
深夜一時十五分。
栃木県宇都宮市の北関東放送・第三スタジオで、僕は赤いキューランプをじっと見ていた。
オンエア中の自分の声が、ヘッドホンの奥でほんの少しだけ遅れて聞こえる。
そのほんの少しの遅れの中に──ばあちゃんがいた。
「今夜の手紙は、栃木県小山市の『おゆうさん』からです」
僕が担当している深夜番組『真夜中のラジオ手紙』は、リスナーから送られてくる葉書を、僕がただ一通ずつ静かに読んでいくだけの番組だ。
派手な演出はない。
BGMは古いジャズの控えめなトラック、そして僕の声と、葉書を捲る紙の音だけ。
北関東放送、通称『きたかん』。
関東平野の北の端、雷の通り道のすぐ下にある、社員四十名足らずの小さなAMローカル局だ。
「おゆうさんは、五年前に亡くなったお母さんに、毎週欠かさず、葉書を書き続けているそうです」
僕の名前は、木下穂高(きのした・ほたか)、二十九歳。
大学を出てこの局に拾ってもらい、ディレクターと深夜パーソナリティを兼ねるようになって、もう四年目になる。
給料は東京の同期の半分で、年に一度の人間ドックも会社では出してもらえない。
夏は冷房の効きが悪く、冬はスタジオの隅の隙間風が深夜の番組中ずっと首筋を撫でていくような、そんな職場だった。
それでも、僕はこの仕事を辞めなかった。
理由はひとつだけだ。
ばあちゃんが、月曜の夜だけは、僕の声を聴いてくれていたからだ。
※
ばあちゃんの名前は、木下しず子という。
当時八十五歳、宇都宮市郊外の特別養護老人ホーム『さくら苑』の二〇三号室に入っていた。
診断名は、進行性のアルツハイマー病。
三年前から、自分の息子であるはずの僕の父のことも、孫であるはずの僕のことも、徐々に分からなくなっていた。
ばあちゃんの居室には、四畳半ほどの広さの中に、ひとつだけ、古い家電が置いてあった。
ナショナル製の真空管ラジオ。
ばあちゃんが昭和三十年代、群馬の山あいの村から栃木の祖父のもとへ嫁いだ時に──たった一つだけ実家から持参した、嫁入り道具なのだという。
木目調のキャビネット、布張りのスピーカー、真鍮の選局つまみ。
側面には、ばあちゃんの旧姓「小池」と、漆でひとつひとつ丁寧に書かれた小さな文字が、今でもうっすらと残っていた。
父は、施設に入る時に「もう使えないし重いから」と置いていこうとした。
けれど、ばあちゃんは、その時ばかりは譲らなかった。
「これは、私の口の代わりだから」
そう言って、ばあちゃんは杖の先で、ぐいっとラジオを引き寄せたのだった。
その時のばあちゃんは、まだ少しだけ、自分自身の言葉を持っていた。
祖父は四十年前に肺の病気で亡くなっていて、ばあちゃんはそれから一人で農協の事務をして、三人の子供を育てた人だった。
声を上げて泣くようなことを、僕は子供の頃から一度も見たことがない。
怒鳴ったり、誰かを叱りつけたりしたところも、見たことがなかった。
その代わり、ばあちゃんはいつも、家にいる時はラジオを点けていた。
祖父が病気で亡くなってからの四十年──ばあちゃんの台所では、いつも、誰かの声が話し続けていた。
朝の体操の号令、昼の浪曲、夕方の天気予報、深夜の人生相談。
知らない人の知らない話を、ばあちゃんはずっと黙って、台所のテーブルの端で聴いていた。
「人の声があると、ばあちゃん、独りじゃないからね」
そう言って、ばあちゃんはいつも、僕に大きな梅干しのおにぎりを握ってくれたのだと思う。
僕が「ホタくん」と呼ばれていたのは、小学校に上がる前の頃のことだった。
夏休みに、群馬と栃木の境にある田舎のばあちゃんの家に預けられていた僕は、縁側で新聞紙の裏に、自分の名前を書く練習を毎日していた。
「穂」の字が、何度書いてもどうしても書けなかった。
「禾」と「心」が、頭の中でうまく繋がらない。
僕は仕方なく、いつも自分の名前を「ホタ高」とカタカナと漢字を混ぜて書いていた。
