桶の豆腐は売り物ではなかった

湯気薫る豆腐店の朝市

店先の桶には、毎朝、豆腐が一丁だけ沈んでいた。

青いたがの入った、古い木桶だった。

水は冷たく、豆腐は白く、縁だけが黒ずんでいた。

値札はない。貼り紙もない。

桶の豆腐は、売り物ではなかった。

通りがかった誰かが、黙って持っていく。それだけの桶だった。

閉店から半年が過ぎた秋、私は実家の片づけに帰った。

31歳。派遣の事務をしている。有休を二日つなげて取った。

父は73歳になっていた。

店を閉めたのに、朝の4時には必ず起きるという。

暗い台所で水を飲み、釜の前にしばらく立ち、何もせずに布団へ戻る。

その癖が抜けないのだと、父の妹の叔母が電話で言っていた。

私も4時に目が覚めた。

実家の布団は、煮た大豆と古い木の匂いがした。閉店して半年たっても、匂いだけは店に残っている。

壁の向こうで、水の音がした。

店先へ出ると、父が空の桶に水を張っていた。

「もう、並べるもんがないだろう」

私が言うと、父は背中を向けたまま答えた。

「水は、替えとかんと腐る」

桶の縁には、小さな爪の痕が一つだけ残っていた。

父は桶の一丁を、いつも両手で沈めた。片手のほうが早いのに、一度も片手では沈めなかった。

その朝、私は父に頼まれて、店の奥の道具を庭へ運び出した。

大豆を潰す石臼。木の蓋。何十年も使い込まれた柄杓は、持ち手の一部だけが、父の手の形にへこんでいた。

重い。けれど、持ち上げるたび、湿った木が掌に吸いつくように馴染んだ。

小さいころ、この柄杓で水をすくって遊んで、叱られたことがある。

叱った父の声は、不思議と覚えていない。覚えているのは、叱りながら、私の濡れた袖を絞ってくれた指の力だけだ。

子どもの頃から、私はこの桶が嫌いだった。

小四の質問と父の返事

母は、私が6歳の冬に家を出ていた。理由は、聞いたことがない。

小学4年の春だった。

同じクラスの美咲が、登校の途中で店の前に立ち止まった。

「ねえ、あの桶の豆腐、誰が食べるの」

私は答えられなかった。誰が食べるのか、知らなかったからだ。

「売れ残りでしょ。うちのお母さんが言ってた。タダであげるなんて、かわいそうな店だって」

かわいそう。

その言葉は、ランドセルの底で一日じゅう重かった。

その夜、私は夕飯の席で父に言った。

「あの桶、やめてよ。恥ずかしい」

父は箸を止めなかった。

「売れ残りじゃない」

「じゃあ、なんで置くの」

「朝いちばんに上がったやつだ。いちばん、いい」

「いちばんいいやつをタダにするほうが、変だよ」

父は味噌汁を飲み、椀を置いた。

「変でいい」

それきりだった。理由は、言わなかった。

母のいない食卓には、父が漬物を噛む音と、冷蔵庫のモーターの音しかなかった。

翌朝、私は通りの反対側を歩いて登校した。

わざと、桶を見ないように。

けれど、視界の端でどうしても見てしまう。

店の中から、大豆を煮る甘い匂いが通りまで流れていた。

桶の水面に朝の光が揺れて、豆腐の角だけが、まだ湯気の名残をまとっているみたいに白かった。

私はその白さから、目をそらして走った。

運動会の朝も、そうだった。

父は5時から店を開けていたのに、お弁当だけは、必ず用意してくれた。

卵焼きは焦げていた。ウインナーは、足が全部くっついていた。

一つだけ、いつも入っているものがあった。

小さく切った豆腐の味噌漬けだ。

友だちの弁当箱には入っていない、茶色い四角。

「それ、なに」

隣に座った美咲が、箸を止めた。

「豆腐」

「ふうん。やっぱり豆腐屋さんだ」

悪気のない声だった。それが、いちばん刺さった。

私は蓋を閉めて、午後の競技まで、一口も食べなかった。

夜、ほとんど減っていない弁当箱を見ても、父は何も言わなかった。

ただ、翌朝から、味噌漬けは入らなくなった。

それが、なぜか、もっと胸に残った。

授業参観の日、父は店を閉めて来た。

白い前掛けのまま、教室の後ろに立っていた。

作業着の袖から、冷たい水の匂いがした。

先生に当てられて、私は国語の教科書を読んだ。

