世界で一番温かい野球観戦
日曜日の河原で食べたおにぎり、千円が払えず入れなかった球場、外のベンチで広げた弁当。幼い頃に父を亡くした俺と、働き詰めだった母。母の涙と最期の「野球……ごめんね…
日曜日の河原で食べたおにぎり、千円が払えず入れなかった球場、外のベンチで広げた弁当。幼い頃に父を亡くした俺と、働き詰めだった母。母の涙と最期の「野球……ごめんね…
深夜二時、長野の寮を揺らした地震の震源は、愛媛の実家のすぐ近くだった。寮の公衆電話の列に初めて自分から並び、何度かけても発信音しか鳴らない三十分。授業参観の日を…
「沖縄に行かない?」という母の電話を、就職活動中の私は五分で切りました。半年後、母は逝きました。四十九日のあとに叔母が持ってきた絵日記の写真の裏には、母の字で七…
東京に来ないかと誘うたび、母は人ごみが苦手やからと断った。その母の鏡台の引き出しから出てきた十二年前のガイドブックには、浅草にも焼肉屋にも赤鉛筆の線が引いてあり…
葬儀の朝、腰まであった娘の髪が肩より上で切られていました。お洒落なママとのお別れやもん、と娘は言います。棺に添えられた細い髪の束の意味を、私は七年のあいだ思い違…
体育のあとの教室で、机の上に切り裂かれた文庫本が置かれていました。いじめのことを、私は母に言えませんでした。友達のいない私に、母が月に一冊だけ本を買ってくれる人…
松江の実家のガラスのショーケースには、三十年前からただの小石が千代紙の上に飾られていた。弟ばかり愛されていると思って育った私は、その石を弟のものだと決めていた。…
一番でないと気が済まない母のもとで、私は中学でいじめに遭っていました。机の落書きを毎朝消していたので、消しゴムは一週間ももちません。それでも筆箱には、いつも新し…
愛媛・今治のタオル工場で検反をしていた母から届いたメールは、六年分の八十七通がすべて十文字より短いものでした。不登校だった娘のために、母は文字を削り続けていたの…
岡山・蒜山高原で酪農を営んでいた母は、牛舎のラジオを二十一年ものあいだ、ただの一度も消しませんでした。目を潰されて捨てられ、声を失った猫ナギ。十一年帰らなかった…
実家のアルバムは中学二年の夏で写真が途切れ、そこから先は白いままの台紙だった。二十三の私を写真館に連れて行き、赤に黒の振袖を撮らせた母が「私の宝物」と呼んだもの…
十九歳の冬、がんで入院した母の病室に簡易ベッドを並べて泊まり込み、短大を諦めて看護師の道を選んだ私。お母さんの看病ができた日々を羨ましいと思えなかった後悔と、今…
諫早から松戸まで訪ねてきた母は、三日のあいだ一度も私のポケベルを鳴らしませんでした。使い方を知らないのだと、私は十五年ものあいだ思い込んでいたのです。冷蔵庫に残…
母が送ってくる青さのりの袋の口には、毎年ちがう本数の輪ゴムが巻いてありました。四万十の冬の川に一人で立ち続けた母と、大阪で働き続けてきた息子。あと何日会えるのか…
タオル工場で三十年、白い生地の傷を探し続けた母。傷を見つけるたびに結んでいた赤い一本の糸には、娘が二十四年ものあいだ気づかなかった意味がありました。母がためらわ…