震災で亡くした彼女

震災で亡くした彼女

浜に流れ着いた浮子(あば)は、底を上にして置く。

誰の家のものか、そこを見んと分からんからだ。

加瀬浦では、子どもでも知っていた。

私は今年で五十七になるが、いまだにその手つきだけが変わらない。

拾う。

砂を払う。

返す。

それだけのことを、四十年、繰り返している。

※

加瀬浦は、日本海に細長く突き出た半島の、内側の付け根にある。

冬は西からの風がまともに当たり、夏は逆に、油を流したように凪ぐ。

家は四十軒ほどだった。

そのうち十二軒が、定置網の株を持っていた。

網起こしは、まだ暗いうちに始まる。

私は小学校に上がる前から、父の船に乗せられていた。

甲板の氷は、素足で踏むと最初は熱いように感じる。

そのあとで、じわりと足の裏の形に融ける。

父はほとんど喋らない人だった。

かわりに、手のひらで私の背中を叩く回数で用件を伝えた。

一回なら、そこをどけ。

二回なら、綱を持て。

三回叩かれたことは、四十年で二度しかない。

網の浮子には、家ごとの印が焼いてある。

木戸の家は、丸に木。

うちは、角に一。

網が切れて流れれば、浮子は必ずどこかの浜に着く。

着いたら底を見て、印の家に返す。

返してもらった家は、次に誰かの浮子を拾ったときに返す。

それだけの決まりごとで、この浦は百年ばかり回っていた。

木戸ちづるは、その丸に木の家の、下の娘だった。

※

初めて口をきいたのは、中学三年の秋だ。

台風のあとの浜で、私が浮子を七つ拾って並べていたら、後ろから声がした。

「それ、五つはうちのやよ」

振り向くと、制服のまま、素足に長靴を履いた女の子が立っていた。

まだ底を返してもいないのに、なぜ分かるのかと訊いた。

ちづるは、浮子のひとつを持ち上げて、底を私のほうへ向けた。

「焼き印はな、押した人の癖が出るんや。うちのは、じいちゃんが左利きやったけん、丸がちょっとだけ潰れとる」

そう言われて見ると、たしかに、丸の右下がわずかに平たい。

言われるまで、私は十四年、それに気づかなかった。

その日から、浜で拾う浮子の底が、急に賑やかになった。

同じ丸に木でも、押した年によって潰れ方が違う。

祖父の押したものと、父の押したものと、母の押したものが、ひとつの砂の上に混ざっている。

浦の百年が、指先の下にあった。

※

高校は別々になった。

私は町の水産科に、ちづるは峠を越えた先の高校に通った。

朝のバスは、峠の下で二手に分かれる。

私は右、あの子は左。

それでも週に三度は浜で会った。

会うといっても、たいしたことはしていない。

ちづるは網の修繕小屋で母親の手伝いをし、私は父の下で浮子を仕分ける。

その合間に、防波堤の根元に並んで座って、菓子パンを半分こにするくらいのものだった。

あの子は、必ず自分のほうを先に選んだ。

そして必ず、大きいほうを私の膝に置いた。

「なんで先に選ぶんや」

「選ばれるの、待つの、しんどいけん」

そういうことを、平気な顔で言う子だった。

※

二年の冬に、いちどだけ喧嘩をした。

西風の強い日で、修繕小屋の戸が閉まらず、砂が床を這っていた。

私は網針の使い方をちづるに教わっていて、何度やっても目が揃わなかった。

苛々して、網を投げた。

ちづるは何も言わずに、それを拾って膝に広げ、私がほどいたところを黙って結び直した。

十分ほど、風の音だけがしていた。

それから、顔も上げずに言った。

「うち、あんたが下手なんは、なんとも思わん」

「じゃあ何や」

「投げたのが、いやや」

母親のミツヱさんが、奥から茶を持ってきて、私たちを見比べた。

それから、娘の頭を軽くはたいて言った。

「ちづる、あんたのは説教が長い。網より長い」

ちづるは口をとがらせたが、その口の端が、少しだけ上がっていた。

私は網針を握り直した。

その日、目は揃わないままだった。

※

木戸と、うちとは、昔から折り合いがよくなかった。

