第二日曜に母は出かける
母の鞄には、よく晴れた日にも折りたたみ傘が入っていた。第二日曜だけは用事があると言って、私の誘いはいつも断られた。母が入院した週、財布に残っていた交通系ICカー…
母の鞄には、よく晴れた日にも折りたたみ傘が入っていた。第二日曜だけは用事があると言って、私の誘いはいつも断られた。母が入院した週、財布に残っていた交通系ICカー…
毎月第1火曜の夕方だけ、先生は9本だけ塗らせる客としてやって来た。右手の薬指はいつも「そこはいいから」と折り曲げて、私に触らせない。3年で36回。手の震えで筆を…
夜になると、フクは玄関で一度だけ短く鳴いて出かけていった。前脚の内側を灰色に汚して、朝には帰っている。夜だけ出かける犬の行き先を、私は薄々知っていて、確かめには…
雨の日、片方の肩ベルトが切れたランドセルを抱えた男の子が、父の小さな店に立っていた。ランドセルの修理の代金を、父は一度も受け取らない。ただ甘いだけの人だと思って…
夜勤明けの水曜の朝だけ、私の冷蔵庫から卵がふたつ減る。三年のあいだ、朝ごはんを作りに来る後輩を私は鬱陶しく思っていた。どうせ憐れまれているのだと。彼女が島へ発つ…
夜行バスの中でスマホが光った。『クウの散歩を記録しました 2.4キロ 38分』。もう歩けるはずのない犬の記録が、なぜ今日も届き続けるのか。確かめるためだけに引き…
泣ける話・長編。半島の集落で俺を育てた隣家のトキさんは、渡船に乗らず峠を歩き、いつも俺を右側に立たせた。十五の夏の約束を果たせないまま別れて三十年、廃止される渡…
婚約者の長い療養で結婚式をあきらめた私と、注文の止まったウェディングドレスを十一年間しつけ糸のまま守り続けた仕立て屋の物語。袖口の白い糸に隠されていた約束と、病…
七つで両親に置いていかれた私を、血のつながらない花火師が引き取った泣ける話。五十年ただの一度も名前を呼ばれず、玉名帳にも名簿にも私の名はなかった。その理由は、空…
三つだった姪を自分の娘として育てた紙漉きの女の泣ける話。毎年一枚だけ漉いた売らない透かし紙が、三十年後に娘の手から返ってくる。十月十九日にだけ名を呼ばれなかった…
十四で継母を迎えた私を、くめさんは一度も名前で呼ばなかった。泣ける話としてお届けする長編の感動短編です。表具屋の土間に五十年、封を切らずに置いた三つの糊甕。五十…
十七で硝子工場に入った俺の瓶を、七つ上の検品係すずさんは毎日そっと合格の箱へ入れていた。泣ける話としてお届けする長編の感動短編。五十八年後に口の右へ寄った一本が…
寒天づくりの町に嫁いだ私は、四十年ものあいだ夫に小さな嘘をついていました。夫が毎冬とっておいた割れ寒天の行き先を、廃業を決めた最後の冬に、思いがけない訪問者から…
毎月おなじ一行だけを刷りに来た井戸掘り職人に、活版所の文選工だったわたしは勝手な一言を足した。いらんと言われたその紙を、五十年後に見知らぬ老女が財布の奥から出す…
踵のゴムを替えて――彼はそう言って明日と笑い、明日は来なかった。義肢装具士の私が二十八年抱えた泣ける話。告別式でひとことも言葉をくれなかった彼の母と、二十八年後…