割れ寒天と四十年の嘘

冬の棚田と二人の後ろ姿

私は四十年、夫に嘘をついていました。

人様に打ち明けるほどの、大それた嘘ではありません。

寒天が好きだと、言い続けただけのことです。

本当は、あの舌ざわりが子どもの頃から苦手でした。

歯を当てるとほとんど手ごたえがなくて、喉のあたりで、ひやりと崩れる。

あの感じが、どうしても慣れませんでした。

けれど嫁いだ先が寒天屋でしたから、口が裂けても言えなかったのです。

私たちの町は、八ヶ岳の西の裾にあります。

白狐野という、字を見ただけでは誰にも読めない名前の土地です。

冬になると、刈り取りの済んだ田んぼに、細い木の枠がいくつも並びます。

その上に、切り分けた心太を隙間なく寝かせていくのです。

夜のうちに凍って、昼の陽で融けて、また凍る。

それを十日ほど繰り返すと水気がすっかり抜けて、驚くほど軽い角寒天になります。

一面が白くなった田んぼは、少し離れて見ると雪原と見分けがつきません。

修一さんはそれを畑に雲を寝かせると言いました。

嫁いで最初の冬にそれを聞いたときは、ずいぶん気取ったことを言う人だと思いました。

けれど夜明けの光が斜めに射してくると、本当に雲でした。

白くて、軽くて、風の強い日には端のほうが浮き上がって飛んでいきます。

飛んだ寒天を追いかけて、長靴で霜を踏み割りながら田んぼを走る修一さんを、私は何度も見ました。

あの霜の、ざくざくという音が、この土地の冬の音でした。

寒天を煮る釜からは、潮の匂いが立ちます。

伊豆や紀伊の海から届いた天草を、朝から晩まで煮溶かすからです。

山の中に住んでいるのに、我が家の台所はいつも磯の匂いがしました。

その匂いだけは、私は最初から好きでした。

修一さんは私の分だけ、いつも小さな片手鍋で煮ていました。

「こっちは味を濃くしてあるでな」

そう言って、大鍋ではなく、脇に寄せてある片手鍋から私の椀に盛るのです。

私は濃い味が好きだと思われているのだとばかり思って、四十年、ありがたく食べていました。

それから、もうひとつ。

割れた寒天だけを、修一さんは毎年べつの木箱に取り分けていました。

干している途中でひびが入ると、その一本はもう売り物になりません。

寒天は見た目が値になりますから、端の欠けたものは問屋が引き取ってくれないのです。

けれど、味も戻り方も、少しも変わりません。

「もったいないでな」

修一さんはそう言って、割れ寒天を新聞紙にくるみ、紙袋に詰めていました。

私はてっきり、親戚か近所に配っているのだと思っていました。

そう思い込んだまま、四十年、一度も行き先を尋ねませんでした。

平成の三年から六年にかけて、私は町の小学校で四年生を受け持っていました。

ちょうどその頃、町外れにあった精密の工場が、仕事をずいぶん減らしました。

親御さんが交替で働きに出ていた家が、いくつも急に静かになりました。

教室の空気というのは、こういうときにいちばん正直です。

朝の会で背筋の伸びない子が、少しずつ増えていきました。

航くんという男の子がいました。

色の白い、まつげの長い子でした。

その年の十二月から、彼はいつも一番に教室へ来るようになりました。

だるまストーブの、いちばん近い椅子に座っているのです。

ある朝、私が石炭をくべに行くと、彼は両手をストーブの胴に張りつけていました。

「熱くないの」

「熱くないです」

触ってみると、彼の指はまるで水道の管のように冷えていました。

私は職員室でお湯を沸かして、湯呑みに入れて持っていきました。

「先生、これ、味がしませんね」

「そうね。ただのお湯だもの、味はしないわね」

「でも、あったかいです」

そう言って、彼は両手で湯呑みを包みました。

飲まずに、しばらく持っていました。

手を温めているのだと、私はそのとき初めて気づきました。

給食の時間になると、航くんは人が変わったように食べました。

おかわりのときだけ、彼は走るのです。

三学期の家庭訪問で、私は彼の家の玄関に立ちました。

戸を開けたお母さんは、私の顔を見るなり、深く頭を下げました。

「うち、恥ずかしいところですけど」

上がらせてもらった六畳の隅に、飴の缶がひとつ置いてありました。

中身は飴ではなく、印鑑と、たたんだ紙が何枚か入っていました。

台所には、醤油と塩と、砂糖の袋しかありませんでした。

お母さんは夜の勤めに出ていて、朝は入れ違いに帰ってくるのだと話してくれました。

「あの子が自分で起きて、自分で行くもんで」

そう言ったあとで、お母さんはしばらく黙っていました。

私も、かける言葉を持っていませんでした。

ただ、畳の上に置いた自分の手が、やけに白く見えたのを覚えています。

その晩、私は夕餉の途中で箸を置きました。

「どうした」

「なんでもないです」

修一さんは、それ以上は聞きませんでした。

この人はいつもそうでした。

聞かないかわりに、黙って湯呑みにお茶を足してくれるのです。

お茶が減っていなくても、足すのです。

あの人の優しさは、いつも急須の形をしていました。

