妻が手放した櫛

黄金の朝と水田の空気

昭和三十三年の秋を、私は生涯忘れまいと思う。

一晩の野分が、稔りかけた田を一枚残らず泥の海に変えてしまった、あの秋である。

三十になったばかりの私は、父祖から継いだその田の畦に立ち尽くし、傍らにいる妻の名を呼ぶことさえ、しばらく忘れていた。

倒れ伏した稲の穂は、泥水を吸って黒く重く、もはや一粒の米も実らせぬことを、無言のうちに告げていた。

野分の去った空は、何ごともなかったように青く晴れわたっていて、それがかえって私には残酷に見えた。

私は貞子と見合いで結ばれ、その秋でちょうど八年になっていた。

山ひとつ越えた在所から嫁いできた貞子は、口数の少ない女であった。

親もとは我が家よりもなお貧しい小作で、貞子は幼い時分から、奉公に出るようにして育ったと聞いている。

もっとも、口数の少なさにかけては、私のほうがよほど上手であったろう。

田を耕す男が妻に礼を言うなどということは、私の知る作法の中には、ただの一行も書かれていなかった。

朝餉を出されても、繕い物をしてもらっても、私はただ黙って受け取るだけであった。

それが男というものだと、亡き父の寡黙な背中を見て、私は疑いもなく覚えこんでいたのである。

嫁いで間もない頃、貞子が高い熱を出した朝のことを、私は今でもよく覚えている。

それでも貞子は、ふらつく足で土間に下り、いつもの刻限に、湯気の立つ朝餉を私の前に据えた。

私はその朝も、ただ黙って箸を取り、「無理をするな」の一言すら、ついぞ口にしなかった。

貞子は、それを当たり前のことのように、台所の隅で、ひとり冷えた粥をすすっていた。

今思えば、私はあの八年、妻の優しさに甘えきっていながら、それを優しさと気づくことすらできずにいたのである。

私たち夫婦には、ついに子が授からなかった。

それゆえ私は、いっそうこの田だけを己の血筋のように思いつめていたのかもしれぬ。

野分のあとの冬は、ことのほか長かった。

売る米のない年は、銭の入る道が、ことごとく閉ざされてしまう。

村じゅうが沈んでいたが、我が家の暗さは、その中でもひときわ深かったように思う。

私は荒れた。

安い濁酒をあおっては、天を呪い、土を呪い、しまいには黙々と働く貞子の背中までを呪った。

「お前のような不景気な女を迎えたから、田まで流れたのだ」

そんな筋の通らぬ言葉を、私は一度ならず投げつけた。

貞子は、何ひとつ言い返さなかった。

ただ、土間の隅で、いつもより深く頭を下げるだけであった。

その従順さが、かえって私の癇に障り、私はますます酒の量を増やしていった。

今にして思えば、私は己の不甲斐なさを、妻ひとりの細い肩に、そっくり肩代わりさせていたにすぎない。

冬のあいだ、貞子は夜ごと、囲炉裏の乏しい灯の下で、賃仕事の針を動かしていた。

近在の家から繕い物や反物を預かり、わずかな銭に替えていたのである。

夜が明けきらぬうちに起き出して、仕上げた品を麓の町まで届けに行く貞子の下駄の音を、私は何度も布団の中で聞いた。

雪の深い朝など、その下駄の音は、しんと冷えた闇の中に、ひとつ、またひとつと遠ざかっていった。

それでも私は、布団から起き出して見送ってやろうとは、ついぞ思わなかったのである。

それでいて私は、酔った目でその丸まった背中を眺めながら、礼を言うどころか、灯の油がもったいないとすら思っていた。

なんという男であったろうと、今は思う。

その貞子には、たったひとつ、嫁入りに携えてきた宝があった。

鼈甲の櫛である。

早くに世を去った貞子の母が、娘の嫁ぐ日にと、若い時分から一銭ずつ貯めて誂えた、飴色の美しい櫛であった。

貞子はそれを桐の小箱に納め、簞笥のいちばん奥に、まるで母の位牌のように仕舞っていた。

嫁いで八年、私はその櫛が貞子の髪に挿さっているのを、ただの一度も見たことがなかった。

祝言の日にすら、貞子はそれを挿さなかった。

「もったいのうて、とても」と、はにかむように笑っていたのを、私はぼんやりと覚えている。

盆や正月、よその女房たちが櫛を挿して晴れ着で出歩く日にも、貞子はいつもの木綿の髪のまま、台所に立っていた。

それほどに、その櫛は貞子にとって、亡き母そのものであり、めったなことでは触れてはならぬものであったのだろう。

貞子は一度だけ、その櫛のことを私に話したことがある。

母御は亡くなる間際、まだ娘であった貞子の手を握り、「これを挿す日には、きっと笑うていなさい」と言い遺したのだという。

