
十二月の水は、指の骨まで届く。
簀桁を沈めると、白い繊維が水舟のなかで細かい渦を巻いた。
前へ、横へ、もう一度前へ。
手首だけで揺らす。
五十六年、私はこの音のなかで生きてきた。
高知の山あい、仁淀の支流に沿った川登という集落で、三代目の紙漉きをしている。
楮を蒸し、皮を剥ぎ、冬の川に晒し、木槌で叩いて、漉く。
暮らしはそれだけだ。
その朝、二十年欠かさず届いていた注文が、初めて来なかった。
毎年十二月の第一週。
東京の橘紙工という屋号から、判で押したように同じ枚数の注文書が届く。
顔を見たことはない。
電話で声を聞いたこともない。
備考欄には、いつも同じ一行があった。
耳、切らずに。
手漉きの紙は、四辺の縁が毛羽立つ。
職人はそれを耳と呼ぶ。
「紙の耳は、切ってしもうたら商品になる。」
父はそう言って、裁ち板の上で私の漉いた紙の縁を落としていった。
刃が薄い雲を削るような音がした。
「切らんかったら、ただの漉きそこないよ。」
十四の私は、その言葉を四十年以上、体のどこかにしまい込んでいた。
※
川登には、私が子どもの頃、紙を漉く家が十四軒あった。
今は三軒。
そのうち二軒は、冬だけ動く。
楮畑は半分が杉に変わり、残りの半分は猪に掘り返されている。
それでも十一月になると、私は蒸し器に火を入れる。
皮を剥いだ楮は、湯を吸って白い紐のようになる。
それを川の浅瀬に沈めて、五日置く。
水が冷たいほど、灰汁が抜けて、繊維が澄む。
浅瀬に膝まで入って束を返していると、指先の感覚が三十分で消える。
消えたあとは、痛みも冷たさもない。
ただ、手が自分のものでなくなる。
父はそれを、手を借りると言った。
誰から借りるのかは、一度も教えてくれなかった。
昼前に、宅配の集荷が来た。
軽トラの助手席には、いつも与七さんの柴犬が座っている。
「篠ちゃん、東京の分は。」
与七さんは荷台に片足をかけたまま聞いた。
「今年は、来んかった。」
「ほうか。」
それきり、与七さんは犬の耳を掻いた。
犬が迷惑そうに首を振った。
「二十年も続いたら、そら立派なもんよ。」
「立派なもんが、なんで名前も書かんが。」
「そら、あれよ。」
「あれって、何。」
「……あれよ。」
与七さんは荷台の縄を締めて、逃げるように出て行った。
排気の匂いが、楮の湯気に混ざって消えた。
その背中を見ながら、私は少し腹が立った。
この集落の男は、都合が悪くなると必ず犬の耳を掻く。
※
日下部佐緒里という同級生がいた。
中学一年の春、社会科の校外学習で、七人の班がうちの工房に来た。
佐緒里はその真ん中にいた。
背が高くて、笑うと片方の八重歯だけが出る子だった。
「よう、こんな冷たい水に手が入るね。」
水舟に指を入れて、すぐに引き抜いて、佐緒里はそう言った。
手の甲が、みるみる赤くなっていた。
「冷たいほうが、繊維がよう絡むがよ。」
父がそう答えて、佐緒里に簀桁を持たせた。
ほかの子は順番を待つあいだ、乾燥板の前でふざけて笑っていた。
佐緒里だけが、水面から目を離さなかった。
佐緒里の漉いた一枚は、右の端に繊維が寄って、雲のような斑ができた。
父はそれを乾かして、耳を落とさずに渡した。
「上等よ。」
佐緒里は、その一枚をずっと胸に抱えて帰っていった。
私はそれが、少し面白くなかった。
自分の家の匂いを、他人が嬉しそうに持ち帰るのが、なぜか嫌だった。
紙漉きの家の子であることを、私はその頃、恥ずかしいと思っていた。
指の割れた手を、体育の時間に隠していた。
※
その年の秋のことを、私は長いあいだ、たいしたことではないと思っていた。
夕方の井戸端で、隣の集落の女の人が、洗い物の手を止めて私に聞いた。
日下部さんとこのお母さん、町を出て行ったって、ほんまなが。
私は、ただうなずいた。
本当かどうかも知らなかった。
ただ、大人が私に何かを聞いてくれたことが嬉しくて、知っているような顔をしたかった。
