遅れて届いた母からのメール

パソコンを操作する手(フリー写真)

母は、メールを待つとき、携帯を開いたまま台所に立つ人だった。

二つ折りの小さな画面を、まな板の横に立てかけて。

包丁を動かしながら、ときどき、ちらりと目をやる。

返事が来ていないと、「まだかな」と独り言を言って、また野菜に戻る。

その背中を、僕は毎日、居間から見ていた。

中学三年の春までは、それが我が家の普通の景色だった。

その母からのメールを、僕は一年以上、読まずにいた。

読んでいなかったことさえ、知らなかった。

高校二年の十月、風の冷たい夜のことだ。

古いフリーメールの受信箱に、ふとログインしてみようと思った。

スパムの題名でも眺めて、笑ってやるつもりだった。

画面に並んでいたのは、見覚えのある母のアドレスだった。

何通も、何通も。

これは、遅れて届いた母からのメールを読んで、返事を打つまでの話だ。

プールの塩素と病室

母の肺に影が見つかったのは、中学三年の春だった。

僕が水泳部の最後の一年を迎えたばかりの頃だ。

夕食の席で、父が箸を置いて、「母さんのことで、話がある」と言った。

告知、という言葉を、僕はその夜、初めて聞いた。

母は台所のほうを向いて、洗い物の手を止めなかった。

水の音だけが、やけに大きかった。

そのとき、僕の頭に浮かんだのは、母の体のことではなかった。

生活は、どうなるのだろう。

お金は、大丈夫なのだろうか。

受験は、部活は、どうなるのか。

そんなことばかりだった。

自分でも嫌になるほど、僕は自分のことしか考えていなかった。

翌日、顧問の先生に呼ばれた。

「お母さんのこと、聞いた。無理するなよ」

「大丈夫です」と、僕は答えた。

その日の練習で、僕は自己ベストを出した。

泳いでいる間だけは、何も考えずにいられたのだ。

水の中は、音が遠くて、いつも静かだった。

母は、僕の大会の日程を、台所のカレンダーに赤鉛筆で囲んでいた。

朝練のある日は、五時に起きて、おにぎりを二つ握った。

具は、いつも梅と鮭だった。

ラップにくるんだおにぎりは、鞄の底で、いつも少しだけ温かかった。

「持っていきなさい」と言われるたびに、僕は「いらない」と言った。

中学生の男子にとって、母親のおにぎりは、少しだけ恥ずかしかったのだ。

それでも母は、毎朝、黙って鞄の底に入れた。

四月の終わりに、母が一度だけ、プールの観覧席に来たことがあった。

肺の影のことを、僕がまだ深刻に受け止めていなかった頃だ。

ガラス越しの観覧席に、薄いコートを着た母が立っていた。

笛の音と、水を叩く音が、天井に反響していた。

塩素の匂いが、喉の奥にまで張りついていた。

僕は、母に気づかないふりをして、折り返しを泳いだ。

練習が終わって更衣室を出ると、母は出口で待っていた。

「息継ぎのとき、右に顔を上げる癖があるね」

「見てたのかよ」

「見てたの。お母さんには、見えるって言ったでしょう」

僕は、返事をしなかった。

帰り道、自動販売機で、いつものように麦茶を買った。

母は、「同じのを一本」と言って、小銭を出した。

並んで歩く夕方の道は、ひどく静かだった。

その麦茶の味を、僕は、うまく思い出せない。

五月、母は入院した。

県立病院の四人部屋で、窓際のベッドだった。

窓の下は駐車場で、その向こうに、市民プールの青い屋根が見えた。

僕が毎日、泳ぎに通っていたプールだ。

「ここからだと、あんたの練習、見えるのよ」と、母は言った。

「見えるわけないだろ。遠すぎる」

「見えるの。お母さんには」

そう言って、母は笑った。

ときどき、外泊の許可が出て、母は家に帰ってきた。

台所に立って、僕の好きな鶏の煮物を作った。

薄味になったね、と僕が言うと、「病院のごはんに慣れちゃって」と、また笑った。

だから僕は、治るものだと思っていた。

少しずつ良くなって、いつかまた、普通に台所に立つのだと。

夏が来て、僕は水泳部を引退した。

