育ててくれてありがとう

母の仏壇に、見覚えのない湯呑みがひとつ増えていた。

四十九日が済んで、家の片付けに帰ったときのことだ。

古い湯呑みだった。

縁が欠けていて、内側に茶渋の輪が三本ついている。

うちの食器棚には、こんなものはなかった。

「これ、誰の」

父に聞くと、父は仏壇のほうを見たまま言った。

「知らん」

知らんはずがない、と思った。

この家の物の在り処を、父は全部知っている。

知っていて、知らんと言う人だった。

私は中学の頃、ちょうど反抗期の真ん中にいた。

母が何を言っても、腹が立った。

ご飯だよ、と呼ばれれば、うるさいと返した。

制服のスカートを折れば、みっともないと言われた。

みっともないのはお母さんのほうだ、と言い返した。

今思えば、意味のない喧嘩ばかりだ。

だが、あのときは本気だった。

本気で、母を困らせたかった。

困った顔を見ると、なぜか安心した。

この人は、私のことを見ている。

そう確かめたかったのだと思う。

子供というのは、ずるい生き物だ。

中学一年の授業参観に、母は割烹着のまま来た。

本当は、来る予定ではなかった。

うちは自営で、その年は父が体を壊していた。

母はパン工場のパートに出ていた。

その日は休めないと言っていた。

それが、三時間目の途中で、教室の後ろの扉が開いた。

母が立っていた。

髪に、白い粉がついていた。

工場の粉だ。

クラスの誰かが、くすっと笑った。

私は、下を向いた。

顔が熱くて、黒板が見えなかった。

休み時間に、私は母のところへ行って言った。

「なんで来たの」

「見たかったから」

「恥ずかしいから、帰って」

母は、少しだけ黙った。

それから、笑って言った。

「そうだね。ごめんね」

そして、帰った。

廊下を歩いていく後ろ姿の、割烹着の紐が、片方ほどけていた。

私は、それを直してあげなかった。

母の弁当は、正直、うまくなかった。

おかずはいつも同じだ。

卵焼きと、ウインナーと、きんぴら。

それだけ。

友達の弁当は、もっと色がついていた。

私は、母に言ったことがある。

「もっと、普通のにして」

「普通って」

「みんなみたいなの」

母は、返事をしなかった。

次の日から、弁当のおかずが増えた。

彩りも良くなった。

それを見て、私は満足した。

満足して、二ヶ月ほど経ってから気づいた。

母の弁当箱の中身が、白いご飯と梅干しだけになっていたのだ。

朝、台所で見てしまった。

「お母さん、それだけ」

「これでいいの」

「なんで」

「お母さん、少食だから」

母は、少食ではなかった。

私が知っている中で、一番よく食べる人だった。

ある日曜の朝、些細なことで火がついた。

何が発端だったかは、もう覚えていない。

洗濯物のことだった気もするし、部活の道具のことだった気もする。

台所で、母が振り返って言った。

「そんな子に育てた覚えはない」

包丁を置いた音が、やけに大きかった。

売り言葉に買い言葉だった。

私は、玄関の靴を履きながら言った。

「産んでくれなんて、頼んだ覚えはないよ」

言ってから、しまったと思った。

思ったが、引っ込められなかった。

母は、何か言い返してくると思った。

お前なんか産まなきゃよかった。

そのくらいのことは、返ってくると思っていた。

だが、母は黙った。

何も言わなかった。

本当に、ひとことも。

私は玄関で靴を履いたまま、母の返事を待っていた。

待っている自分に気づいて、余計に腹が立った。

振り返ると、母は流し台の前に立っていた。

背中を向けたまま、動かなかった。

水道の水が出しっぱなしになっていた。

母は、それを止めなかった。

私は、扉を思い切り閉めて出て行った。

その日は、公園で日が暮れるまで座っていた。

腹が減って、結局帰った。

帰ると、食卓に私の分の夕飯が並んでいた。

ハンバーグだった。

私の好物だ。

母は、居間にいなかった。

父が、テレビの前でひとりで箸を動かしていた。

