線路の向こうで二本の指が上がる

雪降る駅のあたたかな食堂

「窓、寒くねえか」

父がそう言ったのは、私が駅そばで働きはじめて、ひと月が過ぎた朝だった。

朝の四時十分。

台所の蛍光灯の下で、父は味噌汁をすすっていた。

私は、店の窓に立っていることを、父に話したことがなかった。

「別に」

それだけ言って、私は玄関へ向かった。

父は箸を持ったまま、人差し指と中指を、ちょっとだけ上げた。

いってらっしゃい、の代わりの、二本の指。

母が家を出た十二の年から、父の見送りは、ずっとこの二本の指だった。

父がなぜ、窓のことを知っていたのか。

私がそれを分かったのは、三年後、店が閉まる朝だった。

私が南館(みなみだて)駅の駅そばに入ったのは、二十一の春だった。

高校を出て、山形市の事務の会社に勤めた。

電話の声が小さい、と毎日言われた。

八か月で辞めて、実家に戻った。

父は、理由を訊かなかった。

「んだか」

それだけだった。

実家は、駅から歩いて十五分の、線路沿いの家だ。

父と二人で、母のいない家に、九年いた。

仕事を探して駅に行った朝、待合室の壁に紙が貼ってあった。

そば店、早朝スタッフ募集。

時給九百八十円、四時半から昼まで。

駅なら、父より先に家を出られると思った。

顔を合わせる時間が、短くて済むから。

面接は、店の裏の狭い流しの前で、三分で終わった。

店長は、曽根(そね)さんといった。

六十を過ぎた、大きな人だった。

白い帽子の下から、太い眉だけが出ていた。

「明日から来い」

それだけだった。

初日の朝は、四時に家を出た。

街灯の下で、息が白かった。

跨線橋の上から見ると、暗いホームで、店の窓だけが光っていた。

遠くからでも、はっきり見える光だった。

店は、一番ホームの真ん中にあった。

待合室側に暖簾(のれん)があり、ホーム側に小さな窓があった。

窓の幅は、丼が二つ並ぶくらいしかない。

曽根さんは私を、窓の内側に立たせた。

「始発が出るまでは、窓から離れるな」

それが、曽根さんが言葉で教えた、最初で最後の決まりだった。

つゆの温度も、かき揚げの揚げ方も、見て覚えろと言われた。

窓のことだけは、言葉だった。

上りの始発は、四時五十八分に出る。

保線の人や、山形の市場へ行く人が、その前にどっと来る。

最初の客は、市場へ行くおばさんだった。

「新しい子だね」

「はい」

「窓、寒いべ」

「はい」

おばさんは、つゆを飲み干して、丼を窓の台に戻した。

その丼を下げた手が、もう冷たかった。

窓は、風がまともに入る。

四月でも、指の先が白くなった。

若い女が窓に立てば売れるからだろう、と私は思った。

曽根さんは、言い訳をしない人だった。

だから私も、訊かなかった。

始発が出るまでの窓

四時五十八分に上りが出ると、ホームは一度、空になる。

初日、私は窓から離れようとした。

「まだだ」

曽根さんは、つゆの鍋から目を上げずに言った。

「始発、出ましたけど」

「下りがまだだ」

下りの始発は、五時十四分だった。

その十六分間、窓に客は来ない。

来ないのに、私は窓に立たされた。

向かいの二番ホームには、駅の時計がひとつ、ぶら下がっている。

一番ホームからは、その時計しか見えない。

曽根さんは五時十分になると、鍋の前から顔を上げ、線路の向こうを見た。

時計を見ているのだと、私は思った。

店の中の時計は、いつも三分遅れていたから。

五時十四分に下りが出ると、曽根さんは「いいぞ」と言った。

私は暖簾の内側に入り、ストーブの前で指を揉んだ。

それが、毎朝だった。

梅雨には、窓から雨が入った。

台が濡れて、天かすが流れた。

曽根さんは、雨の日も「窓だ」と言った。

私は丼の縁を拭きながら、線路の向こうを見なかった。

見る理由が、なかった。

常連は、顔で覚えた。

保線の三人は、四時五十分に来る。

かけ、かけ、月見、と言う。

いちばん若い人だけが、七味を丼の半分にかける。

「半分だけ、辛いのがいいんだ」

高校生が一人、四時五十五分に駆け込んでくる。

かき揚げそばを頼んで、天かすを必ず窓の台にこぼす。

その天かすを拭くのが、私の毎朝の癖になった。

二番ホームの自販機を補充する兄ちゃんが、五時十分ごろ、向こうにいる日があった。

曽根さんが見ているのは、あれかとも思った。

兄ちゃんは、こっちを見ない。

保線の三人が、曽根さんのことを教えてくれたのは、最初の夏だった。

