弁当箱の温度

台所の換気扇がまわる音で、いつも目が覚めた。

まだ外は藍色で、窓の下枠には夜のあいだに積もった雪が、白く盛り上がっている。

その白さの向こうから、出汁と焦げた醤油のにおいが、階段を這うようにのぼってくる。

私にとって朝とは、母がアルミの弁当箱に卵焼きを詰める、あの油のはねる小さな音のことだった。

雪深い北の町の、木造の狭い借家。

隙間風の入る廊下を、靴下越しの足の裏でそろそろと歩くと、台所の電気だけが灯っていた。

その灯りのなかに、いつも母の背中があった。

あの蓋のへこんだアルミの弁当箱は、もとは母が、娘時代に使っていたものだと聞いたことがある。

母もまた、貧しい家に育ち、その箱に麦の混じったごはんを詰めて、山道を歩いて学校へ通ったのだそうだ。

へこみのひとつひとつに、母の子ども時代が、刻まれていたのだ。

その箱を、母は私に持たせていた。

だから本当は、私が恥ずかしがっていたのは、母の歩いてきた道そのものだったのかもしれない。

母は町の総合病院で、早朝の給食を作る仕事をしていた。

家を出るのは午前五時。

それでも母は、私の弁当だけは、自分の手で作ると決めていた。

父は無口な大工で、家では滅多に口をきかない人だった。

仕事は途切れがちで、冬のあいだはほとんど現場がなかった。

我が家に余分な金がないことは、子どもの私にも、痛いほどわかっていた。

それでも母は、弁当のなかに、いつも小さな工夫を忍ばせた。

卵焼きの下に、私の好きな鮭のほぐし身を隠しておいたり、寒い日には梅干しの横に、蜂蜜を薄く塗った海苔を敷いておいたり。

小学生の頃の私は、昼にその弁当を開けるのが、一日でいちばんの楽しみだった。

「今日は何が入ってるかな」と、蓋を開ける前に、いつも少しだけ胸が高鳴った。

母は時々、弁当箱の隅に、小さな紙を折り込んでおくこともあった。

「今日はさむいよ。がんばれ」

角の丸い、あの字で。

その紙を、私はしばらく筆箱の奥に、こっそり集めていた。

忘れられない弁当が、ひとつある。

小学四年の秋、運動会の朝のことだ。

その年、母は珍しく夜勤明けで、目の下に濃い隈をつくっていた。

それでも母は、いつもの倍の大きさの重箱に、朝から料理を詰めていた。

いなり寿司と、から揚げと、赤いウインナー。

普段は食卓に上らない、ごちそうばかりだった。

「今日くらいはね」と、母は眠そうな目で笑った。

昼、校庭のシートの上でその重箱を開けたとき、隣の子が「うわ、すごいね」と声をあげた。

私は、鼻が高かった。

母は観覧席の隅で、疲れた顔のまま、私が食べる様子を、ずっと見ていた。

自分はほとんど箸をつけずに、私の口に運ばれるから揚げの数を、数えるように見ていた。

あのとき私は、母が眠かったことにも、自分が食べていなかったことにも、まるで気づいていなかった。

けれど、その楽しみを、私は自分の手で壊してしまう。

中学二年になったばかりの春のことだ。

教室では、購買のパンやコンビニの袋を広げる子が、急に増えていた。

みんなの弁当箱は色つきのプラスチックで、蓋を開けると、冷凍食品の彩りが鮮やかだった。

私の弁当箱は、蓋のへこんだ古いアルミで、開けるとかならず梅干しのにおいがした。

それがどうしようもなく、恥ずかしかった。

貧しさが、その一箱に詰まっているような気がして、たまらなかったのだ。

ある朝、私は台所に立つ母の背中に、こう言い放った。

「こんなダサい弁当、もう持っていきたくない」

母の菜箸が、ほんの一瞬だけ、止まった。

「みんなパンとか買ってんだよ。金くれよ。俺だけ弁当とか、恥ずかしいんだよ」

母は、振り返らなかった。

換気扇の音だけが、やけに大きく響いていた。

「……そう。じゃあ、そうしようか」

それだけ言って、母は卵焼きを、そっと箸で寄せた。

