妹が遺した湯呑みと姪の涙

温かな陶芸の工房でのひととき

土をこねる指先が、ずっと震えていた。

三十年、轆轤の前で暮らしてきた手だ。粘土の乾き具合を、目より先に指が知る。

それなのに、その朝の私の手は、湯呑みひとつまともに挽けなかった。

昭和五十二年の、まだ雪の残る二月のことだ。

私は山あいの窯場で、細々と器を焼いて暮らしていた。

三軒しかない集落の、いちばん奥。登り窯の煙が杉の梢に溶けていく、そういう場所だった。

注文の多い焼き物師ではない。旅館の湯呑みや、町の食堂の丼を焼いて、どうにか食いつないでいる、無名の職人だ。

それでも、私の焼いた器で誰かが飯を食い、茶を飲む。その一点だけを頼りに、私は火を守ってきた。

手のことなら、何でも知っているつもりだった。

土の声も、火の機嫌も、指先が勝手に読み取ってくれる。

その手が、これほど頼りなくなる日が来ようとは、思ってもみなかった。

六つ下の妹、妙子が、四つになる娘の小夜を連れて、私の家に身を寄せていたのは、その年の暮れからだった。

妹の連れ合いは、遠い北の炭鉱へ出稼ぎに行ったきり、二年前から便りが途絶えていた。

最初のうちは月に一度、汚れた文字の手紙が届いた。それがある冬を境に、ぷつりと来なくなった。

妙子は何も言わなかった。ただ、郵便屋の自転車の音がするたびに、井戸端で手を止めて、坂の下をじっと見ていた。

「兄さん、うちは大丈夫やから」

痩せた背中で、妹はいつもそう言った。

この「大丈夫や」は、妙子の口癖だった。

思えば子どもの時分から、そうだった。

まだ父が窯を焼いていた頃、私が客の注文の大鉢を割ってしまったことがある。

婚礼に使う、大事な鉢だった。真っ青になって震える私の前に、妙子が飛び出してきた。

「うちが割ったんや。兄ちゃんやない」

まだ七つの妹が、父に向かって、そう言い張った。

父の雷は、妹の小さな尻に落ちた。私はそれを、納屋の陰から見ていることしかできなかった。

あとで妹は、赤くなった尻をさすりながら、けろりと笑った。

「兄ちゃんは、ええ器を焼く人になるんやろ。手ぇ、叩かれたらあかん。うちの尻は、また生えてくるさかい」

尻は生えてこん、と言い返せなかった。

妙子はいつも、自分の痛みを引き受けて、私を庇う子だった。

その癖が、この子を追いつめたのだと、私は後になって知る。

妙子が家に来てからの日々は、貧しくとも、温かかった。

小夜は、私が轆轤を回すそばで、余った粘土を握って一日じゅう遊んでいた。

泥だらけの手で、団子だの、犬だのをこしらえては、私の膝に置きにくる。

「おじちゃん、これ、やいて」

素焼きの窯の隅で、私はその小さな泥人形を、こっそり焼いてやった。

棚には今も、いびつな泥団子がいくつも並んでいる。

窯を焚く三日三晩は、小夜の目が、いちばん輝いた。

焚き口から吹き出す炎を、妙子に抱かれて、飽きもせず眺めていた。

「おじちゃんの火、きれいやなあ」

闇の中に赤い炎が揺れ、その灯りが、母と娘の頬を橙色に照らしていた。

あの晩の二人の横顔を、私は今でも、はっきりと思い出せる。

火の番をしながら、妙子がぽつりと言ったことがある。

「うちがおらんくなっても、兄ちゃんが小夜のそばにおってくれたら、うちは安心や」

冗談だと思って、私は笑い飛ばした。

何を縁起でもない、と。

その言葉が、遺言だったと気づいたのは、ずっとあとのことだ。

妙子は台所で、菜っ葉を刻み、繕い物をし、井戸の水を汲んだ。

痩せていく背中に、私は気づいていなかった。

夜、厠へ立つと、勝手口の外で、妙子が口を押さえて咳き込んでいることがあった。

「風邪か。医者に診てもろたらどうや」

「大丈夫や。医者代なんぞ、もったいない。小夜の入学のとき用に、貯めときたいんや」

妙子は、そう言って笑った。

