
私は、数を数える仕事をしている。
町立の給食センターで、三十年になる。
秋の朝、白い長靴の底が濡れた床を鳴らすたび、頭のなかで数がひとつずつ積み上がっていく。
その日、蒸気の向こうで誰かが窓を開けた。
海のほうから、細い笛の音がひと筋だけ流れ込んできた。
私の指が、汁椀の縁で止まった。
※
舳倉見は、能登の突端に近い、坂と段々畑ばかりの町だ。
海に向かって家が折り重なるように建ち、路地は人ひとりぶんの幅しかない。
秋になると、その細い路地を、四つの曳山が軋みながら下りてくる。
祭りは十月の第二日曜と決まっている。
曳山の二階には囃子座があって、太鼓がひとり、鉦がふたり、笛がふたり座る。
笛だけは、昔から子どもが吹く。
大人の息では音が太くなりすぎて、海の音に負けてしまうからだと、囃子方の頭の宮腰さんは言っていた。
嘘か本当かは知らない。
ただ、あの町の笛は子どもが吹くものだと、私も子どものころからそう思って育った。
※
給食センターの調理員になったのは、二十六の年だ。
炊飯釜が四つ、回転釜が六つ、洗浄機が二台。
三つの小学校と一つの中学校ぶんの昼を、七人でつくる。
私の受け持ちは、汁物と、器の数だった。
朝いちばんに各校から欠席の数が電話で入る。
三年二組、二名欠席。
五年一組、一名欠席。
私はその数を紙に書き、食缶に詰める器の数から引く。
だがその前に、必ずいっぺん、全員ぶんを数える。
欠席の子の分も、いっぺんだけは数に入れる。
それから引く。
意味のない手順だと、新しく入った子には笑われた。
引くなら最初から引けばいいでしょう、と。
そのとおりだと思う。
けれど私は、その日その学校にいるはずだった子の数を、まず手のひらで確かめておきたかった。
いない子を、いないものとして最初から外すことが、どうしてもできなかった。
三十年、この癖は直らない。
※
悠が篠笛の稽古に通いはじめたのは、九つの夏だった。
町の子は八つか九つで蔵に呼ばれる。
呼ばれない子もいる。
呼ばれる基準は、宮腰さんの気分だと大人たちは言っていた。
悠は呼ばれた。
夕方、玄関で靴を脱ぎながら、あの子は妙に落ち着いた声で言った。
「かあさん、俺、笛やることになったわ」
俺、という一人称を、その夏はじめて使った。
私は流しに向かったまま、そうか、とだけ返した。
背中で笑っていたのを、あの子は知らない。
舳倉見の笛の稽古には、少し変わったやり方がある。
篠笛には孔が六つある。
上から一、二、三、そして下に四、五、六。
九つの子の手では、その六つを一度に押さえられない。
指が届かないのだ。
だから、この町では二人でひとつの笛を吹く。
一人が上の三孔、もう一人が下の三孔。
顔を寄せ合って、片方が息を吹き、片方は孔だけ押さえる。
息を吹く役と、孔を押さえる役は、曲の途中で入れ替わる。
「片吹き」と呼ぶ。
指が届くようになる十二、三で、ひとりで吹けるようになる。
それまでの三年か四年、子どもらは必ず二人一組で稽古する。
悠の相方は、塩見塁という子だった。
同じ組の、痩せて背の高い子だ。
うちの前の坂を、いつも足音を立てずに駆け上がってきた。
「かあさん、これ貸して」
八月の終わりの夜、悠が針箱を開けて赤い糸を引き出した。
何に使うのかと聞いても答えない。
しばらくして見にいくと、あの子は笛の下の三つの孔のふちに、細い赤い糸を一周ずつ巻きつけていた。
指の腹で触れば、糸の段差で自分の孔がわかる。
暗い蔵のなかでも、目で探さずに押さえられる。
「塁は上や。俺は下や」
悠は、自分の受け持つ三つの孔に、赤い糸を巻いた。
そう言って、糸の端を歯で噛み切った。
私はその晩、あの子の笛を持ち上げてみた。
下の三孔にだけ、赤い輪が三つ。
上の三孔は、竹の肌のままだった。
半分だけの笛だと思った。
半分だけで、それでいいのだと、あのころは思っていた。
九月の稽古を、私は一度だけのぞきに行った。
蔵は港のいちばん奥にある。
観音開きの戸を細く開けると、なかは昼でも夕方みたいに暗い。