私はその卵焼きを見もせずに、かばんを掴んで玄関を出た。

雪解けの水がしみた運動靴が、やけに冷たかったのを、今でも覚えている。

背中で、玄関の戸が閉まる音がした。

そのあと、母がどんな顔で台所に立っていたのか、私は想像もしなかった。

その日から、母は毎朝、三百円を私の机の上に置くようになった。

弁当箱の音は、台所から消えた。

かわりに私は、昼になると学校を抜け出して、駅前のパン屋で菓子パンを買って食べた。

甘いだけで、すぐに腹の減るパンだった。

それでも私は、みんなと同じ袋を広げられることが、誇らしかった。

恥ずかしさから逃れられた気になって、母の弁当のことなど、すぐに忘れた。

三百円がどこから出ているのか、そのときの私は、一度も考えなかった。

母がどんな顔でその金を用意していたのか、私は長いあいだ、知らなかった。

知ったのは、ずっとあとになってからだ。

あの頃、父が母を、一度だけ問い詰めたことがあったらしい。

「なんであんな我儘を、黙って許すんだ」と。

母は台所の隅で、私に気づかれないように泣きながら、こう答えたそうだ。

「あの子だって、年頃なんだから。恰好をつけたい時期なんだよ。仕方ないの」

父は一度、私を殴ろうとして手を上げたが、母がその腕を掴んで止めたという。

「あの子を、嫌いにさせないで」

そう言ったのだと、ずっとあとで、父が低い声で教えてくれた。

三百円は、家計のどこを削って、捻出していたのか。

母は昼の弁当を作らなくなったぶん、自分の昼食を、抜くようになっていた。

病院の給食室で、余った切れ端のパンを、立ったまま口にしていたのだと、同僚だった人から、後になって聞いた。

私が甘い菓子パンを齧っていた、その同じ時間に。

母は湯気の立つ厨房で、他人のための味噌汁を、黙ってよそっていたのだ。

一度だけ、忘れられない光景がある。

中学三年の冬、私が忘れ物を取りに、昼前の病院へ立ち寄ったときのことだ。

母は職員通用口の脇で、冷えたパンの端を、寒そうに両手で包んで食べていた。

白い息を吐きながら、それでも私を見つけると、母は慌てて笑顔をつくった。

「あら、どうしたの。ちゃんとお昼、食べた?」

私はそのとき、ただ「うん」とだけ答えて、逃げるように立ち去った。

母の手のなかの、その小さなパンの意味を、私は考えようともしなかった。

あのときの母の白い息が、今でも、胸の奥で凍りついたまま、溶けない。

高校の卒業式の日、母は仕事を休んで、体育館の後ろに立っていた。

式が終わると、母は照れくさそうに、小さな包みを差し出した。

「お祝い、なんにもできないけど」

開けると、あの日と同じ、少し甘い卵焼きが、詰めてあった。

「あんた、これだけは好きだったから」

私はうまく礼が言えず、ただ「ありがとう」とだけ、ぶっきらぼうに呟いた。

あのとき素直になれなかったことを、私は今でも、悔やんでいる。

母は、私が突き返した弁当のことを、ずっと覚えていたのだ。

それでも一度も、責めることをしなかった。

時は流れ、私は隣県の専門学校へ進んだ。

一人暮らしのアパートは、壁の薄い古い建物で、冬になると窓の桟に霜が張った。

学費と家賃で仕送りは尽き、私はいくつものアルバイトを掛け持ちした。

それでも金は、いつも足りなかった。

ある冬、財布に小銭しか残っていない朝が、幾日も続いた。

食堂の一番安い定食すら、もう頼めなかった。

立ちくらみで、駅の階段の途中に、しゃがみ込んだこともあった。

ある晩、私はコンビニの明るい棚の前に、長いこと立っていた。

温かい弁当が、湯気の見えそうな写真の値札とともに、整然と並んでいた。

手のなかの小銭では、そのどれも、買えなかった。

ガラスに映る自分の顔が、ひどく青白く見えた。

そのとき、なぜか不意に、あの少し甘い卵焼きの味が、口のなかに蘇った。

忘れていたはずの、母の味だった。

