鏡のない部屋とカレンダーの凹み

窓辺の陽だまりで髪を切る午後

「耳の上、二分でお願いします」

十年のあいだ、桐生さんの注文はその一言きりだった。

五月台団地の四棟三階、角から二番目。

錆びた鉄の階段を上がっていくと、扉はいつも細く開いている。

チャイムを押したことは、一度もない。

わたしは訪問理容師をしている。

軽自動車の後ろに折りたたみの椅子とバリカンと霧吹きとケープを積んで、市内の団地と、在宅で介護を受けている家を回る仕事だ。

ひとり四十分。多い日で六軒。

雨の日は坂でタイヤが鳴くから、五分早く家を出る。

五月台は丘のてっぺんにある。

昭和の終わりに建った県営の団地で、エレベーターがない。

だからこの丘には、外へ出られなくなった人が残る。

膝の軟骨がすり切れた人。腰が前に曲がった人。段を降りるのが、ある日突然こわくなった人。

髪を切るためだけに階段を四十段降りることが、この世でいちばん難しい用事になってしまった人たちだ。

桐生さんは、そのひとりだった。

七十四歳。もとは団地の配電と給湯を見ていた電気工。

右の膝から下に、鉄の芯が入っている。

十年前、はじめて訪ねた日のことを、わたしはよく覚えている。

玄関の三和土に、新聞紙が一枚、四つに折って敷いてあった。

角が、定規を当てたように揃っていた。

「几帳面な方なんですね」

そう言うと、桐生さんは何も答えずに椅子に腰を下ろした。

その日はそれきり、ほとんど言葉がなかった。

部屋は六畳と四畳半。

台所に片手鍋がひとつ。窓辺に古いラジオがひとつ。

物が少ない、というのとは少し違った。

置くはずのものが、はじめから置かれていない部屋だった。

桐生さんの部屋には、洗面所にも玄関にも、鏡がなかった。

狭い部屋だから物を減らしているのだと、わたしは思っていた。

切り終えると、桐生さんは決まって壁の前に立ち、カレンダーを指先で押した。

ぐ、と紙を押し込むような、短い仕草。

次の予約日を確かめているのだと思っていた。

「じゃあ、来月も」

「はい。第三木曜に」

それが十年、繰り返された。

五月台の仕事は、正直に言えば実入りが悪い。

市の在宅理容の助成が一回につき千二百円、あとは自己負担。

ガソリン代を引くと、駅前で店を構えていた頃の三分の一にもならない。

それでもわたしがこの丘を離れないのは、ここの人たちが、わたしの手を待っているからだ。

三〇二の宮下さんは、扉を開けた瞬間から喋りはじめる。

「佐倉さん、この前のあれ聞いた? 二棟の田村さんとこの息子さんがね」

髪を濡らしても、耳を折っても、口が止まらない。

切り終わるころには、団地の一週間ぶんの出来事がわたしの中に全部入っている。

帰りぎわには必ず、タッパーに入った煮物を押しつけられる。

味が濃い。ひどく濃い。

けれど断ると、次の月は喋ってくれない。

一棟の岡本さんの部屋には猫が四匹いて、床にケープを広げると三匹が乗ってくる。

切った髪と猫の毛が混ざって、帰りの車の中でくしゃみが止まらなくなる。

それでも岡本さんは、わたしが来る日だけは布団を畳んでいる。

そういう小さなことに、わたしはずいぶん助けられてきたのだと思う。

わたしには、娘がひとりいる。

二十六になる。

最後に声を聞いたのは、四年前の秋だ。

駅前の店を畳んだ日、わたしは娘に何も言わなかった。

言えなかった、という言い方はずるいのだと思う。

ただ、シャッターを下ろす音を、あの子に聞かせたくなかった。

店は、わたしの父から継いだものだった。

赤と青の細い筒が回っていて、椅子が三台あって、娘は小学校から帰るとその一番奥の椅子に座って宿題をしていた。

あの子が高校に上がった年、駅の反対側に千円の店ができた。

それから五年かけて、椅子はひとつずつ減っていった。

畳んだあと、わたしは軽自動車を買って、道具を積んで、丘を上がりはじめた。

ある夜、娘が言った。

「お母さんはさ、人の頭ばっかり見てるよね」

台所で、背中を向けたまま言われた。

「わたしの顔、最後にちゃんと見たの、いつ?」

わたしは、そのとき手にしていた霧吹きの水を捨てに立った。

返す言葉を探しているうちに、あの子は自分の部屋の戸を閉めていた。

