二十三年目に鳴った篠笛

夕暮れの舟屋で奏でる笛

私は、数を数える仕事をしている。

町立の給食センターで、三十年になる。

秋の朝、白い長靴の底が濡れた床を鳴らすたび、頭のなかで数がひとつずつ積み上がっていく。

その日、蒸気の向こうで誰かが窓を開けた。

海のほうから、細い笛の音がひと筋だけ流れ込んできた。

私の指が、汁椀の縁で止まった。

舳倉見は、能登の突端に近い、坂と段々畑ばかりの町だ。

海に向かって家が折り重なるように建ち、路地は人ひとりぶんの幅しかない。

秋になると、その細い路地を、四つの曳山が軋みながら下りてくる。

祭りは十月の第二日曜と決まっている。

曳山の二階には囃子座があって、太鼓がひとり、鉦がふたり、笛がふたり座る。

笛だけは、昔から子どもが吹く。

大人の息では音が太くなりすぎて、海の音に負けてしまうからだと、囃子方の頭の宮腰さんは言っていた。

嘘か本当かは知らない。

ただ、あの町の笛は子どもが吹くものだと、私も子どものころからそう思って育った。

給食センターの調理員になったのは、二十六の年だ。

炊飯釜が四つ、回転釜が六つ、洗浄機が二台。

三つの小学校と一つの中学校ぶんの昼を、七人でつくる。

私の受け持ちは、汁物と、器の数だった。

朝いちばんに各校から欠席の数が電話で入る。

三年二組、二名欠席。

五年一組、一名欠席。

私はその数を紙に書き、食缶に詰める器の数から引く。

だがその前に、必ずいっぺん、全員ぶんを数える。

欠席の子の分も、いっぺんだけは数に入れる。

それから引く。

意味のない手順だと、新しく入った子には笑われた。

引くなら最初から引けばいいでしょう、と。

そのとおりだと思う。

けれど私は、その日その学校にいるはずだった子の数を、まず手のひらで確かめておきたかった。

いない子を、いないものとして最初から外すことが、どうしてもできなかった。

三十年、この癖は直らない。

悠が篠笛の稽古に通いはじめたのは、九つの夏だった。

町の子は八つか九つで蔵に呼ばれる。

呼ばれない子もいる。

呼ばれる基準は、宮腰さんの気分だと大人たちは言っていた。

悠は呼ばれた。

夕方、玄関で靴を脱ぎながら、あの子は妙に落ち着いた声で言った。

「かあさん、俺、笛やることになったわ」

俺、という一人称を、その夏はじめて使った。

私は流しに向かったまま、そうか、とだけ返した。

背中で笑っていたのを、あの子は知らない。

舳倉見の笛の稽古には、少し変わったやり方がある。

篠笛には孔が六つある。

上から一、二、三、そして下に四、五、六。

九つの子の手では、その六つを一度に押さえられない。

指が届かないのだ。

だから、この町では二人でひとつの笛を吹く。

一人が上の三孔、もう一人が下の三孔。

顔を寄せ合って、片方が息を吹き、片方は孔だけ押さえる。

息を吹く役と、孔を押さえる役は、曲の途中で入れ替わる。

「片吹き」と呼ぶ。

指が届くようになる十二、三で、ひとりで吹けるようになる。

それまでの三年か四年、子どもらは必ず二人一組で稽古する。

悠の相方は、塩見塁という子だった。

同じ組の、痩せて背の高い子だ。

うちの前の坂を、いつも足音を立てずに駆け上がってきた。

「かあさん、これ貸して」

八月の終わりの夜、悠が針箱を開けて赤い糸を引き出した。

何に使うのかと聞いても答えない。

しばらくして見にいくと、あの子は笛の下の三つの孔のふちに、細い赤い糸を一周ずつ巻きつけていた。

指の腹で触れば、糸の段差で自分の孔がわかる。

暗い蔵のなかでも、目で探さずに押さえられる。

「塁は上や。俺は下や」

悠は、自分の受け持つ三つの孔に、赤い糸を巻いた。

そう言って、糸の端を歯で噛み切った。

私はその晩、あの子の笛を持ち上げてみた。

下の三孔にだけ、赤い輪が三つ。

上の三孔は、竹の肌のままだった。

半分だけの笛だと思った。

半分だけで、それでいいのだと、あのころは思っていた。

九月の稽古を、私は一度だけのぞきに行った。

蔵は港のいちばん奥にある。

観音開きの戸を細く開けると、なかは昼でも夕方みたいに暗い。

