先日、小学五年生になる娘が、机に向かって、何か一生懸命に書いているのを見つけました。
のぞき込もうとすると、あわてて隠そうとします。けれど、便箋の上のほうに「おかあさんへ」と書かれているのが、ちらりと見えました。
それは、もう何年も前に亡くなった、妻への手紙でした。
「ちょっとだけ、見せてくれないか」
そう言って、私は娘の手紙を、少しだけ読ませてもらいました。
まだ拙い字で、けれど、会ったこともない母への思いが、いっぱいに詰まっていました。
胸の奥が、熱くなりました。
だから私は、その夜、娘に、妻のことを話してやることにしたのです。
少しくらい、昔の話をしても、許されるでしょうか。
あの雨のバス停で、私がもし、傘を差し出す勇気を持てなかったら。今の私も、娘も、ここにはいませんでした。
人見知りの私にできた、たった一つの勇気が、こんなにも長く、温かいものを、私に残してくれたのです。
※
妻と出会ったのは、私が高校二年の、梅雨のさなかでした。
あの日は、朝から冷たい雨が、絶え間なく降っていました。
私は昔から、人と話すのがひどく苦手で、外を歩くときはいつも、うつむいて、足元だけを見ていました。
その日も、バス停の小さな屋根の下で、一人、バスを待っていたのです。
そこへ、傘も差さずに、びしょ濡れになった同い年くらいの女の子が、駆け込んできました。
肩で息をして、濡れた前髪を、しきりに気にしていました。
私は、どうしていいか分からず、しばらく黙っていました。
けれど、その子があまりにも寒そうに震えているので、思い切って、自分の傘を差し出しました。
「あの、これ、使ってください」
声が、少し裏返ってしまいました。
その子は、きょとんとしたあと、ふわりと笑って言いました。
「ありがとう。でも、二人で入ったほうが、あなたも濡れないよ」
それが、妻との、最初の会話でした。
※
妻は、隣町の高校の生徒で、その日は道に迷っていたのだと、あとから知りました。
私は、傘の中で並んで歩きながら、目的の場所まで、彼女を送っていきました。
雨の匂いと、彼女の濡れた髪の匂いが、一つの傘の下に、ふわりとこもっていました。肩が触れそうで触れない、その距離が、やけに気になったのを覚えています。
別れ際、勇気を振り絞って、私は連絡先を聞きました。今思えば、あんなに大胆なことを、よくできたものです。
それから私たちは、手紙を書いたり、たまに会ったりして、少しずつ、距離を縮めていきました。
人と話すのが苦手な私の、たどたどしい言葉を、妻はいつも、最後まで笑顔で待ってくれました。
出会って二ヶ月ほど経った夏の夕方、意外なことに、妻のほうから「付き合ってほしい」と言ってくれました。
私は、嬉しくて、その場で何も言えず、ただ何度も頷くことしかできませんでした。
それからの休みの日は、ほとんど、二人で過ごすようになりました。
妻と過ごす時間は、人見知りだった私を、少しずつ変えていきました。
彼女は、私のつたない冗談にも、必ず、声を出して笑ってくれました。
海へ行った日のことを、今でもよく思い出します。妻は、貝殻を一つ拾っては、耳に当てて、「波の音がする」と、子どものように喜んでいました。
そのとき拾った小さな桜貝を、妻は、ずっと、お守りのように持っていました。
※
高校を卒業して、私たちは、同じ大学へ進むことを約束していました。
正直に言えば、私の成績では、その大学は難しいと、担任の先生に言われていました。
けれど、妻と同じ場所にいたい。その一心で、私は、生まれて初めて、必死に勉強しました。
合格の通知が届いた日、私はすぐに妻に電話をかけました。
電話の向こうで、妻は、自分のことのように、泣いて喜んでくれました。
あの頃の私は、これから先、ずっとこんな日々が続くのだと、何の疑いもなく、信じていました。
※
その信頼が崩れたのは、二十歳になった、ある秋の日のことでした。
妻が、突然、「別れよう」と言ったのです。
理由も言わず、目も合わせず、ただ、別れよう、と。
私には、何が何だか、まるで分かりませんでした。
どうしても話がしたくて、私は、妻の家へ向かいました。
居間には、妻の両親も、そろっていました。
張りつめた空気の中で、妻が、ようやく、本当のことを話してくれました。
※
妻は、生まれつき、心臓に重い病を抱えていました。
医師からは、二十代の半ばを、無事に越えられるかどうか分からない、と言われているというのです。
「絶対に、あなたに迷惑をかける。だから、これ以上、一緒にいては駄目だと思ったの」
妻は、うつむいたまま、そう言いました。
私は、涙がこみ上げてきました。
けれど、ここで泣いてしまったら、その涙に流されて、妻の決意を、認めることになる気がしました。
だから私は、泣くのをこらえて、できる限りの笑顔を作って、ご両親に向かって言いました。
「僕は、彼女から、数えきれないほどの笑顔をもらいました。そばで笑っていてくれる、それだけで、幸せでした」
