最愛の妻が遺したもの

先日、小学五年生になる娘が、机に向かって、何か一生懸命に書いているのを見つけました。

のぞき込もうとすると、あわてて隠そうとします。けれど、便箋の上のほうに「おかあさんへ」と書かれているのが、ちらりと見えました。

それは、もう何年も前に亡くなった、妻への手紙でした。

「ちょっとだけ、見せてくれないか」

そう言って、私は娘の手紙を、少しだけ読ませてもらいました。

まだ拙い字で、けれど、会ったこともない母への思いが、いっぱいに詰まっていました。

胸の奥が、熱くなりました。

だから私は、その夜、娘に、妻のことを話してやることにしたのです。

少しくらい、昔の話をしても、許されるでしょうか。

あの雨のバス停で、私がもし、傘を差し出す勇気を持てなかったら。今の私も、娘も、ここにはいませんでした。

人見知りの私にできた、たった一つの勇気が、こんなにも長く、温かいものを、私に残してくれたのです。

妻と出会ったのは、私が高校二年の、梅雨のさなかでした。

あの日は、朝から冷たい雨が、絶え間なく降っていました。

私は昔から、人と話すのがひどく苦手で、外を歩くときはいつも、うつむいて、足元だけを見ていました。

その日も、バス停の小さな屋根の下で、一人、バスを待っていたのです。

そこへ、傘も差さずに、びしょ濡れになった同い年くらいの女の子が、駆け込んできました。

肩で息をして、濡れた前髪を、しきりに気にしていました。

私は、どうしていいか分からず、しばらく黙っていました。

けれど、その子があまりにも寒そうに震えているので、思い切って、自分の傘を差し出しました。

「あの、これ、使ってください」

声が、少し裏返ってしまいました。

その子は、きょとんとしたあと、ふわりと笑って言いました。

「ありがとう。でも、二人で入ったほうが、あなたも濡れないよ」

それが、妻との、最初の会話でした。

妻は、隣町の高校の生徒で、その日は道に迷っていたのだと、あとから知りました。

私は、傘の中で並んで歩きながら、目的の場所まで、彼女を送っていきました。

雨の匂いと、彼女の濡れた髪の匂いが、一つの傘の下に、ふわりとこもっていました。肩が触れそうで触れない、その距離が、やけに気になったのを覚えています。

別れ際、勇気を振り絞って、私は連絡先を聞きました。今思えば、あんなに大胆なことを、よくできたものです。

それから私たちは、手紙を書いたり、たまに会ったりして、少しずつ、距離を縮めていきました。

人と話すのが苦手な私の、たどたどしい言葉を、妻はいつも、最後まで笑顔で待ってくれました。

出会って二ヶ月ほど経った夏の夕方、意外なことに、妻のほうから「付き合ってほしい」と言ってくれました。

私は、嬉しくて、その場で何も言えず、ただ何度も頷くことしかできませんでした。

それからの休みの日は、ほとんど、二人で過ごすようになりました。

妻と過ごす時間は、人見知りだった私を、少しずつ変えていきました。

彼女は、私のつたない冗談にも、必ず、声を出して笑ってくれました。

海へ行った日のことを、今でもよく思い出します。妻は、貝殻を一つ拾っては、耳に当てて、「波の音がする」と、子どものように喜んでいました。

そのとき拾った小さな桜貝を、妻は、ずっと、お守りのように持っていました。

高校を卒業して、私たちは、同じ大学へ進むことを約束していました。

正直に言えば、私の成績では、その大学は難しいと、担任の先生に言われていました。

けれど、妻と同じ場所にいたい。その一心で、私は、生まれて初めて、必死に勉強しました。

合格の通知が届いた日、私はすぐに妻に電話をかけました。

電話の向こうで、妻は、自分のことのように、泣いて喜んでくれました。

あの頃の私は、これから先、ずっとこんな日々が続くのだと、何の疑いもなく、信じていました。