曳山が一台、布をかぶって眠っている。
その脇の板の間に、子どもらが車座になっていた。
悠と塁は、いちばん隅にいた。
一本の笛を二人ではさんで、頬をくっつけるようにして構えている。
塁が息を入れ、悠が下の孔を押さえる。
音は、細くて、まだ頼りない。
途中で必ずどちらかが遅れて、笛は間の抜けた鳴き方をした。
宮腰さんが煙草の脂で黄色くなった指で板を叩く。
「二人でひとつやぞ。相手の息、聞け」
悠が笑った。
塁は笑わなかった。
あの子は、いつも眉のあたりに力を入れて笛を見ていた。
母親が能登町の工場に勤めに出ていて、朝が早いという話は聞いていた。
給食の献立表を、塁が誰よりも熱心に見ているのも知っていた。
けれどそのころの私は、それをただの、食いしん坊な子の話だと思っていた。
曲は「舟起こし」という。
曳山を蔵から出すときに吹く。
たった一分ほどの短い曲だ。
前半は上の三孔だけで鳴らせる音でできていて、後半は下の三孔がいる。
だから前半は塁、後半は悠。
そういう分け方に、宮腰さんが決めた。
「前が塁、後ろが悠。おまえら、どっちが欠けても山は動かんぞ」
そう言われたときの悠の顔を、私はよく覚えている。
まんざらでもない、という顔だ。
九つの子が、自分がいないと何かが動かないと言われて、嬉しくないはずがない。
あの子はその夜、風呂のなかで後半だけを口で真似していた。
音にならない、息だけの音で。
※
十月に入って、悠が熱を出した。
はじめは、よくある秋風邪だと思った。
三日で下がって、また上がった。
金沢の病院に移されたのは、その次の週だ。
原因の名前は、いくつも言われた。
どれも私の耳を素通りしていった。
医者の言葉のうち、私が覚えているのは、待ちましょう、という一語だけだ。
祭りの前の晩、あの子は点滴の管を気にしながら言った。
「かあさん、笛、蔵に置いてきてしもた」
取ってきてやろうかと聞くと、いい、と首を振った。
「塁が持っとるわ」
それが、あの子と交わした最後のまとまった話になった。
冬の入り口に、悠の熱はしずかに引いた。
引いて、そのまま、あの子は戻らなかった。
九つと、五か月だった。
※
そのあとの三年ほどのことを、私はうまく順番に並べられない。
覚えているのは、台所の音ばかりだ。
夫の圭一は、漁協の製氷所に勤めていた。
朝の三時に家を出て、昼過ぎに帰る。
以前は、帰ってきたその足で私の作った昼を食べた。
悠が戻らなくなった年の暮れから、夫は帰ってすぐ寝るようになった。
起きるのは、私が夕飯の支度を終えて、自分の分を食べ終わったころだ。
同じ鍋の同じ汁を、二人が二時間ずらして飲む。
そういう暮らしになった。
責めたわけではない。
責められたわけでもない。
ただ、二人でいる時間に、悠のいない食卓がくっきりと見えてしまうのが、どちらにも耐えられなかったのだと思う。
一度だけ、私は夫の背中に言ったことがある。
あの日、金沢に付き添っていたのは私だった。
熱が上がったとき、もっと早く言えばよかった。
あなたは仕事で来られなかった。
私が、悪かった。
夫は振り向かなかった。
しばらくして、湯呑みを流しに置く音がした。
それだけだった。
その音を、私は何年も、返事のかわりに聞き続けた。
※
翌年の祭りから、曳山の囃子座には、笛がひとりしか座らなくなった。
塁が上の三孔を押さえ、後半の下の孔は、宮腰さんが「抜き」で通した。
抜きというのは、要するに音を出さないということだ。
「舟起こし」の後半は、その年から、息だけの曲になった。
蔵から山が出るとき、鉦と太鼓の隙間に、風の音みたいな半端な息が混じる。
町の人はそれを、何も言わずに聞いていた。
私は、聞きに行かなかった。
港のほうから風に乗って届く音を、家の裏の物干し場で聞いていた。
二年目も、三年目も、後半は鳴らなかった。
十年経っても、鳴らなかった。
塁は中学を出て、高校から金沢に下宿した。
それでも祭りの朝には帰ってきて、山に上がった。