「お母さんは」

「風呂だ」

私は黙って食べた。

おいしかった。

それが、悔しかった。

その日から、母は少し変わった。

いや、変わっていない。

変わったのは、私に対する言葉の量だ。

「そんな子に育てた覚えはない」

その手のことを、母は二度と言わなくなった。

何をしても、言わなくなった。

私が門限を破っても、テストで落ちても、髪を染めても。

ただ、黙って夕飯を作った。

私は、それを勝ったと思っていた。

勝った、と本気で思っていたのだ。

高校のとき、一度だけ、母が言いかけたことがある。

夏だった。

私が進路の紙を書いていると、母が後ろに立っていた。

「あんた」

「なに」

「お母さんね」

そこで、止まった。

振り返ると、母は台所へ行ってしまった。

水の音がした。

何を言おうとしたのか、私は聞かなかった。

聞けば、面倒なことになる気がしたからだ。

今なら、わかる。

あのとき、母は言おうとしていた。

言おうとして、やめたのだ。

やめた理由も、今ならわかる。

私が、進路の紙を書いていたからだ。

その紙には、書類がいる。

戸籍がいる。

母は、その前に自分の口から言おうとして、できなかった。

月日が経った。

大学に入るとき、戸籍抄本を出せと言われた。

役所へ取りに行ったのは、二月の寒い日だった。

窓口で紙を受け取って、待合の椅子に座って、何気なく開いた。

そこに、見たことのない二文字があった。

養女。

最初、字を読み違えたと思った。

何度も読み返した。

父の名前があって、母の名前があって、私の名前があって。

その横に、養女と書いてあった。

役所の暖房が効きすぎていて、耳が熱かった。

私は紙を畳んで、鞄に入れた。

入れてから、また出して、また読んだ。

家に帰る道で、私はずっと計算していた。

何年前だ。

何歳のときだ。

いつから、この人たちは私の親なのだ。

そして、あの朝のことを思い出した。

産んでくれなんて、頼んだ覚えはない。

私は、あの人に、それを言ったのだ。

言われた側が、どんな顔をしたのか。

私は見ていない。

背中しか、見ていない。

水道の水を、止めなかった背中しか。

道の途中で立ち止まった。

息が白かった。

胸のあたりが、内側から押されるように痛かった。

家に帰って、母の顔が見られなかった。

「ただいま」

「おかえり。寒かったでしょ」

母はいつも通りだった。

炬燵に足を入れて、みかんを剥いていた。

私はその向かいに座って、何も言えなかった。

剥いたみかんが、目の前に置かれた。

白い筋が、丁寧に全部取ってあった。

私は、子供の頃から筋が嫌いだった。

それを、母は覚えている。

覚えていて、四十年近く、毎回取っている。

「食べないの」

「食べる」

声が震えた。

母は、それに気づいたはずだ。

だが、何も聞かなかった。

また、みかんを剥き始めた。

私は結局、その話を母にしなかった。

言えなかった、というのが正しい。

言えば、母が何かを謝る気がした。

黙っていて悪かった、とか、そういうことを。

それだけは、絶対に嫌だった。

謝るべきは、私のほうだ。

だから、言わないことにした。

言わないまま、私は大学を出て、就職して、結婚した。

子供が生まれた。

女の子だった。

母は、病院に一番に来た。

ガラス越しに新生児室を覗いて、しばらく動かなかった。

「似てるねえ」

母はそう言った。

「あんたの、赤ん坊の頃に」

私は、母の顔を見た。

母は、真顔だった。

冗談でも、慰めでもなかった。

本気で、そう思っている顔だった。

結婚式で、母は泣かなかった。

一滴も。

親族の誰かが「お母さん、強いねえ」と言った。

母は笑って「もう歳だから、涙が出ないのよ」と言った。

式が終わって、控室に戻ったとき、母がいなかった。

探したら、化粧室の前の廊下にいた。

壁に手をついて、下を向いていた。

「お母さん」

振り返った母の目は、真っ赤だった。

「なんでもない」

「泣いてるじゃん」