私は棚の前で、何も買わずに、店を出た。

凍てついた夜道を歩きながら、私は初めて、母に「作ってほしい」と思った。

それは、空腹のためだけではなかった。

あの温かさに、もう一度、触れたかったのだ。

空腹で頭がぼうっとしたまま、私は久しぶりに、実家へ電話をかけた。

用件を言い出せずに、しばらく天気の話などしてから、私はようやく口にした。

「なあ、母さん。悪いんだけど……弁当、作って送ってくれないかな」

口にしてから、自分の言葉に、私自身が驚いた。

あの春の朝に、私が母の背中へ投げつけた言葉を、そのときの私は、すっかり忘れていたのだ。

受話器の向こうで、母が、しばらく黙った。

換気扇の、あの遠い音が、記憶のなかで、小さくまわった。

「……あんた」

母の声は、少しだけ、掠れていた。

「もう、ダサいなんて、二度と言わないなら。作ってあげる。いくらでも、作ってあげるよ」

その瞬間、私は電話口で、立っていられなくなった。

忘れていた自分の言葉が、氷解するように、胸の奥からせり上がってきた。

あの朝、母の菜箸が止まった、あの一瞬の意味が。

十年近く経って、ようやく私の身体に、届いたのだ。

「ごめん」と言おうとしたのに、声にならなかった。

母は、それ以上何も聞かず、「わかった。待ってな」とだけ言って、電話を切った。

受話器を置いてからも、私はしばらく、その場から動けなかった。

窓の外では、粉のような雪が、静かに降り始めていた。

あの北の町の、藍色の朝に降っていた雪と、同じ雪だった。

遠く離れていても、母のいる台所と、私のいる冷たい部屋を、同じ雪が、そっとつないでいる気がした。

その夜、私は久しぶりに、声を出して泣いた。

空腹のためではなかった。

あの春の朝から、母がずっと抱えていたものの重さに、ようやく手が届いた気がして。

申し訳なさと、恋しさとが、雪のように、いつまでも胸に降り積もった。

三日後、宅配便の箱が届いた。

開けると、緩衝材のあいだから、あの蓋のへこんだアルミの弁当箱が、出てきた。

保冷剤で冷えてはいたが、詰められていたのは、まぎれもなく、あの卵焼きだった。

少し甘くて、端がわずかに焦げている、母の卵焼き。

梅干しのにおいがした。

卵焼きの下には、私の好きな鮭のほぐし身が、昔と同じように、隠してあった。

箱の底に、小さな紙が、折りたたんであった。

母の、角の丸い字で、こう書いてあった。

「無理して痩せないこと。ごはんは残さず食べること。母より」

筆箱の奥に集めていた、あの紙と、同じ字だった。

私はアパートの冷たい床に座り込んだまま、その卵焼きを一切れ、口に入れた。

甘さが、喉の奥で、滲んだ。

何年も探していた味が、ずっと、この箱のなかで、私を待っていたのだと思った。

あの春、私が突き返したのは、弁当ではなかった。

毎朝五時に起きる母の、眠りを削った時間そのものだったのだ。

冷えた卵焼きは、それでも、私が知るどんな料理よりも、温かかった。

その春休み、私は夜行バスに揺られて、久しぶりに実家へ帰った。

町に着くと、道の端にはまだ、汚れた雪が残っていた。

玄関の戸を開けた瞬間、味噌汁のにおいが、体ごと包んできた。

「おかえり」

台所から顔を出した母は、少し痩せて見えた。

食卓には、私の好きなものばかりが、並んでいた。

鮭の塩焼き、里芋の煮っころがし、そして、あの卵焼き。

「そんなに作らなくても」と言う私に、母は「いいから、食べな」と笑った。

私が箸を動かすあいだ、母は向かいに座って、ただそれを見ていた。

自分の茶碗には、ほとんど手をつけずに。

運動会のあの日と、病院の通用口のあの冬と、同じ姿だった。

けれど今度は、私も、それに気づいた。

「母さんも、食べなよ」

私がそう言うと、母は少し驚いた顔をして、それから、ゆっくり箸を取った。