曳山が一台、布をかぶって眠っている。

その脇の板の間に、子どもらが車座になっていた。

悠と塁は、いちばん隅にいた。

一本の笛を二人ではさんで、頬をくっつけるようにして構えている。

塁が息を入れ、悠が下の孔を押さえる。

音は、細くて、まだ頼りない。

途中で必ずどちらかが遅れて、笛は間の抜けた鳴き方をした。

宮腰さんが煙草の脂で黄色くなった指で板を叩く。

「二人でひとつやぞ。相手の息、聞け」

悠が笑った。

塁は笑わなかった。

あの子は、いつも眉のあたりに力を入れて笛を見ていた。

母親が能登町の工場に勤めに出ていて、朝が早いという話は聞いていた。

給食の献立表を、塁が誰よりも熱心に見ているのも知っていた。

けれどそのころの私は、それをただの、食いしん坊な子の話だと思っていた。

曲は「舟起こし」という。

曳山を蔵から出すときに吹く。

たった一分ほどの短い曲だ。

前半は上の三孔だけで鳴らせる音でできていて、後半は下の三孔がいる。

だから前半は塁、後半は悠。

そういう分け方に、宮腰さんが決めた。

「前が塁、後ろが悠。おまえら、どっちが欠けても山は動かんぞ」

そう言われたときの悠の顔を、私はよく覚えている。

まんざらでもない、という顔だ。

九つの子が、自分がいないと何かが動かないと言われて、嬉しくないはずがない。

あの子はその夜、風呂のなかで後半だけを口で真似していた。

音にならない、息だけの音で。

十月に入って、悠が熱を出した。

はじめは、よくある秋風邪だと思った。

三日で下がって、また上がった。

金沢の病院に移されたのは、その次の週だ。

原因の名前は、いくつも言われた。

どれも私の耳を素通りしていった。

医者の言葉のうち、私が覚えているのは、待ちましょう、という一語だけだ。

祭りの前の晩、あの子は点滴の管を気にしながら言った。

「かあさん、笛、蔵に置いてきてしもた」

取ってきてやろうかと聞くと、いい、と首を振った。

「塁が持っとるわ」

それが、あの子と交わした最後のまとまった話になった。

冬の入り口に、悠の熱はしずかに引いた。

引いて、そのまま、あの子は戻らなかった。

九つと、五か月だった。

そのあとの三年ほどのことを、私はうまく順番に並べられない。

覚えているのは、台所の音ばかりだ。

夫の圭一は、漁協の製氷所に勤めていた。

朝の三時に家を出て、昼過ぎに帰る。

以前は、帰ってきたその足で私の作った昼を食べた。

悠が戻らなくなった年の暮れから、夫は帰ってすぐ寝るようになった。

起きるのは、私が夕飯の支度を終えて、自分の分を食べ終わったころだ。

同じ鍋の同じ汁を、二人が二時間ずらして飲む。

そういう暮らしになった。

責めたわけではない。

責められたわけでもない。

ただ、二人でいる時間に、悠のいない食卓がくっきりと見えてしまうのが、どちらにも耐えられなかったのだと思う。

一度だけ、私は夫の背中に言ったことがある。

あの日、金沢に付き添っていたのは私だった。

熱が上がったとき、もっと早く言えばよかった。

あなたは仕事で来られなかった。

私が、悪かった。

夫は振り向かなかった。

しばらくして、湯呑みを流しに置く音がした。

それだけだった。

その音を、私は何年も、返事のかわりに聞き続けた。

翌年の祭りから、曳山の囃子座には、笛がひとりしか座らなくなった。

塁が上の三孔を押さえ、後半の下の孔は、宮腰さんが「抜き」で通した。

抜きというのは、要するに音を出さないということだ。

「舟起こし」の後半は、その年から、息だけの曲になった。

蔵から山が出るとき、鉦と太鼓の隙間に、風の音みたいな半端な息が混じる。

町の人はそれを、何も言わずに聞いていた。

私は、聞きに行かなかった。

港のほうから風に乗って届く音を、家の裏の物干し場で聞いていた。

二年目も、三年目も、後半は鳴らなかった。

十年経っても、鳴らなかった。

塁は中学を出て、高校から金沢に下宿した。

それでも祭りの朝には帰ってきて、山に上がった。

そして前半だけ吹いて、後半は吹かずに下りた。

町の誰も、それをおかしいと言わなかった。

私は、自分のせいだと思っていた。

