恩師の三十五年の一行

夕暮れの縁側での静かなひととき

桜井先生から手紙が届いたのは、昭和六十一年の二月の終わりだった。

便箋は、薄い藍色の罫線が引かれた古い種類のもので、先生の几帳面な楷書が、たった三行だけ並んでいた。

——春が過ぎないうちに、一度お会いしたいのですが。

——上田の在所におります。

——本田克彦さま。

差出人の住所は、長野県小県郡塩田町。

私が小学六年から中学二年の途中まで暮らした町の、ひとつ隣の集落だった。

封筒の右下に、桜井清次郎、と万年筆で書かれていた。

それが、三十五年ぶりに見る、恩師の名前だった。

私は、夜の台所で、その手紙を読んだ。

妻は、もう二階で休んでいた。

台所の蛍光灯の縁が、ジー、と小さく鳴っていた。

保険会社の課長補佐などというものをしていると、四月の異動の話で、頭の中はざらついて落ち着かない。

それでも、その夜だけは、頭の中の異動の話が、すっと、脇に退いてくれた。

桜井先生は、私の中学校時代の恩師で、国語の教師だった。

私が中学二年の冬、父の転勤で名古屋へ出てしまってから、いちども、お会いしたことはなかった。

上田駅で在来線を降りると、ホームの匂いに、雪解けの匂いが、まだ薄く残っていた。

三月の終わりだった。

私は、東京から朝の特急に乗って、駅前の喫茶店で、軽くうどんを食べていた。

五十三の体には、長野経由の長旅が、いくらか応えた。

塩田平までは、駅前から、緑色の小さなバスに乗った。

バスの窓を、まだ少し冷たい風が叩いていた。

窓の外には、刈り取りの終わった田んぼが、一面に広がっていた。

土が、黒く湿っていた。

畦の所々に、汚れた雪が、まだ残っていた。

降りるバス停は、「中野」だった。

記憶していた集落の名前と、地番だけを頼りに、私は歩いた。

信州の春は、東京とは時間の流れが、少し違う。

土の匂いと、まだ凍っている水路の音が、私の鼻と耳を、ひとつずつ起こしていった。

桜井先生の家は、その集落の北のはずれにあった。

古い農家だった。

板塀が黒く焼けていて、柿の木が一本、塀の内側に立っていた。

冬を越したばかりのその木は、まだ葉を、一枚もつけていなかった。

引き戸を叩くと、奥から、低い女の人の声が、はい、はい、と聞こえた。

小柄な女の人が、藍染めの割烹着姿で、引き戸を開けた。

桜井先生の奥様、サトさんだった。

中学の頃、運動会や授業参観で、二、三度、お顔を拝見したことがあった。

あの頃よりも、背が、ひとまわり低く見えた。

「ようこそ。ようこそ。お父さんが、お待ちですよ」

サトさんは、私を迎えながら、先生のことを、お父さんが、と呼んだ。

通された奥座敷の縁側に、桜井先生は座っていた。

紺色の半てんを着て、座布団に正座をしていた。

膝の上に両手を置き、その上に、薄い綿のひざかけを掛けていた。

肩の線が、私の覚えているよりも、ひとまわり、小さく見えた。

「本田くんか」

先生はそう言って、私の顔を、ゆっくりと見た。

眼鏡の奥の目が、少しだけ、笑った。

私は、何と言ってよいかわからず、ただ、ご無沙汰しております、とだけ言った。

サトさんが、台所で湯を沸かしている音が、聞こえた。

やかんが、コン、コン、と鳴っていた。

ガスの青い火が、引き戸の隙間から、わずかに、見えた。

「上田の駅から、バスに乗ってきたのかね」

「ええ、塩田平までは、まだ、バスがありますので」

「そうか。むかしと、変わらんか」

「ええ、ほとんど」

それから、私たちは、しばらく、ぽつり、ぽつりと、話した。

先生の口は、ときどき、少しだけ、歪んだ。

左の頬の筋肉が、思うように動かないようだった。

脳梗塞の後遺症だと、サトさんが、お茶を運んできたついでに、小さな声で、私に教えてくれた。

「先生」

「うん」

「お便り、ありがとうございました」

「いや、いや」

「春のうちに、と、書いておられましたが」

先生は、しばらく、答えなかった。

湯のみの中の煎茶の表面が、わずかに、揺れた。

火鉢の中の炭が、ぽ、と小さく、弾けた。

