実話|祖父の未完の紙芝居

雨の中の静かな画室

その日も、祖父の家には雨が降っていた。

祖父が亡くなって、九ヶ月が経とうとしていた。

母から「納戸を片付けてほしい」と頼まれたのは、修士論文の中間発表が終わった六月の終わりだった。

茨城県つくば市の郊外、里山のふもとに建つ古い農家——筑波山から流れてきた湿った風が、いつも軒先で立ち止まる家だった。

私は学生証と研究室のノートをリュックに入れたまま、東京から各駅停車を乗り継いで、夕方にその家にたどり着いた。

軒先に立つと、雨音が屋根の瓦を撫でる音が、低く、長く、続いていた。

「物語は、雨と一緒に降ってくるんだよ」

幼い頃の私に、祖父はそう言ったことがあった。

縁側の硝子戸を開けると、家の奥から、藺草の匂いと、湿った木の匂いが、いっぺんに流れてきた。

その匂いだけは、二十年前と、少しも変わっていなかった。

祖母は、もう私の声を覚えていない年で、隣町の施設に移っていた。

家には、もう、誰も住んでいなかった。

祖父・坂上喜一郎は、若い頃、紙芝居師だった。

戦後すぐから昭和三十年代の終わりまで、自転車に小さな舞台を載せて、関東一円の農村を巡業していたという。

テレビが家庭に普及するころに、祖父は紙芝居をやめた。

そして、地元の郵便局で配達員になり、定年まで勤め上げた。

それでも、絵を描くことだけは、ずっと続けていたのだと思う。

私が五歳のとき。

夏休みに祖父母の家に預けられると、決まって雨の日に、祖父は古い木箱を引き出してきた。

中には、画用紙より一回り厚い和紙に、水彩と色鉛筆で描かれた紙芝居が並んでいた。

シリーズの名前は「あけびの森」。

里山に住む白狐の子と、森のあけびのつるが、長い年月をかけて、少しずつ言葉を覚えていく物語だった。

縁側に座って、祖父はゆっくりと、一枚ずつを抜いていく。

絵を見せながら、低い声で語る祖父の手は、配達員の指らしく、節くれだって厚かった。

雨粒が硝子戸を伝う音と、祖父の声の低さが、ちょうど同じ呼吸で混ざっていた。

祖父の語りには、節というものがなかった。

声を上下させず、人物のセリフでも調子を変えず、ただ、絵をなぞるように言葉を運ぶ。

それなのに、私は飽きずに聴いていた。

「あかね、この絵のなかで、いちばん大事なものは、何だと思う?」

祖父は、ときどき手を止めて、私に問いかけた。

そういうとき、私は決まって、絵のすみに小さく描かれた、二人の脇役のほうを指差した。

目立つ白狐ではなく、その背後で雨を浴びている、名前のない草や、視線を逸らした小鳥のほうを。

すると祖父は、しわの寄った目元をさらに細めて、「お前は、ちゃんと、外側の声を聞いているな」と、つぶやくように頷いた。

意味は、当時のわたしには、わからなかった。

ただ、その時間が、私はとても好きだった。

雨の日の縁側は、私と祖父だけの、小さな上演会場だった。

中学に上がると、夏休みに祖父の家に泊まることは、少なくなった。

部活、塾、友達との約束——少女には少女の、忙しさがあった。

高校の進路相談で、農学部を選んだとき、祖父に「植物を学ぶ」と電話で話した。

祖父はしばらく黙ったあと、「いいな、それは」とだけ言った。

その「いいな」が、どんな意味だったのか、当時の私には、深く考える余裕がなかった。

東京の大学に進学してからは、お盆にも帰れない年が続いた。

私が祖父に最後に会ったのは、大学三年の春の墓参りのときで、祖父は縁側で日向ぼっこをしながら、ぽつりと「あけびの実は、ちゃんと熟したかね」と、独り言のように呟いていた。

そのときの私は、研究室の説明会のことで頭がいっぱいで、その言葉を、心のどこにも置けなかった。

三ヶ月後、祖父は心筋梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人になった。

研究室でメッセージを受け取った私は、修士論文のためのサンプル整理を続けながら、しばらく動けなかった。

葬儀の日、私は、泣けなかった。

涙が出ないことが、まるで祖父への裏切りのように感じられて、それが私を、九ヶ月のあいだ、ずっと小さく、内側から削っていた。

納戸の片付けは、思っていたよりも難航した。

戦前の本、農機具のカタログ、配達員時代の表彰状、祖母が押し込んだ着物の包み——ひとつひとつ手に取るたびに、祖父の生きてきた時間の層が、私の指先に押し当てられていく感覚があった。

