実話|師匠の最後の鋏の音

雪の日の温かな理髪のひととき

鶴岡駅から国道七号を北へ走らせると、海岸線に出る手前で雪が一段と深くなる。

除雪車の通ったばかりの轍を、軽自動車の細いタイヤが滑らないように走らせていく。

ハンドルを握る指先が、グローブの中で冷たく硬くなっていた。

助手席には、油紙で包んだ鋏のケースと、十年前に師匠から譲り受けた古い革のバッグ。

革のバッグの内側には、長く使われたことを物語る、油と汗の匂いがしみ込んでいた。

月に一度の、訪問日だった。

私は四十一歳になる、訪問理容師である。

山形県庄内地方、鶴岡市と酒田市のあいだに点在する集落と高齢者施設を、軽自動車一台で巡って髪を切る仕事をして十二年になる。

店に来られなくなった人の家まで、鋏を持って行く。

師匠の佐久間清三郎さんは、九十歳。

かつて鶴岡の市街地で六十年近く「佐久間理容店」を営んでいた、私の最初の親方だった。

十八で高校を出て、それなりに荒れて家を出ていた私を、紹介人もないのにあっさり住み込みで雇ってくれたのが佐久間さんだった。

面接らしい面接もなく、ただ「明日から来い」と一言だった。

店の二階の、畳が日に焼けた六畳間に布団を敷いて、私はそこで五年を過ごした。

窓を開けると、すぐ目の前に商店街のアーケードがあった。

夜遅くまで隣の食堂の換気扇の音が聞こえて、その音を子守歌のようにして眠った日々だった。

初日に師匠が言ったのは、たった一つだった。

「鋏を持つ前に、まず床を磨け」

そう言って、私の手にぼろ布を渡して、店の隅の流しを指差した。

師匠は無口な人だった。

客が来れば「いらっしゃい」と言い、客が帰れば「またな」と言う。

仕事の指図はほとんど身振りで、間違えた時は黙って首を振る。

叱るというより、ただ、もう一度やり直す機会を与えてくれる人だった。

ただ、一度も声を荒げたことはなかった。

朝六時には店の前を箒で掃き、一日の最後には砥石を取り出して、自分の鋏と剃刀の刃を研いだ。

その砥石は、油紙に包まれて店の奥の引き出しに仕舞われていた。

取り出すときの、紙の擦れる音まで、決まった呼吸のなかにあった。

「この石はな、おらの最初の道具だ」

あるとき、ふと振り返って、師匠はそう言った。

「あんたも、いずれ自分の石を持つだろう。それまでは、これを使え」

その夜、私は初めて、自分で砥石を握って鋏を研いだ。

滑らかな表面を指で撫でると、長い年月をかけて少しずつへこんだ中央の窪みが分かった。

誰かの何十年分の手の力が、石をこの形にしてきたのだと、十八の私はぼんやりと思った。

五年が経ち、私は独立して鶴岡の隣町に小さな理容室を構えた。

独立の話を切り出したとき、師匠は驚きもせず、ただ「ああ、そうか」とだけ頷いた。

祝いの言葉も、念押しの言葉も、特になかった。

そのころ、師匠の店は、息子さんも継がず、徐々に客足が遠のいていった。

商店街そのものが、シャッターを下ろす店ばかりになっていた。

師匠は七十五で店を畳むと決めた日、私の店まで雪道を歩いてやって来た。

玄関のガラス戸を開けて入ってきた師匠の肩には、白い雪が静かに積もっていた。

挨拶もそこそこに、油紙の砥石を私の手のひらに置いた。

「あんたが持っていろ。おらの代わりに、研いでくれ」

そう言って、ただ一度だけ私の頭を撫でた。

師匠の指は、節くれだって、冷たかった。

けれどその冷たさが、なぜかずっと、手の甲に残ったままだった。

店を畳んでから十五年、師匠は施設に入った。

奥さんは早くに亡くなっており、子供は東京で独立していた。

身寄りに近い者として、私が月に一度、髪を切りに訪ねるようになった。

髪を切るというよりも、ただ会いに行く、というほうに近かった。

その日の朝、施設の介護士さんから電話があった。

「今日、いらっしゃいますよね。佐久間さん、昨日の夜から少し様子が違くて……来ていただけると、助かります」

声の調子で、私は分かってしまった。

受話器を置いてから、しばらく台所の椅子に座ったまま、外の雪を見ていた。

急いではいけないと思った。けれど、遅れてもいけないと思った。

軽自動車のエンジンを温めながら、私はいつもより少し早く家を出た。

施設の応接室に椅子を持ち込んで、簡易の散髪台を作るのが、いつもの段取りだった。

けれどその日は、師匠は車椅子から立てなかった。

「悪いな、こっちで頼む」

師匠は痩せた手で、自分のベッド脇を指した。

窓の外では、湿った雪が静かに降っていた。

遠くで、施設の暖房のかすかな唸りだけが続いていた。

私はベッドの上に座り直した師匠の背後に立ち、肩にケープを掛けた。

師匠の襟首は、私の知る三十年前の襟首と同じ匂いがした。

椿油と、清潔な石鹸と、ほんの少しの煙草の匂い。

それは、店の奥の引き出しの匂いとも、二階の畳の匂いとも、どこかでつながっていた。

「最後にもう一度、切ってくれや」

師匠はそう言って、目を閉じた。

その「最後に」が、本当に最後の意味であることを、私は鋏を構えながら理解していた。

けれど私は、何も訊き返さなかった。

