
父から荷物が届いたのは、ゴールデンウィーク明けの月曜日だった。
差出人の欄には「木村 聡・沖縄県島尻郡渡嘉敷村」とあった。俺が最後に父の声を聞いたのは、三年と少し前のことだ。祖母の葬儀のあと、「気をつけて帰れ」と言われた。それきりだった。
東京の設計事務所で働き始めてもう六年になる。就職してから実家に帰ったのは、あの葬儀の一度だけだ。父に電話をかけたことも、メッセージを送ったこともない。父からも来なかった。それが俺たち親子の、当たり前だった。
荷物は想像より重かった。宅配業者が「精密機器かもしれないので、横にしないようにしてください」と言って帰った。
※
父は海上自衛官だった。俺が生まれてから二十五年間、長崎、横須賀、那覇と任地を転々とした。俺が小学三年のとき、母と俺だけが鹿児島の母の実家に戻り、父はそのまま単身で動き続けた。帰省は年に一度か二度。それも短かった。
台所で煙草を吸い、新聞を広げ、「ご飯食べたか」と聞く。それで終わりだった。俺が何かを話しかけても、「そうか」「ああ」「うん」の繰り返しで、言葉が続かない人だった。
小学五年のとき、運動会の徒競走で一位になった。母は「お父さんに電話しとき」と言った。俺は嫌だと言った。何を話せばいいのか、わからなかった。それきり、自分から父に連絡することをやめた。
父が定年退職したのは三年前の春だ。退官後、渡嘉敷島に移ったと母から電話で聞かされた。「なんで渡嘉敷なの」と聞いたら、「知らん、あの人が決めた」と母は笑った。
父は六十を過ぎてから、沖縄の離島にひとりで行ったのだ。俺は不思議だとも思わなかった。父はいつもそういう人だった。自分の行き先を、誰にも相談せずに決める人だった。
※
荷物の中身は木の箱だった。縦三十センチ、横五十センチほどの、蝶番のついた合板の箱。開けると、内側に青いフェルトが丁寧に貼られていた。
そこに収まっていたのは、帆船の模型だった。
白い帆を張った、古い洋帆船。マストが三本立ち、甲板には小さな滑車と錨が精密に再現されている。木の部分は長い年月を感じさせる飴色に変わり、ところどころに細かな傷がついていた。ニスが塗られた表面は、光に当てると柔らかく輝いた。甲板の板一枚一枚まで、丁寧に削り出されていた。
一緒に入っていた折りたたんだ紙に、父の字で三行書いてあった。
「完成した。もらってくれ。三十年かかった。」
三十年。
俺が生まれた年に、作り始めたのだ。
手のひらの上に帆船を載せてみた。軽いわけではなかった。木の重さというより、時間の重さが、そこにあるような気がした。俺はしばらく、その帆船を眺め続けた。仕事部屋の蛍光灯の下で、帆船は少しだけ、揺れているように見えた。
※
次の週末、俺は沖縄に飛んだ。
渡嘉敷島へは、那覇の泊港から高速フェリーで一時間ほど。五月の海は穏やかで、慶良間の青が船窓に広がっていた。東京の梅雨には少し早かったが、沖縄はもう夏の空だった。
到着した桟橋には、父が立っていた。
ずいぶん白髪が増えていた。自衛官のときの角張った印象は薄れ、日焼けした顔に深い皺が刻まれていた。腕の太さは変わらなかったが、立っている姿に、かつての制服の圧迫感はなかった。ただの島の老人のように見えた。それが少し、俺には意外だった。
「来たか」と父は言った。
「来た」と俺は答えた。
それだけで、桟橋の向こうに海が広がっていた。五月の慶良間の海は、信じられないほど青かった。水底が透けて見えるほど、澄んでいた。
父の家は、集落の外れにある古い平屋だった。縁側から珊瑚礁が見えた。庭に一本だけ、古いガジュマルが立っていた。台所に行くと、鍋に豚の角煮が煮えていた。昆布と泡盛の匂いがした。
「料理するの」と聞いたら、「退官してからは」と父は短く答えて煙草に火をつけた。
夕食を食べながら、俺は帆船の話をした。
「なんで三十年もかかったの」
父は少し間を置いた。箸をゆっくりと置いてから、口を開いた。
「忙しかったから、少しずつしか作れなかった。任地に木材を持ち歩いて、休みの日に少し削る。それだけのことに、三十年かかった」
「任地に持って行ってたの」
「ああ。長崎から横須賀、横須賀から那覇。ずっと持って行った。転属のたびに木箱に入れて、大事に運んだ」
そうか、と思った。あの帆船は父の単身赴任に、二十五年間ずっと付き合い続けたのだ。
「圭介が生まれたとき、作り始めた。生まれた記念に何か残したかった。それだけだ」
父がそこまで話したのは、俺の記憶の中で初めてのことだった。俺は返す言葉を持たなくて、ただ角煮を口に運んだ。
「船は好きだろ。俺が海自に入ったのは、船が好きだったからだ。お前にも、船を好きになってもらいたかった。そう思いながら作っていた」
それだけ言って、父はまた煙草に火をつけた。縁側の向こうで、夜の海が波音を立てていた。
