
私はあの人の声を、十七年、聞いていなかった。
声は毎日聞いていた。
「おはよう」も「お風呂、先にどうぞ」も、聞いていた。
けれど、あの人が土佐の言葉で笑うのを、私は今年の5月まで一度も聞いたことがなかった。
あの人は、私の継母だ。
名前は多恵さんという。
私は十七年、その名前でしか呼んでいない。
私が12歳の春、父は多恵さんを家に連れてきた。
母が家を出て、3年が経っていた。
静岡の、製紙工場の煙突が窓から見える町だった。
多恵さんは高知の人で、父より4つ下だった。
最初の夕食のことを、私はよく覚えている。
テーブルに、鰹のたたきが出た。
焼いた皮の匂いが、台所に満ちていた。
薬味の葱が、山のように盛ってあった。
私はそれを一口も食べなかった。
母は鰹を出さない人だった。
多恵さんは私の茶碗にごはんをよそって、こう言った。
「ごはん、食べや」
少し高くて、よく通る声だった。
語尾が跳ねて、部屋の空気が一瞬あたたかくなった気がした。
その温度が、私には許せなかった。
「この家で、そのしゃべり方、しないで」
私は箸を置いて、そう言った。
母の声は低くて、平らで、静かだった。
この台所には、その声しか合わないのだと、12歳の私は決めていた。
多恵さんは、少しのあいだ黙っていた。
父が何か言いかけて、やめた。
それから多恵さんは、「わかった」と言った。
語尾は跳ねなかった。
次の朝、多恵さんの声は変わっていた。
「おはよう。パン、焼けてる」
ゆっくりで、平らで、どこにも角のない声だった。
私は、あの人はもともとそういう人なのだと思うことにした。
その週のうちに、多恵さんはもうひとつだけ言った。
「呼び方は、多恵さんで、いいよ」
私が「お母さん」と言わずに済むように、先に道を作ってくれたのだ。
そのときの私は、勝ったのだと思った。
鰹のたたきは、その夜のあと、二度と食卓に出なかった。
代わりに、鰹節の小袋が、台所の棚に増えていった。
土佐の言葉は、初日の一度きりだった。
父は何も言わなかった。
父は新聞を読んでいた。
息だけで笑う人
多恵さんは、家の中でよく笑う人ではなかった。
正確に言えば、声を出して笑わない人だった。
テレビのお笑いを見ていても、肩が少し揺れるだけだった。
息だけで、ふ、と笑う。
私はそれを、地味な人の笑い方だと思っていた。
中学の運動会に、多恵さんが来たことがある。
よその母親たちは、子どもの名前を叫んでいた。
多恵さんは、いちばん端のテントの外に立っていた。
私がリレーで走っても、名前は呼ばなかった。
ただ、手を叩いていた。
乾いた、はっきりした音だった。
その音だけが、なぜか私の耳に届いた。
三者面談のときも、そうだった。
担任が冗談を言って、教室に笑いが起きた。
多恵さんは、口元を手で押さえた。
その手が、笑いを口の中へ押し戻しているように見えた。
帰り道、私は先を歩いた。
多恵さんは三歩うしろを、黙ってついてきた。
夕方の富士山が、赤かった。
「先生、面白い人ね」
多恵さんが、平らな声で言った。
「別に」
私はそう返して、また歩いた。
中学3年の秋、家の電話が鳴った。
多恵さんが出た。
「はい、坂本です」
いつもの、角のない声だった。
相手が何か言うと、多恵さんは受話器を持ったまま、少し背中を丸めた。
「あとで、かけ直す」
それだけ言って、切った。
10分ほどして、洗面所の戸が閉まる音がした。
私は、宿題に戻った。
高校に上がると、私は台所にいる時間を減らした。
食事は自分の部屋に運んだ。
多恵さんは何も言わず、盆を用意した。
盆の上には、いつも湯呑みがひとつ添えてあった。
お茶ではなく、白湯だった。
口に含むと、味のない温かさだけがあった。
私は白湯の意味を、考えたことがなかった。
