父の声が入ったテープ

田舎の小屋で過ごすひととき

父の声が入ったテープを見つけたのは、葬儀から二か月あまりが過ぎた、納屋の奥だった。

父が逝ったのは、梅雨入りの少し前だった。

朝早く母から電話があり、「お父さんが倒れた」と言われた。脳梗塞だった。

東京から新幹線に乗り、名古屋で特急に乗り換えて、飛騨の実家へ着いたのは夕方近くだった。

病院の廊下は消毒液の匂いがして、蛍光灯の白い光が床に跳ね返っていた。

父は集中治療室のベッドで、目を閉じたまま、ゆっくりと呼吸していた。顔色は思ったより穏やかで、眠っているように見えた。

「声をかけてあげてください」と看護師さんに言われた。

けれど、私は何も言えなかった。

おとう、ありがとう。おとう、帰ってきて。そんな言葉は、父と私のあいだに三十二年間、一度もなかったのだ。

父は、言葉を使わない人だった。

口数の少ない父

飛騨の山あいで畑を耕していた父は、毎朝四時に起きて畑へ出た。

帰れば風呂に入り、夕飯を食べ、テレビを少し見て、十時前には寝ている。その繰り返しが、物心ついた頃からずっと続いていた。

「おはよう」も「おやすみ」も、ほとんど聞いた覚えがない。

授業参観にも、学芸会にも、父は一度も来なかった。

小学五年のとき、私の絵が市の展覧会に選ばれた。先生が廊下で父に知らせてくれたらしいが、父は家で一言も口にしなかった。母から聞いて、私は初めて知った。

高校に受かった日も、父は「そうか」と言っただけだった。

東京の大学へ進むために家を出る朝、父は玄関先に立っていた。見送っているのかどうかも、わからなかった。「行ってきます」と声をかけても、うなずいたのかさえあやしい。

バスが角を曲がり、父の姿が見えなくなったとき、私は少しだけほっとした。

そのときの「ほっと」が、いまも胸の奥に残っている。なぜほっとしたのか、うまく説明できない。父を前にすると、私はいつも言葉を失った。

帰省するたび、父は畑仕事の手を止めてこちらを向き、また畑へ戻っていった。それだけだった。

嫌いだと思ったことはない。けれど、好きかどうかも、よくわからなかった。

ただ、そこにいた。それだけの人だった。

夕飯の席でも、父は箸を動かす手元ばかり見ていた。ごはん粒ひとつ残さず、茶碗の底を沢庵でぬぐって食べる。その節くれだった指の動きを、私は子どもの頃からずっと眺めていた。話しかける言葉は、一度も見つからなかった。

その父が、倒れて一週間後に、静かに逝った。

最後まで、目を開けなかった。

私は父に、とうとう何も言えなかった。

納屋の菓子缶

葬儀が終わり、親戚が帰り、四十九日も過ぎた頃、母と二人で遺品の整理を始めた。

父の部屋は、驚くほど物が少なかった。

作業着と防寒着が数枚、角の擦り切れた財布、農協の帳簿。窓際には、小さなカレンダーが掛かっていた。

そのカレンダーには、何も書き込まれていない。父は予定というものを持たない人だった。朝起きて、畑に出る。それだけで暮らしが回っていた。

母はよく「お父さんは口が重い人だから」と笑っていた。私は笑えなかった。重いというより、父の言葉は最初から存在しないもののように思えたからだ。

「納屋も片付けなきゃね」と母が言った。

翌朝、私は一人で納屋の戸を引いた。

土と錆と、乾いた藁の匂いがした。壁には鍬、鎌、背負子が並んでいる。どれも柄が黒ずんでいた。父が何十年もかけて手に馴染ませた黒さだった。

奥の棚には、段ボール箱や農薬の空き缶が積み重なっている。ひとつずつ下ろして、中身を確かめていった。

棚のいちばん奥に、錆びた菓子缶が押し込まれていた。

埃を払い、固い蓋をこじ開ける。

カセットテープが五本、きちんと並んでいた。

白いラベルに、手書きの文字がある。

――「由紀子 小学校入学」

――「由紀子 運動会 六年生」

――「由紀子 中学校 卒業」

――「由紀子 高校 合格」

――「由紀子へ いつか」

私は、その場に立ち尽くした。

缶の底には、乾燥剤代わりなのか、炭の小さな欠片がひとつ入っていた。湿気から守ろうとした父の手間が、そこにあった。

下手な字だった。けれど一画ずつ几帳面に書かれた、紛れもない父の字だった。

母に頼んで、押入れの奥から父のラジカセを探してもらった。茶色いプラスチックの角が、日に焼けて黄ばんでいる。コードをコンセントに差すと、赤いランプがぼんやり灯った。