途中で一度、つかえた。

振り向くと、父は小さくうなずいた。

うなずいた。それだけだ。

帰り道、父は何も言わず、私の歩幅に合わせて歩いた。

店の前の桶が見えたとき、私はまた、足を速めた。

父は、速めなかった。

桶の豆腐を数えない父

高校に上がる頃、私は桶を観察するようになった。

誰が、持っていくのか。

始発に乗る前の、作業着の青年。

夜勤明けの看護師さん。

犬を連れた、腰の曲がったおばあさん。

ときどき、ランドセルの小学生。

誰も何も言わない。軽く頭を下げて、持っていく。

父も店の奥から顔を出さない。釜の前で背中を向けたまま、湯気の向こうにいる。

「見ないの」

一度だけ、そう聞いたことがある。

「見たら、礼を言わせることになる」

父は大豆の袋を肩に担ぎ直した。

「礼を言わせたら、次から取りにくくなる」

意味がわからなかった。

高2の梅雨に、一度だけ、桶の前で足が止まったことがある。

傘もささずに、小さな男の子が立っていた。ランドセルの肩が、雨で黒く濡れていた。

手を伸ばさない。ただ、桶を見ている。

通りに人はいなかった。

私は舌打ちしたいような気持ちで、桶から豆腐をすくい上げた。

「ほら。持っていきな」

男の子は、両手を揃えて受け取った。

何も言わずに、走っていった。

店の奥で、釜の蓋が鳴った。父は見ていたのかもしれない。何も言わなかった。

私はその朝のことを、すぐに忘れた。

わからないまま、私は高校を出て上京した。専門学校に通い、そのまま派遣の事務になった。

実家へ帰るのは、盆と正月の二回だけ。

20歳の正月、夜行バスで着いた朝は、まだ暗かった。

店の前を通ると、桶に豆腐が一丁、沈んでいた。

私は立ち止まった。手が、水面の上まで伸びた。

けれど、取らなかった。

もらう側に回りたくなかった。この店の娘が、タダの豆腐を取るなんて。

店の戸を開けると、父は釜の前にいた。

「寒かったろう」

それだけ言って、湯気の向こうへ戻った。

父の手は、冬の水で赤く割れていた。

東京で暮らした最初の冬、私はよく、4時に目が覚めた。

理由はわからない。ただ、目が覚める。

暗い1Kの部屋で冷蔵庫の唸りを聞いていると、どこかで水の音がする気がした。

スーパーの豆腐は、パックの水の中で、静かに待っていた。

買って帰って、皿にのせて、醤油をかけた。

おいしくなかった、とは言わない。ただ、何かが足りなかった。

何が足りないのか、考えないようにした。

私が帰ってきても、帰ってこなくても、桶は同じだった。

それが、少しだけ、悔しかった。

電話は、半年に一度。用件だけ。

今年の春、父は膝を悪くして、店を閉める日を決めた。

閉店の日は、3月の末だった。

私は仕事を理由に、帰らなかった。

「忙しいなら、いい」

父は電話でそう言った。

それで、終わった。

向かいの八百屋の話

片づけの二日目、午後。

私は店の中のものを、段ボールに詰めていた。

大豆の計量枡。にがりの瓶。木綿の布。

釜の底には、まだ薄い膜のような豆の跡が張りついていた。

そこへ、向かいの八百屋の吉村さんが入ってきた。

80近い、小柄な人だ。

「あら、桶、もうやめたのね」

「閉店しましたから。今朝は、水だけ」

「そう。そうよね」

吉村さんは、店先の桶をしばらく見ていた。

「あんた、あの桶の理由、聞いたことある?」

「売れ残りじゃないって、それだけ」

「そうねえ。あの人、言わないから」

吉村さんは、上がり框に腰を下ろした。

「あれはね、あんたのだったのよ」

聞き返した声が、自分のものではないみたいだった。

「あんたのお母さんが出ていった朝。あんた、6つだったでしょう」

母が家を出たのは、12月の寒い朝だったと聞いている。

それ以外は、何も覚えていない。

「朝ごはんはね、いつもお母さんが作ってたの。お父さん、台所に立てなかった」

吉村さんは、湯呑みを両手で包むようにして続けた。

「あんたは店先の桶にしがみついて、泣いてた。爪が木に食い込むくらい。おなかすいた、おなかすいたって」

