二十三年目に鳴った篠笛

夕暮れの舟屋で奏でる笛

私は、数を数える仕事をしている。

町立の給食センターで、三十年になる。

秋の朝、白い長靴の底が濡れた床を鳴らすたび、頭のなかで数がひとつずつ積み上がっていく。

その日、蒸気の向こうで誰かが窓を開けた。

海のほうから、細い笛の音がひと筋だけ流れ込んできた。

私の指が、汁椀の縁で止まった。

※

舳倉見は、能登の突端に近い、坂と段々畑ばかりの町だ。

海に向かって家が折り重なるように建ち、路地は人ひとりぶんの幅しかない。

秋になると、その細い路地を、四つの曳山が軋みながら下りてくる。

祭りは十月の第二日曜と決まっている。

曳山の二階には囃子座があって、太鼓がひとり、鉦がふたり、笛がふたり座る。

笛だけは、昔から子どもが吹く。

大人の息では音が太くなりすぎて、海の音に負けてしまうからだと、囃子方の頭の宮腰さんは言っていた。

嘘か本当かは知らない。

ただ、あの町の笛は子どもが吹くものだと、私も子どものころからそう思って育った。

※

給食センターの調理員になったのは、二十六の年だ。

炊飯釜が四つ、回転釜が六つ、洗浄機が二台。

三つの小学校と一つの中学校ぶんの昼を、七人でつくる。

私の受け持ちは、汁物と、器の数だった。

朝いちばんに各校から欠席の数が電話で入る。

三年二組、二名欠席。

五年一組、一名欠席。

私はその数を紙に書き、食缶に詰める器の数から引く。

だがその前に、必ずいっぺん、全員ぶんを数える。

欠席の子の分も、いっぺんだけは数に入れる。

それから引く。

意味のない手順だと、新しく入った子には笑われた。

引くなら最初から引けばいいでしょう、と。

そのとおりだと思う。

けれど私は、その日その学校にいるはずだった子の数を、まず手のひらで確かめておきたかった。

いない子を、いないものとして最初から外すことが、どうしてもできなかった。

三十年、この癖は直らない。

※

悠が篠笛の稽古に通いはじめたのは、九つの夏だった。

町の子は八つか九つで蔵に呼ばれる。

呼ばれない子もいる。

呼ばれる基準は、宮腰さんの気分だと大人たちは言っていた。

悠は呼ばれた。

夕方、玄関で靴を脱ぎながら、あの子は妙に落ち着いた声で言った。

「かあさん、俺、笛やることになったわ」

俺、という一人称を、その夏はじめて使った。

私は流しに向かったまま、そうか、とだけ返した。

背中で笑っていたのを、あの子は知らない。

舳倉見の笛の稽古には、少し変わったやり方がある。

篠笛には孔が六つある。

上から一、二、三、そして下に四、五、六。

九つの子の手では、その六つを一度に押さえられない。

指が届かないのだ。

だから、この町では二人でひとつの笛を吹く。

一人が上の三孔、もう一人が下の三孔。

顔を寄せ合って、片方が息を吹き、片方は孔だけ押さえる。

息を吹く役と、孔を押さえる役は、曲の途中で入れ替わる。

「片吹き」と呼ぶ。

指が届くようになる十二、三で、ひとりで吹けるようになる。

それまでの三年か四年、子どもらは必ず二人一組で稽古する。

悠の相方は、塩見塁という子だった。

同じ組の、痩せて背の高い子だ。

うちの前の坂を、いつも足音を立てずに駆け上がってきた。

「かあさん、これ貸して」

八月の終わりの夜、悠が針箱を開けて赤い糸を引き出した。

何に使うのかと聞いても答えない。

しばらくして見にいくと、あの子は笛の下の三つの孔のふちに、細い赤い糸を一周ずつ巻きつけていた。

指の腹で触れば、糸の段差で自分の孔がわかる。

暗い蔵のなかでも、目で探さずに押さえられる。

「塁は上や。俺は下や」

悠は、自分の受け持つ三つの孔に、赤い糸を巻いた。

そう言って、糸の端を歯で噛み切った。

私はその晩、あの子の笛を持ち上げてみた。

下の三孔にだけ、赤い輪が三つ。

上の三孔は、竹の肌のままだった。

半分だけの笛だと思った。

半分だけで、それでいいのだと、あのころは思っていた。

九月の稽古を、私は一度だけのぞきに行った。

蔵は港のいちばん奥にある。

観音開きの戸を細く開けると、なかは昼でも夕方みたいに暗い。