「曽根さんはな、国鉄のころから、この駅の駅員だ」

「旗、振ってた人だ」

「三十八年、ここのホームに立ってた」

「駅員やめて、そば屋の店長になったんですか」

「んだ。ホームから、離れねえ人だ」

私は、窓の内側から、曽根さんの背中を見た。

大きな背中は、鍋の前で動かなかった。

家に帰ると、父はいなかった。

父は、隣の市の段ボール工場で働いていた。

私が駅そばに入るのと同じ春に、二十年いた製材所が閉まった。

新しい工場のことを、父は「遠くなった」としか言わなかった。

朝は、私のほうが先に家を出る。

だから父が何時の電車に乗るのか、私は知らなかった。

たぶん、四時五十八分の上りだろうと思っていた。

南館から出ていく人は、たいてい山形のほうへ行くから。

夜の七時に、父は帰ってくる。

作業着の肩に、段ボールの茶色い粉がついている。

父は、私の仕事のことを訊かない。

私も、話さない。

台所のテレビが、明日の天気を言う。

それだけの家だった。

一度だけ、訊いたことがある。

「駅のそば屋、来たことある」

父は、味噌汁の椀を置いた。

「んだ。昔な」

昔、と言った。

製材所は、駅の裏にあった。

父が店に来なくなったのは、私がいるからだと思った。

駅そばの窓に立つ娘を、見たくないのだろう、と。

五時五分の月見そば

曽根さんには、妙な癖があった。

五時五分になると、誰も頼んでいない月見そばを、一杯作る。

丼を、窓の台の、私の左側に置く。

「取り置きだ」

そう言って、鍋に戻る。

取り置きなのに、誰も取りに来ない。

五時十四分に下りが出ると、曽根さんはその丼を持ち上げる。

そして立ったまま、伸びた月見を食べる。

汁を吸って、二倍にふくらんだそば。

黄身は、とっくに固まっている。

「伸びたのが、うめえんだ」

曽根さんは、そう言った。

賄いを取り置きと呼ぶ人を、私は初めて見た。

「誰の取り置きなんですか」

一度だけ、訊いた。

曽根さんは、鍋の湯気の向こうで、首を横に振った。

「来りゃ、分かる」

来ない人の月見を、曽根さんは毎朝作った。

私はそれを、大きな人の、大きな無駄だと思っていた。

月見は、五時五分に、必ずできあがる。

五時十分に、曽根さんが線路の向こうを見る。

五時十四分に、下りが出る。

三つの時刻が、三年間、ずれなかった。

友達には、こう送った。

「うちの店長、毎朝、伸びたそば食ってる」

「やば」と返ってきた。

「賄いにしては遅いんだよね」

「食べたいだけでしょ」

「取り置きって言うんだよ。誰のか知らない」

「こわ」

たぶん食べたいだけだろう、と私も思った。

一度、曽根さんが丼を差し出したことがある。

「食うか」

「いらないです」

「うめえぞ」

「伸びてますよ」

曽根さんは、それ以上すすめなかった。

自分で食べて、丼を、鍋の湯で流した。

その丼だけ、いつも曽根さんが洗うことに、私は気づいていなかった。

保線のいちばん若い人が、ある朝、丼を見て言った。

「今日も、来ねえのが」

曽根さんは、答えなかった。

若い人は七味を半分にかけて、黙って食べた。

月見が作られない朝も、あった。

大雪で、下りが運休になった朝だ。

上りだけが動いて、二番ホームには誰もいなかった。

曽根さんは五時五分になっても、鍋の前から動かなかった。

下りが運休の朝だけ、五時五分の月見は作られなかった。

電車が来ないのに取り置きを作るのは変だ、と私は思っただけだった。

その理由を考えるほど、私は窓の向こうに、興味がなかった。

夏は、窓が楽だった。

保線の三人は、冷やしを頼んで、ホームの端で食べた。

曽根さんは、五時五分の月見だけは、夏も温かいまま作った。

「冷やしにしないんですか」

「あの人は、月見だ」

あの人、と言った。

私は、自販機の兄ちゃんの顔を思い浮かべて、やめた。

お盆に、父は休みだった。

それでも四時に起きて、味噌汁を作っていた。

「休みでしょ」

「癖だ」

父は、四時十分に、二本の指を上げた。

秋、店の裏の栗の木が、実を落とした。

曽根さんは休憩のたびに、栗をポケットに入れて帰った。

「孫にだ」

そう言って、笑わなかった。

私は、曽根さんが笑ったところを、三年で二度しか見ていない。

一度は、券売機が千円札を三枚続けて吐いたとき。

もう一度は、最後の朝だった。

氷の張った券売機

一月、南館は零下八度になった。

窓のガラスの内側に、氷の花が咲いた。