最後の大会は、東北大会だった。

百メートル平泳ぎで、県の代表の末席に滑り込んだのだ。

決勝には残れなかった。

病室でそれを報告すると、母は枕元の携帯を握りしめて言った。

「出ただけで、すごいのよ。お母さんは、ちゃんと知ってます」

「別にすごくないよ。決勝、行けなかったし」

僕はそっぽを向いた。

母が見せようとした携帯の画面を、見ようともしなかった。

部活がなくなると、時間が増えた。

その時間を、父は見舞いに使えと言った。

毎日、仕事帰りの父の車に乗せられて、病院へ通った。

行くたびに、僕は思っていた。

早く帰りたい。

家で、勉強させてくれ。

窓の外のプールが、ただ恨めしかった。

前のアドレスは見てない

九月の終わりの夕方だった。

病室には、消毒液と、桃の缶詰の甘い匂いが混ざっていた。

僕と母の二人だけがいた。

父は、医師に呼ばれて、廊下に出ていた。

母は、ベッドの背を少し起こして、携帯を開いた。

二つ折りの、古い型だ。

親指でボタンを押す音が、かちかちと鳴った。

「メール、送ったのにな。返事、来ないね」

母は、画面を僕のほうへ傾けた。

「ああ」と、僕は生返事をした。

「前のアドレス、もう見てないから」

言ってしまってから、少し、ばつが悪かった。

中学に上がるとき、僕は無料のメールアドレスを作った。

それが、一年ほど前から、スパムで埋まるようになっていた。

一日に百通以上、知らない外国語や、当選のお知らせが届く。

掃除するのが面倒になって、僕は新しいアドレスを作った。

塾の連絡も、部活の連絡網も、全部そちらに移した。

新しいアドレスは、父にだけ教えた。

母には、あとで教えるつもりだった。

「そうなの」と、母は言った。

怒った声ではなかった。

「じゃあ、新しいの、教えてよ。登録しておくから」

「あとで教える。今、勉強したいから」

僕は、参考書を開いて見せた。

本当は、開いただけで、一文字も読んでいなかった。

「LINEにしてくれたら、いちばん早いんだけど」と、僕は付け足した。

「お母さんのは、メールしかできないの」

母は、携帯を軽く振ってみせた。

「この子は、古いから」

「じゃあ、機種を変えれば」

「そうねえ。退院したらね」

母は、そう言って、また笑った。

今なら分かる。

退院したら、という言葉を、母は何度、口にしただろう。

そのたびに、僕は聞き流していた。

「急がなくていいよ」と、母は言った。

「あんたの『あとで』は、長いからね」

「うるさいな」

「はいはい」

廊下から、父の足音が近づいてきた。

母は、携帯を閉じた。

ぱちん、という乾いた音が、病室に響いた。

その音を、僕は今でも、はっきり覚えている。

あっけない朝

母が旅立ったのは、十一月の明け方だった。

入院から、半年が過ぎていた。

末期で、手術を受ける体力も、もう残っていなかったのだと、あとから聞いた。

電話が鳴ったのは、まだ外が暗い時間だった。

父は、上着を着ながら玄関を飛び出した。

僕は、助手席で、黙って窓の外を見ていた。

街灯が、一つずつ、後ろへ流れていった。

病室に着いたとき、母の手は、まだ温かかった。

僕は、その手を握った。

握り返してくる力は、なかった。

最期に、すぐ傍にいることができた。

それだけが、僕に許された、ささやかなことだった。

僕は泣いた。

声を出して、泣いた。

けれど、泣きながら、心の隅で思っていた。

ああ、こんなものか、と。

人が逝くというのは、なんて呆気ないのだろう、と。

そんな冷めた自分を、僕は、ずっと許せなかった。

看護師さんが、枕元の小物を、透明な袋に入れて渡してくれた。

老眼鏡と、折り畳んだタオルと、使い込んだ手帳。

手帳の最後のページに、鉛筆の字で、小さな予定が並んでいた。

「水曜 七時 市民プール」

「土曜 大会 お弁当?」

行けるはずのない予定を、母は、最後まで書き込んでいたのだ。