その信頼が崩れたのは、二十歳になった、ある秋の日のことでした。

妻が、突然、「別れよう」と言ったのです。

理由も言わず、目も合わせず、ただ、別れよう、と。

私には、何が何だか、まるで分かりませんでした。

どうしても話がしたくて、私は、妻の家へ向かいました。

居間には、妻の両親も、そろっていました。

張りつめた空気の中で、妻が、ようやく、本当のことを話してくれました。

妻は、生まれつき、心臓に重い病を抱えていました。

医師からは、二十代の半ばを、無事に越えられるかどうか分からない、と言われているというのです。

「絶対に、あなたに迷惑をかける。だから、これ以上、一緒にいては駄目だと思ったの」

妻は、うつむいたまま、そう言いました。

私は、涙がこみ上げてきました。

けれど、ここで泣いてしまったら、その涙に流されて、妻の決意を、認めることになる気がしました。

だから私は、泣くのをこらえて、できる限りの笑顔を作って、ご両親に向かって言いました。

「僕は、彼女から、数えきれないほどの笑顔をもらいました。そばで笑っていてくれる、それだけで、幸せでした」

「どうか、最後まで、彼女のそばにいさせてください」

もちろん、反対されました。後悔するに決まっている、若いお前に背負えるものではない、と。

それでも、私は引きませんでした。何度頭を下げても、諦めることだけは、できませんでした。

長い沈黙のあと、妻が、ふっと笑って、言いました。

「……そういうところに、私は惚れたのかもしれない」

「お父さん、お母さん。私も、最後まで、この人と一緒にいたい」

ご両親は、しばらく黙ったあと、深いため息とともに、ぽつりと言いました。

「……好きに、しなさい」

その一言を聞いたとき、私は、ようやく、こらえていた涙を、こぼしてしまいました。

あとになって、妻のお母さんから、聞いたことがあります。

あの日、私が帰ったあと、ご両親は、二人とも、長いあいだ泣いていたのだそうです。

「あの子を幸せにしてくれて、ありがとう」

結婚式の日、妻のお父さんは、私の手を強く握って、そう言ってくれました。あれほど反対していた人が、です。

私たちは、二十二歳で結婚しました。

小さなアパートでの、二人だけの暮らしが始まりました。

私は仕事に就くことができ、家のことは、体に無理のない範囲で、妻がやってくれました。

朝、味噌汁の匂いで目を覚ます。それだけのことが、たまらなく幸せでした。

二人の暮らしは、お金こそ豊かではありませんでしたが、笑い声の絶えないものでした。

妻は、料理が得意で、特に、出汁のよくきいた味噌汁を作るのが上手でした。私は、毎朝その匂いで目を覚ますのが、何よりの楽しみでした。

休みの日には、二人で近所の商店街を、当てもなく歩きました。妻は、店先の総菜を一つ買っては、半分こにして食べるのが好きでした。

夏には、浴衣を着て、近くの神社の小さな夏祭りに出かけました。妻は、はぐれないようにと、私の指を、そっと小指だけでつかんでいました。

ささやかな、けれど、二度とは戻らない、かけがえのない時間でした。

今になって思えば、妻はあの頃から、一日一日を、しっかりと胸に焼きつけようとしていたのかもしれません。

やがて、私たちのもとに、新しい命が宿りました。

妊娠が分かった日、医師には、出産は体に大きな負担になると、厳しく言われました。

それでも妻は、迷いませんでした。「この子を、産みたい」と、はっきり言いました。

私は、妻の手を握って、ただ、泣くことしかできませんでした。

娘が生まれたのは、妻が二十四歳の冬でした。

小さな、本当に小さな手で、妻の指を、力いっぱい握り返していました。

妻は、その頃から、ときどき、不思議なことを言うようになりました。

娘の頬を、そっと撫でながら、

「この子は、私が生きた証なの。ねえ、この子のこと、お願いね」

