身近な人を大切に

市立図書館の児童書コーナーで、私は一冊の昆虫図鑑を棚に戻そうとして、手を止めました。

表紙の隅に、前の持ち主が貼ったらしい小さなラベルが残っていたのです。

「かわのいきもの」。

鉛筆の、力の入りすぎた拙い字。

その八文字を見た瞬間、三十年前の夏の匂いが、胸の奥からせり上がってきました。

川藻の青い匂いと、日に灼けた石の匂い。

堤防の草いきれと、誰かの麦わら帽子の汗の匂い。

私にも、あの人がいたのです。

隣の家に住んでいた、ひとつ年上の章にい。

私の人生でいちばん大切なことを教えてくれて、そして、私がいちばん粗末にしてしまった人。

私が育ったのは、町の真ん中を大きな川が流れる、古い河岸の町でした。

堤防の内側に瓦屋根の商店が肩を寄せ合い、夕方になると水面が銅色に光る。

渡し場の跡には石の常夜灯が残っていて、子どもたちはそこを基地と呼んでいました。

隣の家の章にいは、ひとつ年上なのに、私を子ども扱いしない人でした。

勉強ができて、泳ぎが速くて、それでいて自慢というものをしない。

通知表を見せ合っても、章にいは自分の五の数を数えず、私の三が四に増えたことを喜んでくれる。

一人っ子の私にとって、章にいは本物の兄以上の存在でした。

小学二年の誕生日に、章にいは新聞紙に包んだ細長いものをくれました。

開けると、黒い柄の虫眼鏡でした。

「これで川を見ると、世界が変わるぞ」

そう言って、章にいは得意げに笑いました。

お年玉を貯めて、駅前の文房具屋で買ってくれたのだと、あとでおばさんから聞きました。

それから二人で、堤防の下の浅瀬に何時間でもしゃがみ込むようになりました。

ヤゴの背中の、鎧のような節。

カワニナの殻の、鈍く光る渦。

ヒラタドロムシの、石に貼りつく奇妙に平たい体。

レンズの向こうで、見慣れた川は知らない星になりました。

章にいが自由帳に絵を描き、私が名前と見つけた場所を書き込む。

題して「川の生きもの図鑑」。

「全部で百種類見つけたら、完成な」

「百も居るかなあ」

「居るさ。居なかったら、居るまで探せばいい」

夕立の日には、常夜灯の陰で雨宿りをしました。

雷が鳴ると、章にいはさりげなく私の側に立ち、濡れた石の匂いのなかで平気な顔をしてみせる。

上級生に捕虫網を取り上げられた日も、章にいは先に立ってくれました。

「それ、こいつのだから。返して」

声を荒げるでもなく、ただまっすぐに相手の目を見て言う。

網は戻ってきて、私はその背中を、生涯忘れないだろうと思いました。

夏の終わりには、常夜灯に火を入れる小さな祭りがありました。

川面に映る提灯の列を、二人で堤防の上から眺めるのが決まりでした。

綿あめを分け合いながら、章にいはぽつりと言ったことがあります。

「この川、百年前もこうやって光ってたんだって。じいちゃんが言ってた」

「百年後も光ってるかな」

「光ってるさ。俺たちが爺さんになっても、ここで見ような」

約束というほどのものでもない、夜店の匂いに混ざって消えていくような軽い言葉でした。

けれど私は、その一言を、今もはっきり覚えています。

冬の川も、好きでした。

水が澄んで、夏には見えなかった深みの石まで見える。

かじかむ手に息を吹きかけながら、それでも二人はしゃがみ込んで、真冬のヤゴを探しました。

「寒くないの」と母に呆れられても、章にいと居る川辺は、不思議と寒くなかったのです。

夏の縁側で、氷を鳴らしながら飲むカルピスの味。

章にいの部屋の、日に灼けた畳の匂いと、水槽のぶくぶくという音。

あの頃の私は、そういう日々が永遠に続くと、疑いもしませんでした。

小学四年の秋のことでした。

図鑑の九十三番目を探しに行った帰り道、章にいが土手の途中で、急に膝をつきました。