曳山が一台、布をかぶって眠っている。

その脇の板の間に、子どもらが車座になっていた。

悠と塁は、いちばん隅にいた。

一本の笛を二人ではさんで、頬をくっつけるようにして構えている。

塁が息を入れ、悠が下の孔を押さえる。

音は、細くて、まだ頼りない。

途中で必ずどちらかが遅れて、笛は間の抜けた鳴き方をした。

宮腰さんが煙草の脂で黄色くなった指で板を叩く。

「二人でひとつやぞ。相手の息、聞け」

悠が笑った。

塁は笑わなかった。

あの子は、いつも眉のあたりに力を入れて笛を見ていた。

母親が能登町の工場に勤めに出ていて、朝が早いという話は聞いていた。

給食の献立表を、塁が誰よりも熱心に見ているのも知っていた。

けれどそのころの私は、それをただの、食いしん坊な子の話だと思っていた。

曲は「舟起こし」という。

曳山を蔵から出すときに吹く。

たった一分ほどの短い曲だ。

前半は上の三孔だけで鳴らせる音でできていて、後半は下の三孔がいる。

だから前半は塁、後半は悠。

そういう分け方に、宮腰さんが決めた。

「前が塁、後ろが悠。おまえら、どっちが欠けても山は動かんぞ」

そう言われたときの悠の顔を、私はよく覚えている。

まんざらでもない、という顔だ。

九つの子が、自分がいないと何かが動かないと言われて、嬉しくないはずがない。

あの子はその夜、風呂のなかで後半だけを口で真似していた。

音にならない、息だけの音で。

※

十月に入って、悠が熱を出した。

はじめは、よくある秋風邪だと思った。

三日で下がって、また上がった。

金沢の病院に移されたのは、その次の週だ。

原因の名前は、いくつも言われた。

どれも私の耳を素通りしていった。

医者の言葉のうち、私が覚えているのは、待ちましょう、という一語だけだ。

祭りの前の晩、あの子は点滴の管を気にしながら言った。

「かあさん、笛、蔵に置いてきてしもた」

取ってきてやろうかと聞くと、いい、と首を振った。

「塁が持っとるわ」

それが、あの子と交わした最後のまとまった話になった。

冬の入り口に、悠の熱はしずかに引いた。

引いて、そのまま、あの子は戻らなかった。

九つと、五か月だった。

※

そのあとの三年ほどのことを、私はうまく順番に並べられない。

覚えているのは、台所の音ばかりだ。

夫の圭一は、漁協の製氷所に勤めていた。

朝の三時に家を出て、昼過ぎに帰る。

以前は、帰ってきたその足で私の作った昼を食べた。

悠が戻らなくなった年の暮れから、夫は帰ってすぐ寝るようになった。

起きるのは、私が夕飯の支度を終えて、自分の分を食べ終わったころだ。

同じ鍋の同じ汁を、二人が二時間ずらして飲む。

そういう暮らしになった。

責めたわけではない。

責められたわけでもない。

ただ、二人でいる時間に、悠のいない食卓がくっきりと見えてしまうのが、どちらにも耐えられなかったのだと思う。

一度だけ、私は夫の背中に言ったことがある。

あの日、金沢に付き添っていたのは私だった。

熱が上がったとき、もっと早く言えばよかった。

あなたは仕事で来られなかった。

私が、悪かった。

夫は振り向かなかった。

しばらくして、湯呑みを流しに置く音がした。

それだけだった。

その音を、私は何年も、返事のかわりに聞き続けた。

※

翌年の祭りから、曳山の囃子座には、笛がひとりしか座らなくなった。

塁が上の三孔を押さえ、後半の下の孔は、宮腰さんが「抜き」で通した。

抜きというのは、要するに音を出さないということだ。

「舟起こし」の後半は、その年から、息だけの曲になった。

蔵から山が出るとき、鉦と太鼓の隙間に、風の音みたいな半端な息が混じる。

町の人はそれを、何も言わずに聞いていた。

私は、聞きに行かなかった。

港のほうから風に乗って届く音を、家の裏の物干し場で聞いていた。

二年目も、三年目も、後半は鳴らなかった。

十年経っても、鳴らなかった。

塁は中学を出て、高校から金沢に下宿した。

それでも祭りの朝には帰ってきて、山に上がった。

そして前半だけ吹いて、後半は吹かずに下りた。

町の誰も、それをおかしいと言わなかった。