それを見たばあちゃんは、笑わなかった。
叱りもしなかった。
かわりに、ばあちゃんは押し入れの奥から小さな大学ノートを一冊取り出して、僕の隣に正座をして、僕の鉛筆を借りて、同じ字をゆっくり書いた。
「禾は、稲穂のことだよ。お米の、穂っこのこと」
「下の心は、穂を見て、嬉しいなあと思う心のことだよ」
そう言って、ばあちゃんは「禾」と「心」のあいだに、ゆっくりと一本の細い線を引いた。
その線は、たぶん、稲を実らせる土のことだったのだと思う。
その日からばあちゃんは、僕のことを「ホタくん」と呼ぶようになった。
「穂高くんはまだ、穂が実ってないからね。今はホタくんで充分」
そう言って、ばあちゃんは皺の刻まれた手で、僕の頭を、それはそれは優しくそっと撫でたのだった。
※
ばあちゃんが認知症と診断されたのは、僕が大学を卒業した年だった。
父は遠方で会社員をしていて、母も働いていた。
誰もばあちゃんを家で引き取れる状況にはなくて、結局、ばあちゃんは宇都宮の『さくら苑』に入ることになった。
僕が北関東放送に就職を決めたのは、その翌月のことだ。
本当は、東京の大きなキー局をいくつか受けるつもりだった。
けれど、ばあちゃんが入った宇都宮の施設まで車で三十分の場所に、この小さなAM局があると知った時──僕の中で、答えが静かに決まっていた。
「深夜枠だけど、お前、いいか」
採用面接で局長に聞かれた時、僕は迷わずに頷いた。
「夜中の方が、年寄りはラジオをつけてくれますから」
局長は少し不思議そうな顔をしたが、それ以上は何も聞かなかった。
本当の理由を、僕は誰にも、長いあいだ言わなかった。
『真夜中のラジオ手紙』の放送は、毎週月曜日の深夜一時から二時まで。
一方、『さくら苑』の消灯時間は、夜の八時。
本来ならば、ばあちゃんはとっくにベッドの中で眠っているはずの時間だった。
けれど、夜勤の介護スタッフが、ある日こっそりと僕に教えてくれた。
「しず子さん、月曜の夜だけは絶対に寝ないんですよ」
「ベッドに横になったままラジオに手を伸ばして、つまみをカチカチ回して、自分で局を合わせるんです」
「ぼーっと天井を見ながら、一時間、ずっと、聴いてらっしゃるんです」
僕は、それを聞いた夜、初めて泣いた。
……いや、本当のことを書こう。
僕は、その夜、泣くということが、うまくできなかった。
ただ、自宅の小さなキッチンで、麦茶を入れたコップを両手で握りしめて、零さないようにそろそろと廊下を歩いた。
その姿が、ばあちゃんが昔、祖父の遺骨の入った白い箱を抱えて葬儀場の廊下を歩いていた姿と、何故か僕の中で重なって見えたのかもしれない。
※
その夜の放送は、いつもと少しだけ違った。
五月の、湿った夜だった。
三日前、施設の医師から電話があって、ばあちゃんが「もう次の春までは難しいかもしれない」と言われたばかりだった。
リスナーから届いた葉書を六通読み終えて、エンディングまで残り三分。
普段なら、僕は番組の締めくくりに、自分自身の話をすることはない。
けれど、その夜だけは、どうしても言わなくてはいけないことがあった。
「最後に、少しだけ、僕の私的な話をしてもいいでしょうか」
マイクの向こうで、副調整室の窓越しに、局長が不思議そうに僕の方を見ていた。
けれど、止めはしなかった。
キューランプは、ずっと赤いままだった。
「僕には、認知症のばあちゃんがいます」
「ばあちゃんは、もう、僕の名前を覚えていません」
「でも、月曜の夜だけ、寝ないでこの番組を聴いてくれているそうです」
「ばあちゃんは、僕が幼かった頃、僕のことを『ホタくん』と呼んでくれていました」
「『穂高』の漢字がどうしても書けなかった僕に、ばあちゃんは『稲穂を見て嬉しいなあと思う心』なんだと教えてくれました」
