一緒に遊んでくれた女の子

公開日: 友情 | 悲しい話 | 長編

公園(フリー写真)

これは私が小学三年生の頃の話です。

両親が離婚して母子家庭となり、一人で居るのが怖かった私は、しょっちゅう児童館へ行っていました。

学童保育という手もあったのですが、当時は希望者が多く、入れる人は本当に少ししか居ませんでした。

児童館に行く時は、必ず友達と行っていました。

一人になるのが怖かったから。

時には男友達とも遊んでいました。

どうしても一人にはなりたくなかったから。

ある日、男友達も友達も児童館に来られない時がありました。

私は怖くて、怖くて、どうしようも無い気持ちで児童館に居ました。

何をすれば良いかも分からなくて、泣きそうになっていた時、

「私、1年生の○○って言うの!一緒に遊ばない?」

一つ下の、一年生の女の子に話し掛けられました。

半泣きの私は震えた声で、

「うん」

と答えました。

それからというもの、友達が来られない日は毎日彼女と遊んでいました。

三年生に上がる頃、学童保育に空きが出来ました。

親は私を心配し、学童保育に入れてくれました。

学童に入ってからは、寂しい思いをせずに済んだので幸せでした。

いつしか、彼女の存在は薄れて行きました。

ある朝、友達と登校していると彼女に話し掛けられました。

「△△(私)ちゃん、おはよう!!」

「あ、おはよ…」

『友達と楽しく話していたのに、邪魔されたなあ…』と思ってしまいました。

その数ヶ月後、彼女のことすら頭に無くなった頃。

朝になって登校すると、先生達が慌ただしく動いていました。

一年生の女の子が何か必死に先生に話していました。

「…それでね!その女の子、倒れてて、鼻から血が凄い出てたの!」

私はドキッとしました。

『まあ、私には関係ないよね…』なんて思い、普通に過ごしていました。

お昼を過ぎた頃、全校放送で朝礼を行うと放送されました。

『昼礼でしょ?』くらいに思いながら、体育館に向かいました。

校長は真っ赤な瞼と目で、震えた唇に赤い顔で、話し始めました。

「二年生の○○さんが今朝、交通事故に遭ってお亡くなりになられました」

『え? あの○○ちゃんが?』

「とてもとても優しい子で、毎朝挨拶をしてくれて…。先生は急いで病院に駆け付けたのですが…っ。その頃には…」

夢であって欲しかった。

ただ、涙は出なかった。

数日後にお別れ会をすると聞き、私は会場に駆け付けた。

会場のホールに入るなり、私は絶句した。

○○ちゃんの綺麗な顔が、一番奥の真ん中に、写真として…遺影として飾ってあったから。

「どうぞ。真ん中の○○ちゃんにあげてください…」

知らないお母さんに花を二つほど渡された。

周りが二年生で溢れる中、三年生の友達が話し掛けて来た。

「ほんと、かわいそうだよねぇ」

「うんうん。あ、△△ちゃん、花あげてきちゃいなよ」

三年生の友達はみんな交流のために来たのか、と言いたくなるほど軽かった。

そして、笑っていた。

私は恐る恐る、人が集まる箱の前に来た。

そこには、花に埋もれた彼女が居た。

綺麗な黒髪は少し短くなっていて、唇がぷるぷるで、ファンデーションを塗っているようで…。

綺麗な顔が化粧で更に綺麗になっていた。

眠っているような顔で、すぐ起きるんじゃないだろうか、なんて思ってしまった。

私はそっと花を置いた瞬間、彼女の肌に触れた。

とても、冷たい。

「まあ、ほんとかわいそうだったよね。まだ小さいのに」

友達が言った。

「そうだよねー。てか今日のあれマジうけなかった!?」

遺体の前で、普通の会話が始まった。

私は許せなかった。

ふと、遺体を見た瞬間、ぼろぼろと音が出るかと思うほど涙が溢れて来た。

そしてやっと、現実を感じた。

初めて、友達の前で声を上げて泣いた。

周りの子はみんな、びっくりして私を見ていた。

『頑張っているからねって、強くなるからねって…』

混濁した頭の中で『三日月』という歌の歌詞が流れ始めた。

それで更に涙が止まらなくなって、気が付いたら服の袖が涙で激しく濡れていた。

私は凄く悲しかった。

何年か経った今でも、あの日々とお別れ会の日は忘れない。

○○ちゃんへ

私はあなたのことを忘れません。

あなたの家族以外のみんながあなたを忘れても、絶対に忘れません。

楽しかった毎日をありがとう。

いつかそこに行ったらよろしくね。

本当にありがとう。

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