ふざけているのだと思って笑った私に、章にいは笑い返そうとして、できませんでした。

紙のように白い顔。

額に浮かんだ、季節はずれの汗。

おぶって帰ろうとしましたが、ひとつ上の体は、私にはどうしても持ち上がりませんでした。

通りかかった魚屋のおじさんが、章にいを軽々と担いで、坂の上の医院まで走ってくれました。

あのときの、自分の腕の頼りなさを、今でも夢に見ることがあります。

その日から、章にいは町の外の大きな病院に入院しました。

病名は、誰も教えてくれませんでした。

「疲れが出ただけだよ」と、大人たちは口を揃えました。

面会に行った病院は、消毒液の匂いがして、廊下がどこまでも白かった。

ベッドの章にいは案外元気そうで、私は心底ほっとしたのを覚えています。

「図鑑、持ってきた」

「おう。九十三番、なんだった」

「サワガニ。石の下に居た」

「いいなあ。俺も早く見たい」

談話室の窓からは、遠くにあの川の堤防が、細い線になって見えました。

章にいはパジャマの袖をまくって、点滴の痕を自慢げに見せました。

「注射、もう慣れた。目をつぶらないで見てられるんだぜ」

強がりだと、子どもの私にもわかりました。

わかったけれど、私はすごいすごいと囃して、二人で笑いました。

帰り際、エレベーターの前まで見送りに来た章にいは、ドアが閉まる直前にひらひらと手を振りました。

白い廊下でひとりに戻っていく背中を、私はガラス越しに見ていました。

あの背中を思い出すたび、いま胸が痛むのは、後の私が何をしたかを知っているからです。

ふた月ほどで退院はできましたが、章にいは学校に滅多に来なくなりました。

外で遊ぶことも、お医者さんに止められたそうです。

だから私は、週末のたびに章にいの家へ上がり込みました。

畳にボードゲームを広げ、飽きると図鑑の続きを相談する。

「九十四番目、なににする」

「ゲンゴロウがまだだ」

「ゲンゴロウは上流の田んぼまで行かないと」

「じゃあ、治ったらな。約束」

川に行けない章にいは、縁側で虫眼鏡を空に向けていることがありました。

「何が見えるの」と聞くと、章にいは真顔で答えました。

「雲の裏っかわ。……冗談だよ。ただの光。でもさ、川に行けなくても、見るものは案外あるんだ」

レンズを覗かせてもらうと、ただの白い光がにじんで揺れているだけでした。

それでも章にいが見ていると言うなら、そこには何かがあるのだろうと、私は思っていました。

帰り際、章にいのお母さんは、いつも玄関の外まで送ってくれました。

「来てくれて、ありがとうね」

日暮れの路地で、深々と頭を下げられるのが、私は不思議でたまりませんでした。

近所のおばさんにも言われました。

「章くんと遊んであげて、えらいわねえ」

はあ、と気の抜けた返事をしながら、心の中で首をかしげました。

『友達の家で遊ぶのに、えらいも何もあるものか』

まだ、言葉の裏を読めない子どもでした。

そのうち治る。また一緒に川へ行ける。

章にいのお母さんも、うちの親も、そう言っていましたから。

異変にはっきり気づいたのは、五年生の冬でした。

章にいの部屋の枕に、髪の毛が幾筋も残るようになったのです。

こたつから出ている腕は、いつのまにか私のより細くなっていました。

日に灼けていたはずの肌は、障子紙のように白い。

並んで歯を磨くと、鏡の中の背丈は、私のほうが高くなっていました。

洗面所の水の冷たさと、章にいの咳の音を、今も冬になると思い出します。

その夜、夕飯の席で母にそのことを話すと、母は箸を置いて、長いこと黙りました。

「章くんはね、悪性リンパ腫という、難しい病気なんだよ」

アクセイリンパシュ、という音の連なりだけが、耳の奥に残りました。

意味は半分もわからないのに、母の顔を見たら、わかってしまいました。

