せかいでいちばんのしあわせ
母が遺したのは、ひらがなだけの短い手紙でした。押入れの箱の底から出てきた十九枚の書き損じと、右手の親指だけが少し太い七組の手袋。手袋の町で育った私が、二十八年目…
母が遺したのは、ひらがなだけの短い手紙でした。押入れの箱の底から出てきた十九枚の書き損じと、右手の親指だけが少し太い七組の手袋。手袋の町で育った私が、二十八年目…
四歳の私に母は「日曜日かな」と言い残して出て行きました。筑豊の炭住で玄関を見つめ続けた三十年、物干しの黄色い洗濯ばさみだけがなぜ褪せなかったのか。祖母の手帳と五…
藍染職人の継母を、私は最後まで「お母さん」と呼べなかった。青い手が苦手だった私を川から押し上げ、そのまま帰らなかった人。遺された日記のダイヤル錠は、私の誕生日で…
社会人になって初めての給料で母に何か贈りたかったのに、素直になれず「こんな安物かよ」と口走ってしまった三千円のエプロン。三年後に見つけた家計簿の余白が、その値札…
父の出て行った家で、母は市場と総菜屋を掛け持ちして俺を育てた。曲がった俺が過ちを犯した日も、家庭裁判所の帰り道も、母は決して泣かなかった。二十歳の冬、一枚の合格…
三年ぶりに帰省した俺は、家の事情で母の隣に布団を並べることになった。布団に染みた陽の匂いの奥にあった薄荷と糸の匂いが、忘れていた記憶を呼び覚ます。指のあかぎれ、…
雪深い北の町の借家で、母は午前五時に家を出る前、あのアルミの弁当箱へ卵焼きを詰めていた。中学二年の春、私はその箱をダサいと言って突き返し、毎朝三百円を受け取るよ…
四つで母を亡くした俺に残った記憶は、ブランコの鎖の音だけだった。右がカ、左がコ。三十年後、親父が病室でこぼした一言と、押入れの缶から出てきた一枚の短冊が、あの夕…
反抗期の朝、私は母に「産んでくれなんて頼んだ覚えはない」と言い放った。母は言い返さず、ただ黙って夕飯を作った。大学入学の日、戸籍抄本に記されていた「養女」の二文…
五百円玉と百円玉と十円玉。いちばん大きいお金はどれかと問うと、その子は迷わず十円玉を指しました。養護学園の緑の公衆電話と、毎晩磨かれた一枚の硬貨。撤去の日の三十…
雨の県道で倒れた身元不明の女性の首に、錆びた留め金のペンダントが下がっていた。ピンセットでこじ開けた蓋の中の写真を、当直医の佐伯先生は知っていた。結婚式まであと…
体の弱い母が、震える手で毎朝作ってくれた見映えの悪いお弁当。恥ずかしさからそれを捨て続けた娘が、母を亡くしたあとに見つけた一冊の日記。その最後の一行に綴られてい…
単身赴任先の横浜へ何度誘っても来なかった母。四十九日の夜、簞笥の奥から見つかった母のガイドブックには、赤鉛筆の線と「息子と」の三文字が並んでいました。言えなかっ…
九歳で母を亡くし荒れていた私が、父のタンスの奥に見つけたのは「二十歳のあなたへ」と書かれた一本のビデオテープでした。病室の母が遺した十五分の言葉が人生を変えてい…
泣ける話。下町の豆腐店に引き取られた私は、父の急死で血のつながりがないと知り、養母を嫌い抜きました。ぼろぼろになって働く母の背中と、雨の朝に投げかけられた「いっ…