木曜日の油絵

温かな銭湯の静寂

五月の雨が、脱衣場の窓を叩く夜だった。

俺は番台でタオルの折り畳みをしながら、壁の絵を見ていた。

油絵だ。

古い木の額縁に入った横長の作品で、富士山の稜線と、そこから昇る朝日が描いてある。

右下の隅に、細い筆で記されたサインがある。「S.I. 1972」。

誰が描いたのか、じいちゃんも、親父も知らなかった。

「昔からそこにある絵や」というだけで、それ以上のことを俺は何も聞いていない。

聞かないまま、二人とも逝ってしまった。

「のぞみ湯」は、大阪の西成区にある銭湯だ。

俺の曾祖父が昭和二十九年に開いた店で、今年で七十二年になる。

四代目は俺になると思っていたのは俺一人で、親父が五年前に亡くなってからというもの、廃業の話が常連さんの間でちらちらと出るようになっていた。

それでも俺は続けていた。

理由はうまく言葉にできない。

ただ、店を閉めた夜のことを想像すると、胸の中が妙に狭くなる気がして──それだけがわかっていた。

タイル張りの浴槽。ペンキの剥げた壁。錆の浮いた蛇口。

古くて、くたびれていて、それでも毎晩お湯を張れば、常連さんが来る。

それだけが、俺の理由だったかもしれない。

岩田さんが来るのは、決まって木曜日だ。

週に一度。夜の七時ごろに引き戸を開けて、黙って下駄箱に下駄を入れて、番台の俺に小銭を置いていく。

「毎度」と俺が言うと、岩田さんはほんの少しだけ顎を引く。

それだけだ。

背が低くて、痩せていて、いつも紺色の半纏を着ている。

白髪交じりのざんばら髪で、顔の皺は深い。

年齢は後から知った。八十一歳。

見た目よりずっと、老いていた。

言葉数が少ない人だった。

「熱いな」とか「ええ湯や」とか、浴場から出てきてそれだけ言う。長く話したことは一度もなかった。

他の常連さんが「岩田はんは昔から無口やで」と教えてくれたのは、岩田さんが来始めて三ヶ月ほど経った頃のことだ。

「昔から? 岩田さん、ずっとうちに来てはったんですか」

「そらそうよ。あんたのじいさんの代から来てるんちゃうかな」

俺は驚いた。

じいちゃんの代、ということは、もう三十年以上になる計算だ。

それだけ来ているのに、俺は岩田さんの名前すら知らなかった。

岩田さんを意識するようになったのは、去年の秋のことだ。

閉店前の最後のひと湯を済ませた岩田さんが、脱衣場から出てくるのがいつもより遅かった。

どうしたんだろうと思って覗いてみると、岩田さんは半纏の帯を締めながら、壁の絵をじっと見ていた。

いつもより長く、立ち止まっていた。

「好きですか、この絵」

思わず声をかけると、岩田さんは振り返らずに言った。

「……うまい絵やと思てな」

それだけ言って、出ていった。

それ以来、俺は気になって仕方なくなった。

毎週木曜日、岩田さんは必ず絵の前で少しだけ立ち止まっていた。

着替えながら、ちらりと。

でもその「ちらり」が、他の人のそれとは違う気がした。

確かめるように、見ている。

そんな気がした。

岩田さんと少し話せるようになったのは、今年の二月のことだ。

常連の竹田さんが仲介してくれた。「岩田はん、昔は絵を描いてはったんやて。商店街の看板とか、そういう」

岩田さんは照れ臭そうに「そんな大げさな」と言った。

それでも少しずつ、聞いてみた。

「どんな仕事してはったんですか」

「看板描きや。昔は、店の名前を木の板に書いてもうてな。ペンキで。今みたいに印刷の機械とかないから、全部手ぇで描くんや」

「かっこいい仕事ですね」

「かっこよくはないわ。地味で、汚れる仕事や。でも、好きやったな」

そう言ってから、岩田さんはふっと視線を番台の奥のほうへやった。

「もう手ぇが震えてな、描けへんようになったんや。十五年前くらいからかな」

俺は何も言えなかった。

「でも描いてた頃は、楽しかった。壁とか看板とか、自分が描いたものがそこにあるのが──なんか、よかったな」

そう言って笑った。

しわだらけの、静かな笑いだった。

その笑い方が、俺には少し切なかった。

もう描けなくなった手を、膝の上で静かに重ねていた。

その夜、俺は岩田さんに一つ聞いた。

「のぞみ湯、廃業するって噂、聞いてますか」

岩田さんは湯呑みを持ったまま、少し首を傾けた。

常連さんが差し入れてくれたお茶を、番台の前で飲んでいるところだった。

「聞いてる。するんか」

「まだわかりません。でも一人でやってると、いろいろ厳しくて」

「そうか」

岩田さんはそれだけ言って、湯呑みを返した。

もう少し何か言ってくれるかと思った。

でも岩田さんは「気ぃつけや」と言って、いつも通り引き戸を閉めて帰った。

その背中が、なんとなく残った。

翌週の木曜日も、岩田さんは来た。

その次の木曜日も。

廃業の話は、岩田さんの来訪を変えなかった。

その事実が、俺の胸のどこかに刺さった。

五月のはじめに、岩田さんが来なくなった。

一週、二週、三週。

木曜日が三度過ぎても、のぞみ湯の引き戸は岩田さんによって開かれなかった。

俺は竹田さんに聞いてみた。

竹田さんは少し間を置いてから、「岩田はん、入院してはるらしいわ。もう足腰が難しゅうなったとかで」と言った。