そして前半だけ吹いて、後半は吹かずに下りた。
町の誰も、それをおかしいと言わなかった。
私は、自分のせいだと思っていた。
私がこの町にいるから、誰もあの座に別の子を座らせられないのだ、と。
親が生きているうちは、その子の座を埋めにくい。
そういう気の遣い方をする町だと、私は知っていた。
だから私は、祭りの日はいつも給食センターの事務室で書類を繰っていた。
いないほうが、みんなが動きやすい。
そう思っていた。
二十三年、そう思い続けた。
※
今年の八月、町会の総代が、うちの玄関に立った。
麦茶を出すと、コップの縁を指でなぞってから、こう言った。
「澄江さん。今年から、笛をふたりに戻したいがや」
来るべきものが来た、と思った。
宮腰さんが九十になり、来年はもう蔵に出てこられない。
子どもの数も減った。
囃子を絶やさないためには、いま形を戻しておかねばならない。
理屈は、全部わかった。
わかったから、私は畳に手をついた。
「長いこと、すみませんでした」
総代は、しばらく黙っていた。
それから、麦茶をひと息に飲んで、こう言った。
「謝られる筋合いは、こっちにはないがや」
その言い方が、少し変だと思った。
けれど、そのときは深く考えなかった。
夜、圭一に伝えた。
夫は台所の椅子に座って、湯呑みを両手で包んだまま、しばらく何も言わなかった。
そして、二十三年ぶりに、私に用のある声を出した。
「祭り、行くか」
私は器を洗う手を止めた。
水の音だけが続いた。
行こうか、と答えるまでに、たぶん一分ほどかかったと思う。
※
祭りの前の晩、私は蔵へ行った。
理由は自分でもはっきりしない。
明日から座が埋まる。
その前に一度、あの板の間を見ておきたかったのだと思う。
観音開きの戸は、細く開いていた。
なかは、二十三年前と同じ匂いがした。
古い麻布と、機械油と、海の湿り。
曳山が布をかぶって眠っている。
その脇の板の間に、男がひとり、あぐらをかいて座っていた。
背が高くて、痩せている。
手には、篠笛が一本あった。
「塁くん」
男が顔を上げた。
眉のあたりに力を入れて笛を見る癖は、三十二になっても直っていなかった。
「おばさん」
そう呼ばれたのが、二十三年ぶりだった。
塁は立ち上がろうとして、途中でやめて、座り直した。
私も、板の間の端に腰を下ろした。
「毎年、来とったんやってね」
「はい」
「前の半分だけ吹いて、下りるって」
「はい」
塁は笛を膝に置いた。
私の目は、その笛の下のほうへ吸い寄せられた。
六つの孔のうち、下の三つに、新しい赤い糸が巻かれていた。
真新しい、まだ毛羽立っていない糸だった。
「それ」
私が言いかけると、塁は笛を持ち上げて、糸のところを指の腹でなぞった。
「毎年、巻き替えとります」
「毎年」
「一年経つと、色が飛ぶんです」
私は何も言えなくなった。
しばらく、外の波の音だけが蔵に入ってきた。
やがて塁が言った。
「僕、総代さんに頼んだんです。今年、座をふたりに戻すって決めるなら、下の孔は、悠のおばさんに押さえてもらえんかって」
私は、意味がすぐには入ってこなかった。
「町が、私に気を遣うて、あの座を空けとったんやと思うとった」
塁は首を横に振った。
強く、二度振った。
「違います」
「違うって」
「毎年、宮腰さんに聞かれとったんです。今年は後ろ、吹くかって」
塁の膝の上で、指が笛の糸をなぞり続けていた。
「僕が、毎年、まだ吹けんて言うたんです」
「……」
「二十三回、僕が言うたんです」
蔵の梁がひとつ鳴った。
「おばさん。僕は、まだ半分しか吹けんのです」
私は、その言葉を、意味の通らない音として一度聞いた。
それから、意味が追いついた。
吹けないのではない。
吹かないと決めていたのだ。
あの曲を、後ろまで一人で通してしまったら、前と後ろに分けた意味がなくなる。
分けた相手が、いなくてもいい曲になってしまう。
九つの子が、自分がいないと山は動かんぞと言われて嬉しかったのと、それはたぶん、同じ場所から出ている。