あの笑いに、私は甘えていたのだと思う。

大丈夫という言葉を、そのまま信じてしまえるほど、私は妹の強さに寄りかかっていた。

その妙子が、寒が明ける前に、静かに眠るように逝ってしまった。

長く胸を患っていたのを、私にも小夜にも隠して、働き通していたのだ。

床に臥せってからは、あっけないほど早かった。

最期の数日、妙子はもう、粥もほとんど喉を通らなくなっていた。

それでも、私が茶を持っていくと、痩せた腕を伸ばして、湯呑みを両手で包んだ。

「兄ちゃんの焼く湯呑みは、なんでこんな、手にしっくりくるんやろ」

薄く笑って、そう言った。

最期の晩、妹は私の挽いた古い湯呑みで白湯を一口飲んで、

「これ、あったかいなあ」

と、笑ったのだ。

それが、私が聞いた、妹の最後の言葉になった。

葬式のあいだ、私は一度も泣かなかった。

泣いてはいけないと、自分に言い聞かせていた。

小夜がいたからだ。

四つの子の前で、頼るべき大人が崩れてしまっては、この子はどこにも寄る辺がなくなる。

私は喪主として、村の衆に頭を下げ、坊さんに茶を出し、香典帳に筆を走らせた。

驚くほど、手は動いた。

轆轤を回すときと同じだ。頭が空っぽでも、体だけが淡々と仕事をこなしていく。

焼香の煙が、座敷に低く立ちこめていた。

村の女衆が、台所で握り飯をこしらえ、鼻をすすりながら茶碗を並べる音がしていた。

その音の一つひとつが、やけに遠く聞こえた。

小夜は、母親の眠る布団のそばから、ずっと離れなかった。

泣きもせず、母の冷たくなった手を、両手でずっと包んでいた。

温めれば、また起きると思っていたのかもしれない。

私はその小さな背中に、かける言葉を持たなかった。

「小夜、こっちおいで」

やっとそれだけ言うと、小夜は首を横に振って、

「おかあちゃん、さむいって。あっためたげるの」

と、母の手を握り直した。

その姿を見ても、私の目からは、一滴の涙も出なかった。

胸のどこかが、しんと凍りついたまま、動かなかった。

妙子を診ていたのは、その前の年に村へ来たばかりの、若い医者だった。

二十六か、七か。都会の大きな病院から、へき地の診療所へ回されてきた、生真面目な男だった。

妹の胸の病に気づくのが、あと半年早ければ――医者はそう言って、診療所の板の間に膝をついた。

「私が、もっと早く、無理にでも検査をしていれば」

若い医者の声は、震えていた。

この男のことを、私はよく覚えている。

往診のたびに、鞄から古びた聴診器を出し、妙子の胸に当てては、眉を寄せていた。

帰りぎわには決まって、白衣のポケットから飴玉を出して、小夜の手に握らせた。

雪の深い晩、妙子の熱が上がったときは、朝まで囲炉裏端に付き添って、粥を炊いてくれた。

手が空くと、その粥を、自分ではなく、まず小夜に食べさせるような男だった。

妹が働きすぎて医者にかかるのを渋っていたことを、私はいちばんよく知っていた。

「医者代がもったいない」――その一言が、どれだけこの若い医者を苦しめたか。

だから、この医者を責めることは、どうしてもできなかった。

罵れる相手だったら、どんなに楽だったろう。

胸ぐらを掴んで、この行き場のない痛みを、洗いざらいぶつけられたら。

けれど、目の前で肩を落とすこの男もまた、これから長く己を責めて生きていくのだと思うと、私の口からは怒りが出てこなかった。

「先生のせいやない」

気づけば、私はそう言っていた。

「妙子は、先生に診てもろて、幸せやったと思う。飴、もろて喜んどったの、小夜やのうて、妙子のほうやったんやから」

それが本心だったのか、私にもわからない。

ただ、つまらぬ恨みのために、妹を見送った冬を濁らせたくなかった。

医者は、声を殺して、長いこと板の間に頭をつけていた。

その背中も、また、震えていた。