祖父の代に、瀬の使い分けで揉めたのだと聞いている。

網を張る場所は、浦の中でも一等地と、そうでないところがある。

その線引きで、二軒はひと冬、口をきかなかったらしい。

私が生まれたころには、もう表向きは収まっていた。

収まってはいたが、寄合の席で、父と木戸の父親が並んで座ることはなかった。

浜で行き合っても、互いに顎を引くだけだ。

ちづるとのことを、私は父に一度も話していない。

話さないほうがいい、と、あの子のほうが先に言った。

「うちの親父も、あんたの親父も、面倒くさいけん」

そのときは笑って済ませた。

二軒の印をひとつに重ねるということが、どれほどの話だったのか。

私はまだ、そこまで考えが及んでいなかった。

※

あの子には、妙な癖があった。

浮子を拾うたびに、底の焼き印を、必ず親指の腹でひとなでする。

拾ってすぐ、返す前に、一回だけ。

「なんでいちいち触るんや」

「触ったら覚えるやろ。目より、指のほうが覚えとる」

そのくせ私が同じことをすると、あの子は笑った。

「あんたのは、なぞっとるだけや」

兄の宏之さんは、そういう妹を持て余していた。

五つ上で、すでに網に出ていた人だ。

浜で私と行き合うと、顎をしゃくって、こう言うのが挨拶だった。

「あれ、まだ理屈言うとるか」

私が「言うとります」と答えると、宏之さんは鼻から息を抜いて、何も言わずに行ってしまう。

その背中を見送りながら、ちづるは決まって同じことをつぶやいた。

「兄ちゃんは、しゃべらんのが優しさやと思うとる」

※

高校二年の春、ちづるは急に、同じことを何度も言うようになった。

「うちの印、ちゃんと覚えとってな」

丸に木。

丸の右下が、ちょっと平たい。

そんなもの、この浦の人間なら全員が覚えている。

私が「わかっとる」と返すと、ちづるは決まって首を振った。

「わかっとる、やない。覚えとって、や」

意味が分からなかった。

ただ、あの子が同じ言葉を三度以上繰り返すのは珍しかったので、そのときの声の高さだけは、耳に残った。

五月の半ばだった。

修繕小屋の前で、ちづるは長靴のかかとで地面をこすりながら言った。

「あさって、浜に来て。昼から」

「なんかあるんか」

「あるけど、まだ言わん」

「今日でもええやろ」

「あかん。あさってやないと、まだ出来とらんもん」

私は「ふうん」とだけ答えた。

あさってが来ないことなど、そのときの私は、考えたこともなかった。

※

翌日の昼過ぎに、地面が鳴った。

音が先で、揺れが後だった。

教室の窓枠が、外れかけの戸のようにがたついた。

収まってから、誰かが「海」と言った。

そこから先のことを、私は順番どおりには思い出せない。

覚えているのは、坂を駆け上がる人の背中と、境内の砂利の白さと、自分の口の中が塩辛かったことくらいだ。

加瀬浦の低いところは、その日の午後に、二度水をかぶった。

木戸の家は、浜からいちばん近い並びにあった。

私は境内から下を見ていた。

二度目の水が引いたあと、屋根がひとつ、防波堤の外側に浮いていた。

それが誰の家の屋根なのか、そこからでは分からなかった。

分からないまま、私は何度も瓦の数を数えた。

※

それからの一週間を、私は公民館で過ごした。

畳の上に毛布を敷いて、四十人ばかりが並んで寝た。

電気が戻らないので、夜は早く、朝も早い。

誰かのラジオが、朝と晩に短く鳴った。

三日目の朝、炊き出しの列で、宏之さんを見かけた。

並んではいなかった。

汁の入った鍋の脇に立って、椀を配る側にいた。

あの人は、その一週間、一度も座らなかったと後で聞いた。

夜になると、宏之さんは浜へ下りた。

暗いのに、何をしているのかと思って、いちど後をつけたことがある。

ただ、水際に立っていた。

足元に、拾い集めた浮子が、底を上にして並べてあった。

私は声をかけずに戻った。

戻る途中で、自分の指が、まだ砂を握ったままだったことに気づいた。

父に三度背中を叩かれた二度目は、その一週間の終わりだった。