私がこの町にいるから、誰もあの座に別の子を座らせられないのだ、と。

親が生きているうちは、その子の座を埋めにくい。

そういう気の遣い方をする町だと、私は知っていた。

だから私は、祭りの日はいつも給食センターの事務室で書類を繰っていた。

いないほうが、みんなが動きやすい。

そう思っていた。

二十三年、そう思い続けた。

今年の八月、町会の総代が、うちの玄関に立った。

麦茶を出すと、コップの縁を指でなぞってから、こう言った。

「澄江さん。今年から、笛をふたりに戻したいがや」

来るべきものが来た、と思った。

宮腰さんが九十になり、来年はもう蔵に出てこられない。

子どもの数も減った。

囃子を絶やさないためには、いま形を戻しておかねばならない。

理屈は、全部わかった。

わかったから、私は畳に手をついた。

「長いこと、すみませんでした」

総代は、しばらく黙っていた。

それから、麦茶をひと息に飲んで、こう言った。

「謝られる筋合いは、こっちにはないがや」

その言い方が、少し変だと思った。

けれど、そのときは深く考えなかった。

夜、圭一に伝えた。

夫は台所の椅子に座って、湯呑みを両手で包んだまま、しばらく何も言わなかった。

そして、二十三年ぶりに、私に用のある声を出した。

「祭り、行くか」

私は器を洗う手を止めた。

水の音だけが続いた。

行こうか、と答えるまでに、たぶん一分ほどかかったと思う。

祭りの前の晩、私は蔵へ行った。

理由は自分でもはっきりしない。

明日から座が埋まる。

その前に一度、あの板の間を見ておきたかったのだと思う。

観音開きの戸は、細く開いていた。

なかは、二十三年前と同じ匂いがした。

古い麻布と、機械油と、海の湿り。

曳山が布をかぶって眠っている。

その脇の板の間に、男がひとり、あぐらをかいて座っていた。

背が高くて、痩せている。

手には、篠笛が一本あった。

「塁くん」

男が顔を上げた。

眉のあたりに力を入れて笛を見る癖は、三十二になっても直っていなかった。

「おばさん」

そう呼ばれたのが、二十三年ぶりだった。

塁は立ち上がろうとして、途中でやめて、座り直した。

私も、板の間の端に腰を下ろした。

「毎年、来とったんやってね」

「はい」

「前の半分だけ吹いて、下りるって」

「はい」

塁は笛を膝に置いた。

私の目は、その笛の下のほうへ吸い寄せられた。

六つの孔のうち、下の三つに、新しい赤い糸が巻かれていた。

真新しい、まだ毛羽立っていない糸だった。

「それ」

私が言いかけると、塁は笛を持ち上げて、糸のところを指の腹でなぞった。

「毎年、巻き替えとります」

「毎年」

「一年経つと、色が飛ぶんです」

私は何も言えなくなった。

しばらく、外の波の音だけが蔵に入ってきた。

やがて塁が言った。

「僕、総代さんに頼んだんです。今年、座をふたりに戻すって決めるなら、下の孔は、悠のおばさんに押さえてもらえんかって」

私は、意味がすぐには入ってこなかった。

「町が、私に気を遣うて、あの座を空けとったんやと思うとった」

塁は首を横に振った。

強く、二度振った。

「違います」

「違うって」

「毎年、宮腰さんに聞かれとったんです。今年は後ろ、吹くかって」

塁の膝の上で、指が笛の糸をなぞり続けていた。

「僕が、毎年、まだ吹けんて言うたんです」

「……」

「二十三回、僕が言うたんです」

蔵の梁がひとつ鳴った。

「おばさん。僕は、まだ半分しか吹けんのです」

私は、その言葉を、意味の通らない音として一度聞いた。

それから、意味が追いついた。

吹けないのではない。

吹かないと決めていたのだ。

あの曲を、後ろまで一人で通してしまったら、前と後ろに分けた意味がなくなる。

分けた相手が、いなくてもいい曲になってしまう。

九つの子が、自分がいないと山は動かんぞと言われて嬉しかったのと、それはたぶん、同じ場所から出ている。

私は畳のない板の上で、膝の前に手をついた。

「ごめんね」

塁は、それには答えなかった。

かわりに、まったく別のことを言った。

「おばさん、覚えとらんと思いますけど」