父の声が入ったテープ

父の声が入ったテープは、全部で五本あった。

一本目を入れて、再生ボタンを押す。

しばらく、ざらざらという音だけが続いた。それからテープが回り、父の声がした。

聞いたことがないほど、柔らかい声だった。

「今日、由紀子が一年生になった」

「ランドセルを背負うて、玄関を出て行った。振り返らんかったけど、俺はずっと見ていた」

「うれしくて、うれしくて」

「どう言ったらいいかわからんけど、うれしかった」

音はそこで途切れた。私は手の甲で目を押さえた。

ラジカセの小さなスピーカーから、窓の外の蝉の声が細く混じっていた。入学式の日の、春の鳥の声ではなかった。あとで録り足したのかもしれない。父は何度も、この声を聞き返していたのだろうか。

二本目は、運動会の日だった。

「由紀子は一番じゃなかったけど、あの子なりに、一生懸命走っていた」

「俺はあの子に、急げとも、もっと頑張れとも、言ったことがない」

「それでよかったのか、いまも少しわからん」

「でも、走る姿を見ていたら、それだけでよかった気がした」

三本目は、中学の卒業式の夜に吹き込まれていた。

「今日で中学が終わった。高校は、少し遠い学校へ行く」

「もう子供じゃないな、と思った」

「俺はうまく喋れんから、直接はよう言わんけど」

「由紀子は、ええ子や」

短い言葉だった。けれど、父の口から聞いた、初めての言葉だった。

「ええ子や」と、父はずっと思っていたのだ。それを、テープの中でしか言えなかった。

四本目は、高校に受かった日のことだった。

「そうか、と言ったら、由紀子は少し寂しそうな顔をした」

「ほんとうは、もっと喜んでいた。でも言葉が出んかった」

「夜、一人で田んぼの畦道を歩いた。星が綺麗だった」

「俺がろくに何も言わんでも、あの子はちゃんと大きくなった。それが、どれだけ嬉しいかわからん」

五本目のテープ

最後の一本を、手に取った。

ラベルには、「由紀子へ いつか」とだけある。ほかと違って、日付がない。紙の色も、少し新しい。

再生ボタンを押すと、最初に長い沈黙があった。

父が咳払いをする。

「由紀子」

声は少し老いていた。私が東京へ出たあとに録ったものだと、すぐにわかった。

「お前に言えんかったことが、たくさんある」

「うまく言葉にできんから、こうしてテープに残すことにした」

「お前が聞くかどうかもわからんけど、残しておきたかった」

かさりと紙の擦れる音がした。ラジカセの前に座っている父の、膝の向きまで見えるような気がした。

長い間があった。背景で、風の鳴る音がする。飛騨の山から降りてくる、あの風の音だった。

「お前が東京へ行った朝、俺は玄関の外に一時間ほど立っていた」

「母さんには黙っていたが」

「お前が行った方角の空を、ずっと見ていた」

一時間。バスの中でほっとしていたあいだ、父は動かずに、空を見ていたのだ。

「由紀子、俺はずっと、お前が誇りだった」

「言えんかったのは、俺がおかしいんやと思う。でも誇りだった。それだけは、わかってほしかった」

テープの音が、一度乱れた。

「俺みたいな不器用な父親でも、お前はちゃんと大きくなった」

「それは俺の力やなくて、お前自身がそうしたんやと思う」

「だから余計に、何もしてやれんかったと思っている。すまんな」

それだけ言って、テープは切れた。

私は納屋の土間に座り込んでいた。いつのまにか、そうなっていた。

床板は冷たく、埃と、農具の錆の匂いがした。

父はずっと、この匂いの中にいたのだ。何十年も、ここで。そして誰にも聞かせないまま、娘に言えなかった言葉を缶にしまっていた。

外から、母の声がした。

「由紀子、お昼ができたよ」

返事ができなかった。もう一度「由紀子?」と呼ばれて、私はやっと立ち上がった。

納屋の入口から、六月の光が畑に降りているのが見えた。父が毎朝歩いたあぜ道が、青い草の中に細く続いている。

壁の鎌を、そっと両手で包んだ。柄は黒ずんで、父の手の形にへこんでいる。まだ温かい気がした。

父はずっと、こういう人だった。何も言わないけれど、ちゃんとそこにいた。

「ありがとう、おとう」

小さく言った。誰にも聞こえない声だったけれど、それでよかった。

父も同じだったのだから。言えないまま缶の底にしまって、ずっと誇りに思ってくれていたのだから。

父の声が入ったテープは、いまも私の机の引き出しにある。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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