章にいは、たぶん、長くない。

その日から、私は章にいの家に行けなくなりました。

どうしてなのか、当時の私は自分でもうまく言えませんでした。

今なら、言えます。

怖かったのです。

会うたびに細くなっていく腕を、間近で見るのが。

「治ったらな」という約束を、口にする自分が。

帰り際の「ありがとうね」に、なんと応えればいいのか、わからなくなっていくことが。

週末が来るたび、私はわざと遠くの友達と遊ぶ約束を入れました。

章にいの家の前を通らずに済む道ばかり、選んで歩きました。

隣の家なのに、です。

塀一枚向こうの窓を、見ないようにして生きるということを、私はあの歳で覚えてしまいました。

ある晩、居間のテレビで、地方局の特集が流れました。

『病気とたたかう少年』。

画面の中で、章にいが、ベッドの上から照れくさそうに手を振っていました。

枕元には、見覚えのある自由帳が置いてありました。

私は、黙ってチャンネルを変えました。

次の瞬間、頬に母の平手が飛びました。

叩かれた頬の熱さより、母の目に浮かんでいた涙のほうが、ずっと痛かった。

「あんたが今いちばん会いに行かなきゃいけない人は、誰なの」

母の声は震えていました。

わかっていました。

わかっていて、それでも私は、章にいの家の呼び鈴を押せないままでした。

謝る勇気より、逃げる楽さのほうが、子どもの手には届きやすかったのです。

一度だけ、手紙を書こうとしたことがあります。

六年生になった春、新しい便箋を買って、机に向かいました。

「元気ですか」と書いて、消しました。

元気なわけがないと、知っていたからです。

「また川に行こう」と書いて、また消しました。

行けないことを、いちばん知っているのは章にいだからです。

結局、便箋は一文字も埋まらないまま、机の引き出しの奥で日に灼けていきました。

言葉が見つからないから書けないのだと、あの頃の私は思っていました。

違うのです。

どんな言葉を選んでも、会いに行かない自分の言い訳になってしまうことが、怖かったのです。

次に章にいに会ったのは、六年生の三月でした。

章にいは、白い花に埋もれて、箱の中にいました。

二年ぶりに見る顔は、記憶よりずっと小さくなっていました。

それなのに口元だけが、あの得意げな笑いの形に、かすかに似ていました。

お線香の煙の向こうで、大人たちの黒い背中が揺れていました。

章にいのお母さんが、私を見つけて、そっと背中に手を当てました。

「来てくれたのね。何か、言ってあげて」

怒っているのではない、責めてもいない、ただ静かで優しい声でした。

その優しさが、いちばんこたえました。

私が行かなくなった二年間、章にいはあの部屋で、どんな気持ちで週末の足音を数えていたのだろう。

塀一枚向こうの気配を、どんな気持ちで聞いていたのだろう。

考えたら喉の奥が固まって、とうとう一言も、出てきませんでした。

章にいの顔に触れることも、できませんでした。

四十九日が過ぎた頃、章にいのお母さんが、うちに紙袋を届けてくれました。

中身は、あの自由帳と、黒い柄の虫眼鏡でした。

「章がね、これは隣の君に、って。ずっと枕元に置いてたのよ」

おばさんはそう言って、私の頭を一度だけ、ゆっくり撫でて帰っていきました。

自由帳を開くと、九十三番までの絵が、几帳面に並んでいました。

サワガニのページには、私が病院で話した「石の下に居た」という一言まで、書き足してありました。

行かなくなってからの日付のページには、窓から見えたらしい雀や雲の絵が増えていました。

川に行けない章にいは、それでも図鑑をやめていなかったのです。

そして、九十四番のページ。

そこには絵のない枠だけが描かれ、余白に、細い鉛筆の字がありました。