「もう、あんまり、字を、書くのが、難儀でな」

先生は、そう言った。

「だから、書けるうちに、と、思ったのよ」

奥の襖を、サトさんが、そっと開けた。

先生の書斎、というには、あまりに簡素な、四畳半の部屋だった。

古い文机が一台。

本箱が一棹。

壁に、子どもが描いたような、桜の絵が一枚、画鋲で留めてあった。

文机のいちばん下の引き出しを、サトさんが、代わりに、開けた。

中には、桐の薄い箱が、ひとつだけ、入っていた。

箱の蓋には、何も書かれていなかった。

ただ、長い年月のせいで、桐の木目が、少し、黒ずんでいた。

「本田くんに」と、先生は言った。

「これを、渡したかったのよ」

サトさんが、その箱を、縁側まで運んできた。

私の膝の前に、置いた。

桐の箱の蓋を、私は、両手で、開けた。

中には、薄い和紙の短冊が、一枚だけ、入っていた。

白い和紙だった。

細長く、長さは、一尺ほど。

表面に、墨と、万年筆と、それから、ところどころに鉛筆の、三種類の文字が、縦に並んでいた。

いちばん上の、墨の字は、若い字だった。

——本田克彦どのへ。

そう、先生の若い頃の筆で、書かれていた。

その下に、長い年月をかけて書き足されたらしい、いくつもの一行が、続いていた。

——本田、お前さんの掌は、文字を覚えるのが、いちばん早い。

——本田、ものを言わぬ日も、お前さんは、内側で、ちゃんと喋っている。

——本田、二十のお前さんが、信州を出たことを、わしは、新聞で見た。

——本田、三十のお前さんに、子が生まれたことを、わしは、サトから聞いた。

——本田、四十のお前さんが、京橋の支店を任されたことを、わしは、同窓会の便りで知った。

——本田、五十のお前さんが、父御を見送ったことを、わしは、訃報の小さな枠で、知った。

一行ずつ、別の年に、別のインクで、書かれていた。

私は、しばらく、息ができなかった。

「先生」

「うん」

「これは、いつから」

「お前さんが、転校していった、その夜から」

先生は、そう言って、湯のみを、両手で包んだ。

湯気が、先生の眼鏡の縁を、少しだけ、曇らせた。

私は、もう一度、短冊に、目を落とした。

最後の二行は、鉛筆書きだった。

線が、少し、震えていた。

——本田、お前さんは、よう生きた。

——本田、お前さんを、わしは、お前さんのほうから、ずっと、読ませてもろうとった。

最後の一行を、私は、二度、読み返した。

「先生は、私の人生を」

「うん」

「ずっと、読んでくださっていたのですか」

先生は、しばらく、答えなかった。

それから、ゆっくりと、一度だけ、頷いた。

「教師というのは、不思議なものでな」

先生は、台所のほうを、ちらと、見た。

サトさんは、土間で、ゆっくりと、漬物石を動かしていた。

ごり、ごり、と、低い音が、した。

「卒業させたら、もう、それきりじゃ。会いに来てくれる子も、おらん。手紙をくれる子も、ほとんど、おらん」

「ええ」

「だがな、こちらは、ずっと、覚えとる。学級名簿を、いつまでも、捨てられん」

「はい」

「お前さんは、わしが二度目に持った学年の、二組の、出席番号二十八番じゃ。背が、いちばん低くてな。冬には、いつも、痰の絡んだ咳を、しておった」

「はい」

「お前さんの作文を、わしは、いまだに、覚えとる。父御のことを書いた、あの一枚」

私は、湯のみを持ち上げる手が、止まった。

あの作文は、転校の前の、最後の国語の時間に、先生に提出したものだった。

中学二年の、十一月の終わりだった。

父との関係に、私は、あの頃、深く悩んでいた。

「先生」

「うん」

「私は、あの作文を、自分でも、もう、忘れていました」

「そうじゃろうな。書いた本人は、たいてい、忘れる」

先生は、薄く、笑った。

「読んだほうだけが、覚えとる」

サトさんが、お茶のおかわりを、淹れてくれた。

急須から落ちる湯の音が、四畳半の縁側に、静かに、広がった。

庭の隅の梅の木に、一輪、白い花が、咲いていた。

咲きはじめの、まだ、開ききらないものだった。