「泣いてない」

母は、そう言い張った。

「化粧が崩れるから、あっち行って」

私は、あっちに行った。

今なら、行かない。

今なら、腕を掴んで、あの日の朝のことを謝る。

だが、あのときの私は、素直に行ってしまった。

その子が三歳のとき、私は同じことを言われた。

公園の砂場だった。

帰ろうと言っても帰らない娘に、私はつい強く言った。

そうしたら、娘が泣きながら叫んだ。

「ママなんか、きらい」

子供の言うことだ。

本気じゃない。

そんなことはわかっている。

わかっていて、息が止まった。

砂場の砂が、やけに白かった。

私は、あの日の台所に立っていた。

流し台の前で、水を止められなかった人の背中の内側に、初めて入った。

これか、と思った。

これを、あの人に。

私は、これよりずっとひどいことを。

帰りの道で、娘を抱いたまま泣いた。

娘は、驚いて泣きやんだ。

その夜、私は母に電話をした。

用もないのに、電話をした。

「どうしたの、こんな時間に」

「別に」

「なによ」

母は、少し笑っていた。

何か言おうとして、やはり言えなかった。

四十年、私はいつもそうだ。

言えないまま、話題を変える。

「お母さん、あのさ」

「うん」

「今度、みかん買ってきて」

「みかん」

「うん。剥いてほしい」

母は、電話の向こうで黙った。

それから、言った。

「いいよ」

たったそれだけの電話だった。

今思えば、あれが私の精一杯の謝罪だった。

母には、たぶん、伝わっていた。

伝わっていたから、何も聞かなかったのだ。

母が入院したのは、それから十二年後だ。

最後の一週間、私は病室に泊まり込んだ。

母は、痩せて小さくなっていた。

点滴の管が、腕に何本も入っていた。

夜中に、母が目を覚ました。

天井を見たまま、母は言った。

「ねえ」

「なに」

「あんた、あのとき」

心臓が跳ねた。

どのとき、とは聞けなかった。

聞かなくても、わかった。

四十年、一度も口に出さなかったことだ。

母は、ずっと覚えていた。

私が覚えているのと同じ長さだけ、覚えていた。

「あのとき、お母さんね」

母の声は、掠れていた。

「言い返さなくて、よかったと思ってる」

「なんで」

「言い返してたら」

母は、少し笑った。

「あんたが、本気にしちゃうから」

「お母さん」

「ん」

「ごめんね」

言えたのは、それだけだった。

四十年、ずっと言いたかったことが、三文字しか出なかった。

母は、天井を見たまま、少しだけ首を動かした。

「なにが」

「あの朝の」

母は、目を閉じた。

そして、言った。

「そんな子に育てた覚えはないって、お母さんが先に言ったのよ」

「え」

「あれが、悪かったの」

私は、言葉が出なかった。

母は、四十年、そっちを悔やんでいた。

私が投げた言葉ではなく、自分が投げた言葉を。

「あんたに、育てたって言っちゃった」

母の声が、また掠れた。

「育てたなんて、言う資格ないのに」

違う。

そうじゃない。

そう言いたかったのに、喉が塞がって、声にならなかった。

私は、母の手を握り直した。

私は、母の手を握った。

骨と皮だった。

それでも、温かかった。

「知ってたんでしょ」

初めて、私はそれを口にした。

「私が、戸籍を見たこと」

母は、黙っていた。

それから、天井を見たまま言った。

「大学のとき、帰ってきて、みかん食べたでしょ」

覚えている。

「あんた、あのとき、手が震えてた」

だから、みかんを剥き続けたのだと母は言った。

何か言えば、私が何か言わなければいけなくなる。

それが、かわいそうだった、と。

「言わせたくなかったの」

母の湯呑みは、その病室にはなかった。

家にあると思っていた。

だが、仏壇の前にあったあの欠けた湯呑みが、母のものだったのだ。

父が、後で教えてくれた。

母は、あの湯呑みを二十年以上使っていたのだという。

私が知らないはずがなかった。

だが、知らなかった。