高校1年の冬、私は熱を出して三日寝込んだ。
部屋の戸の外に、盆が置かれた。
おかゆと、梅干しと、白湯。
戸の向こうで、足音が止まったまま、しばらく動かなかった。
ノックはなかった。
足音は、やがて階段を降りていった。
私は、戸を開けなかった。
父と二人でいるときも、多恵さんの声は平らだった。
居間の壁ごしに聞こえる相槌は、「うん」と「そう」だけだった。
私はそれを、あの人の性格だと思っていた。
一度だけ、私は多恵さんの声を聞き逃したことがある。
高校2年の冬、夜中に喉が渇いて台所へ降りた。
洗面所から、水の音がしていた。
蛇口を全開にした、あの音だ。
その下で、誰かが小さく話していた。
多恵さんの声だった。
何を言っているかは、聞き取れなかった。
ただ、いつもより早口で、語尾が跳ねていた。
「……お母さん……」
その一言だけが、水の音の隙間から落ちてきた。
私は、コップを持たずに部屋へ戻った。
あの人は、高知の母親に私のことを愚痴っているのだと思った。
水の音は、私に聞かせないためだと思った。
その夜から、私は多恵さんの前で、いっそう無口になった。
洗面所の水は、その後も何度か鳴った。
たいてい夜の10時過ぎで、たいてい15分ほどだった。
私はその音がすると、テレビの音量を上げた。
20歳の成人式の朝、多恵さんが着付けをしてくれた。
母の残していった、藤色の振袖だった。
帯を締める手は速くて、迷いがなかった。
「苦しくない」
「うん」
それだけの会話で、着付けは終わった。
鏡の中で、多恵さんは私の襟を直して、ふ、と息で笑った。
私は、鏡の中のその顔を見なかった。
写真館で、写真屋さんが「お母さんもご一緒に」と言った。
多恵さんは「私は」と言って、一歩下がった。
父が「入れ」と言った。
写真は、三人で撮った。
その写真を、私はまだ見ていない。
月に一度の荷物
大学は、東京に決めた。
家を出る朝、多恵さんは玄関で紙袋を差し出した。
中身は、レトルトのカレーと、鰹節の小袋だった。
「重いから、いい」
私は紙袋を受け取らなかった。
多恵さんは、紙袋を持ったまま、「気をつけて」と言った。
平らな声だった。
父が車を出して、私はバックミラーを見なかった。
東京のアパートに、月に一度、荷物が届いた。
段ボールの中身は、米と味噌と、鰹節の小袋だった。
送り状の字は、角のない、丸い字だった。
私はその字を見るたびに、「坂本多恵」を親指で隠してから受取印を押した。
最初の冬に風邪を引いたとき、携帯電話が鳴った。
多恵さんだった。
「薬、ある」
「ある」
「ごはんは」
「食べてない」
少しの間があった。
「生姜を擦って、白湯に入れて」
平らな声だった。
電話は、1分もかからず切れた。
翌日の午前に、宅急便が届いた。
生姜とレトルトのおかゆと蜂蜜が、すき間なく詰められていた。
前日の夕方には発送していなければ、翌朝には届かない。
電話をかけてきたとき、多恵さんはもう荷物を出していたのだ。
私は、礼の電話をしなかった。
それから4年、同じ段ボールが届き続けた。
荷物の底に、手紙は一度もなかった。
鰹節だけは、いつも使い切った。
味噌汁に入れると、あの台所の匂いがした。
私は一度も、箱を開けたことさえ伝えなかった。
いまは静岡市で一人暮らしをして、図書館で働いている。
富士まで電車で30分の距離を、私は年に二度しか使わなかった。
正月と、盆。
多恵さんは、そのたびに私の茶碗を出した。
12歳のときから使っている、縁に小さな欠けのある茶碗だ。
多恵さんの席は、いつも父の隣の、いちばん流しに近い席だった。
私はそれを、遠慮だと思っていた。
去年の秋、私は慎吾と婚約した。
慎吾は沼津の人で、両親と祖母と暮らしている。
初めて家に連れてきた日、多恵さんは慎吾に平らな声で挨拶をした。