私は畳のない板の上で、膝の前に手をついた。
「ごめんね」
塁は、それには答えなかった。
かわりに、まったく別のことを言った。
「おばさん、覚えとらんと思いますけど」
「なに」
「四年の、冬です」
塁は笛を置いて、膝を組み直した。
「うちの母が、しばらく給食費、入れられんかった時期があって」
私は息を止めた。
「担任の先生に、廊下で、今日は食べんでもええぞって言われたんです」
「そんなこと」
「先生も、悪気は無かったと思います。困っとったんやと思います」
塁は少し笑った。
「そしたら、その日、食缶に器がひとつ余っとったんです」
「……」
「先生が、あれ、って顔して、僕に回してくれました」
私は、手のひらを板についたまま動けなかった。
欠席の子の分を、いっぺんだけ数に入れて、それから引く。
三十年、意味がないと言われ続けた手順だ。
たまに、引き忘れる。
数えたまま積んでしまう。
年に何度かある、ただの間違いだった。
「あの日、僕の分だけ、余っとったんです」
塁の声は、静かだった。
「僕、それ、四年から中学出るまで、何回かありました」
「……偶然やよ」
「偶然でもええんです」
塁は笛を取り上げて、下の三孔に指を置いた。
大人の指だから、六つとも届く。
届くのに、あの子は下の三つだけを押さえていた。
「僕、あの町に、食べさせてもろたんです」
蔵の外で、誰かが曳山の車輪を叩いて回っていた。
明日の朝の点検をしているのだ。
私は、自分が二十三年かけて数えていたものの向きが、ゆっくりと反対になっていくのを感じた。
私は、この町に置いてもらっていると思っていた。
空けてもらっていると思っていた。
そうではなかった。
私は、いない子の分を数える手つきのままで、いる子の分を、いつのまにか一人ぶん多く積んでいたのだ。
※
翌朝、私は蔵へ行った。
圭一が、青いはっぴを着て隣に立っていた。
はっぴを出したのは二十三年ぶりで、肩のところに畳んだ折り目が白く残っていた。
囃子座に上がると、板が思ったよりも狭かった。
太鼓がひとり。
鉦がふたり。
笛のところに、座布団が二枚敷いてあった。
塁が笛を差し出した。
私は下の三孔に指を置いた。
赤い糸の段差が、指の腹に当たった。
暗い蔵のなかでも、目で探さずに押さえられる。
そのために巻いた糸だと、あの子は言っていた。
「舟起こし」の前半は、塁が吹いた。
上の三孔だけで鳴る、細い音だった。
後半に入る前に、塁が私のほうへ顔を寄せた。
頬が触れそうな近さで、息が笛の歌口に入るのがわかった。
私は、指を下ろした。
一、二、三。
二十三年ぶりに、後ろが鳴った。
音は、たぶん、下手だったと思う。
けれど、蔵の観音開きの戸がゆっくり開いて、曳山が軋みながら坂へ出ていくあいだ、それは確かに鳴り続けていた。
私は前を見ていなかった。
指と、糸と、隣の息だけを聞いていた。
途中で、圭一が下でロープを握っているのが、目の端に入った。
夫は、こちらを見上げてはいなかった。
ただ、口が動いていた。
音にならない、息だけの音で。
風呂のなかであの子がやっていたのと、同じ形だった。
※
祭りが終わって、三日経った。
その晩、私が汁を椀によそっていると、圭一が台所の椅子に座った。
いつもなら、まだ寝ている時間だ。
私は椀をもうひとつ出した。
二人ぶんを、同じ時間に置いた。
夫は熱いのを少し冷ましてから飲んで、うまい、とも、なにも言わなかった。
湯呑みを流しに置く音だけがした。
その音が、二十三年ぶりに、返事に聞こえた。
塁は来年から、下の孔に新しい子をつけると言っている。
八つの、痩せた男の子だそうだ。
赤い糸は、その子が自分で巻くことになるだろう。
台所の窓を閉めるとき、私は棚の器を見た。
明日の朝も、私は各校の欠席の数を紙に書き、いっぺん全部を数えてから、引く。
意味のない手順だと、これからも笑われるだろう。
それでいい。
私は指を六本、順に押さえて数えた。
一、二、三。
四、五、六。
半分ずつで、ちょうど、ひとつ。