彼女の日常

公開日: ちょっと切ない話 | 恋愛 | 悲しい話 | 長編

カップル(フリー写真)

俺には幼馴染の女の子が居た。

小学校から中学校まで病気のため殆んど普通の学校に行けず、いつも院内学級で一人で居るせいか人付き合いが苦手で、俺以外に友達は居なかった。

彼女の体調が良く外泊許可が下りた日は、いつも俺が普通の学校へ送り迎えをして、彼女の体調の変化に対応するようになっていた。

普通は親がやる事だが、家が隣同士で母親の職場が同じで、家族ぐるみの付き合いをしていたので、彼女の母親は俺に絶対的な信頼を寄せていたのだと思う(彼女の入院費を稼ぐために働いて、彼女自身をおろそかにしなければならないという矛盾した悲しい現実もあった)。

俺はそんな信頼に応えるように幼いながらの正義感を持っていて、学校で茶化される事があったが、それは自分に与えられた責任が果たせているという確信でしかなかった。

彼女は人工透析がある時以外は普通の学生生活を送ろうと懸命で、体調さえ良ければ、雨の日や雪が降るような寒い時でも、中学生とは思えない華奢な肩を震わせて学校へ行った。

そんな彼女の頑張りで、高校進学の出席日数は普通の学校と院内学級を合わせて何とか間に合った(実際は足りなかったが、意欲有りで認められた)。

そして俺が合格した高校の二次募集を受験し、補欠ながら何とか合格して、いつもふさぎがちな彼女の表情は輝いていた。

これは高校合格だけではなく、体調が安定して来て外泊許可が長くなったのもあると思う。彼女にとって今、全てが動き始めたのだ。

彼女の高校合格の日、両家合同でちょっとした合格パーティーが行われ、彼女の母親が俺の手を泣きながら握って何度も何度もお礼をしていた。

俺は苦笑いするしかなく、彼女も恥ずかしそうに笑っていた。

そこまで感謝されているのは嬉しかったが、微妙な違和感があった。

彼女が寝付いた後で話を聞いたら、彼女の病気は内臓、取り分け腎臓が殆んど機能しておらず、医者からは10歳まで生きられないと言われていたらしい。

腎臓に障害があるのは、話や人工透析中の様子を見て来たから既に知っていたが、寿命の事は知らなかった。

入学までの約一ヶ月間は毎日のように二人で過ごし、ごく普通の生活、ごく普通の時間を過ごしていて、一緒にテレビを視ていても彼女は幸せそうだった。

考えてみれば、こんな時間の過ごし方は数ヶ月前ではとても考えられなかった。彼女にとっては、病室で一人で過ごすのが普通なのだから。

それに気が付いた日、俺は泣いた。彼女にとっての日常が病院で一人きりで居る事で、家に居る事が逆に非日常。しかも家に帰っても家族は誰も居ない。彼女の入院費を稼ぐために。