お茶を出して、菓子を出して、あとは父に任せて台所へ引っ込んだ。
帰り道、慎吾は言った。
「お母さん、落ち着いた人だね」
「そういう人なの」
私は、そう答えた。
十七年、そう思ってきたとおりに。
「顔合わせ、うちの祖母も出たいって言ってて」
慎吾が申し訳なさそうに言ったのは、春になってからだった。
「86なんだけど、足は元気で。ただ、方言がすごくて」
「どこの人?」
「高知。安芸ってところ」
私は、そのとき少しだけ、多恵さんの顔を思い浮かべた。
けれど、それだけだった。
多恵さんは、静かな人だ。
方言のきつい老人と、話が合うとは思えなかった。
父に電話でそう伝えると、父は「多恵は行くよ」とだけ言った。
少し、笑っている声だった。
私はその笑いの意味を、訊かなかった。
土佐の言葉で笑う人
顔合わせは、5月の日曜だった。
沼津の、港の近くの料理屋だった。
個室の座卓に、七人が座った。
仲居さんの案内で、多恵さんは私の左隣になった。
慎吾の祖母のハルさんは、白い髪をきっちり結って、入口にいちばん近い席にいた。
「まあ、遠いとこ、ようおいでたねえ」
そこまでは、私にも分かった。
その先が、分からなかった。
「今日はまっこと、ええ日和で。慎吾がこの子ぁ連れてきたときはねえ、わしゃあ……」
言葉が、波のように寄せて、返っていった。
慎吾のお母さんが、苦笑いで通訳を始めた。
「今日はいい天気で、って言ってます」
「そのあとは」
「……ちょっと、分かりません」
慎吾が下を向いて、肩を震わせていた。
ハルさんは構わず続けた。
土佐の言葉が、座卓の上を渡っていった。
私は箸を持ったまま、笑顔を作っていた。
そのとき、私の左隣で、声がした。
「おばあちゃん、それは違うちや」
私は、その声が誰のものか、一瞬分からなかった。
少し高くて、よく通る声だった。
語尾が、跳ねていた。
「慎吾さんがこの子を連れてきたがは、去年の秋やき。夏やないちや」
多恵さんだった。
ハルさんの目が、丸くなった。
「あんた、どこの人ぜ」
「安芸です。川のほうの」
「まっことか。うちも安芸ぜ」
ハルさんが、座卓に手をついて身を乗り出した。
そこから先は、二人だけの言葉になった。
川の名前が出た。
学校の名前が出た。
「あの橋、まだあるがかね」
「ありますよ。こじゃんと古うなっちゅうけど」
多恵さんが、笑った。
声で、笑った。
喉の奥から、まっすぐに、笑い声が出ていた。
私は、箸を置いた。
父を見ると、父は、ビールのグラスを見ていた。
「あんた、こっちへ来て何年ぜ」
「十七年になります」
「十七年も。土佐の言葉、使う相手もおらんかったろう。寂しかったろう」
「いえ。なんちゃあないです」
なんちゃあない。
なんでもない、という意味だと、あとで慎吾に教わった。
鰹のたたきが運ばれてきた。
ハルさんが、小皿の醤油を押しのけた。
「たたきは、塩で食べるがぜ」
「うちも、塩やき」
多恵さんが答えて、仲居さんに塩を頼んだ。
私は、12歳の春の、山のような葱を思い出した。
あの日、多恵さんは醤油の小皿を出していた。
この家の食べ方に、あの人はあの日から合わせていたのだ。
慎吾のお母さんが、ほっとした顔で言った。
「お母様、高知の方だったんですね。助かりました」
「ええ。もう、長いこと使ってないですけど」
多恵さんは、そう答えた。
それは、平らな声だった。
たったいま、笑っていた喉から出た声とは、別の声だった。
私は、多恵さんの横顔を見た。
十七年、見てきたはずの横顔だった。
ハルさんが、多恵さんの手を取った。
「あんた、ええ声しちゅうねえ。土佐の声ぜ」
多恵さんは、ふ、と息で笑った。
それから、私のほうを見ずに、私の湯呑みにお茶を注いだ。
帰り際、ハルさんは私に言った。
