
私は、たった一羽の鳥に、生涯でいちばん大きな嘘をついた。
もう四十年も前のことだ。
それなのに、その鳥の声だけが、今も耳の奥で、同じ二言を繰り返している。
おかえり、おかえり、と。
※
昭和五十一年の春、私は二十六歳で、北の山あいにある営林署へ、たった一人で赴任した。
官舎は署からさらに細い谷をのぼった先に、ぽつんと一軒だけ建っていた。
隣の人家まで歩いて三十分、店も電話もなく、夜になれば、風が杉の梢を鳴らす音のほかには、何ひとつ聞こえなかった。
妻も子もまだなく、東京で別れてきた女のことばかりを、私は毎晩、囲炉裏の火に焼べるようにして思い返していた。
東京のその女とは、私が地方勤務を選んだことで、行き先のないまま、約束ごと立ち消えになっていた。
その負い目があったから、私は人にものを約束するのが、もともと得意ではなかったのだと思う。
そのうち私は、誰もいない板の間に向かって「ただいま」と声に出すのが癖になった。
そうでもしなければ、丸一日、自分の声を一度も使わずに終わってしまう日があったからだ。
前任者が官舎に残していったものの中に、煤けた竹の鳥籠と、一羽の九官鳥がいた。
引き継ぎの書類の隅に、「世話を頼む、こいつは町には連れていけん」と、鉛筆で走り書きがしてあった。
黒い羽に、目のまわりだけ黄色い肉だれのある、どこか不器用そうな鳥だった。
私は犬も猫も飼ったことがなく、最初の幾晩かは餌のやり方も分からぬまま、ただ籠の前に座って向かい合っていた。
鳥は鳥で、見知らぬ男を警戒してか、隅の止まり木で背を丸め、ひと声も発しなかった。
※
その晩は、その冬いちばんの雪だった。
私が凍えた指で囲炉裏の火を熾していると、ふいに、籠の奥から、しゃがれた人の声がした。
「おかえり」
私は思わず火箸を取り落とした。
前任者が、長い独りの夜に、そう教え込んでいたのだと、ずっと後になって気づいた。
その晩から、私が玄関の戸を引いて「ただいま」と言うたびに、鳥は決まって「おかえり、おかえり」と返すようになった。
たった二言の、けれど確かなやり取りだった。
私は籠の底に小さく彫られた「八」という前任者の字を見つけ、その鳥を、八と呼ぶことにした。
八という名は前任者がつけたものだが、私はいつしか、末広がりのその字を、縁起のよい名だと思うようになっていた。
長い冬のあいだ、八との二言が、私の暮らしのほとんどすべてだった。
雪に道を閉ざされて署へ通えない日は、籠の前に文机を運び、八に向かって今日の空模様を話して聞かせた。
粟の餌をやり、凍る前に水を替え、しもやけの手をかざして、止まり木の八と同じ高さで眠った。
八は私の咳の癖を覚え、下手な口笛を覚え、私が寝息を立てるまで、羽をふくらませて止まり木にとまっていた。
冬がいちばん深い頃には、ランプの油を惜しんで早くに灯を消し、暗がりの中で八の小さな寝息だけを聞いていた。
その寝息が、東京に置いてきたものや、果たせなかった約束の数々を、不思議と静めてくれた。
三月になっても谷の雪は固く凍り、夜の冷えは骨の芯まで届いた。
そんな夜、八は止まり木からわざわざ籠の私側へ移ってきて、金網ごしに、私の指の温みを確かめるように嘴を寄せた。
私が低い声で「八」と呼ぶと、決まって「おかえり」と返し、それから満足げに羽づくろいを始めるのだった。
署の同僚たちは、私が鳥の話ばかりするのを笑ったが、私はその笑いさえ、どこか誇らしく聞いていた。
八は人の言葉のうち、たった二つしか覚えなかったが、その二つは、どちらも人の帰りを待つための言葉ばかりだった。
雪の朝、私が長靴の紐を結んでいると、八はきまって、行かないでくれとでも言うように、低く喉を鳴らした。
赴任して二度目の冬、私は高い熱を出して三日ほど寝込んだことがある。
朦朧とする耳に、籠の中の八が、いつもより低い声で何度も「おかえり、おかえり」と鳴いているのが届いた。
誰も看病に来ないあの谷で、その声だけが、私をこの世につなぎとめていた。
熱が引いた朝、私は籠の前で、これからはこの鳥を生涯離すまいと、本気でそう誓ったのだった。
私はあの谷ではじめて、誰かに帰りを待たれるということが、こんなにも人を生かすものかと知った。
※
三度目の冬が明けた春、本署への栄転を告げる辞令が、谷の上まで届いた。
辞令を受け取った夜、私は籠の前に長いこと座り込み、八を連れていく算段ばかりを考えた。