私は、自分のせいだと思っていた。

私がこの町にいるから、誰もあの座に別の子を座らせられないのだ、と。

親が生きているうちは、その子の座を埋めにくい。

そういう気の遣い方をする町だと、私は知っていた。

だから私は、祭りの日はいつも給食センターの事務室で書類を繰っていた。

いないほうが、みんなが動きやすい。

そう思っていた。

二十三年、そう思い続けた。

※

今年の八月、町会の総代が、うちの玄関に立った。

麦茶を出すと、コップの縁を指でなぞってから、こう言った。

「澄江さん。今年から、笛をふたりに戻したいがや」

来るべきものが来た、と思った。

宮腰さんが九十になり、来年はもう蔵に出てこられない。

子どもの数も減った。

囃子を絶やさないためには、いま形を戻しておかねばならない。

理屈は、全部わかった。

わかったから、私は畳に手をついた。

「長いこと、すみませんでした」

総代は、しばらく黙っていた。

それから、麦茶をひと息に飲んで、こう言った。

「謝られる筋合いは、こっちにはないがや」

その言い方が、少し変だと思った。

けれど、そのときは深く考えなかった。

夜、圭一に伝えた。

夫は台所の椅子に座って、湯呑みを両手で包んだまま、しばらく何も言わなかった。

そして、二十三年ぶりに、私に用のある声を出した。

「祭り、行くか」

私は器を洗う手を止めた。

水の音だけが続いた。

行こうか、と答えるまでに、たぶん一分ほどかかったと思う。

※

祭りの前の晩、私は蔵へ行った。

理由は自分でもはっきりしない。

明日から座が埋まる。

その前に一度、あの板の間を見ておきたかったのだと思う。

観音開きの戸は、細く開いていた。

なかは、二十三年前と同じ匂いがした。

古い麻布と、機械油と、海の湿り。

曳山が布をかぶって眠っている。

その脇の板の間に、男がひとり、あぐらをかいて座っていた。

背が高くて、痩せている。

手には、篠笛が一本あった。

「塁くん」

男が顔を上げた。

眉のあたりに力を入れて笛を見る癖は、三十二になっても直っていなかった。

「おばさん」

そう呼ばれたのが、二十三年ぶりだった。

塁は立ち上がろうとして、途中でやめて、座り直した。

私も、板の間の端に腰を下ろした。

「毎年、来とったんやってね」

「はい」

「前の半分だけ吹いて、下りるって」

「はい」

塁は笛を膝に置いた。

私の目は、その笛の下のほうへ吸い寄せられた。

六つの孔のうち、下の三つに、新しい赤い糸が巻かれていた。

真新しい、まだ毛羽立っていない糸だった。

「それ」

私が言いかけると、塁は笛を持ち上げて、糸のところを指の腹でなぞった。

「毎年、巻き替えとります」

「毎年」

「一年経つと、色が飛ぶんです」

私は何も言えなくなった。

しばらく、外の波の音だけが蔵に入ってきた。

やがて塁が言った。

「僕、総代さんに頼んだんです。今年、座をふたりに戻すって決めるなら、下の孔は、悠のおばさんに押さえてもらえんかって」

私は、意味がすぐには入ってこなかった。

「町が、私に気を遣うて、あの座を空けとったんやと思うとった」

塁は首を横に振った。

強く、二度振った。

「違います」

「違うって」

「毎年、宮腰さんに聞かれとったんです。今年は後ろ、吹くかって」

塁の膝の上で、指が笛の糸をなぞり続けていた。

「僕が、毎年、まだ吹けんて言うたんです」

「……」

「二十三回、僕が言うたんです」

蔵の梁がひとつ鳴った。

「おばさん。僕は、まだ半分しか吹けんのです」

私は、その言葉を、意味の通らない音として一度聞いた。

それから、意味が追いついた。

吹けないのではない。

吹かないと決めていたのだ。

あの曲を、後ろまで一人で通してしまったら、前と後ろに分けた意味がなくなる。

分けた相手が、いなくてもいい曲になってしまう。

九つの子が、自分がいないと山は動かんぞと言われて嬉しかったのと、それはたぶん、同じ場所から出ている。

私は畳のない板の上で、膝の前に手をついた。

「ごめんね」

塁は、それには答えなかった。

かわりに、まったく別のことを言った。

「おばさん、覚えとらんと思いますけど」