「なに」

「四年の、冬です」

塁は笛を置いて、膝を組み直した。

「うちの母が、しばらく給食費、入れられんかった時期があって」

私は息を止めた。

「担任の先生に、廊下で、今日は食べんでもええぞって言われたんです」

「そんなこと」

「先生も、悪気は無かったと思います。困っとったんやと思います」

塁は少し笑った。

「そしたら、その日、食缶に器がひとつ余っとったんです」

「……」

「先生が、あれ、って顔して、僕に回してくれました」

私は、手のひらを板についたまま動けなかった。

欠席の子の分を、いっぺんだけ数に入れて、それから引く。

三十年、意味がないと言われ続けた手順だ。

たまに、引き忘れる。

数えたまま積んでしまう。

年に何度かある、ただの間違いだった。

「あの日、僕の分だけ、余っとったんです」

塁の声は、静かだった。

「僕、それ、四年から中学出るまで、何回かありました」

「……偶然やよ」

「偶然でもええんです」

塁は笛を取り上げて、下の三孔に指を置いた。

大人の指だから、六つとも届く。

届くのに、あの子は下の三つだけを押さえていた。

「僕、あの町に、食べさせてもろたんです」

蔵の外で、誰かが曳山の車輪を叩いて回っていた。

明日の朝の点検をしているのだ。

私は、自分が二十三年かけて数えていたものの向きが、ゆっくりと反対になっていくのを感じた。

私は、この町に置いてもらっていると思っていた。

空けてもらっていると思っていた。

そうではなかった。

私は、いない子の分を数える手つきのままで、いる子の分を、いつのまにか一人ぶん多く積んでいたのだ。

翌朝、私は蔵へ行った。

圭一が、青いはっぴを着て隣に立っていた。

はっぴを出したのは二十三年ぶりで、肩のところに畳んだ折り目が白く残っていた。

囃子座に上がると、板が思ったよりも狭かった。

太鼓がひとり。

鉦がふたり。

笛のところに、座布団が二枚敷いてあった。

塁が笛を差し出した。

私は下の三孔に指を置いた。

赤い糸の段差が、指の腹に当たった。

暗い蔵のなかでも、目で探さずに押さえられる。

そのために巻いた糸だと、あの子は言っていた。

「舟起こし」の前半は、塁が吹いた。

上の三孔だけで鳴る、細い音だった。

後半に入る前に、塁が私のほうへ顔を寄せた。

頬が触れそうな近さで、息が笛の歌口に入るのがわかった。

私は、指を下ろした。

一、二、三。

二十三年ぶりに、後ろが鳴った。

音は、たぶん、下手だったと思う。

けれど、蔵の観音開きの戸がゆっくり開いて、曳山が軋みながら坂へ出ていくあいだ、それは確かに鳴り続けていた。

私は前を見ていなかった。

指と、糸と、隣の息だけを聞いていた。

途中で、圭一が下でロープを握っているのが、目の端に入った。

夫は、こちらを見上げてはいなかった。

ただ、口が動いていた。

音にならない、息だけの音で。

風呂のなかであの子がやっていたのと、同じ形だった。

祭りが終わって、三日経った。

その晩、私が汁を椀によそっていると、圭一が台所の椅子に座った。

いつもなら、まだ寝ている時間だ。

私は椀をもうひとつ出した。

二人ぶんを、同じ時間に置いた。

夫は熱いのを少し冷ましてから飲んで、うまい、とも、なにも言わなかった。

湯呑みを流しに置く音だけがした。

その音が、二十三年ぶりに、返事に聞こえた。

塁は来年から、下の孔に新しい子をつけると言っている。

八つの、痩せた男の子だそうだ。

赤い糸は、その子が自分で巻くことになるだろう。

台所の窓を閉めるとき、私は棚の器を見た。

明日の朝も、私は各校の欠席の数を紙に書き、いっぺん全部を数えてから、引く。

意味のない手順だと、これからも笑われるだろう。

それでいい。

私は指を六本、順に押さえて数えた。

一、二、三。

四、五、六。

半分ずつで、ちょうど、ひとつ。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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