母が見せた涙

母が泣くのを初めて見たのは、俺が二十歳の冬だった。

それまでの二十年間、俺は母の涙を一度も見たことがなかった。

通夜でも、警察の帰り道でも、家庭裁判所の廊下でも。

あの人は、泣かなかった。

うちは、母と俺の二人きりの家だった。

父は俺が四つの年に出て行って、顔もろくに覚えていない。

母は市場の仲卸で帳場に立ち、夕方からは駅前の総菜屋で揚げ物を揚げた。

朝の四時に家を出て、夜の九時に帰ってくる。

そういう暮らしを、二十年続けた人だった。

家は、市場の裏の長屋だった。

二間きりで、冬は隙間風が畳を這った。

それでも母は、玄関に季節の花を欠かさなかった。

市場の花屋が、売れ残りを安う分けてくれるんよ、と言っていた。

貧乏の家に、花だけがあった。

あれは母の、たった一つの贅沢だったのだと、今なら分かる。

小学生の頃、一度だけ母の職場に行ったことがある。

冬の市場は、氷と魚と潮の匂いがした。

ゴム前掛けの男たちが怒鳴り合う中で、母は帳場の隅に立って、かじかむ手で伝票を繰っていた。

指先はあかぎれだらけで、ひびの上にまたひびが割れていた。

「母ちゃんの手、痛くないんか」

「痛いよ」

母は笑って、俺の頭をその手で撫でた。

ざらざらして、温かい手だった。

夜、総菜屋から帰る母は、いつも油の匂いをまとっていた。

売れ残りのコロッケが、夕飯に並ぶ日は御馳走だった。

「またコロッケかあ」

「贅沢言いんさんな」

そう言いながら、母は自分の分のコロッケを、俺の皿にそっと移した。

あの頃の俺は、それに気づかないふりをするのが、精一杯の意地だった。

参観日には、一度だけ母が来たことがある。

小四の秋だった。

教室の後ろに、仕事着のままの母がいた。

授業が終わる前に、母はいなくなっていた。

帳場を三十分だけ抜けて、走って来たのだと、後で聞いた。

「あんたが手ぇ挙げたとこ、見たよ」

その晩の母は、少し自慢げだった。

手なんか、挙げていない。

挙げたのは、隣の席のやつだ。

それでも俺は、訂正しなかった。

正月には、母と二人で市場の初売りに行った。

顔なじみの魚屋が、鯛のあらをただ同然で分けてくれた。

「坊主、母ちゃんの手ぇ見てみい。市場一の働きもんの手じゃ」

俺はその意味を、ずっと分からないでいた。

中学に上がる頃から、俺は曲がり始めた。

うちが貧乏なこと。

父親がいないこと。

授業参観にも運動会にも、母が一度も来られなかったこと。

そういうもの全部が、恥ずかしくて、腹立たしかった。

夜遊びを覚え、学校をさぼり、教師に食ってかかった。

母はその度に頭を下げに来た。

仕事着のまま、油の匂いをさせて、廊下で深々と頭を下げる母を見るのが、俺は何より嫌だった。

担任が家庭訪問に来た晩もあった。

「このままでは、進級が難しい」

母は畳に手をついて、頭を下げた。

俺は隣の部屋で、布団をかぶって聞いていた。

先生が帰った後も、母は俺に何も言わなかった。

ただ台所で、いつもより長く、水音がしていた。

嫌だったくせに、やめられなかった。

一度だけ、母に手を上げかけたことがある。

財布から金を抜こうとして、見つかった夜だ。

振り上げた手を、母は避けなかった。

まっすぐに俺を見て、立っていた。

手は、下ろすしかなかった。

あの夜の母の目を、俺は今でも夢に見る。

高校は一年ももたずに中退した。

働きもせず、先輩の溜まり場に転がり込んで、朝方に帰る毎日。

母はもう、何も言わなくなっていた。

ただ、俺が何時に帰っても、台所には飯と味噌汁が、布巾を掛けて置いてあった。

俺はそれを、食べたり、食べなかったりした。

食べなかった朝、母がそれを黙って自分の弁当に詰め替えているのを、俺は一度だけ見てしまった。

見なかったことにした。

中退を告げた日、母は箸を置いて、長いこと黙っていた。

「そう」