この頃から俺は、彼女を絶対に守ると決意したと思う。

しかしそんな決意も脆くも崩れ去った。

いつも通り一緒にテレビを視てトランプで遊び、お昼に病院から宅配されたご飯を食べていたら、彼女は嘔吐し気絶してしまった。

救急車が来るまでの間に、洋服や口の周りを拭いてソファーに移動させようと抱きかかえたが、驚愕した。

軽い。軽過ぎる。まるで内蔵の無い人間を抱きかかえているようだった。

結局、彼女はそのまま入院し、高校は休学した。

彼女が日常へ戻って行く。

今まで入院中の面会は4日に一回程度で、人工透析のある日は行かなかった。

でも、あの頃は毎日のように彼女の病室を訪ね、人工透析後の虚脱感で彼女が寝ていても、面会時間いっぱいまで本を読んだり勉強をして過ごしていた。

透析が無い日は学校の話や友達の話、テレビの話など、どうでも良い話を面会時間ぎりぎりまで話した。

本が欲しいと言えばすぐ買って来て、大き目の鏡が欲しいと言えば一番高い物を持って行き、彼女の日常が無邪気な笑顔で充実するように努めた。

そんなある日、日曜日の面会に行こうとしたら、彼女の両親から一緒に行こうと電話があった。

俺は彼女の要望のクシを購入してから行った。クシの入った可愛らしい袋はちょっと恥ずかしかったので、彼女のお母さんに持ってもらった。

彼女の両親は担当医に挨拶をすると言い、俺は先に彼女の病室に歩き出した。

しかしクシの事を思い出し、俺は彼女の両親が入って行った部屋へ行った。

様子を窺おうと少し開いているドアから覗き込むと、彼女の両親は上気した感じで担当医と話していて、その内容が聞き取れた。

「あと、半年の命です」

中に居た看護婦さんが泣き声に気が付いて俺を中に入れ、椅子に座らせてくれた。

担当医から告げられる言葉は全てが虚しく、何を喋っていたのかあまり憶えていない。憶えているのは断片的なもので、

「半年の命」「先天性腎機能障害」「移植は合う人が居ない」「人工透析の副作用」「入院中の吐血」「人間として最期を迎えさせる」

と言ったものだった。

担当医の話が終わり、彼女の母はショックが大きくとても今日は会えないと言い、クシの入った袋を渡して帰って行った。

俺も今、自分の顔がどんな表情をしているか分かるから、彼女に絶対悟られたくないと思い、数時間気持ちを落ち着けてから彼女の病室へ向かった。

病室に入ると、彼女は無邪気な満面の笑みで迎えてくれて、クシに気が付くと更に笑顔を輝かせていた。

室内は夕焼けのオレンジで溢れていて、俺は何だかその色に死をイメージしてしまい、目が熱くなるのを感じた。

そしてクシを渡し、棚の上にある鏡を渡して、窓際に移動し顔を背けながら話した。

流石にずっと背を向けて喋ると悟られそうなので無理して振り向くと、彼女はクシで髪形を7:3にしたり9:1にしたり、髪で遊ぶのに夢中で少しほっとした。

彼女の枕元を見ると参考書が置いてあり、色々書き込みがされていた。

「時間いっぱいあるし、復学したらテストでトップを取るんだ」

と照れくさそうに笑っていた。

それから少し喋るとすぐに面会時間になり、俺は家に帰った。

夕焼けが町を包む、彼女の黄昏。

『時間いっぱいあるし…』

家に帰ると、彼女の両親が俺の両親に病状を話していた。

彼女の両親はとても落ち着いていて、俺の両親が泣きじゃくって逆に励まされていた。

それを見た俺はムカついて、冷蔵庫から牛乳を取り出し、一気に飲み干してそのまま寝た。

次の日から彼女の母は勤務日数を減らし、一日中病院に居る日が多くなった。

俺がムカついていたのは馬鹿な事だと思った。元々医者から10歳までしか生きられないと聞かされていた彼女の両親は、とうの昔に覚悟を決めていたんだろうと。

しかし両親が見舞いに来る日が多過ぎて、流石に悟られてしまうと担当医から注意を受けていた。

今日も面会に行くと笑顔で迎えてくれた。

学校の話、テレビの話、仕入れた面白い話を一通り話して、久しぶりに勉強を教えようと大量の本がある棚から彼女のノートと参考書を取り出し、どこまで進めたのかノートを見た。

