不格好な湯呑み
左官職人の夫と無口な妻。三十年間毎朝使い続けた湯呑みの底に、妻が結婚当初に刻んだ小さな五文字を発見する。言葉にできなかった夫婦の想いを描く、心に染みる物語。…
左官職人の夫と無口な妻。三十年間毎朝使い続けた湯呑みの底に、妻が結婚当初に刻んだ小さな五文字を発見する。言葉にできなかった夫婦の想いを描く、心に染みる物語。…
夜勤タクシー運転手として三十年。退職の日、妻が描いた古い地図を見つけた。赤い丸は二人で行った場所、青い丸はいつか行きたい場所。青い丸は一つも叶っていなかった。…
大分・長湯温泉の朝、四十年前の琺瑯の弁当箱を開けると、底に色褪せた付箋が一枚だけ残っていました。包みの結び目がいつも左に寄っていた理由、妻が四十年切らさなかった…
妻が遺した毛糸の袋を、三年越しに開けた。途中で止まった白いマフラーと、袋の底に隠された小さなノート。そこには、余命を一人で抱えながら俺のために編み続けた妻の言葉…
雨の降りだした駐車場で、二台の車から同時に送り合った二通のメール。余命の告白と妊娠の報告は、なぜか一行目だけが同じでした。和歌山・新宮の製材所で三代にわたって引…
妻がいなくなって二日目の夜、私は台所の付箋を数えた。十一枚あり、どれも右下の角が小さく折ってあった。剥がす人のことを考えて貼る人だったのだ。三日目の朝、出汁パッ…
朝、私は妻がよそった味噌汁を腕で払い、底の焦げた鍋を床に落とした。弁当も持たずに家を出た。夜、二階の窓に明かりがあり、玉ねぎとバターの匂いがした。妻がその鍋で四…
いしばし商店の棚には、丸い字の値札と、角ばった値札の二種類が並んでいました。奥さんが入院した週、ご主人はラジオの会社対抗クイズで九十八点と答えます。残りの二点が…
秋田・大館の曲げわっぱ工房で、妻は樺縫いの最後のひと針だけを、毎晩かならず翌朝へ残していました。妻を失った冬、四つになる娘の一言と、老いた職人の静かな証言が、そ…
三度目の流産に泣く妻の隣へ、産科の待合室で見知らぬ五分刈りの男の子が二つの指輪を差し出しました。水色だけが白く曇っていた理由を知ったのは、六年後の祭りの夜のこと…
淡路の線香屋のもとへ、五年も遅れて亡き妻からの手紙が届きました。同封されていた細い紙は、五年経ってもまだ匂ったのです。なぜ五年だったのか。香りの長さに託された約…
不倫を四年続けた私が、機械の苦手な妻に携帯メールを教えました。十日後に届いた一通は、濁点も改行も抜けた不器用な文章。後日カレンダーの裏に見つけた九枚の練習書きが…
山の観測所に勤めるあなたは、秋の沢の鉄砲水から私を庇って逝きました。所長さんの手に握られていた桜の櫛、遺された双子、観測野帳の余白に残された小さな言葉、今も続く…
北陸の銭湯を継いで十七年。番台の上で妻の銀色の携帯が一度だけ震えた夜から、私は落ち着かなくなりました。綾が頑なに機種変更をしない理由は、脱衣所の棚に置かれた古い…
心肺停止で運ばれた八十八歳の夫に、八十四歳の妻が静かに願い出たのは、自らの手で行う心臓マッサージでした。雪の夜の救急外来で研修医が見届けた夫婦の最期の時間を描く…