ママの棺
一歳半で母を見送った友人は、母の顔も声も覚えていません。それでも、眠る子の背中を二回叩いてひとつ撫でる手つきだけが、二十一年後の今も彼女の手に残っていました。金…
思い切り泣きたいとき、この場所へ来てください。大切な人を失ったこと、届かなかった気持ち、間に合わなかった言葉——悲しい話には、悲しいからこそ伝わる本当のことが詰まっています。号泣できる実話風短編を集めました。
一歳半で母を見送った友人は、母の顔も声も覚えていません。それでも、眠る子の背中を二回叩いてひとつ撫でる手つきだけが、二十一年後の今も彼女の手に残っていました。金…
余命を隠して兄だけを頼った妹が繰り返した「迷惑掛けてゴメンね」。その言葉が二十年前の冬、簞笥の引き出しの前から始まっていたと知ったとき、兄に残されたものとは。学…
セメントの町で三交替に就いた兄は、夜勤明けの朝、必ず弟の運動靴を爪先だけ外へ向けて直してから上がりました。その小さな癖の本当の意味と、閉めた覚えのない扉。半年前…
祖母は六十年、毎朝仏壇に向かって貴様と呼びかけていました。悪態だと思っていたその一語の意味が、北満の守備隊にいた祖父の残した一枚の薬包紙と最後の軍事郵便で反転し…
浜に流れ着いた浮子は底を上にして置く——それが加瀬浦の決まりごとでした。あの子が繰り返した「うちの印、覚えとって」の意味を、私は四十年かけて知ります。約束の前日…
深夜の土石流で母と妹を失った、十四歳の夏でした。救助にあたった自衛隊員がこぼした「ごめんなぁ」という一言の本当の意味を、私は十九年後、堰堤の草を刈りながら知るこ…
山の観測員だった夫を沢に奪われて四度目の冬。妻は毎朝、三つ目の渡し石を見おろしてから家に戻ります。甘い卵焼き、桜の櫛、所長の夜の電話。一周忌に開いた野帳の余白と…
駅裏の小さな卓球場に、毎日ひとりで通う高校生がいました。彼が球出し機をいちばん速くする理由を、店主は長いあいだ知りませんでした。亡き父と交わした約束と、返せなか…
藍染職人の継母を、私は最後まで「お母さん」と呼べなかった。青い手が苦手だった私を川から押し上げ、そのまま帰らなかった人。遺された日記のダイヤル錠は、私の誕生日で…
十七歳の誕生日に、育ての母だと知らされた私は、母を「おばさん」と呼び、差し出された手紙さえ、その場で丸めて捨ててしまいました。その翌日、母は突然この世を去ります…
祖母の遺品の缶から、一本の木の枝が出てきました。村に伝わる背負い坂の言い伝えと、施設へ向かう車の窓から痩せた腕を伸ばし続けた祖母。親が最後まで口にしなかったこと…
生花店で出会った五つ年上の彼女は、胸の手術の傷をひそかに隠して、私を遠ざけ続けました。書けなかった婚姻届と、押し花の勿忘草に託された最後の手紙。忘れてほしいと願…
港町の小学校で受け持った九歳の柚は、遠足の弁当箱にりんどうを隙間なく並べて持ってきた。白いご飯と焦げた卵焼きを、あの子は仏壇の花で隠していたのだ。母を見送った、…
手を繋ぐとき必ず手首を掴む祖母には、七十年間誰にも言えない夏の記憶がありました。停電の夜の蝋燭の下で初めて語られた、離してしまった妹の手と、届かなかった一杯の水…
南の島の古い桟橋で、日本の歌を口ずさむ老人と出会った。太平洋戦争のさなか、共に陣地を築いた島の若者たちが、日本兵の隊長から浴びせられた一言の暴言。裏切られた——…