俺は、鹿児島の子供のころを思い出した。父の乗る護衛艦を見に行ったことがあった。あのとき父は甲板に立っていた。俺の目には遠く、小さく見えた。あの人はずっとそこにいたのかもしれない。ただ、遠かっただけで。
中学二年の夏、父が三日間だけ帰省したことがあった。俺は友人との約束を口実に、二日間家にいなかった。本当は怖かったのだと思う。何を話せばいいのか、わからなかった。最後の夜だけ、俺は食卓に座った。父は黙って飯を食い、俺も黙って食った。
あのとき父は何を思っていたのだろう、と、今になって考える。
※
翌朝、縁側でコーヒーを飲んでいると、父が帆船を持ってきた。
「船底を見てみろ」と言った。
ひっくり返すと、船底の木に、細かい文字が彫られていた。
鑿で刻んだのだろう、浅く細い彫り跡だった。太陽の光を当てると、やっと読める程度の大きさだった。
年号と、一言。
一九九七年 ただいま
一九九八年 ただいま
一九九九年 ただいま
以来、ずっと。
年号が変わるたびに、同じ言葉が続いていた。二〇〇〇年、二〇〇一年、二〇〇二年──途切れずに、二〇二三年まで、二十数年分の「ただいま」が、船底に刻まれていた。
最後の行は──
二〇二四年 ただいま 圭介
俺は、しばらく動けなかった。
帆船を両手で持ったまま、船底を見つめていた。彫り跡は年号ごとに少しずつ字体が違う。若いころの父の筆跡は細くて力があった。年を重ねるうちに、少しずつ柔らかくなっていた。二十数年分の「ただいま」が、父の年齢の変化とともにそこに並んでいた。
俺が小学生のとき。中学のとき。高校のとき。大学のとき。社会人になってからも。
父は毎年、この船底に「ただいま」と彫り続けていた。
俺に言えなかった言葉を、ここに刻んでいた。
誰にも見せずに、ずっと。
「帰れなかった年の分だけ、彫ったんだ。──俺の、ただいまだ。」
父はそれだけ言って、海の方を向いた。
煙草の煙が、潮風に溶けていった。
俺は、目の奥が熱くなるのを感じた。縁側の板目を見つめながら、何も言えなかった。帆船の底に並んだ「ただいま」が、何度も目の前に蘇った。
父は帰れなかった年も、この一言を彫っていたのだ。海の向こうで、任地の宿舎の机の上で、細い鑿を握り締めて、船底に「ただいま」と刻んでいた。
俺はそれを知らなかった。知らないまま、父のことを「言葉の少ない人」だとだけ思っていた。言葉が少なかったのではなく、言葉の置き場所が、ここだったのだ。
父は不器用な人だった。帰省しても「ご飯食べたか」しか言えない人だった。電話もメールもしない人だった。だが毎年、任地の部屋で、この船底に「ただいま」を彫り続けていた。
帰れない年も、彫った。長崎でも、横須賀でも、那覇でも、彫った。
それが父の言葉の、全部だった。
「ありがとう」と言おうとしたが、声にならなかった。
父はこちらを向かないまま、「コーヒー、もう一杯あるぞ」と言った。
俺は、「もらう」と答えた。
※
夕方、桟橋まで見送りに来た父に、俺は言った。
「あの帆船、大事にする」
父は何も言わなかった。ただ、小さく頷いた。
フェリーが岸を離れると、父は桟橋にひとり立っていた。白い半袖シャツが、夕暮れの風に揺れていた。桟橋の支柱に、波が静かに当たっていた。
手を振ると、父も振り返した。
そのとき初めて気づいた──父の手の振り方が、俺とまったく同じだった。ひじから先だけを使う、少し不格好な振り方。いつの間にか俺は、父と同じ手の振り方をするようになっていた。
どこで覚えたのだろう。いつ覚えたのだろう。
父が単身赴任をしていた二十五年間、俺は鹿児島で母と暮らした。父の影響など受けていないと思っていた。話もしなかった。一緒に出かけることも、ほとんどなかった。それなのに、手の振り方だけは同じだった。
血というのは、そういうものなのかもしれない。言葉ではなく、気づかないところで、ひっそりと受け継がれていくものが、あるのかもしれない。
俺はずっと、父から何も受け取っていないと思っていた。だが、もしかしたら、見えない何かが、俺の中にずっと流れていたのかもしれない。
渡嘉敷の海が、だんだん遠くなっていった。
東京に戻って、帆船は棚に飾った。船底を上にして、「ただいま」が見えるように。
朝、出かける前に帆船の前に立つ。夜、仕事から帰ってきてからも立つ。そのたびに、二十数年分の「ただいま」が目に入る。父が任地の宿舎で鑿を握っていた夜のことを、俺は想像するようになった。どんな顔をして、彫っていたのだろう。煙草を一本吸いながら、それとも、何も飲まずに、ただ黙って彫っていたのだろうか。
父は今頃、渡嘉敷の縁側で煙草を吸っているのかもしれない。潮の匂いのする夜の中で、コーヒーを飲んでいるのかもしれない。あの古いガジュマルの下で、波音を聞いているのかもしれない。
来月、また渡嘉敷に行こうと思っている。
今度は俺が、「ただいま」と言いに行く番だと思うから。そう決めたのは、帆船を棚に飾った夜のことだった。