公民館の裏で、私がひとり、浮子を数えていたときだ。

父は何も言わずに、私の背中を三回叩いた。

それから、木戸の家があった並びのほうへ、顎を向けた。

行ってこい、という意味だったのだと思う。

私は動けなかった。

父はそれ以上、何もしなかった。

ただ、その日から浜へ出るとき、必ず私を連れて行くようになった。

寄合の帰りに、木戸の父親の位牌へ手を合わせて出てきたことも、あとで母から聞いた。

四十年、口をきかなかった相手の家である。

※

三日目に、浜へ下りることを許された。

砂の上に、家の中にあったはずのものが並んでいた。

茶碗。

片方だけの長靴。

ほどけた網。

そして、数えきれないほどの浮子。

大人たちは、まず浮子から拾った。

拾って、底を上にして、砂の乾いたところに並べていく。

四十年経った今でも、あの並びを思い出すことがある。

丸に木。

角に一。

三本線。

山に二。

誰も、ひとことも喋らなかった。

喋らずに、ただ、底を上にして置いていった。

浦の外から来た人が、それを見て不思議がった。

家も道もこんなになっているのに、なぜ木の玉ばかり並べているのか、と。

宏之さんが、その人に短く答えた。

「返す先が、まだあるけん」

※

ちづるとその両親が見つかったのは、それから四日後だと聞いた。

私は身内ではないので、そばへは行けなかった。

木戸の家の伯母さんが、私の肩に手を置いて、一度だけ強く押した。

それが、行くな、という意味なのか、済まん、という意味なのか、いまだに分からない。

私は浜へ戻って、また浮子を拾った。

拾うしか、することがなかった。

その中に、ひとつだけ、見たことのない印があった。

丸の中に、一が一本、まっすぐ通してある。

丸に木でもなく、角に一でもない。

加瀬浦の十二軒の、どこの印でもなかった。

焼きたてらしく、縁の木肌が、まだ薄く焦げて盛り上がっていた。

指を当てると、かすかに、松脂の匂いがした。

※

その浮子を、私は誰にも見せずに持ち帰った。

返す先が分からない浮子を持っているのは、この浦ではよくないことだ。

それでも返せなかった。

一週間ほどして、私は峠の下の鍛冶屋へ行った。

徳蔵さんという、耳の遠い爺さんがひとりでやっていた。

焼き印の鏝は、昔からこの人が打っていた。

土間に入ると、火床の炭がまだ赤く、犬が一匹、灰の脇で腹を出して寝ていた。

私が浮子を差し出すと、徳蔵さんは眼鏡を上げ下げしてから、鼻を鳴らした。

「これ、うちの仕事や」

「誰の頼みですか」

「木戸の下の娘」

徳蔵さんは、火床の脇の棚から、油紙にくるんだ小さな鏝を出してきた。

柄はまだ削りたてで、白かった。

持たせてもらうと、思っていたより重かった。

「三月から通うとった。丸の中に一を通す、いうて。何度も直させよってな、うるさい娘やった」

「何を直させたんですか」

「丸や。右下を潰せ、いうて聞かん。わしはまっすぐ打つのが仕事やのに、わざわざ歪めさせよる」

徳蔵さんは、そのときだけ、少しだけ笑ったように見えた。

「これは」

「あさって取りに来る、いうとった日の、前の日や」

私は、その鏝を受け取らなかった。

受け取れなかった、というほうが正しい。

徳蔵さんは、油紙を巻き直しながら、独り言のように言った。

「印は、家の数だけあるもんや。増えるときは、家が増えるときやな」

犬が、灰の中で寝返りを打った。

※

あの子が「覚えとって」と繰り返していたのは、木戸の印ではなかった。

これから作る印のほうだった。

丸に木の丸と、角に一の一。

二軒の印を、ひとつに重ねたものだった。

しかも、丸の右下は、じいちゃんの癖のまま潰してある。

新しくするのに、古いところだけは、そのまま持っていくつもりだったのだ。

あさっての昼に、浜で見せるつもりだった。

私はそれを、四十年かけて、少しずつ理解した。

一度に分かったのではない。

