
父が死んだのは、俺が五島列島を撮影している最中だった。
電話が鳴ったのは夕方の四時過ぎで、長崎の夕陽が福江の海に沈みかけているところだった。仕事用のデジカメを三脚に据えて、岩礁に砕ける波を撮っていた。シャッターを切る指が止まって、俺は電話を取った。母の声は最初から震えていた。「お父さんが」という言葉だけで、俺はすべてを理解した。
仕事を放り出して、その日の最終便のフェリーで長崎に向かった。
実家に戻ったのは翌朝の六時だった。父はもう白い布の下にいて、俺が部屋に入ったとき、母は「間に合わなかったね」とだけ言った。
叱責ではなかった。ただの事実だった──それがかえって、胸の奥に石を落とされるようだった。
※
父とは、三十歳を過ぎてからほとんど話をしていなかった。
原因は単純だ。俺が写真家になると言ったとき、父は「そんなもので食えるか」と一言だけ言って、それ以来ずっと口を閉じた。漁師の家の長男が漁師にならないことへの、静かな失望だったのだと思う。
父は長崎県五島列島の福江島で生まれて、三十年以上海に出続けた。夜明け前に起きて、日が沈む前に戻ってくる。その繰り返しだけで、俺と妹を育てた。口数は少なかったが、仕事道具だけはいつも丁寧に扱っていた。網の補修も、船底の塗装も、俺が覚えている限り、手を抜いたことがなかった。
俺が写真を好きになったのは、中学の頃だった。父が持っていた古いカメラを偶然見つけて、何枚か撮ってみたのが始まりだ。ただ、父はそのカメラのことをほとんど語らなかった。押し入れの奥に仕舞い込んだまま、まるでそこにないものとして扱っていた。聞いても「昔のや」と言うだけで、それ以上話してくれなかった。
高校を出てから東京の写真学校に入学した。その時の父の表情は今でも覚えている。なにも言わなかった。ただ飯台の端の醤油の瓶を、ゆっくりと奥に押し込んだ。それだけだった。母だけが「頑張りなさいよ」と言った。
東京に出てからは、年に一度だけ正月に帰省していた。父との会話といえば天気か魚の値段の話で、本当に伝えたいことは何も言わないまま年を重ねた。それが普通のことなのだと、俺はどこかで思い込んでいた。
最後の電話は死ぬ半年前だった。俺が雑誌の仕事で五島列島を何度か撮影していると伝えたとき、父は「そうか」とだけ言って電話を切った。
──「そうか」。
その一言が、ずっと引っかかっていた。怒っているわけでも、認めているわけでもない、ただの「そうか」だった。
海の男というのは、感情を言葉に変えることが不得手なのだと思う。島で育って、島で漁師になって、海の向こうに出ることを知らずに一生を終える人間が、島を出て行った息子にかける言葉を、どれだけ考えたとしても、見つけられなかったのではないかと、今は思う。それでも父は「そうか」と言った。あの一言の中に、父が十年間かけて選んだ言葉がすべて圧縮されていたのかもしれない。
※
葬儀の三日後、俺は実家の荷物整理を手伝うことになった。
父の部屋は、漁師らしく整然としていた。必要なものだけが、必要な場所に置かれている。感傷の入り込む余地のない部屋だった。棚の上には、小さな位牌と、昔の家族写真が一枚だけ飾られていた。俺が七歳の頃のものだ。父の隣で俺が笑っている。あの頃は普通に笑っていたんだな、とぼんやり思った。
押し入れを開けると、奥に古いダンボール箱が一つあった。
「なんで持っていかないのって、言えなかったんよ」
背後で母の声がした。
「あなたに渡そうとしてたみたいで。でも言い出せなくてそのままで」
箱の中に入っていたのは、古い一眼レフカメラだった。
コニカ製の、三十年以上前のモデルだ。黒い革張りのボディは艶を失い、ストラップのナイロン部分は擦り切れて白くなっていた。シャッターボタンの周りにうっすら黒ずみがある。何度も、何度も押された跡だった。
父がこんなものを持っていたとは、一度も知らなかった。そもそも父は、カメラに興味があるとは俺に一度も言ったことがなかった。
カメラを手に取ると、底部のフィルムカウンターに目がいった。三十六枚撮りのフィルムが入っていて、二十七枚まで撮影されていた。
未現像だった。
※
その夜、俺は福岡市内のフィルム現像ができる写真屋を探した。最近ではフィルムカメラを扱う店は減っていて、何軒か電話してようやく翌日仕上げで受けてくれるところを見つけた。
眠れなかった。
父が何を撮っていたのかを考え続けた。漁の風景か、母の料理か、庭の木蓮か。あるいはただの試し撮りで、大した意味のないものかもしれない。だがカメラを箱に入れて、俺に渡そうとしていた──そのことだけが、どうしても頭から離れなかった。
翌日の正午過ぎ、写真屋のカウンターで封筒を受け取った。
店の外のベンチに座って、封を切った。
最初の一枚を見た瞬間、俺の手が止まった。
海だった。
五島列島の、岐宿の入り江だ。