券売機が千円札を吐くようになった。

私は窓から手を伸ばして、札の皺を伸ばし直した。

指の感覚が、四時五十八分より前に、なくなる。

「板、立てましょうか」

窓の下半分に、段ボールでも当てれば、風は減る。

「駄目だ」

「なんでですか」

「見えなくなる」

「何がですか」

「客が」

客は、窓の上半分から頼む。

下半分を塞いでも、客は見える。

私はそう思ったが、言わなかった。

「中に入れてください」

一月の半ば、私は初めて言った。

「始発が出るまでは、窓だ」

「客、来ないじゃないですか。十六分」

「窓だ」

曽根さんは、つゆの鍋から目を上げなかった。

私はその日の昼、更衣室の壁を蹴った。

更衣室の壁には、歴代の早朝スタッフの名前が、鉛筆で書いてあった。

四人。

みんな、一年もたなかった。

私はもう、二年目だった。

友達に「辞める」と送った。

「いいじゃん辞めな」と返ってきた。

辞めなかった。

理由は、その日の夕方、家にあった。

父が、珍しく先に帰っていた。

台所のテーブルに、使い捨てのカイロが、十個、置いてあった。

段ボール工場の名前が入った、粗品のカイロだった。

「余った」

父はそれだけ言って、風呂に行った。

翌朝から、両方の靴の中に、カイロを入れた。

窓の指は、相変わらず白かった。

でも足だけは、五時十四分まで、もった。

カイロは、十個で終わらなかった。

月に一度、テーブルに十個、置いてあった。

「余った」

父は、そのたびに言った。

段ボール工場は、そんなに粗品が余るのかと、私は思った。

訊かなかった。

訊いたら、父が窓のことを知っている理由を、訊くことになる。

なぜか、それが怖かった。

一月の終わり、券売機が直った。

業者が来て、札の口を替えていった。

その夜、父が言った。

「券売機、直ったか」

「……直った」

父は、味噌汁を飲んだ。

券売機のことを、私は家で言っていない。

常連が、どこかで話したのだろう。

南館は、そういう町だ。

二月、高校生が、受験に受かった。

かき揚げを頼んで、天かすを窓の台にこぼして、「山形の専門学校」と言った。

「おめでとう」

「窓の人に、初めて言われた」

私は、自分がずっと窓で黙っていたことに、そのとき気づいた。

父と同じだ、と思った。

その夜、テレビの天気予報のあとで、私は言った。

「高校生の子、受かったって」

父は、味噌汁を飲んだ。

「かき揚げの子か」

私は、箸を止めた。

かき揚げの子、と私は言っていない。

「なんで知ってんの」

「駅で、見る」

父は、それ以上言わなかった。

駅で見る。

同じ駅を使っているのだから、当たり前だと思った。

私は、当たり前だと、思うことにした。

三月三十一日の跨線橋

三年目の二月、閉店の紙が、暖簾の脇に貼られた。

三月三十一日をもって、営業を終了いたします。

駅の中の売店を減らす、という会社の決まりだった。

曽根さんは、その紙を、私に貼らせた。

「んだか」

紙を見て、それだけ言った。

保線の三人は「んだか」と言って、かけ、かけ、月見を頼んだ。

いちばん若い人だけが、七味を半分にかけなかった。

「どうしたの」

「なんか、もったいなくて」

父には、夜、天気予報のあとに言った。

「店、三月で閉まる」

父は、箸を置いた。

長いあいだ、置いたままだった。

「んだか」

それから、こう訊いた。

「窓、最後まで、立つのか」

私は、また窓のことを言っていない、と思った。

「立つよ」

父は、二本の指を、ちょっとだけ上げた。

いってらっしゃい、ではない時間だった。

意味は、分からなかった。

三月に入って、曽根さんは、つゆの作り方を私に教えた。

かえしの量、湯の温度、火を止める時間。

「覚えとけ」

「もう、使いませんよ」

「覚えとけ」

曽根さんの手は、鍋の湯気で、いつも赤かった。

かえしを量るとき、指の先で、瓶の口を一度拭く。

私はそれを、真似した。

使わないつゆを、私は覚えた。

三月の半ば、曽根さんが、鍋の前で、初めて私のことを訊いた。

「あんた、親父さん、どこ勤めだ」

「隣の市の、段ボールの工場です」

「んだか」

「どうしてですか」

「いや」

曽根さんは、五時五分の月見を作った。

取り置きは、その日も、誰も取りに来なかった。

四月からの仕事は、市の給食センターに決まった。

面接で、早朝に強いですかと訊かれた。