それだけだ。
桶の底に、大根の切れ端が沈んでいた。
日下部の家は、駅前の坂の途中にある小さな商店だった。
店先のガラスケースに、駄菓子と釣り針と、なぜか裁縫の糸が一緒に並んでいた。
佐緒里の母親は、その糸を選ぶのがうまい人で、色見本を陽に透かして客に見せていた。
その人が、秋のある日から店に立たなくなった。
それだけのことが、集落では十日で全員に行き渡る。
行き渡らせたうちの一人が、私だった。
翌週から、佐緒里の机の周りが静かになった。
誰かが何かを言ったわけではない。
ただ、佐緒里が話しかけると、返事が半拍遅れるようになった。
半拍というのは、子どもには十分すぎる長さだ。
体育で二人組を作るとき、佐緒里の前で列が割れた。
合唱の練習では、佐緒里の声だけが半音高いことにされた。
実際は、誰よりも音を外さない子だった。
それでも佐緒里は、次の週から口だけを動かすようになった。
給食の当番表からは、なぜか佐緒里の名前が一度だけ消えた。
先生は気づかなかった。
気づく大人は、あの教室にはいなかった。
十二月には、佐緒里はもう一人で弁当を食べていた。
私は自分の席から、それを見ていた。
見ていただけだ。
※
二年になって、佐緒里は変わった。
髪を短くして、声が大きくなった。
春には、教室のいちばん賑やかな輪の真ん中にいた。
そして六月、私の上履きが片方だけなくなった。
誰がやったのかは分からない。
ただ、その輪の中心にいたのが佐緒里だったことは、誰の目にも明らかだった。
次の日から、私が話しかけると、返事が半拍遅れるようになった。
順番が入れ替わっただけだった。
私はそれを、佐緒里が私を選んだのだと思った。
片方だけの上履きは、三日後に焼却炉の裏で見つかった。
濡れてはいなかった。
誰かが雨のかからない場所に置き直したのだと、あとから思った。
その頃の私は、そんなことを考える余裕がなかった。
三年の秋、廊下で佐緒里が私の名を呼んだ。
掃除の時間で、窓から差し込む光に埃が浮いていた。
私は振り返らずに、階段を降りた。
降りながら、心臓が耳の裏で鳴っていた。
それが、佐緒里の声を聞いた最後になった。
卒業式の日も、私たちは一言も交わさなかった。
佐緒里は高校から町を出て、それきり集落に戻らなかった。
私は高知市の高校へ通い、卒業したら県外へ行くつもりでいた。
紙の匂いのしない場所へ。
けれど十九の冬に父が腰を痛めて、水舟に立てなくなった。
帰ってきた最初の朝、私は父の長靴を履いて漉き場に立った。
父は框に座って、何も言わずに見ていた。
三枚目で、私は繊維を右に寄せた。
佐緒里が漉いた一枚と、同じ寄せ方だった。
父が、框で小さく鼻を鳴らした。
「上等よ。」
その一言が悔しくて、私はその日、七十枚漉いた。
そのまま、四十年が経った。
父はとうに框からいなくなり、母も先に逝った。
私は結局、紙の匂いのしない場所を一度も見なかった。
※
注文が来なかった週の金曜、東京から封書が届いた。
橘紙工、橘郁とあった。
便箋は薄い。
私が漉いた紙ではなかったが、簀の目の入り方で、機械漉きではないことはすぐに分かった。
先月、母が静かに眠りにつきました、と書いてあった。
母は旧姓を日下部といいます、と続いていた。
その一行を読んだとき、私は台所の椅子に座った。
座ったというより、膝が折れた。
工房を畳む前に、一度だけお会いできませんか。
母が二十年、何を頼んでいたのか、お伝えしたいのです。
そう結ばれていた。
私はその夜、漉き場の火を落としてから、古い注文控えの箱を出した。
紙縒りで括った控えが、年ごとに二十束。
いちばん下の束は、平成十八年のものだった。
私が四十を過ぎた頃だ。
その年から、東京の名も知らぬ屋号が、毎年十二月に同じ枚数を頼んでいた。
枚数は、三十七枚。
半端な数だと、二十年ずっと思っていた。