しかしそこには勉強の跡は無く、日記が書かれていた。

その後、すぐに彼女に取り上げられたので内容はあまり憶えていないが、一日分の日記が1ページほど使って書かれていた。

「まだ、見ちゃ駄目」

日記を書くと考えがまとまって、気分が良いらしい。

その事を褒めてあげていると、急に彼女の顔が苦痛に歪んで胸を押さえた。

何かまずい事を言ったのかと思ったがそうではなく、急いでナースコールを押して看護婦さんを呼んだ。

すぐに安定したが、看護婦さんに呼ばれ別室で話を聞いた。

腎臓障害が心臓に影響し始めて不整脈が起こり易い事。もう時間が無い事。人間として最期を迎えさせる事。

俺は忘れてはいなかったが、敢えて考えないようにしていたのかもしれない。彼女の時間が迫っている事を。

その後、面会謝絶になり、二日ほど会えなかったがすぐに会えるようになった。

俺はいつも通り毎日学校帰りに面会に行った。

彼女の無邪気な笑顔を作るためにノックをすると返事がある。今日も大丈夫だ。

ドアを開けると、黄昏に染まった病室で、俺に背を向けて夕焼けに染まった町を眺めていた。

その横に静かに座り、俺も黙って見ていた。窓に反射している彼女の顔を。

彼女もそれに気が付いたのか、照れくさそうに笑って話し出した。

「いつも来てくれてありがとう。もう大丈夫だから」

引っ掛かる事があったが気にするなと言って、窓に反射している彼女の顔を見つめた。

ふと、部屋の中を見渡すと本棚にあった大量の本が数冊を残して空っぽになっていた。

何故なのか聞くと、片付ける時にお母さんが可哀想だと笑って言った。

彼女はいつもの無邪気な笑顔ではなく、悟ったような優しい笑顔を浮かべていた。

不意に目頭が熱くなり、トイレに行って来ると言い訳して、その場を離れようとした。

すると彼女の母親と入れ違いになり、俺は顔を隠すように軽く会釈をして出て行った。

病室から彼女のビックリしたような声が聞こえる。どうやら外泊許可が下りたようだ。

どんな顔で喜んでいるのか見たかったが、既に会えるような顔ではなかった。

日記を書くと考えがまとまって、気分が良いらしい事。

「いつも来てくれてありがとう。もう大丈夫だから」という言葉。

整理された本棚。悟ったような優しい笑顔。

彼女は既に知っている。もう時間が無い事を。

最後の外泊許可で帰って来た日は、両家で食事会が開かれた。

食事制限が厳しいながらも、母親たちが頑張って作った料理が食卓に並ぶ。

誰かが少しでも予感させる事を言えば、その場で食卓は凍り付く。

そんな雰囲気で会話は交わされていた。

普通の話でも大袈裟に笑い、リアクションも大袈裟だった。

俺も嫌いではない胡麻和えを嫌いと言ったりして、話を盛り上げようと頑張った。

彼女を見ると、両親たちに向けてまた無邪気な笑顔で笑っていた。両親たちと俺に向ける笑顔を使い分けて…。

問題無く食事会は終わり、帰ろうとすると彼女に呼び止められ、お礼を言われた。

「付き合ってくれてありがとう」

意味は解っている。

7月に余命を宣告され、今は12月。

最後の外泊許可を貰った彼女に会いに行く。

病室で見る笑顔より輝いていたのがすぐに解った。

外泊許可を貰っても、免疫力の落ちた彼女を人ごみに連れて行く訳にはいかないので、近くの森林公園へ行く事が多かった。

森林公園と言っても、中にはちょっとした博物館や美術館があるのだ。

16歳の普通の女の子なら退屈で悪態をつかれそうだが、何も知らない彼女はニコニコして、楽しそうにしていた。

今日の彼女はよく喋った。幼稚園の頃の話。二人で行った映画の話。体調の安定していた頃の通学中の話。俺は何となく憶えているが、彼女は細かく詳細に憶えていて驚かされる。

不意に黙った彼女を見ると、白過ぎる頬を赤らめ、目に涙を貯めて俺に感情を爆発させた。

「まだ死にたくない」

俺は堪らずゾッとするほど華奢な彼女を抱き締めた。

何と言えば良いのか馬鹿な俺には分からず、ただ抱き締めてキスをした。

「ありがとう」

長期外泊許可が終わった今日、彼女は帰って行く。

その後、彼女の体調は緊張の糸が切れたように、日に日に状態が悪くなる一方だった。

今、彼女の覚醒時間は短い。あらゆる激痛が彼女を襲い、それを和らげるためにモルヒネが使われているのだ。

ちょっとした風邪でも肺炎に進行し、後が無い。感染症、合併症…などと言葉で表すのは簡単だが、現実は想像を絶する。

念入りに消毒して彼女の無菌室へ行く。

彼女の顔は浮腫んで、やっと高校生らしい感じになっていた。

荒い息遣いで、額に薄っすら汗が出ていた。

俺は透明なビニールのカーテンを開け、拭いてあげた。

不意に彼女は目を開け、笑顔にならない表情を見せまた眠りに就いた。

その日の夜、病院から電話があった。

彼女が移された病室には、今まで見た事の無い親戚と無数の機械、枕元には彼女の両親が立っていた。

彼女は虚ろな目で来てくれた人にお礼をしていてた。

モニターを見ていた医者に促された彼女の両親は、俺を枕元に手招きする。

彼女の手を握って話す。

「痛みは?」「苦しくない?」「寒くない?」

そうゆっくり話した。

彼女は後で日記を見てねと言い、日記を出して穏やかな笑顔を見せた。

「私、頑張ったよね?」

「ああ」

彼女は早朝に亡くなった。

アルコールの臭いがする彼女の日記には、色々な事が書いてあった。

俺が話した学校の話、友達の話、テレビの話、どうでも良い話。その時の俺の表情。

まるで書き漏らすのを恐れているかのように、細かく書いてあった。

2ページほどの空白後、彼女の感情がぶつけられていた。

文字にならない文字で、吐血の事、胸の痛みの事が綴られていた。

それは既に文字では無かったが、彼女の気持ちが解る。

夜中の病室で一人、孤独と不安と戦っていたのだろう。

その後、何事も無かったかのように、最後の外泊許可の日々まで書かれていた。

そして最後のページには、一文だけ書かれて終わっていた。

「今日キスをした。もう怖くない…愛してます」

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