翌々月、娘は家を出た。

電話をしても出ない。

いつからか、呼び出し音が一度も鳴らずに切れるようになった。

それでもわたしは、月に一度だけ、掛けることをやめなかった。

第三木曜の、桐生さんの帰りに。

丘の途中に車を停めて、街が薄く光りはじめるのを見ながら、一度だけ。

鳴らない音を聞いて、それから山を下りる。

桐生さんは、めったに喋らなかった。

けれど無愛想というのとは違った。

わたしが霧吹きを構えると、少し顎を引く。

耳のうしろに指を添えると、そこだけ力を抜く。

十年やっていると、その加減で機嫌が分かるようになる。

訪問の理容には、店の仕事にはない手順がいくつもある。

まず、洗面器に湯をもらう。

桐生さんの家は給湯器が古くて、蛇口をひねってから湯になるまで、たっぷり十数える。

その間に、首にタオルを二重に巻く。

ここが甘いと、切った髪が背中に落ちて、肌の弱い人は次の月まで痒がることになる。

それから霧吹き。てっぺんから、三度。

耳を親指で前へ折って、その裏を刈る。

人の耳は、思っているよりずっと柔らかい。

店にいたころ、父はよく言っていた。

「耳を折るときに力の入る奴は、客を見とらん」

切った髪は掃かずに、新聞紙ごと畳んで持ち帰る。

そのほうが、部屋に何も残らない。

冬の日、部屋に入るなり桐生さんが言ったことがある。

「あんたの手は、冷たいな」

「すみません。今日はいちだんと」

「謝るな」

それだけ言って、桐生さんは黙った。

窓の外で、丘の下の国道が、細い川みたいに光っていた。

ラジオはいつも点いていた。

春と秋は相撲、それ以外は昼の番組。

音が小さいので、バリカンを止めた一瞬だけ、アナウンサーの声が部屋に戻ってくる。

「桐生さん、テレビは観ないんですか」

いつだったか、そう訊いたことがある。

「ラジオのほうが、よう分かる」

それだけだった。

わたしは、頑固な人なのだと思った。

思っただけで、それ以上は何も考えなかった。

四年ほど前、丘のあたりが一晩まるごと停電したことがある。

台風が電線に木を倒した夜だった。

翌日わたしが訪ねると、四棟の階段の電球だけが点いていた。

宮下さんが言うには、桐生さんが真っ暗なうちに杖をついて降りて、配電盤の蓋を開けたのだという。

「懐中電灯も持たないでさ。あの人、こわくないのかね」

わたしは、電気屋の勘というのはたいしたものだと思った。

そのときは、ただ、そう思っただけだった。

切り終えたあと、桐生さんは必ず自分の手で頭を撫でる。

てっぺんから、耳の上へ。もう一度、うなじへ。

それから、うん、と小さく言う。

「ちょうどいい」

鏡も見ずに、そう言うのだ。

正直に言えば、わたしはその一言を、月に一度の勲章のようにして生きていた。

千円の店に負けて、娘に背中を向けられて、丘を上がるしかなくなった女の、たったひとつの手ごたえ。

この人は、鏡を見なくていいくらいわたしの腕を信じている。

そう思っていた。

十年、思い違えていた。

去年の秋、五月台の掲示板に紙が貼られた。

建て替えの説明会の案内だった。

四棟と五棟から順に取り壊し、住民は市内三か所の集合住宅に振り分けられる。

説明会の日、集会所には三十人ほどが集まって、そのほとんどが途中で帰った。

耳が遠くて、聞こえなかったのだ。

宮下さんは、めずらしく一言も喋らずに座っていた。

「佐倉さんさ」

帰り際、宮下さんが言った。

「みんな、ばらばらになっちゃうんだね」

桐生さんは、説明会に来ていなかった。

四棟でただひとり、欠席だった。

あとで理由を訊くと、こう言った。

「紙を配られる場所は、行っても仕方がない」

わたしは、集会所までの坂が急だからだと思った。

その晩、わたしは台所で電卓を叩いた。

丘の四十人のうち、ここに残る人はひとりもいない。

市の助成は、住所が変われば申請をやり直すことになる。

やり直せば、そのうちの何人かは、そこで途切れる。

途中まで叩いて、わたしは電卓を伏せた。

出てくる答えを、見たくなかった。

その一週間後、桐生さんが階段で転んだ。

踊り場までの五段を、鉄の芯の入った足で降りようとしたらしい。

右の手首と、肋を二本。