だから貞子は、心の底から笑える日が来るまで挿すまいと、ひそかに決めていたのかもしれない。

年が明け、雪解けの水が田に戻る頃となった。

流れた田にもう一度苗を植えるには、まず種籾を手に入れねばならない。

けれど、我が家の銭箱は、とうに底をついていた。

私は種籾屋の前を幾度も行きつ戻りつし、結局、頭を下げる勇気もないまま、手ぶらで畦道を帰った。

来年の苗代は、もう立てられぬかもしれぬ。

田を継いで三代、その田を己の代で絶やすのかと思うと、私は誰もいない畦に座りこんだまま、立つことができなかった。

父も、その父も、この一枚の田を命綱としてここまで生きてきたのである。

日の暮れた田には、雪解け水を張った窪みが、鈍い鉛色に光っていた。

ところが、である。

数日の後、種籾屋の主人が、わざわざ我が家まで足を運んできた。

「広瀬さん、種籾は早う取りに来てもらわんと。奥さんが先に、ちゃんと銭を置いていきなすったろう」

私は、主人の言うことの意味が、しばらく呑みこめなかった。

銭などあろうはずがない。

家じゅうの銭という銭を、私は知り尽くしているはずであった。

主人を帰したあと、私は弾かれたように、簞笥のいちばん奥の引き出しを開けた。

桐の小箱は、たしかにそこにあった。

けれど、蓋を取ると、中の飴色の櫛は、もうどこにもなかった。

代わりに、櫛の形にうっすらと残った窪みだけが、底の古びた布に、刻まれるように残っていた。

私は、その空の小箱を握りしめたまま、長いこと、動くことができなかった。

窪みにそっと指を当てると、まだほのかに、櫛のぬくもりが残っているような気さえした。

あの母の形見を手放すために、貞子がどれほど長く、この小箱の前に座っていたかを思うと、私は息が詰まった。

その晩、私は生まれて初めて、貞子の前に両手をついて尋ねた。

「あの櫛を、どうした」

貞子は、繕いかけの足袋から顔を上げ、ほんの少し、驚いたようであった。

そして、いつもの静かな声で、こう言った。

「櫛は、また買えます。けれど、あの田は、二度と買えません」

貞子の声には、私を責める色など、微塵もなかった。

ただ、当たり前のことを当たり前に告げる、静かな響きだけがあった。

その静けさが、どんな罵りよりも、深く私の胸を抉った。

私は、声が出なかった。

八年のあいだ、私が一度も口にしなかった礼の言葉が、喉の奥でつかえて、どうしても形にならなかった。

亡き母の形見を手放してまで、この女は、私の田を——いや、田にしがみつくしかなかった不甲斐ない私という男を、守ろうとしていたのである。

私は、畳に額をつけた。

「すまなかった」

その一言が、八年かかって、ようやく私の口から零れ落ちた。

貞子は慌てて私の肩に手をかけ、「およしください、人さまが見たら」と、おろおろしていた。

その手が、ひどく荒れているのに、私はそのとき、初めて気づいた。

田仕事に加えての夜なべの賃仕事で、貞子の指は、節くれだち、あかぎれだらけになっていた。

私は、その荒れた手を、両の手のひらでそっと包んだ。

包んでみて、それが思いのほか小さく、そして氷のように冷たいことに、私は胸を衝かれた。

この小さな手で、貞子は八年ものあいだ、私の不機嫌までを、黙って引き受けてきたのである。

その春、私は種籾屋から籾を受け取り、流れた田に、もう一度、苗代を立てた。

苗代に張った水は、空をうつして、鏡のように澄んでいた。

貞子は、苗を運ぶ私の後ろを、いつものように、黙ってついてきた。

私は、振り返って、言った。

「秋になったら、町へ行こう」

「櫛を、買いにな」

貞子は、何も答えなかった。

ただ、苗を胸に抱いたまま、深くうつむいて、その肩を小さく震わせていた。

水を張った田の面を、その年最初の燕が、低く一筋、すべるように横切っていった。

その秋、田はふたたび黄金の穂を垂れ、私は約束どおり、貞子を町へ連れて行った。

櫛屋の店先で、貞子はずいぶん長いこと迷ったあげく、いちばん安い飴色の櫛を、そっと指さした。

妻の優しさに、ようやく報いることのできた日であった。

あれから幾年もの歳月が過ぎ、今、貞子の白くなった髪には、私が町で求めた新しい飴色の櫛が挿してある。

けれど私は、あの空の小箱の底に残っていた、小さな窪みのほうを、今もときおり思い出す。

私が一生をかけて埋めてゆくべき窪みは、きっと、あれなのである。

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