僕は、その手帳を開いたまま、動けなかった。

お通夜も、告別式も、霧の中にいるようだった。

親戚の叔母さんたちが、台所で、手早くおにぎりを握っていた。

その手つきを、僕はぼんやり見ていた。

母の台所に、他の人が立っている。

それが、なぜか、いちばん堪えた。

四十九日が過ぎた夜、父が居間で言った。

「母さんの携帯な、解約しなきゃいけないんだけどな」

「うん」

「まだ、できなくてな」

父は、湯呑みを両手で包んだまま、笑ってごまかした。

僕は、「俺もだよ」とは、言えなかった。

春には、目標にしていた高校に入ることができた。

けれど、県内でも進学校と呼ばれる学校だった。

僕は、すぐに授業についていけなくなった。

中学で東北大会まで行った水泳も、受験休みの空白から、戻れずにいた。

タイムは落ちて、顧問は何も言わず、僕は部活を辞めた。

一周忌の夜、父が、鶏の煮物を作ってくれた。

母の味とは、まるで違っていた。

醤油が濃くて、肉が少し固かった。

「どうだ」と、父が言った。

「うまいよ」と、僕は答えた。

本当は、母の煮物とは違う、と言いたかった。

けれど、それを言えば、父の箸も、止まってしまう気がした。

二人で、黙って、全部食べた。

眠れない夜は、ネットで母の話ばかり読んだ。

母の代筆 二十九通という話では、母の字が最後まで残っていた。

母がボタンを付ける理由を読んだときは、台所の音を思い出して、画面を閉じた。

母が残したものを、探してはいけない気がしていた。

探せば、見つかってしまう。

見つかれば、泣いてしまう。

泣けば、あの朝の冷めた自分を、また思い出す。

だから僕は、何も開かなかった。

迷惑メールの底

それから、一年ほどが過ぎた。

高校二年の十月、風の冷たい夜だった。

通販サイトの古いアカウントを消す必要があって、確認メールを探すことになった。

思い当たる受信先は、中学のときに作った、あのフリーメールだけだった。

気が重かったが、僕はパソコンを開いた。

パスワードは、指が覚えていた。

ログインのボタンを押すと、受信箱が開いた。

未読、千二百八十四件。

画面が、赤い数字で埋まっていた。

「うわ、すごいな」と、思わず声が出た。

当選のお知らせ。

ご利用料金のご確認。

見知らぬ外国語の件名が、滝のように流れていく。

面白いスパムでもあれば、画面を撮って、友達に送ってやろう。

そんな軽い気持ちで、僕はスクロールした。

部屋には、青白い画面の光だけがあった。

階下から、父がテレビを消す音が聞こえた。

机の端には、飲みかけの麦茶のコップが、汗をかいていた。

ホイールを回し始めて、三十秒ほど経った頃だ。

手が、止まった。

画面の端に、見覚えのある文字の並びがあった。

英字と数字の、短い組み合わせ。

母のアドレスだった。

母の携帯から届く、何度も見たことのあるアドレス。

それは、間違いなく母からのメールだった。

件名には、「おつかれさま」とあった。

その下にも、同じ送り主が並んでいた。

「ちゃんとご飯食べた?」

「あしたは雨だって」

「お父さんを手伝ってあげてね」

スパムの間に、挟まるように。

埋もれるように。

何通も、何通も、何通も。

僕は、検索欄に母のアドレスを打ち込んだ。

結果は、六十三件だった。

いちばん古い日付は、中学三年の六月。

いちばん新しい日付は、十一月。

母が旅立った、三日前の日付だった。

指が冷たくなって、キーボードの上で動かなくなった。

窓の外で、風が鳴っていた。

母の字を、僕は、思い出そうとした。

冷蔵庫に貼られた、丸みのある小さな字。

「今日は燃えるごみ」と書かれた、あの付箋の字だ。

件名の並びが、その字と、同じ顔をしていた。

考えてみれば、母は一度も、僕に「メールを読め」とは言わなかった。

言わずに、ただ、送り続けていたのだ。

開けるのが、怖かった。