私は結局、航くんのことも、あの飴の缶のことも、何ひとつ話しませんでした。

学校のことを家に持ち込むのは、教師の家の恥だと思っていたのです。

今にして思えば、ただの意地でした。

同じ年の秋に、県の研究校へ来ないかという話が私にきました。

松本の学校へ三年、単身で通う話でした。

教員としては、めったにない機会でした。

けれど寒天づくりは、真冬の四十日がすべてです。

その四十日は、夜中の二時に起きて空を見て、朝の五時には田んぼに出ます。

私が家を空けたら、修一さんは食事も摂らずに冬を越すに決まっていました。

私は職員室の電話で、校長先生に断りの返事をしました。

修一さんには、言いませんでした。

言えば、この人はきっと行けと言う。

行けと言われたら、私は断った理由をなくしてしまう。

そういう、ずるい計算だったのだと思います。

断った翌朝、修一さんはいつもより早く起きて、釜に火を入れていました。

台所に立つと、磯の匂いがもう部屋いっぱいに満ちていました。

「早いですね」

「今夜、冷えるでな」

その日の空は、山の上だけが薄い水色に抜けていました。

この人はこういう空を、四十年見続けてきたのです。

私は自転車の鍵を握って、何か言おうとして、やめました。

その冬も、田んぼには雲が寝ていました。

私は毎朝、その白い列の脇を自転車で通って学校へ行きました。

去年の秋、修一さんが廃業を決めました。

七十二になって、夜中の冷え込みに合わせて起きるのが、体にこたえるようになったのです。

問屋も代替わりして、山の小さな天屋から買う話は、もうほとんど残っていませんでした。

「来年の枠は組まん」

夕飯のときに、それだけ言いました。

私は「そうですか」と言って、それきり何も言えませんでした。

四代続いた仕事を畳むという話を、この人は湯気の立つ味噌汁の前で済ませてしまうのです。

年が明けてから、私たちは作業場の片付けを始めました。

釜を空にして、天草の残りを袋ごと業者に引き取ってもらいました。

枠板を数えたら、二百四十枚ありました。

一枚ずつ拭いて、束ねて、軒下に積みました。

その奥から、あの木箱が出てきました。

杉の、蓋の反った、名前も書いていない箱です。

持ち上げると、拍子抜けするほど軽いのです。

蓋を取ると、中は空でした。

底に、寒天の粉が薄く残っているだけでした。

指でなぞると、指紋の谷にその粉が入って、白く光りました。

「これ、いつも何に使っていたんですか」

「もう使わん」

修一さんは、こちらを見ずにそう言いました。

そして箱を私の手から取って、枠板の上に伏せて置きました。

伏せて置く、という置き方が、少し引っかかりました。

けれどそのときも、私は聞き返しませんでした。

四十年、そうやってきた癖は、六十八になっても抜けないものです。

片付けのあいだ、私はずっとその箱のことを考えていました。

毎年、割れ寒天は一斗ほど出ます。

近所に配るには、多すぎる量です。

そう思いながら、それでも私は口に出しませんでした。

二月の半ばに、町役場の人が家へ来ました。

廃業の届けに、判をもらいに来たのだと言います。

玄関に立ったのは、背の高い、四十を少し過ぎたくらいの男の人でした。

私が茶を出すと、その人は湯呑みを両手で包んで、飲まずにしばらく持っていました。

その持ち方を見た瞬間、胸の奥で何かが鳴りました。

「先生」

「はい」

「四年三組の、航です」

私はしばらく、声が出ませんでした。

まつげの長い、色の白い子が、目の前の男の人の顔の奥から浮き上がってきました。

「大きくなったねえ」

そんな、当たり前のことしか言えませんでした。

航さんは笑って、それから真面目な顔に戻りました。

「今日は、判をもらいに来たんですけど」

「ええ」

「本当は、それだけじゃなくて」

彼は湯呑みを置いて、膝に手をそろえました。

「先生の旦那さんに、うちは冬じゅう助けてもろうたんです」

私は、意味が分かりませんでした。

航さんは、ゆっくりと話してくれました。

あの冬、彼の家の玄関の内側に、毎朝、紙袋が置いてあったのだそうです。

戸に鍵はかかっていませんでした。

袋の中には、新聞紙にくるんだ寒天が、いつも五本か六本。

ときどき、味噌の袋や、卵が二つ、一緒に入っていたそうです。

お母さんは最初、受け取ろうとしなかったと言います。

けれど袋には、鉛筆で書いた紙が一枚入っていました。

「割れとるで、売りもんになりません。捨てるだけです」

その一行があったから、お母さんは受け取れたのだと、航さんは言いました。

「情けをもらったんじゃなくて、始末を手伝ってるんだって思えたって、母がそう言ってました」

私は、湯呑みの縁を見ていました。

顔を上げられませんでした。

「あの寒天、うちでは味噌汁に入れてました」

「味噌汁に」

「はい。戻すと、汁が増えるので」

汁が増える、という言葉が、しばらく耳の底に残りました。

航さんは、四年生の三学期のあいだ、毎朝それを食べて学校へ来ていたのです。