「あんたが、そんなこと言うようになるなんてね」

母の目が、うっすらと潤んでいた。

私は、あの春の朝のことを、詫びようとした。

けれど言葉にすると、また泣いてしまいそうで、うまく言えなかった。

かわりに私は、卵焼きを一切れ、母の茶碗にのせた。

「これ、うまいよ。母さんも食べて」

母は、それを口に運んで、「うん、我ながら上手にできた」と、子どものように笑った。

隣の部屋で新聞を広げていた父が、その声に、ふっと口元をゆるめたのが見えた。

あの夜の食卓の温かさを、私は今も、鮮明に覚えている。

それから私は、月に一度、実家に帰るようになった。

帰るたびに、母は当たり前のように、弁当箱に卵焼きを詰めて、持たせてくれた。

「こんなもの、いい歳して」と照れる私に、母は決まって、こう笑った。

「いいのいいの。作れるうちが、幸せなんだから」

その言葉の重さに気づくのに、私はまた、少し時間がかかった。

母はもう、あの病院を退職している。

台所に立つと、腰が痛むと言うようになった。

包丁を握る手も、昔より、ずいぶん細くなった。

それでも、私が帰る朝は、まだ外が藍色のうちから、換気扇の音がする。

出汁と、焦げた醤油のにおいが、階段を、のぼってくる。

私はその音で目を覚まし、しばらく布団のなかで、天井を見上げている。

去年、私にも娘が生まれた。

今年、その子が初めて、幼稚園にお弁当を持っていく朝を迎えた。

私は前の晩から下ごしらえをして、朝は五時に起きた。

慣れない手つきで卵を溶き、少しだけ砂糖を入れて、あの卵焼きを焼いた。

端が、わずかに焦げた。

母のものには、まだ遠く及ばない味だった。

それでも私は、卵焼きの下に、娘の好きな鮭のほぐし身を、そっと隠した。

弁当箱の隅に、小さな紙を折り込んだ。

「きょうもげんきで。ぱぱより」

角の丸い字を書こうとして、母の字に、自然と似ていることに気づいた。

換気扇をまわしながら、私はふと、あの藍色の朝の台所を思い出した。

母の背中は、ずっと、この時間の重さに、耐えていたのだ。

娘を送り出したあと、私は思い立って、実家に電話をかけた。

「母さん。今日、あの子の初めてのお弁当、作ったよ」

受話器の向こうで、母は少しのあいだ、黙っていた。

「そう。……卵焼き、入れた?」

「入れたよ。母さんのには、まだ全然かなわないけどさ」

母は、電話の向こうで、小さく笑った。

「そのうち、上手になるよ。作ってるうちに、ね」

その一言に、あの春からの長い時間が、全部ほどけていくようだった。

その日の夕方、幼稚園から帰った娘が、得意げに弁当箱を差し出した。

「ぱぱ、たまごやき、おいしかった!」

蓋を開けると、なかは、きれいに空っぽだった。

米粒ひとつ、残っていなかった。

私は、その空の箱を見て、思わず胸が詰まった。

かつて私が母に突き返した箱と、同じ箱ではない。

けれど、娘が「おいしかった」と返してくれた、その空っぽの軽さが、たまらなく温かかった。

私が母に、ついに返せなかった言葉を、娘は無邪気に、私に返してくれたのだ。

「そっか。よかった」

私はそう言って、娘の頭を撫でた。

そして、心のなかで、決めた。

今度実家に帰ったら、母の作った弁当を食べて、ちゃんと「おいしい」と、伝えよう。

あの春の朝に言えなかった言葉を、今度こそ、まっすぐに。

恥ずかしいと突き返した、あの弁当の温度を、私は一生、忘れないだろう。

温かい弁当箱を両手で包むたびに、あの朝の、自分の冷たさを思い出す。

そして、それでも作り続けてくれた人の手を思って、胸が熱くなる。

母さん。あのとき、あんな言葉を言って、ごめん。

そして、それでも作ってくれて、ありがとう。

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