間違いない。俺が三年前に同じ場所で撮った写真と、ほとんど同じ構図だった。岩礁のシルエットと、水平線に落ちる光の入り方まで。
次の写真は、富江港の朝の漁港。
その次は、奈留島の教会へと続く石畳の坂。
その次は、久賀島の旧五輪教会の木の扉。
俺が仕事で何度も通った場所が、次々と現れた。
二十七枚の写真のうち、二十三枚が五島列島で撮られていた。残りの四枚は、実家の縁側と、母が作ったちゃんぽんの丼だった。
写真の裏を確かめると、父の字で場所と日付が書かれていた。
「岐宿の入り江 平成三十一年五月」
「富江港 令和二年一月」
「奈留島 令和三年九月」
父は、俺が仕事で島に来ていた時期と重なるように、同じ場所を歩いていた。
俺が雑誌に写真を発表するたびに、父は雑誌を買って読んでいた。そして俺が撮った場所を地図で探し、フェリーを予約して、自分のカメラを手に島に渡っていたのだ──そのことが、写真の日付を見ているうちにゆっくりと像を結んだ。
封筒の底を探ると、折り畳まれたメモが一枚出てきた。
父の手書きだった。インクが少し滲んでいた。
───
これは、お前が撮った写真と同じ場所を、わしが自分で歩いて撮ったものだ。
渡すつもりはなかったが、現像していないのが残っていたから、捨てるのも変かと思った。
お前のことは、雑誌で読んでいた。毎号、買っていた。
───
たった、それだけだった。
※
父は、俺と同じ場所に、何度も来ていた。
頭の中でその言葉が繰り返された。
声に出すことも、確かめることも、もうできなかった。
父が俺を追いかけていたとは思っていなかった。反対されたまま、どこかで縁が切れたのだと思っていた。雑誌を買っていたことも、島を歩いていたことも、何ひとつ俺には知らせなかった。
なぜ渡そうとして、渡せなかったのか──それはもう聞けない。
母に「雑誌を買っていたのは知っていたか」と聞くと、「本棚に全部並んでたよ、あなたの名前が載っているやつ」と言った。その本棚は、俺の部屋として使っていた場所の奥にある押し入れの横だった。帰省するたびに通っていた廊下の突き当たりに、ずっとあったのだ。俺は一度も気づかなかった。
写真を一枚一枚見ていくと、父のカメラの腕前は俺より下手だった。ピントのずれた写真が三枚あった。水平が傾いているものも多かった。ひとつの岩礁を撮った写真は、光の具合が悪くて真っ暗になってしまっている。
だが、そのことがかえって俺の胸を締め付けた。
父は上手く撮ろうとしていたのではない。
俺が立っていた場所に、ただ立ちたかっただけなのかもしれない。
フェリーの運賃を払って、島に渡って、細い道を漁師の足で歩いた。岐宿の入り江は島の南西部にある。バスもない。歩くか、車を借りるかしなければたどり着けない場所だ。父はどうやってそこまで行ったのか。誰かに頼んだのか。一人で歩いたのか。
分からないことばかりだった。
だが父が几帳面な人間だったことは知っている。几帳面な人間が、俺に渡すつもりだったメモを、あれほど丁寧な字で書くだろうか──いや、丁寧に書いたから俺に渡せなかったのかもしれない。丁寧に書くほど、言葉が重くなっていったのかもしれない。
「そんなもので食えるか」──あの一言は、嫌悪ではなかったのかもしれない。不器用な心配だったのかもしれない。だとしたら俺はそれを怒りだと受け取ったまま、ずっと背を向けていたことになる。
漁師は言葉を海に置いてくる生き物なのかもしれない。一日中、波の音しかない場所で働いていれば、言葉の使い方が違ってくる。父が「そんなもので食えるか」と言ったのは、口にできた唯一の言葉だったのかもしれない。
本当に言いたかったことは、カメラのシャッターの中に入れていたのかもしれない。
※
その翌週、俺は再び五島列島に向かった。
今度は父のコニカを持って行った。カメラを持つということが、父の手の延長線上にあるような気がした。
カメラには新しいフィルムを入れた。ファインダーを覗くと、光の取り込み方が俺のデジタルとは全然違う。世界の全部が少し暗く、少し柔らかく見える。フィルムの粒子の粗さが、なんとなく父の手の感触に似ているような気がした。
岐宿の入り江の岩礁に立ったとき、俺はシャッターを切った。
父が立っていた場所に。父が見ていた海に向けて。
ファインダーの外で、水平線が静かに光っていた。
六月の梅雨の晴れ間の空は、透き通るような水色だった。父が最後にここに立った時も、こんな空だったのだろうか。そんなことが急に気になった。
シャッターを切るたびに、父も同じ音を聞いていたのだと思った。
フィルムが一枚ずつ進んでいくたびに、父も同じ動作をしていたのだと思った。
三十年以上、俺は父の背中しか見てこなかった。
でも父は、ずっと俺の行く先を見ていたのかもしれない。
俺はそれを確かめることはできないし、確かめる必要もないのかもしれない──それでも、岩礁の上に立つたびに、俺は今でもこのことを思うのだ。