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杜氏の櫂と白いままの帳面

昭和二十二年の秋、台風で汽車が止まり、山あいの酒蔵に二十数人が流れ着いた。米は尽きた。義父は翌年の仕込みのために三年かけて隠した一俵を釜に空け、酒造りの櫂で粥を…

機織りの伯母がくれた杼

昭和の織物の町で、無口な機織りの伯母に育てられた私。家業を継ぐのを拒み、ひどい言葉を投げつけた後、伯母は病に倒れた。和解できぬまま迎えた別れの間際、震える手で渡…

父が磨いていたもの

二年ぶりに帰省した私は、土間で父が黙々と革靴を磨いているのを見た。それは二年前に私が置いていった靴だった。父がずっと磨き続けていたと知ったとき、胸の奥が静かに震…

忘れても手は覚えていた

認知症で孫の名前も忘れた祖父。ボランティアで髪を切る孫の手に、祖父の指が重なり正しいハサミの角度を教えた。六十年の技が体に刻まれていた、理容師の祖父と孫の物語。…

手縫いのタスキを渡された朝

箱根駅伝の四区を走った親父は、駅伝ごっこのたびに「四区は、俺の区間や」と言って、お袋が縫った手縫いのタスキを俺の肩にかけた。高校で陸上をやめ、八年口をきかなかっ…

受け継がれる兄の手紙

十五歳で妹を引き取り、二十三歳で世を去った兄。道具箱の底に残された兄の手紙の裏面には、三十年かけて、妹と娘の返事が書き足されていった。玉子かけ飯の醤油三滴から始…

坂の上と胸ポケットの観戦パス

坂の途中の小さな自転車店。決して人に頭を下げない店主が一度だけ私に頼んだのが、胸ポケットの観戦パスでした。雨の夜に果たされなかった約束と、三十年後の面接室でその…

一巻き目を教えなかった人

三重・尾鷲の港町にある椅子六脚の定食屋つばめ食堂。七十八歳のおかみさんは、だし巻きを焼くとき一巻き目だけ菜箸を右から左へ持ち替えます。半世紀のあいだ誰にも教えな…