父より一歩先を歩いた山守の犬

指三本ぶんのところにいたもの

毒を持った蛇が、父の足首から、指三本ぶんのところにいました。

三角の頭が、枯葉の色とほとんど見分けがつきません。

父は気づいていませんでした。丸太を渡しただけのベンチに腰を下ろして、水筒の蓋をひねっているところでした。

八月の、風のない午後です。蝉の声が、斜面を下から押し上げるように鳴っていました。

そのとき、茶色の塊が父の膝の前を横切りました。

フクです。

ギャヒン、と、たった一度だけ鳴いて、フクは草の上に転がりました。

吉野の山守という仕事

私の家は、奈良の吉野郡で、代々、山守をしていました。

山守というのは、他所の人が持っている山を、代わりに見て回る仕事です。

木を植え、下草を刈り、枝を打ち、間伐をし、境の杭を確かめる。台風のあとには崩れたところを見に行き、雪の重みで折れた木を数える。

持ち主は、大阪や京都に住んでいて、何十年も山を見に来ないこともあります。それでも山は、毎年、誰かが手を入れなければ荒れていきます。

父は、その山を八つ、預かっていました。

朝、まだ暗いうちに軽トラックを出して、日が傾く前に下りてくる。そういう毎日でした。

「山はな、返事をせえへん」

父はよくそう言いました。

「返事をせえへんもんの世話をするのが、いちばん、性に合うとる」

言葉数の少ない人でした。母に言わせると、若い頃からそうだったそうです。

山を下りると、父は必ず机に向かいました。大学ノートに、その日どこを歩き、何本の木を見て、どこが崩れかけていたかを書きつけるのです。年に二度、それを清書して、持ち主のところへ郵送していました。