私たちは、それから、しばらく、無言で、その梅を、見ていた。

先生は、ときどき、小さく、咳をした。

そのたびに、サトさんが、台所から、首だけを伸ばして、こちらを、見た。

「先生」と、私は、もう一度、呼んだ。

「この短冊は、頂戴して、よろしいのですか」

「むろんじゃ。お前さんのものじゃもの」

「ありがとうございます」

「礼を言われるのは、こちらじゃ」

「と、申しますと」

先生は、わずかに、目を、細めた。

「お前さんが、本田克彦という名前を、長いこと、わしの手帳から、消さんでいてくれた」

私は、何も、言えなかった。

——本田、お前さんを、わしは、お前さんのほうから、ずっと、読ませてもろうとった。

その一行の意味が、少しずつ、私の中で、解けていった。

恩師というのは、教えるよりも、生徒の人生を読み続けてくれる側の存在なのかもしれない、と、初めて、私は思った。

先生は、私という生徒を、教えたつもりではなく、私という人生を、こちらから、長く読ませてもらってきた、と、そう言っているのだった。

読まれていた、というのは、私のほうの、ことだった。

教師であるはずの先生のほうが、ひとりの生徒の人生を、長く、丁寧に、読み続けてきた。

私は、五十三年の自分の人生のどこにも、そのような読み手がいるとは、思っていなかった。

短冊を、桐の箱に、戻した。

両手で、もう一度、蓋を、閉めた。

桐の薄い木目の上に、私の指紋が、わずかに、残った。

「先生」

「うん」

「お元気で、いてください」

「うん」

先生は、ただ、もう一度、ゆっくりと、頷いた。

サトさんが、玄関先まで、私を見送ってくれた。

先生は、縁側に座ったままだった。

半てんの背中が、まだ、私の覚えているものよりも、ひとまわり、小さく見えた。

「すみません」と、サトさんは、外まで出てきて、深く、頭を下げた。

「お父さんの字が、もう、思うようには書けないものですから」

「いえ、いえ。十分です」

「あの短冊は、本当に、三十五年、書き続けておりました」

私は、玄関の引き戸の前で、思わず、深く、お辞儀をした。

雪解け水の匂いが、玄関先の踏み石から、ゆっくりと、立ち昇っていた。

塩田平のバス停まで、私は、来た道を、ゆっくり、戻った。

田んぼの土の上に、低い夕日が、長い影を、作っていた。

懐に、桐の箱が、わずかな重みで、収まっていた。

バスに乗った。

窓の外を、信州の山が、薄い茜色に染まりながら、流れていった。

私は、ふと、上の息子のことを、思った。

二十六になったその息子は、いま、東京で、商社の若手社員を、している。

本田克彦という、五十三の課長補佐の名刺と、まったく同じ字の苗字を、ひとつ、持っている。

——あの子の名前を、わしは、いつまで、わしの手帳に、書き続けられるだろうか。

私は、そう、自分に向かって、初めて、そう、問うた。

教師でもないのに、教師の側の問いを、はじめて、自分に、問うた。

上田駅で、特急に乗り換えた。

車内は、空いていた。

私は、窓側に座って、桐の箱を、膝の上に、置いた。

夕暮れの中で、箱の桐の木目が、わずかに、明るく見えた。

短冊を、もう一度、開いて見るかどうか、私は、少しだけ、迷った。

迷って、結局、開かなかった。

読み返さなくても、最後の一行は、すでに、私の胸の内側に、写し取られていた。

電車が、トンネルに入った。

窓の外が、暗くなった。

車内灯が、薄く、私の手元の桐の箱を、照らした。

桐の箱の蓋には、もう、何の文字も、書かれていなかった。

それで、よかった。

書かれていなくて、よかった。

箱の中の短冊の、いちばん下の一行を、これからは、私のほうが、自分の人生で、書き足していかなければならない。

そう、いつか、自分にも、言える日が、来るだろうか。

私は、窓に映る、自分の五十三の顔を、しばらく、じっと、見た。

車内のアナウンスが、次の停車駅を、告げた。

私は、桐の箱を、両手で、もう一度、しっかりと、抱え直した。

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