心配した。

でも住所も電話番号も知らなくて、俺にできることは何もなかった。

来なくなってから初めて、岩田さんのことを俺がどれだけ何も知らなかったかに気づいた。

名前だけしか知らなかった。

家族がいるのかも、どこに住んでいるのかも、好きなものも、歩いてきているのかバスなのかさえ、聞いたことがなかった。

毎週来てくれていた人のことを、そんなに何も知らなかった。

岩田さんの息子が来たのは、六月の第一週の木曜日だった。

雨の日だった。

「のぞみ湯さんですか」と言って引き戸を開けた男は、五十代に見えた。スーツを着ていて、傘を持っていた。

「父が、六月の三日に亡くなりまして」

俺は番台から出た。

何も言えないまま、頭を下げた。

「父がここに通っていたのを知りまして。ご挨拶に伺いました」

「毎週来てくれてはりました。木曜日に、必ず」

息子さんは頷いた。

少し目が潤んでいた。

「父から聞いていたんです。のぞみ湯さんのことは」

「俺の話ですか」

「若い人が一人で続けているって。消えていくものを守っている、って」

俺はその言葉を、うまく受け取れなかった。

守っている、という感覚は俺にはなかった。

ただ閉めることができなかっただけで──守っているというより、諦められなかっただけだ。

でも岩田さんはそう言っていたのだと知って、胸の中が少しだけ熱くなった。

「あの、一つだけ、教えてもよろしいですか」

息子さんは脱衣場のほうを見た。

「あちらの壁に、絵が飾ってありますよね」

「ええ」

「あれは──父が若い頃に描いたものです」

俺は息を止めた。

「昭和四十七年。父が三十歳のときに、この銭湯の先代の方にお願いされて描いたんだそうです。油絵は専門じゃなかったんですけど、一所懸命に描いたって言ってました」

「S.I.というサインは」

「岩田誠司のイニシャルです」

俺はゆっくりと、脱衣場の壁を見た。

五十四年前に描かれた油絵が、そこにある。

富士山の稜線。

朝日の橙色。

「父は、最後の数年はのぞみ湯さんのことをよく話してくれました。木曜日が楽しみだ、って」

「どうして木曜日だったんですか」

「木曜日が父の若い頃の、休みの日だったそうです。看板の仕事をしていた頃は、木曜定休が多くてって。習慣が抜けなくて、と笑っていました」

息子さんは、少し笑った。

そして静かに、言った。

「親父は、この絵を見に来ていたんじゃないんです。」

雨の音が、少し強くなった。

「この絵が、まだここにあるかどうかを確かめに来ていたんです。」

俺は何も言えなかった。

脱衣場の窓の外で、雨が続いていた。

息子さんが帰った後、俺は一人で脱衣場に入った。

閉店後の空の脱衣場は、誰もいなくて静かだ。

ロッカーの扉が一枚、少し開いていた。

俺は絵の前に立った。

富士山の稜線。

朝日の橙色。

五十四年間、この壁にある絵。

岩田さんは、自分が描いた絵が「まだここにある」かどうかを、毎週確かめに来ていた。

俺に言えばよかったのに、と思った。

でもすぐに思い直した。

言えない人なんだと、わかっていた。

「うまい絵やと思てな」と言って、振り返らずに出ていった人だ。

照れ臭くて、不器用で、自分が描いた絵だとは名乗れなかった人だ。

でも毎週来た。

三十年以上、この銭湯に。

老いた体で、木曜日に。

廃業の噂を聞いても、翌週もその次の週も、引き戸を開けた。

それが岩田さんのやりかただったのだと思う。

感謝でも、懐かしさでも、愛着でもなく──ただ、来ることで伝えていた何かがあったのだと。

のぞみ湯には、今夜も常連さんが来ていた。

竹田さん、森田のおじいちゃん、最近来始めた若い夫婦。

俺は番台に戻って、いつも通り受け付けをした。

「毎度」と言い続けた。

タオルを折り畳みながら、壁の絵を少し長く見ていた。

岩田さん。

俺も言えなかったな、と思う。

来てくれていたこと、嬉しかった。

あなたが来るから、木曜日が少し楽しみだった。

来なくなって、ずっと気になっていた。

もっと話しかければよかった。

住所を聞いておけばよかった。

でも岩田さんが言えなかったことがあるように、俺にも言えないことがあった。

そういう者同士が、毎週木曜日に引き戸を挟んで向き合っていたのかもしれない。

のぞみ湯の廃業を、俺はまだ考えていない。

正確には、考えるたびに胸が狭くなって、それ以上考えられなくなる。

岩田さんが毎週来ていたことを知る前も、知った後も──それは変わらない。

ただ少しだけ、確かなことが増えた気がする。

岩田さんが来てくれていたのは、ここに意味があったからなのだと。

壁の絵は、昭和四十七年から今夜もここにある。

岩田誠司が三十歳のときに描いた富士山が、五十四年間、この脱衣場の壁から動いていない。

それを確かめに来ていた人が、もういない。

だから今度は俺が、毎晩確かめる。

ちゃんとある。

まだここにある。

雨が上がった夜の、のぞみ湯の脱衣場に。

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