訊き返してはいけないことを、長い修業の年月が、私に教えていた。

鋏の刃を、師匠の白い髪に滑り込ませる。

髪は薄く、軽く、ほとんど抵抗がない。

けれど私は丁寧に、襟足から耳の上、後頭部の丸みに沿って、一筋ずつ揃えていった。

師匠の頭は、何度も同じ場所を、私の手で測られてきた頭だった。

師匠は目を閉じたまま、低い声で語り始めた。

「おらの店な、土曜の夕方が一番賑わったんだ」

「夕焼けが窓に差して、客は皆、明日の日曜のために髪を整えに来た」

「ラジオで野球中継が流れててな、客もおれも、応援しながら鋏を握ってた」

「客が出ていく時に、ベルがからんと鳴ってな、その音聞くと、ああ今日も一日終わったって思ったもんだ」

師匠の声は乾いていたが、その語りには店の音があった。

鏡を磨く布の音、ドライヤーの風、客の笑い声、入り口のベル。

私の鋏の音だけが、その語りに合わせて、しゃきり、しゃきり、と冬の部屋に響いていた。

師匠は途中で目を開けて、横の窓を見た。

「雪、降ってるんだな」

「ええ。庄内らしい、湿った雪です」

「いがったな。最後に、雪見ながら、髪切ってもらえて」

師匠の声が、少し震えた。

私の鋏の手も、一瞬だけ止まりかけた。

けれど、止めなかった。

止めることは、師匠への礼儀ではなかった。

切り終えて、首筋の毛をブラシで払い、ケープを外した。

師匠はゆっくりと首を回して、鏡に映る自分の顔を見た。

長いあいだ、何も言わずに、ただ自分の頭を見ていた。

整えられた襟足のかたちに、何かを確かめているような目だった。

そして、私のほうを振り返らずに、ぽつりと言った。

「あんたの鋏の音は、おらの店の音と同じだな」

その一言を聞いたとき、私の指先から、温度が抜けていくのが分かった。

三十年近く、毎日毎晩、研ぎ続けてきた音だった。

研いだ砥石は、師匠から譲られた、あの石だった。

師匠は満足げに頷いて、また目を閉じた。

「今日は、ありがとうごえした」

声は、ほとんど吐息に近かった。

私は何も言わずに、鋏を油紙にしまった。

三日後の朝、施設から電話があった。

師匠は前日の夜、眠ったまま静かに息を引き取ったと告げられた。

「最後の散髪、ご家族みたいに喜んでいらっしゃいましたよ」

介護士さんはそう言って、少しのあいだ、言葉を切った。

葬儀は親族のみで簡素に執り行われた。

そのあと、施設の職員さんが、師匠の私物の小さな段ボール箱を私に渡してくれた。

「これだけは、必ずあの人に渡してほしい、と申し送りがありました」

家に持ち帰って、台所の机の上で、ゆっくりと箱を開けた。

箱の中には、油紙に二重に包まれた、もう一つの砥石が入っていた。

私の手元にある、十五年前に譲られた砥石とは別の、もう一回り小さな石だった。

油紙を開いた瞬間、店の奥の引き出しの匂いが、台所まで広がった。

裏返してみると、石の側面に、細く彫られた文字があった。

「昭和二十二年 弟子 松吉」

私の知らない名前だった。

窓の外では、また雪が降り始めていた。

師匠の遠縁にあたるという親族の連絡先を辿って、私は東京に電話をかけた。

受話器を取ったのは、師匠の従弟にあたる七十代の方だった。

松吉さんは、師匠が二十歳のころに取った最初の弟子だったという。

戦後すぐ、十六で店に来た少年だった。

身寄りがない子で、近所のお寺の住職が連れて来たのだと、その人は言った。

二年ほど住み込みで働いて、二十歳になる手前で胸を患って亡くなった。

師匠はそれから、長いあいだ、弟子を取らなかったらしい。

「松吉が死んでから、清三郎は弟子を取らねがった」

受話器の向こうの声に、雪国の言葉が滲んでいた。

「だげんと、あんたが店さ来た時──おれは、もう一度だけやってみる、って書いてよこした」

私は、何も返せなかった。

受話器を握る手が、ただ少しだけ震えていた。

師匠はずっと、松吉さんの代わりに私を育てていたのではない。

もう一度、最初から弟子を育て直すことで、自分のなかの松吉さんに、もう一度ちゃんと「卒業」させたかったのだと思う。

店の床を磨かせた初日も、声を荒げずに身振りで指図した日々も、独立の日にだけ頭を撫でてくれたあの瞬間も、最後の散髪のときの「鋏の音」のひとことも──。

師匠が私を見ていた目の奥には、いつも、もう一人の弟子の影が静かに座っていたのかもしれない。

けれど、それは哀しいことではなかった。

師匠は最後に、私の鋏の音を、自分の店の音として聞いてくれた。

それは「もう一人の松吉」としてではなく、「あんた」として、最後に名指してくれた音だった。

私は今、二つの砥石を、店の奥の同じ引き出しに並べて仕舞っている。

朝、鋏を研ぐ前に、その二つの石を順に取り出して、油を引く。

大きい石を、左に。小さい石を、右に。

師匠の手の冷たさを思い出すたび、もう一人の弟子のことも、一緒に思い出すようになった。

雪の朝、鋏の音だけが、店の中に静かに響いている。

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