知らせてくれたのは、三〇二の宮下さんだった。

「救急車、わたしが呼んだんだからね」

電話の向こうで、宮下さんは泣いていた。

桐生さんは市民病院に三週間いて、それから、丘を下りた先の介護つきの施設に移ることになった。

四棟の部屋は、引き払われることに決まった。

荷物の整理は、遠縁の甥御さんが業者を手配するという話だった。

けれど施設の面会室で、桐生さんはわたしに言った。

「あんたに、頼めんか」

包帯を巻いた手を膝に置いたまま、まっすぐ前を向いて。

「業者に触られたくないもんが、少しある」

わたしは、はい、と答えた。

その「少し」が、どれほど少ないかを、わたしはまだ知らなかった。

十一月の終わり、わたしは四棟の鍵を開けた。

誰も住まなくなった部屋は、二週間で驚くほど冷える。

台所に片手鍋がひとつ。窓辺にラジオがひとつ。

押し入れの上段に、夏布団と、冬の外套。

下段に、段ボールが二箱。

一箱目には、電気工だった頃の道具が入っていた。

ペンチ、テスター、絶縁テープの巻き。

柄の部分に、油の染みた手の形がそのまま残っていた。

いちばん下に、白い杖が一本あった。

握りのところだけが、飴色になっていた。

あの人が使っていたのは、いつも黒い木の杖だった。

白いほうは、一度も表へ出ていないように見えた。

そのときのわたしは、まだ何も分かっていなかった。

二箱目を開けたとき、わたしの手が止まった。

新聞紙だった。

四つに折られた新聞紙が、角を揃えて、びっしりと詰まっていた。

使ったものではない。まだ一度も広げていない、新しい折り目のものばかりだ。

数えると、二十六枚あった。

二年と二か月ぶんだった。

あの人は、わたしが来る日の分を、ずっと先まで用意していたのだ。

枕元に、小さな置き時計があった。

手が触れて、ボタンが押された。

『ただいま、じゅうよじ、にじゅうにふんです』

誰もいない部屋に、機械の声が響いた。

わたしは、時計を持ったまま動けなかった。

もう一度、押した。

『ただいま、じゅうよじ、にじゅうにふんです』

それから、ゆっくりと部屋を見回した。

洗面所にも、玄関にも、鏡がなかった。

鏡がないのではなかった。要らなかったのだ。

壁のカレンダーに、目をやった。

十一月。すでに人のいない部屋で、月だけが進んでいた。

わたしは近づいて、その紙に指で触れた。

第三木曜のところが、へこんでいた。

紙の裏側から、爪の丸みで押し出したような凹み。

十月をめくった。同じ場所が、同じようにへこんでいる。

九月。八月。七月。

カレンダーには、鉛筆の跡が一本もなかった。あるのは、指で押した凹みだけだった。

台所の隅に、去年のカレンダーの束が紐で結わえてあった。

一昨年のも、その前のも。

十年分、あった。

わたしは床に座り込んで、一枚ずつ、紙をめくった。

指の腹で、月を撫でるようにして。

百二十回。ひと月にひとつずつ、へこみがあった。

紙のいちばん薄いところは、指が通って、小さな穴になっていた。

そして、十一月の次をめくったとき、わたしは息を止めた。

来月の第三木曜にも、もう凹みがついていた。

階段から落ちるより前に、あの人は、次の約束を押していたのだ。

その足で、わたしは丘を下りた。

施設の面会室は、暖房が効きすぎていた。

桐生さんは窓際の椅子に座って、ガラスのほうを向いていた。

「桐生さん」

声をかけると、顔がわずかに動いた。

目は、こちらへは向かなかった。

「新聞紙、二十六枚ありました」

桐生さんは、少し笑ったようだった。

「そんなに溜めたか」

「時計も、お持ちしました」

わたしは、それ以上うまく言えなくなった。

膝の上で、自分の手を握っていた。

「いつからですか」

やっと、それだけ訊いた。

桐生さんは、しばらく黙っていた。

「四十のころから、じわじわとな」

窓の外を向いたまま、そう言った。

「五十で、電気は触れんようになった。あんたが来はじめたころは、もう手元だけだ」

「今は」

「明るいか、暗いか」

それだけだ、と桐生さんは言った。

「桐生さん」

声が震えた。

「じゃあ、わたしの切った髪は」

ずっと信じてもらえていたと思っていた。

