あした

たんぽぽを持つ手(フリー写真)

私の甥っ子は、母親である妹が病気で入院した時に、暫くパパママと離れて実家の父母の家に預けられていました。

「ままがびょうきだから、おとまりさせてね」

と言いながら、小さな体に着替えを入れたリュックを担ぎ、我が家へやって来たのです。

度々遊びに来ていた甥っ子は、我が家へやって来ても寂しがることもなく、昼間は父母や私と遊び、時々外食をしたりしていました。

夜寝る時には、

「きょうは、じいじとねる」

「きょうは、ばあばとねる」

と、楽しそうに寝る相手を選んでいました。

じいじやばあば、そして『お姉ちゃん』こと私と、仲良く楽しい毎日を過ごしていました。

昼間は時々、

「ままは、びょうきがなおったかな~」

と言う時はありましたが、寂しいかと聞くと

「ううん、だいじょうぶ!」

と、いつも元気よく話していました。

「子供ながらに周りに気を使っているんだよ…」

と家族で話していましたが、それでも甥っ子は寂しい素振りを見せず、毎日を過ごしていたのです。

しかし妹が入院して十日が過ぎた頃のことです。

「きょうは、おねえちゃんとねる~」

と言うので、一緒にお布団に入っていると

「おねえちゃん、ぼく、あしたおうちにかえるね、しばらくかえってないからね」

と小さな声で言うのです。

まだ妹は退院しておらず、家に帰ることはできない状態なのです。

私は甥っ子の言葉を聞きながら、

「そうだね、そのうちお家に帰ろうね」

と言いました。

次の日になると、昼間はやはりいつも通りに元気良く遊んでいる甥っ子です。

家のことは何も話さず、一日が過ぎました。

そして夜になった時、昨日と同じように、

「おねえちゃん、ぼく、あしたかえるね」

と言うのです。

そんな甥っ子がいじらしく、せめて寂しい思いが少しでも少なくなるように

「そうだね、明日になったらママに会いに行こうか」

と言いました。

母親の顔を見れば、少しは元気になるかな、と思ったのです。

すると甥っ子は少し笑って、

「おねえちゃん、あしたはなかなかこないねえ」

と言いました。

小さい甥っ子なりに寂しさを抱え、でも何とかいつも通りに元気良く過ごそうとしていた気持ちがいじらしくて、私も胸が詰まりました。

ふと見ると、隣の部屋から様子を覗いていた『ばあば』が、涙ぐんでいました。

そんないじらしい様子を見せた甥っ子は、結局一ヶ月ほどを我が家で過ごし、ようやく退院した妹と一緒に自宅へ帰って行きました。

ママとパパが迎えに来た時には、本当に本当に嬉しそうで、それを見た私達も、また目頭が熱くなったのでした。

関連記事

ろうそくの火(フリー写真)

ろうそくの火と墓守

急な坂をふうふう息を吐きながら登り、家族のお墓に着く。 風が強いんだ、今日は。 春の日差しに汗ばみながら枯れた花を除去して、生えた雑草を取り、墓石を綺麗に拭く。 狭い…

阿佐ヶ谷七夕まつりの短冊(フリー写真)

人のために出来ること

ある家庭に、脳に障害のある男の子が生まれた。 そして数年後、次男が誕生した。 小さい頃、弟は喧嘩の度に 「兄ちゃんなんて、バカじゃないか」 と言った。それを聞い…

男の子の横顔

あした かえるね

私の甥っ子は、母親である妹が病気で入院したとき、しばらくの間、私たち家族のもとで過ごすことになりました。 「ままが びょうきだから、おとまりさせてね」 そう言って、小さな…

妊婦さんのお腹(フリー写真)

皆からもらった命

母は元々体が弱く、月に一回定期検診を受けていた。 そこで、私が出来たことも発覚したらしい。 母の体が弱いせいか、私は本来赤ちゃんが居なくてはいけない所に居らず、危ない状態だ…

キッチン(フリー写真)

最高に幸せなこと

私は小さな食堂でバイトをしています。 その食堂は夫婦と息子さんで経営。バイトは私だけの合計四人で働いています。 基本的に調理は旦那さんと息子さんがやっているのですが、付け合…

駅のホーム

旅で得た千円札

学生時代、ほとんどお金を持たずに貧乏旅行に出た私。帰りの寝台列車の切符を買ったら、残金はわずか80円になってしまった。食事をしていないのは丸一日、家に着くまではまだ36時間以上ある。…

赤信号

寄り添う心

中学時代、幼馴染の親友が目の前で事故死した。あまりに急で、現実を受け容れられなかった俺は少し精神を病んでしまった。体中を血が出ても止めずに掻きむしったり、拒食症になったり、「○○(亡…

母への感謝の気持ち(フリー写真)

ありがとうな、おかん

なあなあ、おかんよ。 中学の時に不登校になり、夜間高校に入るも家に帰って来ず、毎日心配させてごめんよ。 二十歳を超えてからも、彼氏を作り勝手に同棲して、ろくに連絡もせず心配…

あじさい

雨の日の再会

もう二十年前のことです。私が小さい頃、両親は離婚し、私は施設で育ちました。その後、三歳の時に今の親に引き取られ、その家庭で育ちました。私はその親を本当の親と思っていましたが、中学二年…

キャンドル

灯り続ける希望の光

24歳の時、僕は会社を退職し、独立を決意しました。上司の姿から自分の未来を映し出し、恐れを感じたからです。しかし現実は甘くなく、厳しい毎日が始まりました。25歳で月収7万円、食事は白…