんで、下を見とりました」
※
あの伝票の一枚を、私はまだ捨てていない。
品名は「足部・踵ゴム交換」。
日付は平成八年六月十四日。
その下に、私は新しく一行だけ書き足した。
令和六年十月三十日、完了。
二十八年遅れて、私はやっと、踵のゴムを替えたのだと思う。
※
朝、窓を開ける。
樹脂の粉が、光の筋の中を斜めに落ちていく。
指の絆創膏を巻き直して、私はやすりを持つ。
削れば、また切れる。
それでいい。
この指で、まだ誰かの歩き方を作れる。
明日も。