姉が刻んだ二本目の傷
高知・四万十の川漁師の家に生まれた私が、二十七歳ではじめて知った自分の出生の話です。窪川の祖母の家の大黒柱に二本ずつ並んでいた鉛筆の傷。その薄い三本を刻んでいた…
高知・四万十の川漁師の家に生まれた私が、二十七歳ではじめて知った自分の出生の話です。窪川の祖母の家の大黒柱に二本ずつ並んでいた鉛筆の傷。その薄い三本を刻んでいた…
サラ金に追われた父が消えた朝、十九歳の俺は別々に暮らしていた母の家へ転がり込んだ。組子職人の修業と、恋人直美の袖口の癖。筑後の言葉の「や」の本当の意味を知るまで…
高校の文化祭で出会い、十九歳で夫婦になった俺と嫁。仕事に没頭して会話が消えた数年、手帳に残るハートで囲んだK、そして離婚届に震える二人の字。23年間のリセットの…
妹の入院中、五歳の甥が青い恐竜のリュックを背負って実家へやって来た。昼間は元気に遊び、夜になると「あしたかえるね」と小さな声で言う。毎朝一枚ずつ救急箱から持ち出…
実家の時計はどれも五分進んでいたのに、台所の時計だけは、ラジオの時報とぴたりと合っていた。雪の日の帰省、タクシー代、十四年後に訪ねてきた運転手。母が四年かけて払…
耳の聞こえない私の手話には、左右が入れ替わる癖がある。教わった父が、図書館の本と洗面所の鏡だけで覚えたからだ。鏡の前の手話しか知らなかった父の三年間を、私は十七…
十九歳の冬、がんで入院した母の病室に簡易ベッドを並べて泊まり込み、短大を諦めて看護師の道を選んだ私。お母さんの看病ができた日々を羨ましいと思えなかった後悔と、今…
県外への進学を、父だけが最後まで大反対しました。理由は一度も言ってくれません。勝手に決めて出て行った娘が、父の車のダッシュボードから折りたたんだ地図を見つけたの…
朝四時から製麺所へ向かう父の先を歩いていた茶トラ猫のみぃ。父の護衛は、棺の小窓を一晩じゅう掘り続け、骨上げの日に忽然と姿を消した。四十九日の朝、玄関で鳴いていた…
二年前の秋、二十年ぶりに訪れた祖母の家。ちゃぶ台の上の色褪せた家族写真と、居間の柱に増えていた鉛筆の線。孫の背丈を想像で足し続けた祖母の、静かな毎年の習慣と、最…
事故で恋人を失い、右脚も失った彼女は、ある朝、彼がいちばん好きだった紺のワンピースで駅へ向かった。券売機の前で落とした百円玉を拾ったのは、見覚えのない年配の男性…
母が送ってくる青さのりの袋の口には、毎年ちがう本数の輪ゴムが巻いてありました。四万十の冬の川に一人で立ち続けた母と、大阪で働き続けてきた息子。あと何日会えるのか…
六歳の春に来た義母の手帳には、毎年一月十四日に赤い丸がついていた。誕生日でも命日でもない。四十年知らずにいた手帳の赤い丸の意味を、私は通夜の席で妻から聞かされた…
四歳の姉が祖父の削った描き炭十二本を全部折った理由は、二歳の妹と交わした半分この約束でした。能登・珠洲の揚げ浜塩田を舞台に、十二本のうち一本だけに彫られていた浅…
大分・日田で下駄の台を削っていた父は、三つになる娘が掛け紙で折った空っぽの箱を、二十八年ものあいだずっと枕元に置き続けています。「キッスをいっぱい入れたの」と言…