「あんた、ええお母さん持ったねえ」
私は、「はい」と答えた。
その「はい」が、自分の声に聞こえなかった。
帰りの車の助手席
帰りの車は、父が運転した。
多恵さんは助手席で、私はうしろに座った。
東名の灯りが、多恵さんの髪を、ときどき白く照らした。
「今日は、ありがとう」
多恵さんが、前を向いたまま言った。
平らな声だった。
料理屋の個室で跳ねていた語尾は、どこにもなかった。
私は、その背中を見ていた。
声が、玄関で脱がれる靴のように、どこかへ置かれるのを、見た気がした。
「多恵さん」
「ん」
「さっきの、高知の言葉」
「うん」
「家では、使わないの」
多恵さんは、少し黙った。
父が、ウインカーを出した。
「この家では、しないって」
多恵さんが言った。
「言ったから」
私は、12歳の春の台所を思い出した。
箸を置いて、私が言った言葉を思い出した。
私は、「この家で」と言ったのだ。
その一言を、あの人は十七年、そのまま守った。
「お父さんは、知ってたの」
ルームミラーの中の父の目が、一度だけ、私を見た。
「知ってた」
父の手が、ハンドルの上で、一度握り直された。
それだけだった。
そこまでは、車の中で分かった。
分からなかったのは、洗面所だった。
家に着いて、玄関で靴を脱いだとき、私はそれを思い出した。
蛇口を全開にした音の下で、跳ねていた語尾。
「……お母さん……」
夜の10時過ぎに、15分。
それは、高知の実家に電話をする長さだった。
中学3年の秋に切られた受話器も、その10分後の洗面所の戸も、同じことだった。
あの人は、私のことを愚痴っていたのではなかった。
あの人は、自分の母親にまで、水の音をかぶせていた。
この家の中で、土佐の言葉を、たとえ電話の向こうにでも、聞かせないために。
私は玄関に立ったまま、靴を持っていた。
多恵さんは、先に台所へ行って、湯を沸かしていた。
「お茶、飲むでしょ」
平らな声だった。
私は、台所へ行った。
そして、多恵さんの隣の、流しにいちばん近い席に座った。
十七年で、初めてだった。
多恵さんが、湯呑みを持ったまま、一瞬止まった。
それから、私の前に湯呑みを置いた。
白湯だった。
「多恵さん」
「ん」
「高知の言葉で、なんか言って」
多恵さんの手が、急須の上で止まった。
「なんで」
「聞きたいから」
多恵さんは、流しのほうを向いたまま、しばらく動かなかった。
薬缶が、小さく鳴りはじめていた。
「この家では、言わん……」
多恵さんは、そこで止まった。
「言わない、って、約束したから」
言わん、と言いかけて、あの人は、言わない、と言い直した。
十七年、この台所で、あの人はこうして言い直し続けてきたのだ。
台所の蛇口をひねる
私は立ち上がった。
流しの前に立って、蛇口を全開にひねった。
水が、ステンレスを叩いた。
高校2年の冬に聞いた、あの音だった。
「これで、聞こえないから」
私は、水の音の中で言った。
多恵さんが、私を見た。
十七年で、いちばん長く、私を見た。
それから、喉の奥から、声で笑った。
「あんた、なにしゆうが」
語尾が、跳ねた。
「水道代、かかるちや」
「かまんでしょ」
「かまんて、どこで覚えたが」
「今日、ハルさんが言ってた」
多恵さんは、もう一度笑った。
父が、居間から「うるさいぞ」と言った。
笑っている声だった。
多恵さんは、蛇口を閉めなかった。
水の音の中で、私の茶碗にごはんをよそった。
縁に欠けのある、あの茶碗だった。
上に、棚の小袋の鰹節をかけた。
夜の10時だった。
「ごはん、食べや」
少し高くて、よく通る声だった。
台所の空気が、一瞬あたたかくなった。
私は、箸を持った。
そして、それを全部食べた。
土佐の言葉を、私はその夜、この家で二度目に聞いた。
十七年ぶりの、二度目だった。