千穂姉ちゃんが待っていたもの
小学三年の夏休み、バス停に毎日立つ中学生の女の子がいました。時計台を見上げ、時刻表の同じ行を人差し指でなぞる。それを何時間も繰り返していたのです。十数年後、同じ…
小学三年の夏休み、バス停に毎日立つ中学生の女の子がいました。時計台を見上げ、時刻表の同じ行を人差し指でなぞる。それを何時間も繰り返していたのです。十数年後、同じ…
耳の聞こえない僕は、物心ついたときにはもう手話が使えました。習った覚えはありません。その理由を主治医が明かしたのは、僕が父に手を上げるようになってからでした。仏…
夜のパン屋で働く恋人とケンカをした晩、俺は謝る代わりに、ごめん用の丸パンを笑う一通を送ってしまった。雪の峠で届くまでに五十七分かかった彼女の最後の一行と、冷蔵庫…
高校二年の十月、古いフリーメールの受信箱を開くと、スパムの底に母のアドレスが六十三通も沈んでいた。遅れて届いた母からのメールの最後の件名は「あとで、でいいよ」。…
四日市の社宅で母が作っていたミートソース。レシピを聞かないまま母を見送った兄弟が、父のひとことをきっかけに四日間かけてその味を追いかけました。缶の内側に残ってい…
山口・宇部の整備士訓練センターで、同期の一人が退所になった秋のこと。三十九人が指を切って押した血判状は届かず、翌週から員数点検の紙が一枚だけ多くなりました。十四…
富山・氷見のグループホームで働いて七年目の冬、二十人の入居者の方々から私あてに大きな花束が届いた日のこと。集会室のカレンダーの裏に八重さんが留めていた十四本のリ…
富山の氷見、網を繕う家の祖母は、月の出る晩だけ雨戸を一枚だけ閉め残した。潮風で網が湿るのに、なぜ。締め忘れだと思っていた孫は、三度の願いごとがどれも叶わないまま…
学生の頃、市立美術館の公募展の受付で、彫刻の審査員の先生と並んで座りました。私が咳をするたびに「手を出しなさい」と言い、のど飴の缶を三度振って、一粒だけ手のひら…
香川・小豆島の全校八十人ほどの中学校で、一年ぶりに退院して戻ってくる同級生のために、弟が誰にも言わずに丸坊主になりました。翌朝の教室は坊主だらけ。島にたった一軒…
岡山・蒜山高原で酪農を営んでいた母は、牛舎のラジオを二十一年ものあいだ、ただの一度も消しませんでした。目を潰されて捨てられ、声を失った猫ナギ。十一年帰らなかった…
県外への進学を、父だけが最後まで大反対しました。理由は一度も言ってくれません。勝手に決めて出て行った娘が、父の車のダッシュボードから折りたたんだ地図を見つけたの…
大分・日田で下駄の台を削っていた父は、三つになる娘が掛け紙で折った空っぽの箱を、二十八年ものあいだずっと枕元に置き続けています。「キッスをいっぱい入れたの」と言…
秋田・大館の曲げわっぱ工房で、妻は樺縫いの最後のひと針だけを、毎晩かならず翌朝へ残していました。妻を失った冬、四つになる娘の一言と、老いた職人の静かな証言が、そ…
徳島の藍師の家に生まれた私は、母が誕生日に必ず作るかきまぜを手抜きだと思っていました。母を見送ったあと、古い飯台の底に刻まれた二百八十七本の線が、四十年の沈黙の…