「どうか、最後まで、彼女のそばにいさせてください」
もちろん、反対されました。後悔するに決まっている、若いお前に背負えるものではない、と。
それでも、私は引きませんでした。何度頭を下げても、諦めることだけは、できませんでした。
※
長い沈黙のあと、妻が、ふっと笑って、言いました。
「……そういうところに、私は惚れたのかもしれない」
「お父さん、お母さん。私も、最後まで、この人と一緒にいたい」
ご両親は、しばらく黙ったあと、深いため息とともに、ぽつりと言いました。
「……好きに、しなさい」
その一言を聞いたとき、私は、ようやく、こらえていた涙を、こぼしてしまいました。
あとになって、妻のお母さんから、聞いたことがあります。
あの日、私が帰ったあと、ご両親は、二人とも、長いあいだ泣いていたのだそうです。
「あの子を幸せにしてくれて、ありがとう」
結婚式の日、妻のお父さんは、私の手を強く握って、そう言ってくれました。あれほど反対していた人が、です。
※
私たちは、二十二歳で結婚しました。
小さなアパートでの、二人だけの暮らしが始まりました。
私は仕事に就くことができ、家のことは、体に無理のない範囲で、妻がやってくれました。
朝、味噌汁の匂いで目を覚ます。それだけのことが、たまらなく幸せでした。
二人の暮らしは、お金こそ豊かではありませんでしたが、笑い声の絶えないものでした。
妻は、料理が得意で、特に、出汁のよくきいた味噌汁を作るのが上手でした。私は、毎朝その匂いで目を覚ますのが、何よりの楽しみでした。
休みの日には、二人で近所の商店街を、当てもなく歩きました。妻は、店先の総菜を一つ買っては、半分こにして食べるのが好きでした。
夏には、浴衣を着て、近くの神社の小さな夏祭りに出かけました。妻は、はぐれないようにと、私の指を、そっと小指だけでつかんでいました。
ささやかな、けれど、二度とは戻らない、かけがえのない時間でした。
今になって思えば、妻はあの頃から、一日一日を、しっかりと胸に焼きつけようとしていたのかもしれません。
やがて、私たちのもとに、新しい命が宿りました。
妊娠が分かった日、医師には、出産は体に大きな負担になると、厳しく言われました。
それでも妻は、迷いませんでした。「この子を、産みたい」と、はっきり言いました。
私は、妻の手を握って、ただ、泣くことしかできませんでした。
※
娘が生まれたのは、妻が二十四歳の冬でした。
小さな、本当に小さな手で、妻の指を、力いっぱい握り返していました。
妻は、その頃から、ときどき、不思議なことを言うようになりました。
娘の頬を、そっと撫でながら、
「この子は、私が生きた証なの。ねえ、この子のこと、お願いね」
そんなことを、穏やかに微笑みながら、言うのです。
私は、その言葉の意味を、考えないようにしていました。
「何を言ってるんだ。お前が、自分で育てるんだろう」
そう返すのが、精一杯でした。妻は、ただ、静かに笑っていました。
※
娘が一歳になる少し前のことです。
妻が、たくさんの便箋と封筒を、買い込んできました。
「それ、どうするんだ」
私が尋ねると、妻は、迷いのない声で答えました。
「この子の、これからの誕生日に、一通ずつ渡す手紙を書くの」
七歳の誕生日、十歳の誕生日、成人式の朝、そしていつか、この子が母親になる日。
その一つ一つに宛てて、妻は、手紙を書き始めたのです。
娘がまだ覚えてもいない母の声を、未来のその日に、届けるために。
手紙だけではありませんでした。
妻は、一冊の古いノートに、料理の作り方を、ていねいに書き留め始めました。あの味噌汁の出汁の取り方も、娘の好きになりそうな卵焼きの焼き方も。
「あなた、料理は全然だめだものね。これがあれば、なんとかなるでしょう」
そう言って、妻は、いたずらっぽく笑いました。
私が、自分のいなくなったあとの食卓で、娘とちゃんとやっていけるように。妻は、そこまで考えていたのです。
私は、そのとき、ようやく、すべてを理解しました。
妻が、自分に残された時間を、はっきりと数えていたことを。
「……そうか」
私には、それ以上の言葉が、見つかりませんでした。
※
その日は、ある春の朝に、静かにやってきました。
妻が、台所で、倒れたのです。
救急車で運ばれ、私は、ただ、その手を握って、見守ることしかできませんでした。
医師からは、「できる限り、話しかけてあげてください」と言われました。
私は、言われたとおり、ずっと、妻のそばにいました。
やがて、妻が、うっすらと目を開けました。
そして、私を見つけると、なぜか、とても幸せそうに、微笑んだのです。
「どうして、こんなときに、そんな幸せそうな顔をするんだ」
思わず、私は尋ねました。
すると妻は、かすれた声で、こう言いました。
「だって、あなたは泣き虫だから。私が笑ってお別れしないと、悲しいお別れに、なっちゃうでしょう」