ちょうどいい、と言われるたびに、この十年をどうにか肯定できていた。

それが、根こそぎ崩れた気がした。

桐生さんは、包帯の巻かれた手を持ち上げて、自分の頭を撫でた。

てっぺんから、耳の上へ。もう一度、うなじへ。

いつもの手つきだった。

「分かるさ」

そう言った。

「あんたのは、耳の後ろが、丸い」

わたしは、顔を上げた。

「三年前に一度、あんたが来られん月があったろう。熱を出して」

ある。あった。三年前の二月、インフルエンザで十日寝込んだ。

「甥っ子が理容室に連れてった。その月はな、耳の後ろが、角ばっとった」

桐生さんは、うなじのあたりで手を止めた。

「一日じゅう、そこばっかり触っとったよ」

暖房の音がしていた。

わたしは、自分の手のひらを見ていた。

あかぎれの入った、いつも冷たい、四十七歳の手を。

「桐生さん、どうして毎月なんですか」

目が見えないなら、身だしなみのために月一で切る必要はない。

伸びても、誰も見ていない。あの人自身も、見ていない。

桐生さんは、窓のほうを向いた。

光だけは分かる、と言った目で。

「第三木曜がないとな」

「はい」

「月が、終わらんのだ」

それから、わたしは月に一度、施設の四階へ上がるようになった。

談話室の窓際に椅子を置いて、床に新聞紙を四つに折って敷く。

桐生さんの部屋から持ってきた、まだ二十五枚残っているうちの一枚だ。

職員さんは最初、掃除機があるのにと笑った。

今では、わたしが来る日にはその場所を空けておいてくれる。

その職員さんに聞いた話では、桐生さんは移ってきてすぐ、部屋の洗面台の鏡に手ぬぐいを掛けたのだそうだ。

掃除の人が外すと、翌日にはまた掛かっている。

訊くと、じゃまなんだ、とだけ答えるという。

「耳の上、二分ですね」

わたしがそう言うと、桐生さんは顎を引く。

その加減が、十年前とまったく同じであることに、毎回、少しだけ救われる。

切り終えると、桐生さんは自分の頭を撫でて、うん、と言う。

「ちょうどいい」

わたしはもう、その言葉を勲章だとは思っていない。

あれは、腕への評価ではなかった。

今日も来た、という返事だったのだ。

五月台の四棟は、春に無くなった。

丘の上に、平らな土が広がっている。

宮下さんは市の南のマンションに移って、エレベーターがあることをまだ自慢している。

岡本さんの猫は、三匹まで減った。

わたしは相変わらず、軽自動車に道具を積んで回っている。

去年の十二月、わたしは丘の途中に車を停めて、いつものように娘に電話をかけた。

百十九回目だったと思う。

その日、呼び出し音が鳴った。

三回鳴って、切れた。

それだけだった。

それだけのことで、わたしはハンドルに額をつけて、しばらく顔を上げられなかった。

年が明けて、娘から短い返信が来た。

『店、閉めたって聞いた。なんで言わないの』

わたしは、返す言葉をずいぶん長いこと探した。

それから、こう打った。

『言えなかった。ごめん』

『今は、丘の上の団地で切ってる。もう無くなっちゃったけどね』

返事が来るまで、四日かかった。

『こんど帰る』

娘は、三月の終わりに帰ってきた。

四年ぶりの台所で、わたしたちは長いこと黙っていた。

言いたいことは、たぶん両方にあった。

言えないままの部分も、たぶん両方にあった。

夕方、娘が急に立ち上がって、押し入れを開けた。

わたしの道具箱を引っぱり出して、床に新聞紙を敷いた。

四つに折らずに、そのまま、ばさりと。

「座って」

「え」

「白いの、出てる。うしろ」

わたしは、椅子に座った。

切られる側に座ったのは、父が生きていたころ以来だった。

娘の指が、わたしの耳のうしろに触れた。

冷たかった。

わたしと同じ、冷たい手だった。

バリカンの音がして、それから止まった。

娘が、うしろから訊いた。

「耳の上、二分でいい?」

わたしは、天井を見た。

見えているのに、何も見えなかった。

「うん」

そう答えるのが、精いっぱいだった。

窓の外で、丘のほうが、まだ薄く光っていた。

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