返事は、めったに来ません。それでも父は、判で押したように書き続けました。

「読まん人に書くんは、しんどないの」

と、一度だけ訊いたことがあります。

「書いとかんと、山が忘れられる」

私が大阪で働いていた七年のあいだ、父からの手紙は一通も来ませんでした。その代わり、封筒に入れた山の報告書の余白に、鉛筆で一行だけ書いてあることがありました。

「杉、順調」

それが、父から私への便りでした。母が笑って「あんた宛てのつもりやで、あれ」と言うので、私は封筒を捨てられなくなりました。

父は、山を下りるとき、道の脇の石を、必ず一度、積み直しました

子どもの頃、何度か父について山へ入ったことがあります。

そのたびに、不思議に思っていた癖がありました。

父は、山を下りるとき、道の脇の石を、必ず一度、積み直しました。

三合目のあたり、道が二つに分かれる手前に、平たい石が三つ重ねてあるのです。

手のひらより少し大きいくらいの、なんの変哲もない石でした。

父はそこで足を止め、しばらく手を動かしてから、また歩き出します。

「なにしとん」

と訊いたことがあります。

「印や」

それだけでした。

道標だろう、と私は思っていました。山では、分かれ道に石を積んで目印にすることがあります。

だからその答えで納得して、それきり訊きませんでした。

三十年、訊きませんでした。

フクという犬

フクが家に来たのは、私が高校を出て、大阪の会社に勤めはじめた年です。

柴に何かが混ざったような雑種で、耳が片方だけ少し垂れていました。

賢い犬ではありませんでした。少なくとも、私にはそう見えました。

「お手」も覚えませんし、呼んでも来ないことのほうが多い。川を渡るのが下手で、浅いところを選ばずに深みへ入っては、鼻先だけ出して必死に足を掻いていました。

その様子がおかしくて、母が笑いながら見ていたのを覚えています。

ただ、山に入ると、まるで別の犬になりました。

父の前を、ぴったり一歩だけ先に立って歩くのです。

離れすぎもせず、遅れもせず、いつも一歩。

父が立ち止まれば止まり、父が右へ折れれば、その前に自分が右へ折れている。

「よう躾けたなあ」

と、山主の人に言われたことがあります。

父は首を横に振りました。

「わしは、なんも教えとらん」

正月に、父が餅を焼いていて、少し焦がしたことがありました。

もったいないからと土間に置いておいたら、フクが丸ごと呑み込もうとして、目を白黒させました。

母が背中を叩き、父が口に指を突っ込み、大騒ぎになりました。

「山では利口なくせに、家ではあほや」

と父が言いました。あんなに笑った正月は、ほかにありません。

もらってきた経緯も、あとになって聞きました。トヨさんが、こう言ったのだそうです。

「この犬な、家におらんのよ。人が山へ行く支度をはじめると、勝手に外で待っとる」

だから、山へ行く人のところへ、と。父はそのとき、理由を訊かなかったそうです。

ギャヒン、という声

蛇に噛まれたと聞いたのは、大阪の事務所にいたときでした。

母からの電話です。声が上ずっていました。

「フクが、な、蛇に」

父ではなく、犬の名前が先に出てきたので、一瞬、意味がわかりませんでした。

あとで父から聞いた話は、こうです。

父がベンチに座って水を飲もうとしたとき、フクが急に前へ出た。

何をしているのかと思った次の瞬間、ギャヒン、と鳴いた。

草の上でフクが転がり、そこではじめて、父は蛇を見たそうです。

父は携帯電話で母を呼びました。母が軽自動車で林道の入口まで来て、そこから二人でフクを抱えて動物病院へ走りました。

血清が間に合いました。

フクは、一命を取り留めました。

動物病院の待合室で

私が戻ったのは、その日の夜です。

動物病院の待合室に、父が一人で座っていました。

作業ズボンの膝から下が、泥と草で真っ黒でした。

受付の人が「お茶でも」と言うのを断って、ただ、そこに座っていました。

私が隣に腰を下ろしても、しばらく何も言いませんでした。

やがて、父が口を開きました。

「わしが、見とらんかった」

それだけ言って、また黙りました。

爪の先まで泥の詰まった手が、膝の上で、少しだけ震えていました。

私は、父の手が震えているのを、そのとき初めて見ました。

翌日、獣医の西垣先生に、廊下で少し話を聞きました。

「山の犬は、年に何頭か来ますよ。マムシは、たいてい前脚か鼻先です」

先生はレントゲンをしまいながら言いました。

「この子は、胸元でした。まっすぐ入っていったんでしょうね」

横を向いて避けた犬ではなく、正面から入った犬の噛まれ方だ、という意味でした。

「賢い犬は、避けます」

先生はそう言って、少し間を置いてから、こう続けました。

「賢さと、別のものですね、これは」

母が「二度目や」と言った

家に帰ってから、母が味噌汁を温め直しながら、こう言いました。

「あの犬な、二度目やで」

「二度目?」

「三年前、県道でな。お父さんが荷台の縄を直しとったら、上から車が下りてきて。あのときも、フクが先に出たんよ」

そのときは、ぶつかりはしなかったそうです。

ただ、フクが道の真ん中に出て、車が急ブレーキを踏んだ。

「お父さんな、危なっかしいねん。ほんまに」

母は笑っていましたが、笑いの終わりのほうが少し掠れていました。

私も笑いました。父が、犬に守られてばかりいる。それがおかしくて、少しだけ、腹立たしくもありました。

けれど、その晩、布団に入ってから考えました。

なぜ、あの犬は、いつも一歩先に出るのだろう。

躾けたわけでもないのに。

辻さんという山守がいた

フクが退院してから半月ほど経った頃、私は隣の集落の辻トヨさんという方を訪ねました。

フクを譲ってくれたのが、その家だと聞いていたからです。

トヨさんは、縁側で豆を選っていました。八十を過ぎているはずでしたが、手つきは早く、迷いがありません。

「フクなあ」

と、トヨさんは豆から目を上げずに言いました。

「あれは、うちの人の犬やった」

トヨさんのご主人、辻さんという方も、山守だったのだそうです。父の、いちばん最初の師匠でした。

私が生まれるずっと前、父が二十歳そこそこの頃に、山の歩き方を教わった人だと。

「うちの人はな、山で倒れたんよ」

秋の朝でした。一人で見回りに入って、三合目の分かれ道の手前で倒れた。

「フクが、走って下りてきたんよ。麓の作業小屋まで。吠えて吠えて、袖を引っ張って」

人が駆けつけたときには、日が傾いていました。

間に合いませんでした。

「あの犬な、それからやわ。人の前を歩くようになったんは」

帰りぎわ、トヨさんが奥から古い野帳を持ってきました。辻さんが山で使っていた、手のひらほどの帳面です。

表紙が湿気で波打っていて、鉛筆の字はところどころ薄くなっていました。

日付と、歩いた尾根の名前と、木の本数。それだけが、何十頁も続きます。