私は一度も、差出人を調べようとしなかった。
仕事とは、そういうものだと思っていた。
※
翌々週、私は神田の裏通りの二階にいた。
階段は急で、踏み板の縁が丸くすり減っていた。
部屋には、糊と黴と、乾いた藁の匂いが混じっていた。
作業台の上に、和本が開いて置かれていた。
虫に食われて、頁の縁が地図のように欠けている。
橘郁は、三十半ばの、目の細い人だった。
笑うと、片方の八重歯だけが出た。
「母から、川登の紙のことは、耳にたこができるほど聞きました。」
「……そうですか。」
「一度も、名前は言いませんでしたけど。」
郁さんは、欠けた頁の縁に、細い筆で薄い糊を引いた。
筆は、鳥の羽根ほどの太さしかなかった。
そこへ、白い繊維の帯を置いた。
ふわりとした、毛羽立った帯だった。
見覚えのある毛羽だった。
「これは。」
「先生の紙の、耳です。」
「耳。」
「継ぎ目に使えるのは、切り落とした耳のところだけです。」
私は、息を吸い忘れた。
「これは、明治の頃の手習い帳です。」
郁さんは、頁の隅の拙い字を指した。
同じ字が、線を外れながら十六回並んでいた。
「どこかの子が、どこかの村で、うまく書けるまで書いた紙です。」
「機械で断った縁は、繊維が潰れて、糊が入りません。」
「手で漉いた紙の、毛羽立った縁だけが、欠けたところに噛みます。」
郁さんは、乾いた帯を親指の腹で撫でた。
「母は、耳のある紙をずっと探していました。」
「そして、川登の水でないと駄目だと。」
「うちの水は、ただ冷たいだけです。」
「母は冬でも、湯を一滴も使いませんでした。」
郁さんは自分の手を見せた。
指の付け根が、四十三年前の佐緒里と同じように、赤く硬くなっていた。
「冷たいほうが、繊維がよう絡むから、と。」
父の言葉だった。
十三の子が、たった一日聞いただけの言葉を、四十年持ち歩いていた。
「お母さんは、どうしてこの仕事に。」
「高校のとき、図書館の本の破れを勝手に直して、司書さんにひどく叱られたそうです。」
郁さんは、少し笑った。
「叱ったあとで、その司書さんが、こういう仕事があると教えてくれたと。」
「母は、直せるものがあると知って、ほっとしたと言っていました。」
直せるもの。
その言葉が、糊の匂いのなかにしばらく残った。
郁さんが、作業台の下の引き出しを開けた。
引き出しには、私の漉いた紙の耳が、年ごとに括って並べてあった。
二十束あった。
紙縒りの色が、古い順に飴色になっていた。
「使い切らないんです。」
「もったいなくて、と言っていました。」
いちばん手前の束だけ、紙縒りが新しかった。
今年の十二月に届くはずだった分の、場所が空けてあった。
私は束のひとつに触れた。
紙の耳は、乾いた鳥の羽のような手触りをしている。
「あの、」
私は言葉を選び損ねた。
「お母さんは、私のことを、何か。」
郁さんは少し黙ってから、言った。
「中学一年の秋に、自分の家のことが噂になった、と。」
「それから、教室で誰も自分に返事をしなくなった、と。」
「怖くて、次は輪の内側に立たなければと思った、と言っていました。」
「一度内側に立ったら、もう降りられなかった、とも。」
窓の外で、電車が通った。
硝子が細かく鳴った。
私は、その音が止むまで何も言えなかった。
喉の奥に、冷たい水を飲んだときの塊がそのまま居座っていた。
あの秋の井戸端が、四十五年ぶりに輪郭を持って戻ってきた。
夕方の光。
桶の底に沈んだ大根の切れ端。
洗い物の手を止めた、隣の集落の女の人の顔。
そして、私のうなずき。
うなずいたのは、私のほうが先だった。
私は四十年、自分は選ばれた側だと思って生きてきた。
違った。
先に半拍を作ったのは、私だ。
私は、うなずいた分だけの重さを、四十五年かけて一度も量らなかった。
量らないまま、被害の側に自分を置いて、そこを住み心地よくしていた。
