最後の誕生日

誕生日

私が23歳だった頃のことです。

就職して1年目の冬で、ちょうど誕生日の日でした。

※

その日、職場の人たちが言ってくれました。

「誕生パーティーをしてあげる!」

※

嬉しかったし、断る理由もありませんでした。

会場まで取ってくれたらしく、私は浮き立つ気持ちのまま、家に電話を入れました。

「今日は遅くなるよ。

ごはんいらないから」

※

すると、電話口の父が、珍しく強い声で言いました。

「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい」

※

私は耳を疑いました。

父は普段、穏やかで人に無理を言うタイプではありません。

※

「だって、もう会場も取ってもらったみたいだし。

悪いから行くよ」

そう返すと、父はさらに食い下がりました。

「とにかく今日は帰ってきなさい。

誕生日の用意もしてあるから」

※

その言い方が、妙に必死で。

私は「?」のまま、職場のみんなに頭を下げて、そそくさと帰宅しました。

※

家には、その春から肋膜炎で療養中の母と、電話に出た父がいました。

※

食卓の上には、スーパーで売っているような鶏もも肉のロースト。

そして、ショートケーキが三つ。

たったそれだけの、静かな誕生日の食卓でした。

※

その瞬間、私の心は感謝より先に、苛立ちに傾きました。

申し訳なさと、悔しさと、期待を裏切られた気持ちが一緒になって、言葉が荒くなりました。

※

「なんで、わざわざ帰らせたの!

私だって、みんなの手前、すごく申し訳なかったよ!」

※

今思えば。

あの日の私は、世界でいちばん大切な人に向かって、いちばん言ってはいけない口調で言ってしまいました。

※

父が何か言ったはずなのに、私は覚えていません。

それだけ、心が尖っていたのだと思います。

※

母は、黙って私を見ていました。

そして小さな声で言いました。

「ごめんね。

明日でもよかったね」

母の目は潤んでいました。

※

私は、言い過ぎた、と一瞬で分かりました。

分かったのに。

「ごめん」の一言が、どうしても口から出ませんでした。

※

私は黙ったまま、冷えかけた鶏肉とケーキをもくもくと食べました。

そして食べ終わると、何も言わず、自分の部屋に戻りました。

※

あの夜の空気の重さを、私は今でも思い出せます。

家の中が静かで。

時計の音だけが妙に大きくて。

自分の心臓の音が、責めるように聞こえていました。

※

それから二ヶ月後。

母の容態が急変し、入院しました。

※

仕事帰りに病院へ行くと、父がいました。

廊下の隅の、誰にも見られない場所で。

父は、私に向かって呟くように言いました。

※

「実はお母さんは、春からガンの末期だと分かっていたんだよ。

隠していて、ごめんね」

※

頭が真っ白になりました。

胸の奥が冷たくなって、息の仕方が分からなくなりました。

※

呆然としたまま家に帰り、私は母の部屋へ入りました。

引き出しの奥に、日記がありました。

※

読んではいけない、と一瞬思いました。

けれど、もう“普段の母”には会えないかもしれない。

その恐怖に背中を押されて、私はページをめくりました。

※

誕生日の日のページ。

そこには、短い一文が残っていました。

※

「○子に迷惑をかけてしまった」

※

その瞬間、何かが決壊しました。

私は声を上げて泣きました。

※

「違う。

迷惑なんかじゃない。

迷惑をかけたのは、私のほうだ」

そう思いながら、床に座り込んで泣きました。

※

「ごめんね」

何時間も、同じ言葉を繰り返して泣きました。

※

夜が明ける頃には、涙が出なくなっていました。

目は腫れて、頭はぼんやりしていて。

ただ、すごい耳鳴りだけが、ずっと鳴っていました。

※

それから四、五日後。

母は亡くなりました。

※

私は仕事をやめました。

父は看病を続けました。

そして、その父も数年前に亡くなりました。

※

今になって、何度も思います。

あの夜。

父が準備してくれた、ささやかな誕生日の食卓。

鶏肉のローストと、ケーキが三つ。

※

どうして私は、あれを“温かさ”として受け取れなかったのだろう。

どうして私は、感謝の言葉ひとつ言えなかったのだろう。

※

母にとっては、あれが最後の誕生日だったのに。

父にとっても、あれが最後の「家族の形」を守ろうとした夜だったのに。

※

あの日、私が欲しかったのは、派手なパーティーではなかったはずです。

ただ。

「帰っておいで」と言ってくれた父の声の理由を。

母が涙ぐみながら出した「ごめんね」の意味を。

私は、受け取れるだけの大人になれていなかった。

※

それでも。

こんな情けない自分でも。

私はまだ、生きています。

※

今も時々、あの三つのケーキを思い出します。

誰よりも私の誕生日を大切にしてくれた人たちが、そこにいたからです。

そして、もう二度と会えないからです。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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