四時半から窓に立っていました、と答えた。

曽根さんには言わなかった。

言ったら、曽根さんの四月を訊くことになる。

三十八年、ホームから離れなかった人の、四月を。

三月三十一日の朝は、雪が降った。

四時半に暖簾を出すと、保線の三人が、もう待っていた。

「最後だからよ」

かけ、かけ、月見。

いちばん若い人が、七味を、丼の全部にかけた。

「もったいなくないの」

「最後だから」

三人は、丼を窓の台に戻して、並んで頭を下げた。

曽根さんは、鍋の前で、帽子を取った。

初めて見る、白い髪だった。

高校生が、四時五十五分に、駆け込んできた。

卒業したのに、来た。

かき揚げを頼んで、百円足りなかった。

曽根さんが黙って、百円を券売機に入れた。

天かすが、窓の台にこぼれた。

私は、最後の天かすを拭いた。

四時五十八分に、上りが出た。

ホームが、空になった。

雪が線路に落ちて、消えた。

私は窓に立った。

曽根さんが、五時五分の月見を作った。

丼を、いつもの、私の左側に置いた。

そして、言った。

「今日は、あんたが持ってけ」

「どこに」

「二番の、いちばん端」

「誰に」

「あの人の、月見だ」

曽根さんは、鍋の前から動かなかった。

私は丼にラップをかけて、裏口から出た。

跨線橋の階段は、雪で濡れていた。

鉄の段が、一段ずつ、鳴った。

丼の汁が、ラップの内側で揺れた。

自販機の兄ちゃんだろうか、と思った。

兄ちゃんは、月見を頼んだことがない。

二番ホームの端の二本の指

二番ホームには、屋根が、半分しかない。

時計の下から先は、雪の中だった。

いちばん端に、人が一人、立っていた。

作業着の肩に、雪が積もっていた。

その人は、線路の向こうの、一番ホームを見ていた。

私の店の、小さな窓を。

右手が、胸の高さに上がっていた。

人差し指と、中指だけが。

ちょっとだけ。

線路の向こうで二本の指を上げていたのは、父だった。

窓の中に私がいないのを、探しているようだった。

「お父さん」

父の指が、下りた。

雪の中で、父の顔は、家で見るより小さかった。

「……窓に、おらねえから」

父は、それだけ言った。

私は、丼を差し出した。

「五時五分の。月見」

父は、ラップを取った。

汁を吸って、二倍にふくらんだそば。

黄身は、固まっていた。

「伸びてる」

「三年、伸びてた」

父は、立ったまま食べた。

段ボールの粉のついた肩に、雪がまた積もった。

箸の音だけがした。

私は、線路の向こうを見た。

一番ホームの、私の店の窓が、光っていた。

窓の内側に、白い帽子があった。

曽根さんは、こっちを見ていた。

三年間、五時十分に、時計を見ていたのではなかった。

大雪の朝に月見がなかったのは、父の乗る下りが、来ない朝だったからだ。

父が、丼を返した。

汁まで、なかった。

「あんた、窓、寒かったべ」

「別に」

二本の指が、ちょっとだけ上がった。

五時十四分。

下りが、雪の中から来た。

父は、丼を私に持たせたまま、乗った。

窓の内側で、二本の指が、もう一度上がった。

私は、丼を持った手で、人差し指と中指を上げた。

初めてだった。

跨線橋を戻ると、曽根さんが、窓の内側で丼を洗っていた。

私の丼を受け取って、鍋の湯で流した。

「あんたが来た朝、親父さん、窓まで来た」

「顔見て、引き返した」

それだけ言って、曽根さんは笑った。

三年で、二度目だった。

暖簾を外したのは、昼、私だった。

父は、いまも五時十四分の下りに乗る。

私は四時十分に、台所で味噌汁を作る。

父は箸を持ったまま、二本の指を上げる。

私も、上げる。

窓は、もうない。

それでも五時十四分になると、私は台所で、線路のほうを向く。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

最後まで読んでくださって、ありがとうございます

この話が少しでも心に残ったなら、それだけで書いた甲斐がありました。
当サイトは個人で運営しており、いただいたご支援はサーバー代やドメインの維持費に大切に使わせていただきます。

¥240 の一度きりのお支払いで応援いただけます。
お礼として、以後ずっと広告を非表示にいたします(継続課金はありません)。

くわしく見る →

メンバーなのに広告が表示される方

ブラウザを変えた・Cookieを削除した場合は、登録のメールアドレスを入力してください。