「『禾』と『心』のあいだに、ばあちゃんは細い線を一本、引いてくれました」
僕は、一拍だけ、息を整えた。
「ばあちゃん。聞こえてますか」
「ホタくんは、まだ、穂が実ってない、ホタくんのままです」
「ばあちゃんが、あの夏に言ってくれた通りでした」
キューランプの赤い光が、滲んで見えた。
マイクの前で泣くなんて、ラジオのプロとしては失格だと思う。
でも、その夜の僕は、もうプロでもなんでもなかったのかもしれない。
放送が終わった後、局長は何も言わずに、自販機の温かい缶コーヒーを、僕の机にそっと置いていった。
翌朝、施設から電話があった。
夜勤明けの、まだ若い介護スタッフの女性からだった。
「木下さん」
「あの……昨夜、しず子さんが」
僕は、息が止まりそうになった。
最悪のことを覚悟して、その先の言葉を待った。
「しず子さん、ラジオに耳を寄せて……ぽつりと、こう言われたんです」
「『ホタくん、また喋ってる』って」
僕は、しばらく、言葉が出てこなかった。
「ご家族の方々を最近はもう、ほとんど認識できなくなっていたしず子さんが」
「『ホタくん』って、何度も、何度も、呟いていらっしゃいました」
「『ホタくん、ホタくん、また喋ってる』って、ちょっと笑いながら」
受話器を握る手が、震えた。
けれど、その震えは──きっと、ばあちゃんが教えてくれた『嬉しいなあと思う心』というやつなのだろう。
※
その日の午後、僕は休みを取って『さくら苑』に向かった。
初夏の宇都宮の街路樹は、もう、しっかりとした深い緑だった。
蝉の声が、遠くからかすかに聞こえはじめていた。
二〇三号室のドアを開けると、ばあちゃんはベッドの上で目を開けていた。
真空管ラジオは、相変わらず窓辺に置いてあった。
木目の脇に漆で書かれた「小池」の文字が、夏の柔らかな光の中で、薄く光っていた。
僕がベッドの脇に座っても、ばあちゃんは僕を見て微笑むことはなかった。
たぶん、ばあちゃんの目の中の僕は、もう「孫の穂高」ではなかったのだと思う。
知らない誰か、ただ部屋にいる若い男の人。
それが、その日のばあちゃんの中の僕の正体だった。
僕は、真空管ラジオの選局つまみを、ゆっくりと回した。
北関東放送の周波数に合わせると、午後のワイド番組の女性アナウンサーの声が、小さく流れはじめた。
その瞬間、ばあちゃんの目が、ほんの少しだけ、柔らかくなった。
口元が緩んで、頬の細い皺が、嬉しそうに動いた。
そして、ばあちゃんは、誰にともなく、ゆっくりとつぶやいたのだった。
「ホタくん、また喋ってる」
僕は今、その時の声を、こうして文字にして書いている。
あの瞬間のばあちゃんの声は、人生で僕が聴いた中で、いちばん美しい音だった。
ばあちゃんは、その年の秋の終わりに、静かに息を引き取った。
葬儀の翌週も、僕は深夜放送のことだけは休まなかった。
「ばあちゃんが、月曜の夜にだけ起きていた人だから」
そう言って、僕はその夜もスタジオで、赤いキューランプをじっと見つめていた。
ばあちゃんの真空管ラジオは、今、僕のアパートの本棚のいちばん上に置いてある。
もう真空管はだいぶ弱ってきていて、雑音の向こうから、時々しか、人の声が聴こえない。
けれど、僕は時々、月曜の夜の自分の番組を、そのラジオで聴いている。
そうしていると──雑音の向こうから、ばあちゃんの声が聞こえるような気がするのだ。
「ホタくん、また喋ってる」
そう言って、笑ってくれているような気がする。
声は、記憶のいちばん深いところに、最後の最後まで残るのかもしれない。
名前を忘れてしまった人の中にも、声だけは、ちゃんと残るのかもしれない。
そして、僕の声は──きっと、これからも、夜の電波に乗って、誰かのいちばん深いところに、ひっそりと届いていく。
ばあちゃんが、僕にラジオの仕事を選ばせた本当の理由が、今になって、少しだけわかる気がしている。