私は黙って聞いていた。

「お父さんね、釜から上がったばかりの豆腐を、水を切って、あんたの小さい両手にのせたの」

「熱かったでしょうに。あんた、その場で立ったまま食べたのよ。醤油もなしでね。全部食べて、やっと泣きやんだの」

覚えていなかった。

覚えているのは、母の後ろ姿の輪郭だけだ。

思い出そうとすると、鼻の奥に、湯気の匂いだけがよみがえった。

大豆の甘さ。釜の鉄の匂い。熱くて持てなかった、白い塊。

それは記憶というより、舌の奥に残った温度だった。

「お父さんね、あの後、一週間くらい、ご飯の炊き方も知らなかったのよ」

吉村さんは、少しだけ笑った。

「うちの店の残り野菜を、毎朝取りに来てね。文句ひとつ言わないで、味噌汁を作る練習をしてたの。あんたに、まともなものを食べさせたくて」

「知りませんでした」

「言わない人だもの」

「今朝、桶が空っぽだったから、気になってね」

吉村さんは、庭に出された柄杓のほうを見て、目を細めた。

「あれで、あんたに水をかけられたこともあったわねえ」

笑っていいのか、わからなかった。

「次の朝から、桶が出たの。お父さん、言ってたわ。また腹をすかせた子が、泣きながら通るかもしれんって」

視線が、桶の縁に落ちた。

小さな爪の痕が、一つだけ、残っていた。

桶の縁の爪の痕は、6歳の私がしがみついた痕だった。

父が両手で沈めていたのは、小さな両手が受け取ったあの形のままだった。

喉の奥が、熱くなった。

「あの桶の豆腐はね、売れ残りでも、施しでもないの。あんたが走って学校へ行った朝も、東京へ行った朝も、お父さんは沈めてたのよ」

吉村さんは、そっと息をついた。

「閉店の日もね。夕方まで、シャッターを下ろさなかった。あんたが来るかもしれないって、桶に一丁、残したまま」

3月の末の夕方。

桶の前で水を替える父の背中を、私は何百回も見た。

そのたびに、恥ずかしいと思った。

吉村さんは、帰りぎわ、店先で足を止めた。

「あのね。取りに来る子、いつも、お父さんが戸を開ける前に来てたでしょう」

言われてみれば、そうだった。

桶の豆腐は、いつも、誰かが来るより先に、そこにあった。

「あれ、いちばん早い子の時間に合わせてたのよ。あんたが学校へ行く時間にも」

私は、返事ができなかった。

私は、東京の事務所でコピーを取っていた。

桶の一丁は、25年間、6歳の私の朝ごはんの続きだった。

冷たい一丁を両手で

翌朝も、4時に目が覚めた。

会社には、有休をもう一日足すと連絡を入れた。

台所に、父の背中があった。

釜に火は入っていない。流しに、近所のスーパーで買ったらしい豆腐のパックが置かれていた。

父は桶に水を張り、パックから出した豆腐を、両手で、そっと沈めた。

冷たい水の音が、がらんとした台所に響いた。

父の指が豆腐の角にふれるたび、水が小さく鳴った。

その音を、私は聞いたことがあった。25年前の、あの朝に。

私は店先の戸を開けた。

昨夜、スーパーの袋を提げて戻ってきた父の足音を、私は布団の中で聞いていた。

一つ多い、と思った。袋の中の音が、一つ多かった。

朝の空気が、頬に刺さった。

通りの向こうで、八百屋のシャッターが上がる音がした。

父が、桶から豆腐を両手ですくい上げた。

黙って、私の前に差し出した。

私は、両手を出した。

冷たい。重い。

立ったまま、食べた。

醤油はない。大豆の甘さと、水の匂いがした。

「醤油は」

「いらない」

「そうか」

「昔は、熱くて持てんかったろう」

「覚えてない」

「それでいい」

父は背を向けて、空になった桶の水を替えていた。

肩が、少し揺れていた。

私は何も言わなかった。言えば、水の音が止まってしまう気がした。

食べ終わると、父は黙って、もう一丁を沈めた。

店先の桶には、その朝も、豆腐が一丁だけ沈んでいた。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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