作業台の上で、糊を含んだ繊維が、ゆっくり紙に沈んでいった。
欠けたところは、埋めれば消えるわけではない。
継いだ跡は、光に透かせば必ず見える。
見えるままで、本はまた開けるようになる。
「あの廊下で、母は謝ろうとしたんだと思います。」
郁さんは、そう言って目を伏せた。
「三年生の掃除の時間に、名前を呼んだけれど、振り向いてもらえなかった、と。」
「その話だけは、何度もしていました。」
私は、階段を降りたときの心臓の音を思い出した。
あの音の向こうで、佐緒里は廊下に立ったままだったのだ。
「母は、」
郁さんの声が、少しだけ揺れた。
「許してもらえるとは、思っていませんでした。」
「だから、名前を書かなかったんだと思います。」
私は首を横に振った。
「違います。」
「許してもらわないかんのは、私のほうです。」
言い終わる前に、声が潰れた。
郁さんは、糊のついた手を手ぬぐいで拭いて、私の両手を掴んだ。
母親と同じ、冷たい水で硬くなった手だった。
その手が、震えていた。
「ありがとうございます。」
郁さんは、それだけを何度も言った。
私は、はい、とも、いいえ、とも言えなかった。
ただ、掴まれた手を握り返した。
帰り際、郁さんが一枚の紙を出してきた。
右の端に繊維が寄って、雲のような斑がある。
四辺の耳は、落とされていなかった。
「母の机の、いちばん上の引き出しに入っていました。」
四十三年前に、十三の佐緒里が漉いた一枚だった。
父が上等よ、と言って渡した、あの一枚だ。
紙は、少し飴色になっていた。
けれど、耳はまだ生きていた。
指で撫でると、細い繊維が起き上がった。
「うちで、預かってもええですか。」
「はい。」
郁さんは、初めてちゃんと笑った。
片方の八重歯だけが出た。
三十七枚という半端な数の意味も、帰りの飛行機のなかで分かった。
佐緒里と私が同じ教室にいた学年の、生徒の数だった。
※
川登に帰る前に、私は駅前の坂を歩いた。
日下部商店のあった場所は、月極の駐車場になっていた。
白い線が引かれ、番号を書いた札が三枚、風に鳴っていた。
ガラスケースの跡も、糸の色も、どこにも残っていない。
坂の下から、中学校の鐘が聞こえた。
四十年前と同じ、少し音の割れた鐘だった。
私はしばらく、その音が消えるまで立っていた。
翌日、私は与七さんの店に寄った。
「知っちょったろう。」
与七さんは伝票をめくる手を止めなかった。
「二十年前に、一遍だけ電話がきた。」
「篠さんとこの親父さんは、まだ達者ですか、いうて。」
「名前は。」
「言わんかった。」
「言わんかったき、こっちも聞かんかった。」
与七さんは伝票の束を輪ゴムで留めて、初めて顔を上げた。
「篠ちゃん。」
「名乗らん人には、名乗らん理由があるがよ。」
そして、そこにいない犬の耳を掻くような手つきで、自分の耳の後ろを掻いた。
※
次の朝、私は水舟の前に立った。
十二月の水は、今朝も指の骨まで届いた。
簀桁を沈める。
白い繊維が渦を巻く。
前へ、横へ、もう一度前へ。
一枚を漉き上げて、板に張って、乾かした。
裁ち板は使わなかった。
耳を落とさない紙は、父に言わせれば、ただの漉きそこないだ。
それでも私は、その一枚を桐箱に納めた。
佐緒里の漉いた雲のような一枚と、重ねて。
桐箱の蓋を閉める前に、二枚の紙をもう一度見た。
四十三年の隔たりがあるのに、繊維の寄り方が同じだった。
同じ水を使えば、そうなるのかもしれない。
それとも、雲の形は誰が漉いても似るのかもしれない。
どちらでもよかった。
それから、新しい注文控えの綴りを開いた。
宛先の欄には、橘紙工と書いた。
枚数は、三十七枚。
備考欄に、私は同じ一行を書き写した。
耳、切らずに。
来年の十二月に、東京へ送るつもりでいる。
誰も注文していない紙を、勝手に送りつける気だ。
与七さんはきっと、犬の耳を掻きながら、ほうか、とだけ言うだろう。