開けば、母の声が、あの二つ折りの画面の向こうから、聞こえてしまう気がした。

それでも、僕は、いちばん古い一通に、カーソルを合わせた。

母からのメールの束

最初の一通を、開いた。

件名は、「おつかれさま」。

『今日の練習はどうだった? お母さんは、病院のごはんが薄味で、ちょっとだけ元気がありません。でも、窓からプールの屋根が見えるので、元気をもらっています』

次の一通は、七月の日付だった。

『十五歳の誕生日、おめでとう。ケーキは、退院したら焼きます。蝋燭は、十五本じゃなくて、一本でいいですか?』

僕は、思わず笑った。

笑ってから、目の奥が熱くなった。

八月の一通には、こうあった。

『東北大会出場、おめでとう。出ただけですごいのは、お母さんは、ちゃんと知っています』

あの日、病室で、母が見せようとした画面だった。

僕が、見ようともしなかった画面だった。

母は、あのとき、これを見せたかったのだ。

九月の初めの一通は、雨の日のことだった。

『雨の日は、プールがお休みでしょう。ゆっくり寝てください。お母さんは、そのぶん、窓の外の雨を数えています』

九月の中ほどの一通には、こうあった。

『練習の帰り道、自動販売機で麦茶を買うでしょう。お母さんは、知っています。四月の、あの夕方からです』

僕は、机の端のコップを見た。

氷の溶けた麦茶が、薄く揺れていた。

どのメールにも、返事を求める言葉はなかった。

文面は、少しずつ、短くなっていった。

指が、思うように動かなくなったのだろう。

十月の一通は、三行だけだった。

『今日は、いい天気でした。お父さんを、手伝ってあげてね。ごはんは、ちゃんと食べること』

それが、最後から二通目だった。

最後の一通を、開いた。

件名は、「あとで、でいいよ」だった。

息が止まった。

あの日の、僕の口癖だった。

あとで教える、と言った、あの日の。

『読まれていないのは、知っています。』

『あなたが前のアドレスを使わなくなったことも、気づいていました。』

『新しいアドレスは、お父さんに聞けば、すぐに分かります。』

お母さんは、あなたが自分で教えてくれるのを待つことにしました。

『急がなくていいからね。』

書いていると、台所に立っているみたいで、楽しいのです。

その一行を、僕は三回読んだ。

母は、気づいていたのだ。

僕が見ていないことも。

あとで、と言ったきり、一度も教えなかったことも。

それでも、毎日、書いた。

画面が、滲んだ。

泣いた。泣いて、そして、後悔した。

なぜ、新しいアドレスを、自分から教えなかったのか。

たった一行で、よかったのに。

「ありがとう」と、もう、直接は伝えられない。

母がいないことと、母が旅立ったことが、同じ意味になったのは、その夜だったのだと思う。

僕は、返信のボタンを押した。

宛先の欄に、母のアドレスが、自動で入った。

件名は、そのままにした。

本文を、打った。

『母さん、返事が、一年と二か月、遅れました。ごめんなさい。』

消して、打ち直した。

『新しいアドレスを、教えます。』

その下に、自分のアドレスを、一文字ずつ打った。

間違えないように、二回、読み返した。

『ありがとう。大好きです。』

送信のボタンの上で、指が、少しだけ止まった。

押した。

小さな音がして、画面に「送信済み」の文字が浮かんだ。

数分、待った。

エラーの通知は、返ってこなかった。

僕は、パソコンの画面を閉じなかった。

ぱちん、という音を、立てたくなかった。

階段を下りて、台所の電気を点けた。

冷蔵庫から麦茶を出して、コップに注いだ。

二階の部屋のほうを、ちらりと見上げた。

「まだかな」

その独り言が、母の声によく似ていた。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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