母は、家族が集まるときには必ず新しいほうの湯呑みを出した。

自分の欠けたものは、台所の奥に隠していた。

「なんで」

父に聞くと、父は初めてこちらを向いた。

「欠けてるもんを、客に出せんだろう」

「私、客じゃないよ」

父は、それには答えなかった。

父は、母が亡くなってから、よく喋るようになった。

四十年分の言葉が、順番待ちをしていたみたいだった。

ある夜、二人で仏壇の前に座っているとき、父が言った。

「あれはな」

「なに」

「お前が三つのときだ」

父は、私を引き取った日の話をした。

役所の人と、施設の人と、母と父と。

狭い部屋で、書類に判子を押した。

その帰り道、母が父に言ったのだという。

「この子には、絶対に言わない」

「なんで」

「言ったら、この子が、遠慮する」

父は、そこで一度言葉を切った。

「お前の母さんは、遠慮されるのが、一番嫌いだった」

私は、湯呑みを見た。

欠けたほうの、湯呑みを。

片付けの最後に、母の鏡台の引き出しを開けた。

奥に、封筒がひとつあった。

中に、私が中学の頃に書いた作文が入っていた。

「わたしの母」という題だ。

授業で書かされたやつだ。

中身は、覚えていない。

広げて読んだ。

ひどい作文だった。

うちの母はうるさい、口が悪い、料理が下手だ。

そんなことばかり書いてある。

最後の一行だけ、こう書いてあった。

「でも、いなくなったら困ると思う」

母は、これを二十年以上、鏡台の奥に入れていた。

封筒は、何度も開け閉めされて、糊のところが柔らかくなっていた。

作文の裏に、赤いペンで先生の字があった。

「よく書けています」

その下に、鉛筆で、母の字があった。

先生に見せる欄ではない。

ただの余白だ。

そこに、こう書いてあった。

「わたしも、いなくなったら困ります」

日付はない。

いつ書いたのかも、わからない。

書いて、封筒に戻して、鏡台の奥に隠した。

誰にも見せるつもりのない字だった。

私は、その紙を持ったまま、しばらく動けなかった。

畳の目が、涙で歪んだ。

養女だと知ったとき、私はショックを受けなかった。

それが、自分でも不思議だった。

今なら、わかる。

血の話ではないからだ。

あの朝、私は世界で一番ひどい言葉を、母に投げた。

母はそれを、受け取って、飲み込んで、黙って夕飯を作った。

四十年、一度も投げ返さなかった。

それが、答えだ。

それ以上の答えを、私は知らない。

今、私の家の食器棚には、縁の欠けた湯呑みがある。

母のものだ。

私はそれを、毎朝使っている。

娘が、この前それを見て言った。

「お母さん、それ欠けてるよ。捨てれば」

「いいの」

「なんで」

私は、答えなかった。

父と同じだ。

説明できないことは、説明しないほうがいい。

湯呑みは、毎朝使うたびに、指が欠けたところに引っかかる。

その引っかかりが、なぜか心地いい。

欠けているから、そこにあるとわかる。

完璧なものは、手のひらを素通りしていく。

そのうち、わかる。

わからなくても、いい。

娘が、うちに来た。

みかんを剥いて出したら、娘が笑った。

「筋、全部取ってある」

「嫌いでしょ」

「別に、そこまでは」

娘はそう言って、それでも全部食べた。

食べながら、欠けた湯呑みを見ていた。

「ねえ、それ、おばあちゃんの」

「うん」

「じゃあ、捨てちゃだめだね」

私は、手が止まった。

なんで、と聞きそうになって、やめた。

聞かなくていい。

この子には、もう伝わっている。

私が四十年かかったことが、この子には十六年で伝わっている。

それでいい。

それが、たぶん、順番というものだ。

娘が来週、うちに来る。

みかんを買っておいた。

剥いておこうと思う。

白い筋を、全部取って。

あの人がしてくれたように、丁寧に、一本ずつ。

それが、私が受け取ったものの、たぶん全部だ。

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