だからストーブの前で、あんなに平気な顔をしていたのです。

「先生に言ったら、先生が学校で気を遣うからって、旦那さんに口止めされました」

私は、そこで初めて泣きました。

五十年近く教壇に立って、子どもの前でも泣かなかった人間が、みっともなく声を出して泣きました。

航さんは何も言わずに、私の湯呑みにお茶を足してくれました。

足し方が、修一さんとそっくりでした。

その晩、台所で私は修一さんの背中に向かって言いました。

「どうして、言わなかったんですか」

修一さんは大根を刻む手を止めませんでした。

「言うたら、お前が学校で気を遣うずら」

「気を遣いますよ。当たり前じゃないですか」

「だから言わん」

まな板の音が、それきりしばらく続きました。

「あの子の家のこと、私は一度も話しませんでしたよね」

「うん」

「どうして知ってたんですか」

「箸を置いたでな」

私は、息が止まりました。

あの晩、私が夕餉の途中で箸を置いた、それだけのことです。

この人はそれを見て、翌朝から紙袋を運び始めたのです。

「松本の話も、断ったんですよ、私」

「知っとる」

「え」

「校長先生に、頭を下げられたでな」

包丁が止まりました。

「うちのせいで、いい先生の道を狭めたって、そう言われた」

「そんなこと」

「わしはあのとき、追いかけて行かんかった」

修一さんは、そこで初めてこちらを向きました。

「行けって言えば、お前が行かんのは分かっとったで」

私たちは、同じ計算をしていたのです。

四十年、背中合わせで、同じ引き算をしていたのです。

「じゃあ、私も言います」

私は、椅子に座りました。

「私、寒天が苦手なんです」

「四十年、嘘をついていました」

修一さんは、少しも驚きませんでした。

大根を鍋に落として、手を拭いて、帳場の引き出しから古い注文控えを持ってきました。

表紙の角が丸くなった、藁半紙の綴りです。

いちばん古い一冊を開いて、私の前に置きました。

備考の欄に、細い鉛筆で佐和子葛でよしと書いてありました。

日付は、私が嫁いだ年の十二月でした。

「葛」

「吉野の葛だ。似とるけど、寒天じゃない」

あの片手鍋の中身は、四十年、ずっと葛だったのです。

私の椀にだけ、雲は入っていなかったのです。

「いつから」

「最初の冬から」

「どうして分かったんですか」

「食べるとき、いっぺん息を止めるでな」

私は、控えの綴りに額をつけました。

藁半紙の、埃と鉛筆の匂いがしました。

この人は四十年、私に嫌いなものを食べさせずに済ませてくれたのです。

そして私は四十年、その嘘に一度も気づかないまま、おいしいと言い続けたのです。

どちらの嘘も、相手を思ってついたものでした。

どちらの嘘も、相手に一度も届いていませんでした。

「もっと早く言えばよかった」

私がそう言うと、修一さんは首を横に振りました。

「言わんでよかったこともある」

「そうでしょうか」

「そうだ」

それから、少し笑いました。

「けど、これからは言ってくれ」

今年の冬、田んぼには枠が組まれませんでした。

朝、雨戸を開けても、白い列はどこにもありません。

刈り跡の残った土がむき出しで、霜だけが薄く光っています。

修一さんは前より少し長く寝るようになりました。

夜中の二時に起きて空を見る癖は、まだ抜けないようですが。

先週、航さんが役場の帰りに寄ってくれました。

お子さんの写真を見せてくれました。

下の子が、まつげの長い、色の白い男の子でした。

帰りぎわに、航さんは玄関で立ち止まって言いました。

「うち、今でも味噌汁に寒天を入れるんです」

「そうなの」

「子どもらは、それが普通だと思ってます」

戸を閉めたあと、私はしばらくそこに立っていました。

あの割れ寒天は、捨てられるはずのものでした。

それが今も、この町のどこかの台所で汁を増やしているのです。

その晩、私は自分で天草を煮ました。

買い置きの最後の袋でした。

台所に、久しぶりに磯の匂いが立ちました。

固まったのを賽の目に切って、二つの椀に分けました。

片手鍋は使いませんでした。

修一さんは、私の椀をじっと見ていました。

「いいのか」

「いいんです」

今年の畑に雲は寝ていませんが、私の椀には、初めて雲が入っています。

口に運ぶと、やはり喉のあたりで、ひやりと崩れました。

四十年前と、少しも変わらない崩れ方でした。

それでも私は、もう一口すくいました。

好きになれたわけではありません。

けれど、この一杯には四十年ぶんの葛が溶けているのだと思うと、飲み下せました。

嫌いなものを食べさせずにいてくれた人と、これからは同じ椀のものを食べていく。

それだけのことが、こんなに遅くなりました。

向かいで、修一さんが何も言わずにお茶を足してくれました。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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