「なに」

「四年の、冬です」

塁は笛を置いて、膝を組み直した。

「うちの母が、しばらく給食費、入れられんかった時期があって」

私は息を止めた。

「担任の先生に、廊下で、今日は食べんでもええぞって言われたんです」

「そんなこと」

「先生も、悪気は無かったと思います。困っとったんやと思います」

塁は少し笑った。

「そしたら、その日、食缶に器がひとつ余っとったんです」

「……」

「先生が、あれ、って顔して、僕に回してくれました」

私は、手のひらを板についたまま動けなかった。

欠席の子の分を、いっぺんだけ数に入れて、それから引く。

三十年、意味がないと言われ続けた手順だ。

たまに、引き忘れる。

数えたまま積んでしまう。

年に何度かある、ただの間違いだった。

「あの日、僕の分だけ、余っとったんです」

塁の声は、静かだった。

「僕、それ、四年から中学出るまで、何回かありました」

「……偶然やよ」

「偶然でもええんです」

塁は笛を取り上げて、下の三孔に指を置いた。

大人の指だから、六つとも届く。

届くのに、あの子は下の三つだけを押さえていた。

「僕、あの町に、食べさせてもろたんです」

蔵の外で、誰かが曳山の車輪を叩いて回っていた。

明日の朝の点検をしているのだ。

私は、自分が二十三年かけて数えていたものの向きが、ゆっくりと反対になっていくのを感じた。

私は、この町に置いてもらっていると思っていた。

空けてもらっていると思っていた。

そうではなかった。

私は、いない子の分を数える手つきのままで、いる子の分を、いつのまにか一人ぶん多く積んでいたのだ。

※

翌朝、私は蔵へ行った。

圭一が、青いはっぴを着て隣に立っていた。

はっぴを出したのは二十三年ぶりで、肩のところに畳んだ折り目が白く残っていた。

囃子座に上がると、板が思ったよりも狭かった。

太鼓がひとり。

鉦がふたり。

笛のところに、座布団が二枚敷いてあった。

塁が笛を差し出した。

私は下の三孔に指を置いた。

赤い糸の段差が、指の腹に当たった。

暗い蔵のなかでも、目で探さずに押さえられる。

そのために巻いた糸だと、あの子は言っていた。

「舟起こし」の前半は、塁が吹いた。

上の三孔だけで鳴る、細い音だった。

後半に入る前に、塁が私のほうへ顔を寄せた。

頬が触れそうな近さで、息が笛の歌口に入るのがわかった。

私は、指を下ろした。

一、二、三。

二十三年ぶりに、後ろが鳴った。

音は、たぶん、下手だったと思う。

けれど、蔵の観音開きの戸がゆっくり開いて、曳山が軋みながら坂へ出ていくあいだ、それは確かに鳴り続けていた。

私は前を見ていなかった。

指と、糸と、隣の息だけを聞いていた。

途中で、圭一が下でロープを握っているのが、目の端に入った。

夫は、こちらを見上げてはいなかった。

ただ、口が動いていた。

音にならない、息だけの音で。

風呂のなかであの子がやっていたのと、同じ形だった。

※

祭りが終わって、三日経った。

その晩、私が汁を椀によそっていると、圭一が台所の椅子に座った。

いつもなら、まだ寝ている時間だ。

私は椀をもうひとつ出した。

二人ぶんを、同じ時間に置いた。

夫は熱いのを少し冷ましてから飲んで、うまい、とも、なにも言わなかった。

湯呑みを流しに置く音だけがした。

その音が、二十三年ぶりに、返事に聞こえた。

塁は来年から、下の孔に新しい子をつけると言っている。

八つの、痩せた男の子だそうだ。

赤い糸は、その子が自分で巻くことになるだろう。

台所の窓を閉めるとき、私は棚の器を見た。

明日の朝も、私は各校の欠席の数を紙に書き、いっぺん全部を数えてから、引く。

意味のない手順だと、これからも笑われるだろう。

それでいい。

私は指を六本、順に押さえて数えた。

一、二、三。

四、五、六。

半分ずつで、ちょうど、ひとつ。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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