そんなことを、穏やかに微笑みながら、言うのです。

私は、その言葉の意味を、考えないようにしていました。

「何を言ってるんだ。お前が、自分で育てるんだろう」

そう返すのが、精一杯でした。妻は、ただ、静かに笑っていました。

娘が一歳になる少し前のことです。

妻が、たくさんの便箋と封筒を、買い込んできました。

「それ、どうするんだ」

私が尋ねると、妻は、迷いのない声で答えました。

「この子の、これからの誕生日に、一通ずつ渡す手紙を書くの」

七歳の誕生日、十歳の誕生日、成人式の朝、そしていつか、この子が母親になる日。

その一つ一つに宛てて、妻は、手紙を書き始めたのです。

娘がまだ覚えてもいない母の声を、未来のその日に、届けるために。

手紙だけではありませんでした。

妻は、一冊の古いノートに、料理の作り方を、ていねいに書き留め始めました。あの味噌汁の出汁の取り方も、娘の好きになりそうな卵焼きの焼き方も。

「あなた、料理は全然だめだものね。これがあれば、なんとかなるでしょう」

そう言って、妻は、いたずらっぽく笑いました。

私が、自分のいなくなったあとの食卓で、娘とちゃんとやっていけるように。妻は、そこまで考えていたのです。

私は、そのとき、ようやく、すべてを理解しました。

妻が、自分に残された時間を、はっきりと数えていたことを。

「……そうか」

私には、それ以上の言葉が、見つかりませんでした。

その日は、ある春の朝に、静かにやってきました。

妻が、台所で、倒れたのです。

救急車で運ばれ、私は、ただ、その手を握って、見守ることしかできませんでした。

医師からは、「できる限り、話しかけてあげてください」と言われました。

私は、言われたとおり、ずっと、妻のそばにいました。

やがて、妻が、うっすらと目を開けました。

そして、私を見つけると、なぜか、とても幸せそうに、微笑んだのです。

「どうして、こんなときに、そんな幸せそうな顔をするんだ」

思わず、私は尋ねました。

すると妻は、かすれた声で、こう言いました。

「だって、あなたは泣き虫だから。私が笑ってお別れしないと、悲しいお別れに、なっちゃうでしょう」

私は、もう、こらえきれませんでした。声を出さずに、ただ、涙だけを、ぽろぽろと流しました。

妻は、それを見て、くすっと笑って、言いました。

「ほら、やっぱり、泣き虫」

病室の窓の外では、桜が、満開を迎えていました。

妻は、その花びらが風に舞うのを、ぼんやりと、けれど、いとおしそうに、眺めていました。

「来年も、見られるといいな」

そう、つぶやいた声を、私は、聞こえないふりをしました。聞こえてしまったら、また、泣いてしまいそうだったからです。

握り返してくる妻の手の力が、少しずつ、弱くなっていくのが分かりました。

「あなたと結婚できて、私は、本当に幸せだった。ありがとう」

それが、妻の、最後の言葉になりました。

葬儀が終わり、部屋を片づけていると、私は、引き出しの奥から、一通の手紙を見つけました。

私に宛てた、妻からの手紙でした。

震える手で、私は、その封を開けました。

そこには、こう書かれていました。

あなたは、本当に私によくしてくれた。いつも、私の予想もしないことばかりして、私を笑わせてくれた。

あの子が生まれて、あなたが泣きながら喜んでくれたとき、産んでよかったと、心から思った。

私はもういないけれど、見えないけれど、ずっと、あなたたちのそばで見ているから。

あなたは泣き虫だけど、あの子の前では、ちゃんと、強いお父さんでいてあげてね。

私は、あなたのことを、ずっと、ずっと、愛しています。

手紙の文字は、ところどころ、にじんで、ゆがんでいました。

涙の、跡でした。

いつも笑っていた妻が、この手紙を書きながら、一人で泣いていたのだと思うと、私は、また、泣いてしまいました。