それだけ言って、あとは味噌汁を啜った。

怒鳴られた方が、どれだけ楽だったか。

母の沈黙は、いつも俺の一番痛いところに、静かに沈んでいった。

十八の冬、俺はやってしまった。

先輩に誘われて、造成地の資材置き場から、銅線の束を運び出したのだ。

「余りもんじゃけえ、売っても誰も困らん」

先輩はそう言った。

嘘だと、本当は分かっていた。

深夜の造成地は、霜で白かった。

軍手の中の指先が、痛いほど冷えた。

母もこの寒さの中で働いとるんじゃ、と思った。

思ったくせに、俺は銅線を担いだ。

軽トラの荷台で震えながら、俺はずっと、市場の帳場に立つ母の手を思い出していた。

分け前を受け取った夜は、一睡もできなかった。

天井の木目が、全部母の顔に見えた。

翌朝、俺は一人で交番に行った。

良心が咎めたなんて、上等なものじゃない。

ただ、怖かった。

このまま行ったら、二度と戻れない場所まで行ってしまう気がした。

交番の巡査は、青い顔の俺を見て、まず茶を出した。

「よう自分で来たの」

それから、長い長い一日が始まった。

警察に呼ばれた母は、仕事着のまま飛んできた。

ゴム前掛けを外し忘れて、魚の鱗が袖に光っていた。

母は取調室の外の長椅子で、背筋を伸ばして座っていた。

泣いていなかった。

怒鳴りもしなかった。

係の人に何度も頭を下げて、書類に何度も判を押して、それから俺を連れて帰った。

警察署の玄関を出るとき、母は一度だけ立ち止まって、空を見た。

一月の、灰色の空だった。

「寒うなったねえ」

母が言ったのは、それだけだった。

俺の罪の話は、しなかった。

できなかったのだと、思う。

帰り道、母は一言だけ言った。

「腹、減っとらんの」

俺は、何も答えられなかった。

その晩の食卓には、湯気の立つうどんが出た。

卵が二つ、落としてあった。

うちで卵が二つ出るのは、正月だけだった。

俺は、汁の味が濃いのか薄いのか、まるで分からないまま食べた。

母は向かいで、白湯だけを飲んでいた。

家庭裁判所には、路面電車で行った。

一月の窓ガラスは、内側まで冷え切っていた。

審判は、保護観察になった。

被害弁償は、母が立て替えた。

帳場で数える他人の金は、あんなに速い母の指が、自分の通帳の前では、ずっと止まっていたはずだ。

その姿を思うと、今でも胸の奥が軋む。

市場と総菜屋の給金を、何年も掛けて貯めた金だということは、通帳を見なくても分かった。

帰りの電車は、夕方で混み始めていた。

吊り革につかまる母の手が、目の前にあった。

ひびだらけの、あの手だった。

俺は窓の外を見たまま、ぼそっと言った。

「……ごめん」

しばらく、返事はなかった。

車輪がレールを叩く音だけが、足の下で続いた。

それから母は、窓の外を見たまま、静かに言った。

「お母さんの方こそ、ごめんな」

「……なんで母ちゃんが謝るんじゃ」

「小遣いもろくにやれんで。寂しい思いばっかりさせて。お前が曲がったんは、お母さんのせいじゃけえ」

違う。

違う、違う、違う。

声に出したかったのに、喉が塞がって、出てこなかった。

代わりに、涙が出た。

十八の男が、夕方の路面電車で、声を殺して泣いた。

隣で母は、泣いていなかった。

ただ、俯いて、ひびだらけの手で、俺の背中を一度だけ、ゆっくり撫でた。

市場の朝と同じ、ざらざらして温かい手だった。

電車を降りて、家までの道を、親子で黙って歩いた。

商店街の軒下に、正月飾りの売れ残りが下がっていた。

母は八百屋で、大根を一本だけ買った。

何事もなかったように夕飯の算段をする母の横顔を、俺はその日初めて、まともに見た気がした。

それから、俺は変わった。

変わるしか、なかった。

月に二度、保護司の家に通った。

白髪の元教師で、毎回、茶と最中を出してくれた。

「君の話より、母さんの話をしようか」