けれど都会の官舎は鳥獣の飼育を一切許さず、知人のあてもなく、私には八を託せる先が、麓のあの老婆しか思いつかなかった。
谷の麓には、営林署の備品を長年あずかってくれている、腰の曲がった管理人の老婆がいた。
私は籠ごと八をその家に預け、上がり框で頭を下げて、こう言った。
「落ち着いたら、必ず迎えに来ますから」
それは、嘘をつくつもりのない、それでいてまぎれもない嘘だった。
出発の朝、軽トラックの荷台に荷物を積む私の背中へ、籠の中の八が、いつものように鳴いた。
行ってらっしゃい、ではなかった。
おかえり、と。
私はその声を背に受けながら、一度も振り返らず、雪解けの谷を下っていった。
※
都会の暮らしは、目がまわるほど忙しかった。
私はやがて見合いで身を固め、子を二人もうけ、係長になり、課長になり、郊外に小さな家を建てた。
北の谷のことは、思い出すたびに、来年こそはと先延ばしにした。
出世を重ねるたびに、私は約束を守れる立派な人間になったような気がして、いちばん古い約束だけを、後回しにし続けた。
一度だけ、あの老婆から葉書が届いたことがある。
「八は今日も、戸口に向かって、おかえり、と鳴いております。
早う、迎えに来ておあげなさい」と、ひどく震える字で書かれていた。
私はその葉書を読むと、引き出しのいちばん奥にしまい、二度と取り出さなかった。
葉書をしまった引き出しを開けるたび、私はその端が見えないよう、ほかの書類を上に重ねていった。
見て見ぬふりを重ねるうちに、いつしか私は、約束したこと自体を、忘れたふりができるようになっていた。
迎えに行けば、あの谷に置き去りにしてきた若い自分と、丸ごと向き合わねばならない気がして、こわかったのだ。
結婚した年の正月、ふと谷へ電話をかけようとして、官舎にはもともと電話がなかったことを思い出した。
子が小学校へ上がった春、家族旅行の行き先を、私はわざと、北とは反対の南の海に選んだ。
八はもう老いて、とうにいなくなっているだろう――そう自分に言い聞かせることで、私は谷を心の奥に封じた。
そうして十年が過ぎ、二十年が過ぎ、葉書の文字も、八の声も、少しずつ遠ざかっていった。
※
去年の秋、私は定年を迎え、子らもとうに巣立って、ふたたび独りで「ただいま」と言う夜に戻った。
誰も返事をしない板の間で湯呑みを傾けていると、ふいに、四十年前のあの声が、耳の奥で「おかえり」と鳴いた。
私はいてもたってもいられなくなり、翌朝、車を駆って、北のあの谷を目指した。
四十年ぶりの谷は、杉だけが昔のままに高く、沢の水音だけが、変わらず冷たく響いていた。
営林署は統廃合でとうの昔になくなり、官舎の跡は背丈ほどの草に埋もれていた。
麓の老婆の家を訪ねると、戸口に出てきたのは、見覚えのない中年の女だった。
祖母はもう十五年も前に谷を下りていったと、女は静かに言った。
私が八のことを尋ねると、女はしばらく黙ってから、奥の納戸へ消えていった。
そして、ひとつの竹籠を、両手で抱えて戻ってきた。
底の割れた、空っぽの鳥籠だった。
女が差し出した籠の底には、餌の名残らしい粟の殻が、わずかにこびりついて残っていた。
「祖母が、ずっと捨てずに取ってあったんです」と、女は言った。
「この鳥は、最後の日まで、誰もいない戸口のほうを向いて、おかえり、おかえり、と鳴いていたそうです」
祖母は晩年、目が霞んでからも毎朝その籠の戸を開け、八に新しい水をやり続けていたのだと、女は付け加えた。
私は、その空の籠を受け取った手が、震えるのを止められなかった。
おかえり、と八は、二度と戻らない私に言い続けていた。
私が「必ず迎えに来る」と言い残したあの朝から、ただの一日も、私を待つのをやめなかったのだ。
嘘をついたのは私で、それでも約束を信じ続けたのは、言葉の意味も知らぬ一羽の鳥のほうだった。
※
谷をわたる風が杉の梢を鳴らし、四十年前と同じ音で、私の背をそっと撫でていった。
私は冷えた草の上に膝をつき、空の籠を、まるで生き物のように胸へ抱き寄せた。
籠を抱いた腕の中に八の重みはもうなく、ただ竹の冷たさだけが、私の胸に残っていた。
そうして、ようやく、あの春の朝に言えなかった言葉を口にした。
ただいま、と。
けれど、おかえり、と返してくれる声は、もう、この世のどこにも残っていなかった。