最後の頁に、こう書いてありました。

「三合目 みち くずれかけ なおす」

倒れた日の朝に書かれたものでした。直しに行く途中だったのです。

「あの人な、道のことばっかり気にしとった」

トヨさんは、豆を選る手を止めませんでした。

「自分が通る道やないのにな」

私は、父が三十年かけて村に願い出た巻き道のことを思い出しました。

あの工事は、父の思いつきではありませんでした。

五十年前に一度、直そうとした人がいて、直せないままになっていたのです。

石が置かれていたのは

私は、三合目の分かれ道の手前、という言葉に引っかかりました。

翌朝、山へ入りました。

父がいつも足を止める場所に、平たい石が三つ、重ねてありました。

その石は、道標ではありませんでした。

道標なら、分かれ道の真ん中に置きます。この石は、分かれ道の十歩ほど手前、道の脇の、なんでもない場所にありました。

辻さんが倒れていた場所です。

そう気づいたとき、背中のあたりが冷たくなりました。

父は三十年、そこへ石を置き続けていたのです。

父は、積む前に、必ず一度、崩していました

その晩、私は父に訊きました。

「あの石、辻さんのやろ」

父は、湯呑みを持ったまま、しばらく動きませんでした。

「山に、墓は作らん」

そう言いました。

「積みっぱなしにしとったら、そこが墓になってまう。山守は、山に墓を作らん」

だから、と父は続けました。

父は、積む前に、必ず一度、崩していました。

崩して、積み直す。そうすれば墓にはなりません。ただの、まだ人が通っている道の印になります。

「わしは、まだ通っとる。それだけの話や」

三十年、父は、一日も欠かさず、その報告をしに行っていたのです。

母は、あとになって、こんな話もしてくれました。

辻さんの葬儀のあと、父は三日間、山に入らなかったそうです。

山守が三日休むというのは、ふつうではありません。台風の翌日でも入る人です。

四日目の朝、父は暗いうちに家を出て、日が暮れてから帰ってきました。

長靴の底に、三合目あたりの赤い土がついていたと、母は言いました。

「なんも言わへんかったよ。晩ごはん食べて、寝てしもうた」

その日から、石が三つになったのだと思います。

フクは、庇っていたのではありませんでした

そして、もうひとつ、わかったことがあります。

フクが父の一歩先を歩くのは、父を守るためだと、私はずっと思っていました。

けれど、違いました。

あの犬は、辻さんが倒れた日、走って下りて、そして間に合わなかったのです。

だから、離れないようになった。

下りて呼びに行っても間に合わないのなら、離れなければいい。一歩先にいれば、走らなくてすむ。

フクは、庇っていたのではなく、間に合おうとしていたのです。

私は、その考えに行き着いたとき、しばらく声が出ませんでした。

犬が、そんなことを考えるはずがない、と言う人もいるでしょう。

それでもかまいません。

私は、そう思っています。

父が、村に頼みに行った

フクが噛まれた年の冬、父は村役場に、林道の一部を付け替えてくれないかと願い出ました。

三合目の、あの分かれ道です。傾斜がきつく、雨のあとに崩れやすい場所でした。

「なんで、いまさら」

と役場の人に言われたそうです。三十年、誰も言い出さなかった場所だからです。

父は、こう答えたと聞きました。

「わしが下りられんようになったら、次の者が通る道やさかい」

工事が入ったのは、その二年後です。緩やかな巻き道が一本、できました。

石を置いた場所は、そのまま残されました。父が、そこだけは触らんといてくれと頼んだからです。

背負って登った最後の秋

フクは、それから六年生きました。

最後の一年は、後ろ足が言うことをきかなくなりました。

それでも、父が支度をはじめると、玄関の土間まで出てきて、動かなくなるのです。

父は、古い米袋を縫い直して、背負子のようなものを作りました。

その中にフクを入れて、山へ登るようになりました。

「重たいやろ」

と母が言うと、

「軽いわ」

と父は言いました。

実際には、二十キロ近くありました。父は六十八になっていました。

三合目まで登って、あの石のところでフクを下ろします。

フクは、そこで座って、山のほうをじっと見ているのだそうです。

父が石を崩して積み直すのを、最後まで見届けてから、また袋に入る。

そういう秋が、一度だけありました。

いまも私は、石をひとつ崩します

父が山を下りたのは、七十四のときです。膝が限界でした。

私は大阪の会社を辞めて、家に戻りました。八つの山を引き継ぎました。

引き継ぎの日、父は八冊の大学ノートを、卓袱台の上に積みました。

山ごとに一冊、三十年ぶんです。角が擦り切れて、輪ゴムで留めてありました。

「これ、全部読むんか」

「読まんでええ」

父はそう言って、いちばん下の一冊を抜き出しました。表紙に何も書いていない、古いノートでした。

辻さんの字でした。

「これだけ、続けてくれ」

頁を繰ると、途中から父の字に変わっていました。境目に線も、断りの一行もありません。ただ、ある日から筆跡が変わっているだけです。

私は、その続きを書いています。表紙には、今も何も書いていません。

いま、私にも犬がいます。フクの血は入っていません。ただの、近所でもらってきた雑種です。

この犬は、私の一歩先を歩きません。だいたい、後ろのほうで匂いを嗅いでいます。

それでいいと思っています。私は、そういう心配をされるような歩き方は、したくありません。

父は八十を過ぎましたが、まだ元気です。ときどき、玄関で長靴を履こうとして母に叱られています。この前は、庭の柿の木に梯子を掛けようとして見つかり、母に長靴を隠されていました。

危なっかしい人です。ほんとうに。

三合目の分かれ道の手前を通るとき、私は毎回、足を止めます。

石は、三つのままです。

私は今日も、石をひとつ崩してから、積み直します。

崩さなければ、墓になってしまうからです。

崩して積めば、まだ通っているという印になります。フクはもういませんが、あの石の前を通るとき、私はいつも一歩ぶんだけ、先を空けて歩いてしまいます。

山は、返事をしません。

それでも、伝わっているような気がしています。

動物が人に何かを返してくれる話は、ほかにも書いてきました。父の仕事道具のそばを離れなかった犬の話は父の道具袋で待っていた犬に、姿を見せなくなったあとで一度だけ戻ってきた猫の話は会いに来てくれた猫にまとめています。よろしければ、そちらもお読みいただければ幸いです。

お読みいただき、ありがとうございました。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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