そう言って、その人は俺より母のことを心配した。

「あの人はね、君の話をするとき、一度も君を悪う言わんのよ」

帰り道は、いつも足が重かった。

保護観察の面接で紹介された造園会社に、頭を下げて入れてもらった。

親方は、俺の経緯を全部知った上で、一言だけ言った。

「木は、人の昔を訊かんけえの」

意味が分かったのは、ずっと後だ。

最初の仕事は、掃除だけだった。

落ち葉を掃き、道具を磨き、親方の長靴を洗った。

半年経った頃、初めて鋏を持たせてもらえた。

松の枝を一本落とすのに、親方は一時間、後ろで黙って立っていた。

「切った枝は、戻らんけえの」

ぽつりと言われたその一言が、俺には別の意味に聞こえて、しばらく手が動かなかった。

人を裏切った俺を、この人は枝の話で叱っている。

そう思った。

朝は現場で土を運び、石を据え、木を担いだ。

夜は定時制高校に通い直した。

眠くて、何度もノートに顔から突っ込んだ。

検定の前の晩、台所の机で図面を引いていると、母が夜食を置いていった。

握り飯と、沢庵と、湯呑みの白湯。

「早う寝んさいよ」

そう言った母の方が、隣の部屋でいつまでも起きている気配がした。

襖越しの気配に見守られて、俺は朝方まで机に向かった。

それでも辞めなかったのは、意地だった。

定時制の教室には、いろんな年の生まれが並んでいた。

六十を過ぎた漁師のじいさんが、隣の席だった。

「若いうちの学びは、荷にならんけえのう」

消しゴムを借りるたび、そう言われた。

母を安心させたい、という気持ちも、もちろんあった。

でもそれ以上に、あの路面電車の「ごめんな」を、あのままにしておけなかった。

母は相変わらず、朝の四時に家を出た。

俺も朝の五時に家を出た。

台所ですれ違う五分だけが、親子の時間だった。

「行ってきます」

「気を付けんさいよ」

たったそれだけの遣り取りが、あの頃の俺には、じゅうぶんだった。

俺の弁当が、いつの間にか二段になっていた。

現場仕事は腹が減るじゃろう、と母は言った。

売れ残りのコロッケは、もう入っていなかった。

味は、正直、揚げたてより売れ残りの方が好きだった。

そう言ったら、母は変な顔で笑った。

「あんたは昔から、へそ曲がりじゃけえ」

朝に揚げた、揚げたてのが入っていた。

初めての給金が出た日、俺は薬局でハンドクリームを買った。

一番高い、瓶入りのやつだ。

「肌に合うか分からんけえ」と、ぶっきらぼうに渡した。

母は「もったいない」と眉を寄せた。

眉を寄せながら、その晩から毎晩、寝る前に少しずつ使っていた。

ひと月経っても、瓶はほとんど減らなかった。

減らさないくせに、空になっても、母はその瓶を捨てなかった。

台所の窓辺で、あの瓶は今も、輪ゴム入れになっている。

二十歳の冬、造園技能士の検定に受かった。

定時制の担任と親方が、二人がかりで尻を叩いてくれた資格だった。

合格通知が届いた日、俺は封筒を作業着の胸に入れたまま、一日仕事をした。

手を止めるたび、胸の中で封筒が鳴った。

親方には、昼のうちに報告した。

「おう」

それだけ言って、親方は片頬で笑い、俺の頭に手拭いを投げた。

「早う帰って、母ちゃんに見せちゃれ」

夜、台所で母を待った。

九時過ぎ、油の匂いと一緒に母が帰ってきた。

「なんな、まだ起きとったん」

「母ちゃん。ちょっと、見せたいもんがあるんじゃ」

俺は、封筒を差し出した。

母は前掛けで手を拭いてから、両手でそれを受け取った。

中の紙を開いて、しばらく黙っていた。

「……難しい字ばっかりで、母さんにはよう読めんけど」

「合格、いうことじゃ。国家資格じゃけえ、いっぱしの職人いうことよ」

「……そう。……すごいんじゃねえ」

「それでな、母ちゃん」

俺は、ずっと言えなかったことを、やっと言った。

「俺、もう大丈夫じゃけえ。二度と、母ちゃんを裏切らんけえ」