母を見送ってからの小夜は、しばらく、口数が減った。

朝、目を覚ますと、まず母が寝ていた布団のあたりを、手のひらで探るのだ。

そこに誰もいないと分かると、小さくうなずいて、それから起き上がる。

泣きはしない。ただ、うなずくのだ。

その仕草が、私にはいちばん、こたえた。

「おかあちゃんは、どこ行ったん」

一度だけ、小夜がそう聞いたことがある。

私は、うまく答えられなかった。

遠いところへ旅に出た、とも、星になった、とも、口が動かなかった。

「……ちょっと、遠いとこへ、な」

やっとそれだけ言うと、小夜は「ふうん」と言って、それ以上は聞かなかった。

聞けば私が困ることを、四つの子は、もう分かっていたのかもしれない。

母親そっくりに、この子もまた、痛みを引き受けようとしていた。

私は、ますます泣けなくなった。

この子の前で、私まで崩れるわけにはいかない。

そう自分に言い聞かせるほど、胸の氷は、厚く、固くなっていった。

四十九日が過ぎ、村の衆の足も遠のいて、家に私と小夜の二人きりが残った。

昼のあいだは、まだよかった。

小夜の飯を炊き、洗濯をし、注文の丼を挽いていれば、時間は勝手に流れていく。

つらいのは、夜だった。

小夜を寝かしつけたあと、私は窯場の隅で、一人、湯呑みに酒を注いだ。

妹が最期に「あったかい」と言った、あの古い湯呑みだった。

底の釉薬が薄く剥げて、私の指の形に、うっすら跡がついている。

酒を舐めても、ちっとも酔わなかった。

胸の奥に、氷の塊がひとつ、ずっと居座っている感じがした。

泣けば、これは溶けるのだろうか。

だが、私はもう泣き方を忘れてしまったようだった。

父の葬式でも、母のときでも、私は喪主として気丈にふるまい、涙を人に見せなかった。

職人は、めそめそするものではない。そう躾けられて育った。

その躾が、今になって、私の首を静かに絞めていた。

轆轤の前に座り、湿らせた粘土に手を当ててみた。

小夜のために、小さな湯呑みをひとつ、挽いてやろうと思った。

母の使っていたものと、揃いの。

あの子がいつか、母を思い出す縁になるように。

けれど、指先はまた震え、土は中心を外れて、無様に歪んでいく。

轆轤の回転に、土がついていかない。

何度、水を含ませ、中心を取り直しても、器はまっすぐ立ち上がらなかった。

崩れ、ひしゃげ、傾ぐ。

三十年の手が、たった一つの湯呑みを、挽けなかった。

「――情けないな」

歪んだ土の塊を、私は掌で握りつぶした。

その晩から、私は毎夜、轆轤に向かっては、挽き損じるようになった。

棚の下には、いびつな失敗作が、日ごとに増えていった。

背中に、小さな足音がした。

寝ていたはずの小夜が、寝間着のまま、土間の入口に立っていた。

「小夜、起きたんか。寒いやろ、早よ寝え」

けれど小夜は動かず、私の震える手を、じっと見ていた。

それから、とことこと近づいてきて、轆轤の横にちょこんと座った。

母がいつもそうしていたように、私の作業を、下から見上げる格好で。

「おじちゃんの手、ずっとふるえてる」

小夜は、粘土まみれの私の手に、自分の小さな両手をそっと重ねた。

「おちゃわんは、ないても、われへんよ」

私は、その言葉の意味が、しばらくわからなかった。

「妙子が言うとったの。かなしいのに、がまんしたら、こころがわれるって。おちゃわんとちがうって」

小夜の黒い目が、まっすぐ私を見ていた。

「おじちゃん、おかあちゃんのこと、すきやったやろ。すきな人がおらんくなったら、ないていいんやって。おかあちゃんが、そう言うとった」

私は、息子でも弟でもない、この四つの姪に、諭されていた。

氷が、音を立てて崩れる気がした。

私はいつも、小夜の前で妙子を褒めていた。

よう働く、いい妹やと。お前のかあちゃんは、この村でいちばん働き者やと。