「ゲンゴロウ、まだ。続きはおまえの目で見つけて描け。百までいけよ」

病室で書いたのでしょう、定規を使わない枠の線は、ところどころ震えていました。

私はその夜、布団をかぶって、声を殺して泣きました。

章にいは、私が来なくなった理由を、たぶん全部わかっていた。

わかった上で、恨み言のひとつも書かずに、続きを私に任せたのです。

何日か経って、私は形見の虫眼鏡を持って、ひとりで縁側ごっこをしてみました。

章にいの真似をして、レンズを冬の空に向けたのです。

にじんだ光の輪の中に、何が見えたわけでもありません。

けれどそのとき初めて、わかったことがありました。

あの虫眼鏡は、川を覗く道具ではなくて、章にいがこの世界を最後まで面白がるための道具だったのです。

ベッドの上からでも、縁側からでも、見るものは案外ある。

そう言い張るための、小さな武器だったのです。

謝る機会は、もう永遠にありません。

けれど約束だけが、九十四番の空白のまま、私の手元に残されました。

葬儀の帰り道、母と二人で堤防を歩きました。

三月の川は雪解けで水かさを増し、鈍い音を立てて流れていました。

「お母さんね、あんたを叩いた日のこと、ずっと謝りたかった」

ぽつりと、母が言いました。

「叩いたって、あんたの足が章くんちに向くわけじゃなかったのにね」

私は首を横に振ることしかできませんでした。

悪いのは母ではない。

けれどそれを言葉にする方法を、まだ持っていませんでした。

常夜灯の前で、母は立ち止まり、小さく手を合わせました。

私も、隣で同じようにしました。

祭りの夜、爺さんになってもここで見ようなと笑った声が、水の音に混ざって聞こえた気がしました。

あれから三十年が経ちました。

私は今、あの川のそばの市立図書館で働いています。

児童書のコーナーには、貸し出し用の虫眼鏡のかごを置きました。

「これで川を見ると、世界が変わるよ」

図鑑を抱えてくる子どもたちに、私は章にいの受け売りを言います。

先週も、常連の男の子がかごの前で迷っていました。

「魚とりに行きたいけど、弟が小さいから連れてけないんだ」

「連れて行っておやり。弟さんの分も、貸してあげるから」

少し考えて、男の子は虫眼鏡をふたつ、大事そうに持って行きました。

ああいう後ろ姿を見送るたび、胸の奥で、川の音がします。

夏には、図書館の行事として、川の観察会も始めました。

救命胴衣をつけた子どもたちが、浅瀬にしゃがんで歓声を上げるのを、私は堤防の上から数えます。

章にいが私にしてくれたことを、名前も知らない誰かの弟や妹に、順繰りに手渡していく。

それが、返しそびれた恩の、私なりの返し方です。

観察会の終わりに、子どもたちは濡れた手で、見つけた生きものの数を競います。

その真剣な横顔のどこかに、あの夏の章にいの顔が、ふっと重なる瞬間があるのです。

あの自由帳の図鑑は、九十九番まで進みました。

ゲンゴロウは、五年前の夏、上流の田んぼでようやく見つけて、震える線の枠の中に描き入れました。

百番目だけは、まだ空けてあります。

そこに何を描くべきか、本当はもう決めているのですが、もう少しだけ、探すふりをさせてもらうつもりです。

身近な人ほど、いつでも会えると思ってしまう。

けれど「いつでも」は、思っているよりずっと短い。

会える人には、会える今日のうちに会っておく。

それを教えてくれた人に、私はもう会えません。

だから今年も、線香を上げに行きます。

仏壇の写真の章にいに、九十九番まで進んだ図鑑を見せに行くのです。

「百まで、もうすぐだよ」

あの日どうしても出てこなかった言葉の続きを、これからも少しずつ、届けに行くのです。

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