母は、返事をしなかった。

返事の代わりに、崩れるように椅子に座って、声を上げて泣き出した。

両手で顔を覆って、子どもみたいに、しゃくり上げて泣いた。

合格通知が濡れんように、机の端に、きちんと置いてから。

俺は、立ち尽くした。

二十年間、この人の涙を一度も見たことがなかった。

警察でも、裁判所でも、泣かなかった人が、こんな紙切れ一枚で泣いている。

そこでようやく、俺は気づいたのだ。

母は、俺の前で泣かなかったんじゃない。

泣けなかったのだ。

母親が折れたら、この家は終わりだと、たった一人で歯を食いしばっていたのだ。

俺が眠った後の台所で、この人が何度泣いたか、俺は知らない。

知らないまま、二十年、守られていた。

台所の流しに、洗いかけの湯呑みがひとつ、伏せてあった。

母が毎晩、一人きりの台所で茶を飲んでいた湯呑みだ。

二十年、この湯呑みだけが、母の傍にいたのだ。

そう思ったら、もう駄目だった。

「……なんで母ちゃんが泣くんじゃ」

「嬉しいんよ」

母は顔を覆ったまま、くぐもった声で言った。

「嬉しゅうて泣くのは、初めてじゃけえ。……堪忍な、止まらんのよ」

俺も泣いた。

母より泣いたかもしれない。

台所の電灯の下で、親子二人、いつまでも泣いた。

途中から、どっちが泣いているのか、分からなくなった。

二十年分の涙というのは、一晩では、とても流しきれないものだった。

机の端の合格通知だけが、濡れずに残った。

あれから十五年になる。

親方は五年前に隠居して、俺は暖簾を分けてもらった。

今は若いのを一人、預かっている。

昔の俺と同じ目をした、口の悪いやつだ。

「木は、人の昔を訊かんけえの」

俺は受け売りの言葉を、そのまま渡した。

分かる日が来るのか、来ないのか。

それでも飯だけは、毎日食わせている。

あの頃の俺に、台所の布巾を掛けた飯がそうだったように。

俺は今も庭木を相手に働いている。

いっぱしの職人になったかどうかは、まだ自分では分からない。

母は市場を退めて、今は家の小さな庭で、野菜を作っている。

春には豆、夏には茄子、冬には大根。

出来の悪いのばかり俺に寄越すのは、昔のコロッケと同じ理屈らしい。

「不細工なんが、いちばん味がええんよ」

俺が仕立てた庭だ。

柚子の木の下に、母の好きな山茶花を植えた。

冬になると、母は縁側でそれを眺めながら、茶を飲む。

去年の冬、初めて母を温泉に連れて行った。

一泊だけの、近場の宿だ。

母は湯上がりに宿の庭の山茶花を見つけて、うちのより立派じゃねえ、と笑った。

それから、すぐに言い直した。

「うちのがええよ。あんたが植えたけえ」

その一言を、俺はしばらく忘れられなかった。

あかぎれは、もうない。

それでも母の手は、ざらざらして、温かいままだ。

この間、ふと訊いてみた。

「あの合格通知、まだ持っとるん」

「仏壇の引き出しに入っとるよ」

母は当たり前のように言った。

「お守りじゃけえ」

仏壇の引き出しには、もうひとつ入っているものがある。

あの家庭裁判所の日の、路面電車の切符だ。

二枚、並べて。

母がなぜあの日の切符を取っておいたのか、訊いたことはない。

訊かないまま、俺も自分の財布に、初任給でハンドクリームを買った日の領収書を入れている。

親子というのは、そういうものなのかもしれない。

俺はもう、何も言えなかった。

親孝行は、まだ途中だ。

けれど、あの夜の涙の意味を忘れない限り、道を間違えることは、もう二度とないと思う。

母さん、あの時、泣いてくれてありがとう。

あなたが泣けなかった二十年を、これからの二十年で、笑いに変えていくから。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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