奥のほうに、薄い木の箱が、白い布をかけて積まれていた。

布を取ると、木目の浮いた古い箱が三つ。

ふたを開けると、香木の匂いに混じって、和紙の、わずかにかび臭い匂いが立ち上った。

中に入っていたのは、紙芝居だった。

一枚、二枚、と取り出して、私は、息を呑んだ。

「あけびの森」だった。

幼い私が、雨の日にだけ見せてもらっていた、あのシリーズ。

数えてみると、三十七枚あった。

子供のころは、せいぜい十枚くらいまでしか、見せてもらった記憶がなかった。

その先のすべては、私の知らない物語だった。

縁側に座って、私は一枚ずつ、最初から順番に並べていった。

雨は、相変わらず屋根を撫でていた。

絵の中の白狐の子は、季節を一つひとつ越えながら、森のあけびと、すこしずつ言葉を交わすようになっていく。

夏の夕立、秋の朝霧、冬のかぶら雪、春の山桜——四季が、絵の上を、ゆっくりと巡っていた。

祖父の絵筆は、年を重ねるごとに少しずつ細密になり、終盤の絵ほど、葉脈の一本まで描き込まれていた。

ところどころに、ごく薄い鉛筆書きで、制作年と思われる西暦が、隅に小さく記されていた。

昭和五十年代の若い筆致から、平成、そして平成の終わりの落ち着いた色合いまでが、和紙の重なりのなかに、ひと続きに並んでいた。

十枚目までは、私が知っている絵だった。

十一枚目から先は、初めて見るのに、どの一枚も、見覚えのある光をたたえていた。

縁側に降る雨の色と、祖父の絵に塗られた藍が、同じ青で重なって見えた。

私は、絵を並べる手を止めずに、ただ、その絵の連なりを辿った。

三十六枚目の絵には、白狐の子が、森のはずれで足を止めている姿が描かれていた。

余白には、祖父の筆で、一行だけ言葉が添えられていた。

「白狐の子は、森を離れる日を迎えた。あけびの実を、ふたつ、ふところに入れて」

そして、最後の三十七枚目。

その一枚だけが、未完だった。

色は塗られておらず、鉛筆だけの下絵だった。

そこに描かれていたのは、白狐ではなかった。

森でも、なかった。

一人の女性が、白衣を着て、机に向かって、顕微鏡を覗き込んでいた。

机の上には、台紙にピン留めされた野草の標本と、書きかけのノートと、湯気の立つ急須が一つ。

窓の外には、見覚えのある里山の稜線が、淡く描かれていた。

下絵の女性の横顔は、まだ「誰」とも決められないほど、簡素な線で描かれていた。

それでも私は、その後ろ姿と肩のかたちに、覚えがあった。

私だった。

修士二年の、いまの私だった。

息が、止まった。

祖父が亡くなったとき、私はまだ、修士に進むかどうかも決めていなかった。

野生植物学を選ぶことも、研究室の机に顕微鏡を据えることも、その時点では、私の未来として、何ひとつ確定していなかった。

祖父は、知りようがなかったはずだった。

下絵の余白には、まだ何も描かれていなかった。

ただ、絵を完成させるための、淡い案内線だけが、薄く、薄く、引かれていた。

紙の裏に、何かが書かれていることに気づいたのは、絵を持ち上げて、雨の光に透かしたときだった。

それは、祖父の細い鉛筆の字だった。

「あけびの実りをみつけたとき、この続きを、おまえが描いてほしい」

たった、それだけ。

日付も、署名もなかった。

私は、五歳の自分の手のなかにあった、小さなあけびの実の感触を、ふいに思い出した。

縁側の向こうの里山に、祖父と二人で入った日があった。

九月の終わり、祖父が郵便配達の道すがら見つけたという、群生地に連れて行ってもらった。

山道の途中で、祖父はしゃがみ込み、つるの根元の土をそっと掻き分けた。

「あかね、根っこの形を覚えておけ。実より、こっちのほうが、ほんとうは長く生きてるんだ」

そう言って、祖父は私の小さな指を、土の中の太い根に当てた。

「あかね、これは食べられるんだぞ。中は甘いんだ」

祖父は熟したあけびを割って、白い果肉を私の口に運んでくれた。

種ばかりの、ほのかに甘い、奇妙な味——それが、私の人生で初めて口にした、野生の植物だった。

修士論文のテーマを「野生あけびの遺伝子多様性」に決めたとき、私は、その日のことを、一度も思い出さなかった。

学術的な動機を、私はいくつも並べることができた。

東北の野生群落のほうが、栽培品種よりも遺伝子の幅が広いこと。

里山の管理放棄が、群落の遺伝構造にどう影響しているか。

そういった、ありふれた研究計画書の言葉を、私は手際よく書いて、教授に提出した。

けれども、原点は、ここにあったのかもしれない。

私は、自分で選んだと信じていた道のずいぶん手前から、祖父の絵筆に、そっと、誘われていたのだと思う。

あの「いいな、それは」の意味が、ようやく、輪郭を持ち始めた。

遠くて、近かった——祖父の手と、私の研究は、ずっと同じ里山の地面の下で、根を絡ませていた。

私は、しばらく、動けなかった。

雨音だけが、変わらず屋根を撫でていた。

それから、ふと立ち上がって、納戸の隅に置かれていた、祖父の道具箱を開けた。

色鉛筆と、水彩と、削り跡の残った鉛筆が、几帳面に並んでいた。

筆の柄には、それぞれ、小さく「あかね」と、私の名前の最初の文字が、押し印で刻まれていた。

いつから刻まれていたのか、たぶん、私が大学に進む前から、ずっと、そこにあったのだと思う。

私は、その中から、いちばん細い水彩筆を選んで、未完の三十七枚目を、縁側の文机に置いた。

ふたつのことが、ほぼ同時に、わかった気がした。

未完の絵に描かれていたのは、まだ私になっていなかった私の姿だった。

そして、未完のままにされていたのは、続きを描けるのは私だけだと、祖父が知っていたからだった。

私は、絵筆を握った。

祖父の節くれだった指の感触が、なぜか、自分の指のなかに、はっきりと残っていた。

雨が、また少し強くなった。

濡れた緑の匂いが、縁側に流れ込んできた。

物語は、雨と一緒に降ってくる——。

私は、未完の絵の、白衣の女性の横顔から、そっと、線を引き始めた。

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