分かるたびに、また分からなくなった。

※

なぜ、その日でなければいけなかったのか。

それを知ったのは、ずっと後になってからだ。

十年ほど前、宏之さんが酒の席で、思い出したように言った。

「あいつ、親父に一遍だけ、ものを頼みに行っとる」

「何をですか」

「浮子に、うちの印以外を焼いてええか、いうて」

木戸の家では、網の道具に他家の印を入れることを、決して許さなかったという。

ちづるは三度断られ、四度目に父親が折れた。

折れた日が、あの五月の、地震の二日前だった。

「親父はな、その晩だけ、酒をよう飲んどった」

宏之さんは、そこで一度、猪口を置いた。

「あさってでええ、いうて言うたのは、親父や。焼くとこを見てやる、いうて」

私は返す言葉を探して、見つからなかった。

宏之さんは、私の顔を見ずに、こう続けた。

「おまえに見せるんやのうて、おまえに押させるつもりやったんやと思う」

※

浦は、その後ゆっくりと形を変えた。

防波堤が高くなり、定置網の株は三軒に減った。

私は父の跡を継いで、網の道具を直す仕事をしている。

父は十二年前に、母は六年前に、それぞれ静かに逝った。

妻をもらわなかったことを、母は最後まで気にしていた。

だが、寂しいと思ったことは、不思議とない。

浜に下りれば、いつでも底を上にした浮子が並んでいる。

あれは、返す先を待っている形だ。

待たせている、という気持ちが、私をこの浦に留めた。

春先には、町から来た若い衆に、印の見方を教える。

丸の潰れ方が違うでしょう、と言うと、たいてい、みんな首をかしげる。

目では分からんよ、と私は言う。

親指で、と。

※

去年の秋、木戸の伯母さんの葬式で、久しぶりに親戚が集まった。

そのとき、伯母さんの娘さんが、私に古い菓子箱を差し出した。

中に、ちづるの手帳が入っていた。

五月の欄に、丸に一の印が、鉛筆で何十個も描いてあった。

どれも、丸の右下が、わずかに平たかった。

あの子は、じいちゃんの癖まで、そのまま写し取ろうとしていた。

その隣に、小さな字でこう書いてあった。

「ゆびでおぼえてもらう」

私は手帳を閉じて、しばらく箱の縁を見ていた。

あの子は、私が印を目で覚えることを、はじめから諦めていたのだ。

触らせるつもりだった。

あさっての昼に、私の親指を、焼きたての印の上に乗せるつもりだった。

※

徳蔵さんは、平成の終わりに亡くなった。

鍛冶屋はそのまま閉じ、峠の下の土間には、しばらく板が打ってあった。

今年の春先に、その孫だという人が、私の作業場を訪ねてきた。

五十くらいの、背の低い人だった。

油紙の包みを、両手で差し出された。

「祖父が、棚のいちばん上に、これだけ残しておりました」

包みを開くと、あのときの鏝が出てきた。

柄の白さは、飴色に変わっていた。

頭のところだけが、四十年前と同じ黒さで残っていた。

「渡す相手が、決まっとる、と申しておりました」

「名前は、言うとりましたか」

「いえ。浮子を持ってきた子や、とだけ」

私はその日、作業場の火を落としてから、鏝を握ってみた。

丸の中を、一本の線が通っている。

右下だけが、わずかに平たい。

押す木は、いくらでもある。

押さなかった。

印というのは、押す相手が要るものだからだ。

※

今も、拾った浮子は底を上にして置く。

四十年、私はそればかりしている。

丸の中に一を通した浮子は、あれ一つきりで、二度と浜に上がらない。

あの印を持つ家は、この浦には、まだ無い。

土曜の朝になると、今でも浜へ下りる癖が抜けない。

誰かが待っている気がするからではない。

私が、まだ返していないからだ。

ひとことでいい。

覚えとるよ、と、あの子の名前を呼んで言いたい。

指で、と。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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