その私の言葉を、この子は全部、覚えていたのだ。

轆轤の上の歪んだ土に、ぽつりと雫が落ちた。

一つ落ちると、もう止まらなかった。

納屋の陰で庇ってくれた七つの妹の背中。痩せた肩で「大丈夫や」と言った横顔。最期に湯呑みを両手で包んで、あったかいなあと笑った顔。

それが次々にあふれて、私は轆轤に突っ伏して、声を上げて泣いた。

四つの子の前で、三十年ぶりに、私は子どものように泣いた。

嗚咽が、窯場の土壁に低く響いた。

小夜は、私の背中を、小さな手でずっとさすっていた。

「ないてええんやで。ないてええんやで」

母がそうしてくれたのだろう、その手つきで、何度も、何度も。

やがて泣きつかれた私の膝に、小夜はちょこんと収まって、寝息を立てはじめた。

その温もりを抱きながら、私は明け方まで、静かに泣き続けた。

そのとき初めて、私は妹がもう戻らないことを、本当の意味で受け止めたのだと思う。

悲しくて泣くことによって。凍りついていたものが、ようやく溶けたことによって。

不思議なもので、その翌朝、轆轤に向かうと、土はすっと中心に据わった。

震えの止まった指の下で、湯呑みが一つ、まっすぐに立ち上がっていった。

あれから、幾度も春がめぐった。

若い医者からは、季節ごとに便りが来る。

村を離れ、また都会の大きな病院へ戻ったが、山の診療所で学んだことを忘れぬために、と手紙は続いている。

あるとき、その封筒に、いくばくかの金が同封されていた。

妙子の医者代を、あのとき受け取れなかったから、と便箋にあった。

私は迷った末、それを送り返さず、小夜の名で新しい通帳をこしらえ、そこへ預けることにした。

行間から、あの男がまだ、己の痛みを背負って歩いているのが伝わってくる。

だから私は、返事に、こう書くようにしている。

「先生に診てもろた飴の味を、小夜はまだ覚えとります。その金は、あの子の学びに使わせてもらいます。どうか、その手で、次の誰かを救うてやってください」

憎しみは、何一つ生まない。

けれど、赦しは、こうして人から人へ、細い糸で繋がっていくのだと、この頃の私は思う。

小夜は、器量よしの娘に育った。

母によく似た、よく働く手をしている。

泥団子を焼いてくれとせがんだ子が、今では私の窯を手伝い、釉薬の加減まで覚えてしまった。

この春、村を出て、町の女学校へ通うことになった。

発つ前の晩、私は棚から、ひとつの湯呑みを下ろして、小夜に渡した。

あの夜のあと、幾百と挽き損じて、ようやくまっすぐ立ち上がった、小さな湯呑みだ。

母の形見の古い湯呑みと、揃いの絵付けにした。淡い椿の花を、二つ。

「これ、おかあちゃんのと、色おそろいやな」

小夜は、それを両手で包んで、あの日の妙子とそっくりに笑った。

「あったかいなあ」

と。

その瞬間、私はまた、少し泣いた。

今度は、隠しもせずに。

私は今も、この山で器を焼いている。

轆轤を回しながら、時々、あの氷のような冬のことを思う。

人は、悲しみを我慢しても、強くはなれない。

泣くことを覚えて、ようやく、また土に向かえるようになる。

小夜が教えてくれたことだ。

父親でも、大人でもない、四つの小さな子が。

だから私は、この頃はもう、我慢をしない。

窯出しのたびに、うまく焼けた器を見ては、少し泣く。

焼き損じを見ては、また泣く。

泣くことは、弱さではなかった。凍てついた心を、もう一度やわらかい土に戻すための、たった一つのやり方だった。

妙子が安心して眠れるように。

そして小夜が、いつか誰かを見送る日が来たときに、

「悲しいときは、泣いてええんやで」

と、あの子自身の声で、言えるように。

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