お前だって、立派な泣き虫じゃないか。

そう胸の内でつぶやきながら、私は、その手紙を、抱きしめるようにして、泣きました。

妻を見送ってから、しばらくのあいだ、私は、まともに台所に立つことができませんでした。

けれど、娘に、ちゃんとした食事をさせなければなりません。

私は、妻が遺してくれた、あの料理のノートを開きました。

最初のページに、味噌汁の作り方が、几帳面な字で書いてありました。一番下に、小さく、こう添えられていました。

「焦らないで。出汁は、ゆっくり待てば、ちゃんと出るからね」

それは、料理の話のようで、私への、励ましの言葉のようにも読めました。

見よう見まねで作った味噌汁を、まだ幼い娘は、一口飲んで、にっこり笑いました。

「おいしい」

その一言に、私は、菜箸を握ったまま、台所で、こっそり泣きました。妻が毎朝作ってくれた、あの味に、まだ遠く及ばないことが、かえって、ありがたく思えました。これから、何年もかけて、近づいていけばいい。そう思えたからです。

妻は、自分がいなくなったあとの、この食卓のことまで、ちゃんと、守ってくれていたのです。

あれから、もう、長い年月が経ちました。

娘は、毎年、誕生日になると、妻の遺した手紙を、一通ずつ、大切に読んでいます。

娘が七歳になった誕生日のことを、私は忘れません。

その年の手紙には、こんなことが書いてありました。

「七歳のあなたへ。もう、ひとりで靴のひもは結べるかな。できなくても、大丈夫。ママも、ずっと不器用だったから」

それを読んだ娘は、きょとんとした顔で、私に聞きました。

「ねえ、パパ。ママは、わたしが今、何歳か、知ってたの?」

私は、なんと答えればいいのか分からず、ただ、娘の頭を、そっと撫でました。

妻は、自分が見ることのできない娘の成長を、一年ずつ、想像しながら、書いていたのです。

今年の誕生日の手紙には、こう書いてあったそうです。「あなたは、ママが生きた、何よりの証だよ」と。

その手紙を読んで、娘は、自分の母に、手紙を書こうと思ったのだそうです。

妻が遺したものは、誕生日の手紙と、料理のノートと、あの小さな桜貝でした。

けれど、本当に遺してくれたのは、そういう形のあるものだけではありませんでした。

うまくいかない日にも、焦らずに、ゆっくり待てばいい。出汁が、ちゃんと出るのを待つように。妻が遺してくれたのは、そういう、生き方のようなものだったと、今では思います。

娘の真似をして、私も、久しぶりに、ペンを取ってみることにしました。

最愛の妻へ。

今、娘は、小学五年生になりました。お前にそっくりで、よく笑う、優しい子に育っています。

今でも、お前のことを思うと、少し、胸が寂しくなります。

けれど、娘と過ごす毎日は、本当に、楽しいものです。仕事も、頑張れています。

だから、お礼を言わせてください。

僕に、数えきれないほどの幸せを、ありがとう。今でも、ずっと、愛しています。

どうか、空の上から、僕たちの幸せを、祈っていてください。

最後に、今日撮った、僕と娘の写真を、同封します。これを見て、また、笑っていてくれ。

僕はもう、昔ほどの泣き虫ではなくなったよ。これも、君のおかげだ。本当に、ありがとう。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

ラクリマを応援する

読んでいただけるだけで、十分に励みになります。
当サイトは個人で運営しており、いただいたご支援はサーバー代やドメインの維持費に大切に使わせていただきます。

¥240 の一度きりのお支払いで応援いただけます。
お礼として、以後ずっと広告を非表示にいたします(継続課金はありません)。

くわしく見る →

メンバーなのに広告が表示される方

ブラウザを変えた・Cookieを削除した場合は、登録のメールアドレスを入力してください。