私は、もう、こらえきれませんでした。声を出さずに、ただ、涙だけを、ぽろぽろと流しました。
妻は、それを見て、くすっと笑って、言いました。
「ほら、やっぱり、泣き虫」
病室の窓の外では、桜が、満開を迎えていました。
妻は、その花びらが風に舞うのを、ぼんやりと、けれど、いとおしそうに、眺めていました。
「来年も、見られるといいな」
そう、つぶやいた声を、私は、聞こえないふりをしました。聞こえてしまったら、また、泣いてしまいそうだったからです。
握り返してくる妻の手の力が、少しずつ、弱くなっていくのが分かりました。
※
「あなたと結婚できて、私は、本当に幸せだった。ありがとう」
それが、妻の、最後の言葉になりました。
葬儀が終わり、部屋を片づけていると、私は、引き出しの奥から、一通の手紙を見つけました。
私に宛てた、妻からの手紙でした。
震える手で、私は、その封を開けました。
※
そこには、こう書かれていました。
あなたは、本当に私によくしてくれた。いつも、私の予想もしないことばかりして、私を笑わせてくれた。
あの子が生まれて、あなたが泣きながら喜んでくれたとき、産んでよかったと、心から思った。
私はもういないけれど、見えないけれど、ずっと、あなたたちのそばで見ているから。
あなたは泣き虫だけど、あの子の前では、ちゃんと、強いお父さんでいてあげてね。
私は、あなたのことを、ずっと、ずっと、愛しています。
手紙の文字は、ところどころ、にじんで、ゆがんでいました。
涙の、跡でした。
いつも笑っていた妻が、この手紙を書きながら、一人で泣いていたのだと思うと、私は、また、泣いてしまいました。
お前だって、立派な泣き虫じゃないか。
そう胸の内でつぶやきながら、私は、その手紙を、抱きしめるようにして、泣きました。
※
※
妻を見送ってから、しばらくのあいだ、私は、まともに台所に立つことができませんでした。
けれど、娘に、ちゃんとした食事をさせなければなりません。
私は、妻が遺してくれた、あの料理のノートを開きました。
最初のページに、味噌汁の作り方が、几帳面な字で書いてありました。一番下に、小さく、こう添えられていました。
「焦らないで。出汁は、ゆっくり待てば、ちゃんと出るからね」
それは、料理の話のようで、私への、励ましの言葉のようにも読めました。
見よう見まねで作った味噌汁を、まだ幼い娘は、一口飲んで、にっこり笑いました。
「おいしい」
その一言に、私は、菜箸を握ったまま、台所で、こっそり泣きました。妻が毎朝作ってくれた、あの味に、まだ遠く及ばないことが、かえって、ありがたく思えました。これから、何年もかけて、近づいていけばいい。そう思えたからです。
妻は、自分がいなくなったあとの、この食卓のことまで、ちゃんと、守ってくれていたのです。
あれから、もう、長い年月が経ちました。
娘は、毎年、誕生日になると、妻の遺した手紙を、一通ずつ、大切に読んでいます。
娘が七歳になった誕生日のことを、私は忘れません。
その年の手紙には、こんなことが書いてありました。
「七歳のあなたへ。もう、ひとりで靴のひもは結べるかな。できなくても、大丈夫。ママも、ずっと不器用だったから」
それを読んだ娘は、きょとんとした顔で、私に聞きました。
「ねえ、パパ。ママは、わたしが今、何歳か、知ってたの?」
私は、なんと答えればいいのか分からず、ただ、娘の頭を、そっと撫でました。
妻は、自分が見ることのできない娘の成長を、一年ずつ、想像しながら、書いていたのです。
今年の誕生日の手紙には、こう書いてあったそうです。「あなたは、ママが生きた、何よりの証だよ」と。
その手紙を読んで、娘は、自分の母に、手紙を書こうと思ったのだそうです。
※
妻が遺したものは、誕生日の手紙と、料理のノートと、あの小さな桜貝でした。
けれど、本当に遺してくれたのは、そういう形のあるものだけではありませんでした。
うまくいかない日にも、焦らずに、ゆっくり待てばいい。出汁が、ちゃんと出るのを待つように。妻が遺してくれたのは、そういう、生き方のようなものだったと、今では思います。
娘の真似をして、私も、久しぶりに、ペンを取ってみることにしました。
最愛の妻へ。
今、娘は、小学五年生になりました。お前にそっくりで、よく笑う、優しい子に育っています。
今でも、お前のことを思うと、少し、胸が寂しくなります。
けれど、娘と過ごす毎日は、本当に、楽しいものです。仕事も、頑張れています。
だから、お礼を言わせてください。
僕に、数えきれないほどの幸せを、ありがとう。今でも、ずっと、愛しています。
どうか、空の上から、僕たちの幸せを、祈っていてください。
最後に、今日撮った、僕と娘の写真を、同封します。これを見て、また、笑っていてくれ。
僕はもう、昔ほどの泣き虫ではなくなったよ。これも、君のおかげだ。本当に、ありがとう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。